2018-01-01

愛媛県松山市「大林寺 第二十四世 大嶋玄瑞上人」と「松山光明会」


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前回の記事のお寺は、
同松山市内の「浄土宗 浄福寺」で、
大嶋玄瑞上人が、弁栄聖者に真の意味でご邂逅されたお寺。

今回は、大嶋玄瑞上人のお寺で、
旧 伊予松山藩主久松家菩提寺の「大林寺」

学信上人は、大林寺第十二代住職。

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この「浄土宗 大林寺」の文字は、
山本空外上人の筆になるものと思われます。

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「大林寺」は、
戦前と戦後で、雰囲気が大きく変わっているようです。

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大嶋玄瑞上人は、弁栄聖者との御邂逅を、
「盲亀の浮木に逢う如く」に喜ばれたとのこと。

 
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右側に行くと奥には、
旧 伊予松山藩主久松家のお墓。

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  【大嶋玄瑞上人(1883年~1978年)】

大嶋玄瑞上人と弁栄聖者との直接のご縁は、
大正9年6月~大正9年10月
伊予松山「浄福寺」と、広島「心行寺」と京都「知恩院勢至堂」での、
わずか3回のみ
 ※ 弁栄聖者の御遷化は、大正9年12月。

大嶋上人と弁栄聖者との真のご邂逅が、
伊予松山「浄福寺」であったのですが、
そこで、聖者への「全身全霊の信が確立」したのではなく、
「弁栄聖者への信が確りと芽生えた」といった段階であったと推察されます。


大正9年10月、京都「知恩院勢至堂」における、
大嶋玄瑞上人と弁栄聖者との興味深い逸話があります。

知恩院勢至堂にて、京都光明会主催の別時が開催されました。
導師は、弁栄聖者でした。

大嶋上人は、どうしても聖者のお別時に就きたくて、
最終布教先の信州長野から京都へと急ぎ向われました。

京都に着き、
大嶋上人が、弁栄聖者にご挨拶されますと、

「大嶋さん、信州の布教が無事にお済みなさいましたな。」
と聖者が仰っられたので、
大嶋上人は度肝を抜かれました

といいますのも、
大嶋上人は、弁栄聖者のお別時に就くために、
3週間ほどの布教先での御法話を少しずつ縮めて、
予定よりも日程を短縮できました。
そこで、本山へは報告をせずに
急ぎ、信州長野から京都に向ったのでした。

弁栄聖者の直弟子方は各々、
聖者の「三身四智の仏眼」に依る霊(法)力をまざまざと体験され、
そのことも、「弁栄聖者への信」を深める大きな要因になっていることが、
ハッキリと解ります。

大嶋上人が体験されたのは、
弁栄聖者の三身四智の仏眼、その「大円鏡智」の働きであったわけです。

弁栄聖者への信を深められた大嶋玄瑞上人は、
聖者ご遷化後、昭和3~4年から5年かけて
弁栄聖者の御遺稿(『ミオヤの光』、『人生の帰趣』、『無辺光』)等を熟読され、
また、笹本戒浄上人はじめ聖者直弟子方のご法話等もご参考にされながら、
「光明主義教学」を研究され、
「光明主義の六大特長」を決択されました。

「光明主義の特長」とは、
弁栄聖者によって開顕された「大宇宙(自然界と心霊界)の真相」
といった意味です。

六つの内容、項目は、次のとおり。

一、 十二光
二、 三十七道品
三、 縁起実相を統一調和せる王三昧ー弥陀三昧
四、 念仏の初発心より見仏して成仏、
無限に向上さして戴く終りまで信念の変更を要せず
五、 無明
六、 主観客観いづれに偏(カタヨル)してもタンパンカン


この「光明主義の六大特長」は、
『笹本戒浄上人全集』が出版された昭和50年代の前半頃まで、
光明会内で流布されていたようで、

笹本戒浄上人は、
「正にそのとおりであり、間違っているところはない。」
とお認めになられたそうです。

ただし、続けて、
戒浄上人の直弟子、泉虎一氏に、
「あの六大特長は、
光明主義の特長の全部を厳密に述べたものではない。
後日、補完するように。」
と御遺言(託)されたとのことです。


現在では、
泉虎一氏、杉田善孝上人等、笹本戒浄上人の弟子方に依って、
『光明主義玄義(ワイド版)』の最後に、
「光明主義の主要特徴」として、
一往「十三項目の特徴」として補完されていますので、
是非、お読みになってご確認ください。


大嶋上人の思い出話の中で、
示唆に富み、印象深い逸話が、
まだ幾つかありますので、記しておきたいと思います。

○ 【弁栄聖者の大嶋玄瑞上人へのご教示】

 ・ 「我(弁栄)は、釈尊がお説き残しの法を説く。」

 ・ 【筑波山での念仏三昧発得偈】について
   (明治十五年、弁栄聖者二十四歳時)

「弥陀身心遍法界
 衆生念仏仏還念
 一心専念能所亡
 果満覚王独了々」


この「念仏三昧発得偈」の内実について、
弁栄聖者は、笹本戒浄上人と大嶋玄瑞上人に自内証を漏らされたようですが、
その内容について、泉虎一氏と杉田善孝上人のお二人が協力してまとめられています。
とても貴重なものですので、少し長くなりますが記します。

「念に応じて
お顔の丈が一丈五尺位の如来様のお姿がお現われになるが、
初めは私共が互いに向いあって
相手のお方のお顔を見ているのと同じ状態から、
間もなく向きをかえて、如来様と弁栄聖者が一つになって、
自分で自分の姿を見るようになり、お姿を念じ始めてから、
無限の大宇宙なお入るるに狭しとする
大天大地を貫く大御姿とお成りになる。
念じ始めてから大宇宙を貫く大身の御姿を
しかと見奉るようになるまでの時間は、およそ五分間。
(但しこれは聖者の三昧直観による時間であって、
均質的連続としての物理学的時間とは
根本的に区別されるべきである)」。



○ 【大嶋上人の「弁栄聖者観」、「笹本戒浄上人観」】

弁栄聖者の在家の直弟子、京都帝国大学工学部講師、
中井常次郎(弁常居士)氏が、笹本戒浄上人の講演の後、

「いったい笹本上人は弁栄上人に比べたら、
夜這星(よばいぼし)と恒星との区別があります。」

と言われたことがあったそうです。

その時、戒浄上人は、
「いや、恐ろしいことで。
夜這星と恒星と比較して頂くほどでももったいない」

と言われ、ニコニコしておられたそうです。

この逸話の年代が知りたいところですが、
それはそれとして、この逸話がとても興味深いのは、
中井常次郎氏と笹本戒浄上人の人柄の特徴がよく表れていると思われる点です。

中井常次郎氏は、科学者であり、
「真理の前には、誰もが皆平等である。」との信念があったのでしょうか、
また、”直言居士”の面目躍如。

一方の笹本戒浄上人は、
弁栄聖者ご在世当時から、
とても謙虚な人格者との評判の高かったお方。

戒浄上人のこのご発言、ご対応は、
内心の怒りを抑制され、謙虚と思われる”大人の対応”をされたのではなく、
戒浄上人は、心底からそう思ってのごく自然な対応であったと推察されます。

「弁栄聖者を仏様」として心底拝めておられた戒浄上人です。

”桁違いに格の違う人物”に対しては、
人は、競争心(嫉妬)などいだかぬものであり、

その様な人物には、
無私になって接した方が、かえって、自分がより活きる、
といった逆説が生じるものではないでしょうか?

「私の一生は、砂浜で美しい貝殻を拾って喜んでいる子どものようなものだった。
真理の大海は目の前に未知のまま広がっている。」


ニュートンの言葉であったように記憶していますが、

”絶対的な智慧”に対する、
”相対的な理性”の健全な在り方(態度)であるように思われます。


そこを、法然上人は、『一枚起請文』の中で、
「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」
とご教示されておられます。


「笹本上人もそれはご立派であったが、
笹本上人は、一世紀一世紀の時代に出られる聖者で、
弁栄上人は、千年刻みに出られる聖者です。」



大嶋玄瑞上人の晩年における、
「弁栄聖者観」と「笹本戒浄上人観」。



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左側に行き直ぐ右側に、大嶋玄瑞上人のお墓


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【法名 本蓮社正僧正達誉上人性阿無三湛然玄瑞老和尚
大林寺第廿四世】


大嶋玄瑞上人のご西化は、昭和53年。
世寿95歳

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大嶋玄瑞上人、垣本都氏が中心となって、
「松山光明会」が発足、発展していったようです。

笹本戒浄上人、熊野宗純上人 藤本浄本上人
大谷仙界上人中川察道上人等、
弁栄聖者の直弟子方によって、お別時が開催されていたようです。

なお、
大林寺は、「松山光明会」発足当時、
旧制松山高等学校の仮宿舎であったため、生徒への影響が大きく、
後の光明会に大きな影響を与えた方々が多数輩出されました。
主だった方々のお名前を記しますと、

 川本正良氏(松山高等学校ドイツ語教授、俳人(雅号臥風)、松山光明会員)
 垣本都氏(松山光明会の育ての親)
 山本空外上人(光明修養会元上首)
 岡本薫氏(神奈川県相模原 光明学園学長)
 泉虎一氏(笹本戒浄上人の直弟子)
 蛯名寿家夫氏(月照寮同人、
『真実の自己』(笹本戒浄上人述)を英訳する会代表)

※ 「松山光明会」の現在の活動状況等については、
残念ながら、不明です。

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2017-12-11

愛媛県松山市「浄土宗 浄福寺」における、大島玄瑞上人の弁栄聖者とのご邂逅


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伊予松山。
四国初の、弁栄聖者の御結縁地。

道後温泉、夏目漱石、正岡子規・・・
あるいは、司馬遼太郎氏によって、秋山兄弟でも知られているかもしれません。

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四国伊予(現 愛媛県)松山「浄土宗 浄福寺」
(注) 同じ松山市内には、浄土真宗の同名のお寺があります。
訪問の際には、ご注意ください。

実は、
大島玄瑞上人が弁栄聖者に初めてお目にかかったたのは、此処ではありません。

遡ること、十数年ほど前、明治三十年代の半ば頃
東京小石川の宗教大学(現大正大学の前身)講堂で、
聖者の講演を聞かれたことがありました。

その当時の弁栄聖者の印象として、
大島上人は、次の二点が印象に残るのみでありました。

通学中の学生が、
「早く講義が終わらないと帰りの汽車に間に合わなくなる。」
と内心心配しながら聖者の講演を聞いていた時

弁栄聖者が講義を中断し、突然、

「この中で帰りの汽車の事を心配している者がいるが、
その汽車はいつもより遅れて到着する
ので、
話しが終り、急いで行けば間に合う。
心配には及ばない」と。


翌日、その学生が語った、
「果して十分間に合った。奇異の思いがした。」
との話しが印象に残ったこと。

もう一点は、その時の弁栄聖者の講話内容について。
宗乗の「指方立相」に反して、
「現在に重点」を置く趣旨で、

「是れ全く異安心者である。浄土教の破壊者である。
異端者である。大いに排斥すべきである。」

と大島上人は憤慨され、それから聖者を避けられた。


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それから歳月が流れ、
大正5年伊予「大林寺」住職拝命

更に数年の歳月が流れた、
大正9年3月、熊本市内での本山巡教中でのこと。

高座に登り、お十念の後、第一声、
「お念仏は有り難い」と。
すると、
「教師様はお念仏が有り難いですか」
との無言の反響

「念仏は不断相続が肝要である」と。
「教師様は能く念仏不断相続せられますか」。
との無言の反問の来る無声の声

脇下からの脂汗、熱湯の如く、慚愧筆舌に尽し難く、
「この不浄説法師と己を責め」られ、
松山の自坊で、この忸怩たる思いを胸に秘め過ごされていた。


そんな折、
同年6月、浄福寺檀信徒の先祖追善供養の法要の話しがあり、
不思議なご縁の巡り合わせで、
広島の「心行寺」の佐々木為興上人とのご縁から、
愛媛教区教学講習会の講師に是非との要請を受け入れられ、
弁栄聖者が、伊予松山に

為興上人と光明会員の木魚を叩き、
オルガン伴奏による聖歌を聴きながら、
「何だか耶蘇臭いわい」と一同ざわつかれたようです。

御法話は、「宗祖の皮髄」について。
(『法然上人の神髄 (現代語訳「山崎弁栄講述 ──『宗祖の皮髄』』は、こちら)

その時かわされた、
大島玄瑞上人と弁栄聖者との主要な問答は、以下の四つ。

(大島上人) 「光明会の念仏は難行道に非ずや。」
(弁栄聖者) 「難易二道は安心上の問題にして起行の問題ではない。」

(大島上人) 「『選択集』の何処に見仏の思想有りや。」
(弁栄聖者) 「もう一度深くご覧なさい。」

(大島上人) 「常に仰せられけるお詞(『勅修御伝第二十一』)の
「近来の行人、観法をなす事なかれ。・・・・」」について

(弁栄聖者) 『大日比三師講説集』の御伝廿一巻 をご覧なさい。」

(大島上人) 「凡夫は見仏は不可能でしょう。」
(弁栄聖者) 「業障懺悔、念念一心にお念仏が大事です。
往生見尊体、親様にお逢いしたいと申す念仏が大事です。」


大島上人の弁栄聖者へのご質疑は、
末代の我々衆生のためとも云えるもので、
大変貴重で、有り難いものでもあります。

更に貴重な、
弁栄聖者の大島玄瑞上人へのご教示が残されています。

○「従来念仏といえば殆んど”観念の念仏”だったので、
これと混同されない様に
法然上人は”本願の念仏”を説くのに声を強調力説された。
しかし、そのために一般には声に偏ってしまった。
今、弁栄はそれを中正に戻す」と。 

また、弁栄聖者は念仏における心構え(起行の用心)として、
次の様に、明確にご教示されたとのこと。

「了々たる見仏をまだしてなくても、
親に遇いたいな遇いたいなと想う愛慕の心をもって
お念仏を申さ
なけりゃならない。」

○「いつもいつも如来様を憶念することが結構でございます。」 


おそらく、
大島玄瑞上人はこの時点では、
即座に「弁栄聖者に絶対帰依」されたのではなく、
聖者の説かれる(自内証の)浄土教の独自解釈により、
浄土宗乗等の疑義等が全面解決されたのでもなく、
「まだ解消し得ない疑義は、疑義として払拭仕切れずとも、
そのことが、”弁栄聖者への信”の妨げとはならず」

「弁栄聖者への信が確りと芽生えた」のだと推察いたします。

大島上人が、「弁栄教学」の真髄の詳細を知るには、時間は短すぎますし、
この当時、聖者の御遺稿集等の書物は、まだ十分に整備されてもいませんでした。


なお、ご参考までに、
以下、「観仏と念仏」に関するその他の御教示。

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』には、

「極楽よりも如来様をもととし、
しかも如来大悲のみすがたを心にお慕いして念ずることの、
いかに宗教意識の発育と意識の集中に有効であるかを経験せざる宗侶には、
この仏心大悲のあらわれなる如来のみすがたの人格的なありがさたを、
憶念しお慕いする所のお慈悲にぬれた温かい心持の念仏を、

かの冷かなむしろ器械的な「観仏」と、
とりまちがえる人
も門外の人には時々あった。」

また、
「観念の念仏は十三定善の法式によりて修し、
念仏三昧は一心欣慕の意地に住する旨をお説きになった。 


この伊予松山「浄福寺」での弁栄聖者とご邂逅の後、
大島上人は、広島の佐々木為興上人の「心行寺」での、
聖者のお別時にも、続けて就かれました。

大島玄瑞上人と弁栄聖者との直接のご縁は、
大正9年6月~大正9年10月、
伊予松山「浄福寺」と、広島「心行寺」と京都「知恩院勢至堂」での、
わずか3回のみ


弁栄聖者のご遷化は、
そのおよそ2ヶ月後、大正9年12月4日

大島玄瑞上人は、弁栄聖者との御邂逅を、
「盲亀の浮木に逢う如く」に喜ばれたとのこと。

大島玄瑞上人のご西化は、昭和53年。
世寿95歳。



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意外、と思われる方も多いかもしれませんが、
弁栄聖者、笹本戒浄上人、田中木叉上人の御三方のお墓が揃っている処は、
全国でも、此処、「浄福寺」だけかもしれません。

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【弁栄聖者のお墓】

「我子等を愁へてゆきし法の父
とわに恋しく涙こぼるる」(大島玄瑞上人)



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弁栄聖者のお墓が、伊予松山「浄福寺」に建立されたのには由来があります。

聖者直弟子の大谷仙界上人から、
しばらく預かっておられた聖者の御遺骨、
その御分骨がようやく、此処、伊予松山の「浄福寺」に、
おさまることになりました。

昭和51年のこと。

「大林寺」住職大島玄瑞上人と垣本都氏のたってのご発願によるもの。

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【笹本戒浄上人のお墓】

弁栄聖者のご結縁の後、ほどなく、
大林寺大島玄瑞上人と垣本都氏を中心として、
松山光明会が発足され、
後の光明会の歴史に名を残す優れた人物が数多く輩出されました。

笹本戒浄上人と松山光明会とは、因縁が深いと思われますが、
この舎利塔建立の発願者のお一人、
垣本都氏と戒浄上人とのご因縁は格別に深かったようです。

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【田中木叉上人のお墓】 

弁栄聖者ご提唱の「光明主義」、その「弁栄教学」を学ぶ際に、
田中木叉上人の存在を抜きにしては考えらないことですが、

田中木叉上人の弁栄聖者の御遺稿の編纂という畢生の大事業
「その御恩、感謝の念いを決して忘れてはならない」と、
笹本戒浄上人は語られておられたようです。

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2017-11-23

広島県安芸の宮島、浄土宗「光明院」開山 以八上人と学信上人


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世界遺産でもあり、全国的に知られる安芸の宮島
朱色の大鳥居も有名ですが、

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宮島名産の”宮島杓子”

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浄土宗に属し、戦国時代
以八(いはち)上人によって建立された。

厳島は14・5世紀頃から、内海の要港として賑わい門前町が発達した。
これまで厳島神社に関係を持つ寺院はあったが、
以八上人は町家の人達を教化する目的で来島し、 念仏を勧め多くの信徒を得た。

鎌倉時代末期の木造阿弥陀如来立像、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図
(以上国指定重要文化財)を所蔵する。

この寺の裏手は同じく浄土宗の道場坊神泉寺の跡であるが、
天文18年(1549年)堪阿弥が再興し、昼夜時刻を知らせたので
時寺と呼ばれ親しまれた。

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天明・寛政の頃(18世紀末)島内諸所に井戸を掘り、
宮島名産の杓子を創始し
民生につくした誓真は神泉の番僧であった。

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宮島で唯一の浄土宗寺院の「光明院」
開基は、以八上人(1539~1614)。

以前は、光明会の別時も催されていたようです。

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捨世派様式の伽藍配置。

弁栄聖者がゆかりのある、
弾誓上人徳本行者も、捨世派

なお、京都鹿ケ谷の「法然院」も捨世派とゆかりが深く、
「法念院」創建の忍澂(にんちょう)上人は、
『別時念佛三昧法諺註』、『別時念仏三昧八誓』の著者としても知られ、
これらの書物は、別時念仏における、大変有り難いご指南書

弁栄聖者には、”捨世派”の精神と通底するものを感じます。

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”誓真杓子”.。

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宮島は、神域であるため、
島内には、お墓がないそうです。


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佐々木為興上人ゆかりの、廿日市市「潮音寺」。

「潮音寺」は、
以八上人と学信上人のお墓もある、由緒あるお寺。

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【 以八上人 】
法然上人のご生誕地、岡山県の「誕生寺」を復興された御方。
袋中上人の実兄。

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【 学信上人 】
伊予国出身だけあって、瀬戸内界隈は特に、学信上人関係の遺跡が多いようです。
「墓で生まれた学信和尚」としても知られる御方。

なお、学信上人は、
江戸増上寺、 京都鹿ヶ谷法然院、伊予大林寺にもゆかりが深く、
これらのお寺は、弁栄聖者とも因縁が深いお寺でもあります。

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2017-11-07

「弁栄聖者の「宗教観」、”超在一神的汎神教”」について


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 【山崎弁栄聖者(1859年~1920年)】


「私は経文に依って演繹的に説くのではない。
帰納的に説いておる」

(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)

「経典に依るのでなく、
御自身の体験せられた如来様の事実から
帰納的に光明主義の教学体系を組織せられた、

という意味である。
(笹本戒浄上人のご教示)


「御自身の体験せられた如来様の事実」とは、
「三身四智の仏眼」に依るご境界における認識。


「真生同盟」の提唱者土屋観道上人への
弁栄聖者のご教示は、より具体的、かつ、明確です。

キリストが此の世に出て説いたものが新約聖書となって、
それ以前のユダヤ教経典が旧約聖書となったように、
今後の宗教は光明主義経典を以て新約聖書となし、
従来の一切経をもって旧約となすべきである

と(弁栄上人が)おっしゃったことが、今尚私の心に遺っています。
「弁栄上人の思い出」『大悲に生きる 観道法話』)


「弁栄聖者の御霊格」「弁栄教学」を詳しく御存じない方は、
この見解は、”大胆な”あるいは”大変不遜な”見解だと、
反感または不信を覚えられるかもしれません。

誤解が生じかねない見解かもしれませんが、
弁栄聖者、光明主義を深く知りたいとの興味、関心のある方、
「大宇宙の真理」を、真摯に求めている方、
あるいはまた、
現在、将来の真の「菩薩、大菩薩、仏」のためにも、
敢えて、記録に留めます。


笹本戒浄上人、田中木叉上人は、
『弁栄聖者光明体系』を、「経典」として捉えておられたようです。

昭和十年代頃の或る時、
木叉上人曰く、
「御遺稿を編集していると、
弁栄聖者の光明主義は従来の仏教の概念を超えている。
否々、凡ゆる従来の高等宗教の概念を超えている。
それで弁栄聖者を会祖と呼ぶ人があるが、
断じて弁栄聖者は単小の会祖ではない。
光明主義の元祖である」と。
また、
「その典拠を示せと仰るなら、私は直ぐにでも示すことが出来ます」と。


「弁栄聖者の行状」、「弁栄教学」を学んでいきますと、
上述のことが、段々と信じられてくるように思われます。

”弁栄聖者の行状等”に関しては、
時代が比較的新しく、史実の裏付けがあり、
その事実に沿って考察した場合、
歴史上の”高僧”と伝わっている聖方と比較しても、
勝るとも劣らぬ程の”学行徳兼備のご霊格”、かつ、”霊的力”を具足”されており、
”大菩薩”以上の高僧であるとは、大方の見解かと思われます。


弁栄聖者の「新訳、旧約」といった表現は、
善導大師の「古今楷定」を彷彿とさせます。


大正時代に御遷化された弁栄聖者は、
大乗経典に関する文献学的知識もおありでした。

「大乗非仏説」に対しては、

「大乗経典とは、
三昧定中における”永遠の生き通しの”大乗釈尊による、
出世間の三昧を開かれた聖方への直説法である。」

と、弁栄聖者は喝破
されておられます。 

極めて重要な大乗経典である、
「如来寿量品第十六」『法華経』の真精神を、
実に的確にご指摘になっておられるように思われます。

「大乗経典」とは、歴史的文献学的には
応身仏であられた「生身の釈尊」の直(じか)の説法ではない
したがって、
大乗経典の「教相判釈」は、
経典成立史的な文献学的比較研究のみでは困難
である。」
ということを意味します。


「弁栄聖者の宗教観」を考察する場合には、
教学、学問研究上からは、
「宗派宗教の所依経典」に依るのみでは不十分で、
比較宗教学(比較思想)研究が不可欠だと思われます。

弁栄聖者、光明主義との「比較宗教学(比較思想)」研究においては、
山本空外上人、 河波定昌光明会元上首、前光明園主、東洋大学名誉教授の諸研究が、
ご参考になると思われます。


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  【田中木叉(モクシャ)上人(1884年~1974年)】

「光明主義は忠実にさえ研究すれば、
学問の上からだけでも信じられるが、
それには相当な学問が要る。」
(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)


東京帝国大学を首席で卒業されたほどの頭脳明晰にして、
深三昧証入者、「仏眼」体得者の、
木叉上人にして断言しうるご発言です。


弁栄聖者は、
二十歳代の頃、足かけ3年(実質1年9ヶ月ほど)で、
『一切経』を読破されておられます。
しかも、「仏眼を体得」されてからの『一切経』の読破
通常の順序とは真逆の読破であり
したがって、
『経典』読解の深さが、段違いに異なる筈です。


その田中木叉上人が、
「宗教は、99%は理性で納得できるが、
後の1%は飛躍が必要である。」

とも、ご教示されています。

ある御方が、木叉上人に疑問点を質問された時、
「弁栄聖者にそう云われたから、
(自分は云われたまま、その通りにしている)」

との木叉上人の予想外のこの意外な返答に、
この木叉上人にして、と大変驚かれたとのことです。


最後は、「信」。

「仏法の大海は、信を(以って)能入と為す。」
とは、龍樹大菩薩の『大智度論』聖句

通常は、当たり前過ぎて意識さえしないものですが、
「「信」なくして、日常生活は成立しえない。」
というのが、我々の偽らざる現実ではないでしょうか。

「信」と云えば、宗教に限るものでは、決してありません。

数学者岡潔博士は、
自然科学と宗教における信頼性を比較して、
「どちらも信」であるが、
「その相違は、”信じ易さの程度の差”に過ぎない。」
と鋭く洞察されておられます。


数学者 岡潔博士が、
弁栄聖者を「現代の釈尊」と尊称され、
弁栄聖者の『無辺光』と、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』を、
強くお勧めになられました。

数学者 岡潔博士が、
弁栄聖者、光明主義を信じ
”憶念口称念仏”しながら、数学の研究に専念し得たのは、
「三身四智の仏眼」に依る「弁栄聖者の仏身論」
それを深く信じられたから、だと思われます。


弁栄聖者光明体系『無辺光』には、
”自然界と心霊界”に働く「四大智慧」
つまり、
法身の「四大智慧」と、報身の「四大智慧」が説かれています。


数学上の発見に関しては、
法身の「四大智慧」に、その根拠を仮定されています。

参考図書:
岡潔著『一葉舟』には、
「科学と仏教」、「弁栄上人伝」等が所収され、
その解説は、
琴線に触れる”コトバ”で語られる批評家にして、
ご自身はカトリックの信者で、
岐阜の「山崎弁栄記念館」館長でもある、
若松英輔氏による「 岡潔と仏教の叡智」


田中木叉上人は、

「弁栄聖者光明体系『無辺光』(四大智慧)の研究から、
二十五人以上の博士が出る。」
と云われたことがあったそうです。

また、
「今度生まれ変わったら何をなさりたいですか」と問われ、
医学をやってみたいと思います」と。

如来様の四大智慧は、
例えば病人を診るのに、
先ず、大円鏡智で、その人の全体を観る
次に、平等性智で、その人になりきる
そして妙観察智で、何処が悪いのかを知る
さらに成所作智で、その病に応じた薬を盛る」と。

三昧証入の達人による法身「四大智慧」の分り易いご教示。


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  【笹本戒浄上人(1874年~1937年)】

無生法忍とは
大自然(物心両面の自然)の理法を悟るという悟りの位」
( 「独創とは何か」『岡潔 日本の心』 )

であると岡博士は解説しておられます。


笹本戒浄上人の直弟子杉田善孝上人は、
「無生法忍」について、更に詳しく解説されています。

「無生忍では認識できなかった相対・絶対の現象面の差別の理法
その差別の理法と平等法身の理法とが総合統一調和している
甚深微妙の状態を直観」


「相対・絶対両界の根本仏としての報身の
いっさいの理法と合一した境界である」


光明主義二祖戒浄上人はいわれた。
(岡潔『情緒と創造』「無差別智の世界 杉田善孝」)


○ 「三身即一、本有無作の報身全体と合一した境界、
「開示悟入」の入の位

(光明主義上の)無生法忍の境界が、
一切の宗教の中心真髄、一切の学問の核心である。」


○ 「(光明主義上の)無生法忍における真理認識を、
自然科学的真理の認識の基礎認識、根本認識とする。


この立場に立てば今後いかように自然科学が発達しても、
光明主義によって科学を統一総合することができる。
自然科学のみならず一切の学問、芸術等に就いても同様なことが言える」

『笹本戒浄上人全集 中巻』
(『光明主義玄義(ワイド版)』)


これ等の宗教観は、初めて聞かれた方には、
ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

弁栄聖者が提唱された「光明主義、純粋宗教である浄土門」には、
「慈悲」の法門である「救済」的側面
「智慧」の法門である「智慧」の開発・神化
この両面が、包含されているためです。


光明主義上、重要な書の一つに、
『光明会趣意書(大正3年、56歳 一枚刷頒布)』があります。

「この教団は如来という唯一の大御親を信じ、
その慈悲と智恵との心的光明を獲得し、
精神的に現世を通じて永遠の光明に入るの教団なり。」

と、光明主義、光明会を定義されていますが、

まことに不思議なことに、
「阿弥陀仏」という仏名がなく、
「如来」、「大御親」と表現
されています。

此処に、弁栄聖者の「仏身観」
宗派宗教を包超する、
即ち、宗派宗教がそこから生起するその根源から創出された宗教観、
つまり、”超在一神的汎神教”

その宣言であると推察いたします。


「「大ミオヤ」
日本語にはなかった。弁栄聖者が初めて発明された。
辞書にのらねばならぬ。
世界に於ける最も完全なる言葉。
宗教的にこれより以上の表現はない。」(田中木叉上人)



「三身(法身・報身・応身)説」については、
古来から多様な解釈、議論がなされてきたようですが、

○ 「仏の体と相と用とは一体の三面、
本来同時同体の三方に過ぎず。」

(『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)

と聖者は喝破されています。
(※ 弁栄聖者光明体系『無量光寿』は、聖堂で購入できますが、
最近、初版の復刻版が出版されたとのこと。
「一般財団法人 光明会」、または、 「光明園」で購入可かもしれません。)

また、
従来から説かれてきた「報身論」に対して、
「弁栄聖独自の報身論」を展開され、
「弁栄聖者の仏身論」の真骨頂

○ 「大霊に体あれば必ず用あり
法身は先にして報身は後にありと云うべからず」

(弁栄聖者御遺文『大霊の光』)
あるいは、前述の(『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)にも、所収。


「法蔵菩薩」の酬因感果身、「報身阿弥陀仏」は、
浄土教系の根幹を成す、往生のための根本原理である仏身でありますが、


「絶対大霊界には重々無尽の霊徳具備して
其の内容は真善微妙にして有らゆる万善万美の極致である。
其の中心本尊の神尊は一切真理の本源一大霊力の原動にして
因果の法則より成立したものに非ず。・・・

矢張り本有無作の報身と信ぜざるをえぬ。」
(『弁栄聖者光明体系 難思光 無称光 超日月光』)

「本有無作の報身」と、弁栄聖者は喝破されました。

ただし、弁栄聖者は、
「法蔵菩薩」を「神話」に過ぎないとして、
否定されたのではなく、
真の「脱神話化」を説かれました。

○ 「法蔵菩薩神話は、
釈尊の正覚が宇宙の根源的な真如力として
単なる神話的なカテゴリーを突破して
しかも不可避的にその神話的表象において
直接にわれわれに語りかけるところのものに他ならない。」

(河波昌著「法蔵菩薩神話をめぐって」『大乗仏教思想論攷』)

○ 「法蔵菩薩は、神話にして最高の哲理を示す。」(田中木叉上人)
この木叉上人の表現以上の簡潔で的を射た「法蔵菩薩観」を知りません。

更に、また、

○ 「報身の報とは、「報ゆる」のことではなく、
「こたえる(応答)のこと。
これは、弁栄聖者の卓見である。」


○ 「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」

この二つは、冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』。


これらの弁栄聖者独自の「三身(法身・報身・応身)観」は、
伝統的な仏教における「仏身観」とは似て非なるものであるため、
特に、仏教の通念である「報身観」は、
かえって「聖者独自の報身観」理解の障礙となる
ように思われます。
是非、『光明主義玄義(ワイド版)』をご一読ください。 


また、参考図書として、
佐々木有一著『近代の念仏聖者 山崎弁栄』は、
「光明主義の本質、核心」に迫るものであり、
真摯に宗教的真理を追及する求道の「在家者」でないと書けない勇気ある書でもあります。
浄土宗に属する僧侶、あるいは、仏教学関連の正統的な学術研究者には、
諸般の事情により、この種の著作を執筆することは、残念ながら困難であるように思われます。
この書は、厳密な意味での学術研究書というよりもむしろ、
氏の求道上における「弁栄教学」研究、執筆時点でのこれまでの求道上の総括の書。

この書の特徴点の一つは、
「弁栄聖者光明体系」において難解とされる、
『無辺光』「四大智慧」にも果敢に取り組んでおられ、
『無辺光』「四大智慧」の解説に、二百数十頁もあてられています。

極めて重要な「弁栄教学」の真髄でもある、
弁栄聖者の「四大智慧」論と「唯識」のそれとの相違を、明確に指摘されています。

なお、
「財団法人 光明会」のHPによりますと、
佐々木有一氏は、この書の執筆の後に、
光明園にて、「起行の用心」の講話を開始されています。

この「起行の用心」の重視の姿勢に、
佐々木氏の「弁栄聖者独自の仏身論」の深い理解とその洞察を、
垣間見る思いがいたします。
また、遠くに灯され燈台を頼りに目的地にたどり着こうと懸命に精進されておられる、
佐々木氏の真摯な求道精神にも敬服いたします。


「釈尊、善導大師、法然上人、徳本行者は、
「三身四智の仏眼」を体得されていたが、
それを外部に漏らされずに、入寂された。」

(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)

※ 幅広い信奉者のあった江戸時代末期に御入滅された、
  念仏行者「徳本行者」は、今年、200回忌となります。
 「徳本行者」ゆかりの東京の「一行院」 。
 また、 「特別展 念仏行者徳本-200回忌記念-」が、
 和歌山の有田市郷土資料館で開催中です。


以下は、
「浄土宗乗上の法然上人観」
「善導大師・法然上人の真精神(真髄)」
に関する弁栄聖者のご見解

土屋観道上人が、
法然上人の”只信口称念仏”と、
”念の心をさとりて申す念仏”として捨てられた”観念の念仏”について、
弁栄聖者が勧められている”見仏三昧”との関係について問われた時、

「「弁栄、鈍なりといえども、
七百年も前に法然上人が捨てられたものを、
今更またとって来るほど愚かではない」
とキッパリ仰しゃいました。」



弁栄聖者の「見仏三昧」の顕彰、
その深意を受けた笹本戒浄上人の「見仏三昧=成仏への直線道」への
確信をもった確固たるご教示。

弁栄聖者、笹本戒浄上人ご在世中から、
この「起行の用心」の強調は、
「異安心」であるとの批判が絶えなかったようです。
更に云えば、現在に至っても、その批判は続いているように思われます。

「弁栄聖者の「見仏三昧」論は、
「聖者独自の仏身論」と相即不離の関係にある」。


つまり、
弁栄聖者の「見仏三昧」論は、
「弁栄聖者独自の仏身論」から必然的に導かれてきたもの
であり、

「成仏の暁まで、信念の変更を要しない」

という意味で、
「弁栄聖者の「見仏三昧」のご指南が成仏へと直結している」からです。

詳しくは、是非、(『光明主義玄義(ワイド版)』)をお読みください。

弁栄聖者、戒浄上人の深意は、此処にこそある
と拝察いたします。


また、善導大師の「指方立相」のご指南に関しても、
弁栄聖者は、その深意を独自解釈しておられるように拝察されます。

弁栄聖者が開顕された「大ミオヤ」、「大宇宙の真相」から推察いたしますに、

一見したところは、従来の「指方立相」と似ているようですが、
実は、根本的な質的相違があるように思われます。


「凡夫だから「指方立相」に依るのではなく、
すべからく全ての者が、
「見仏三昧」に依らねば、”終局目的である”「成仏」は不可能である。」


と、このような意図に基づくご指南であると。

【弁栄聖者御垂示(抜粋)】
「仏を念ずる外に仏に成る道なし。
三世諸仏は念弥陀三昧によりて正覚を成ずと南無」


この聖者の御垂示は、
『般舟三昧経』に依っていますが、
留意すべき点があり、
この「弥陀」とは、
宗派宗教を包超した仏(神)身、
”超在一神的汎神”の「弥陀」
つまり、
”無始無終、本有無作の三身即一の「大ミオヤ」”に依っている

という点です。


ただし、この「指方立相」は、不思議なことに、

「人をして欣慕(ごんも)せしむる法門は、
暫らく浅近に似たれども、
自然悟道の密意は極めて是深奥なり」


との法然上人「大原談義」の深意に、
奇しくも沿っており、
この信念は、成仏へも直結してもいます。

なお、ご参考までに、
最晩年の河波定昌 元光明会上首、元光明園主は、
弁栄聖者の「択法覚支」との関連で、
山本空外上人が、ご指摘された「点化」(P・ナトルプ)
に深い関心を寄せられていました。
なお、この「点化」と、クザーヌスの「縮限」との関係をご指摘。
「点化」とは、「存在が一点になる(集まる)」、
あるいは、「神が一点に集中する」とも。

(「点化について 河波定昌」(『如来さまばかりと成り候 念仏の極まり』河波定昌 講義録)



ただし、、
弁栄聖者の「全分度生」の伝道の御姿から拝察いたしますに、

このご指南は、「仏道修行における修道論」においてであり、
「「度生論」においては、「善巧方便」が欠くべからざるものであります。」

この両面は、慎重に留意すべきであるように思われます。

更に、云えば、
「全分度生」は、「三身四智の仏眼」においてであり、
より厳密には、
「三身四智の仏眼」の満位である「認識的一切智」においてである
と笹本戒浄上人はご教示されています。

これらの点を射程に組み込んだ、
正道で緻密、かつ、実践的な「修道論」と「度生論」を、
改めて、再確認しておく必要があるように思われます。


今回は、長い記事となり、
ここまでお読みいただきありがとうございます。

最後に、是非触れさせていただきたいことがございます。

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【山下現有大僧正(1832年 ~1934年 世寿103歳)】

近代の高僧として知られた
浄土宗管長知恩院第七十九世山下現有大僧正。

弁栄聖者の大正5年の知恩院での「宗祖の皮髄」のご講述は、
山下現有大僧正ご在世の時です。

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』には、

「祖山別時 門跡猊下」に、
山下現有門跡猊下と弁栄聖者との特別なご関係の有様が記されていますが、
この記事を裏付ける資料がございますので、
ご紹介させていただきます。

昭和九年、知恩院寺務所発行、
「第三編 御追悼 老猊下のお徳を慕ひ奉る 桑田寛随」『孝誉現有大僧正』

桑田師は、次の様に記されています。

猊下が非常にお歓びなされたように私が感じました事を述べますと、
頃は大正八九年の頃かと存じますが・・・
次の一つは、近年の或有徳の上人が山上に於ける別時の修行が終りて、
お暇乞ひに謁見せられたときの事
です。
謙恭の猊下にはいつも我々が拝謁する時でも、
我々が次ぎの間へ伺候御挨拶せんとせば、
必ず同座せねば御承知ならず、
我々の不遜遠慮なる強て御辞退申しては却て御老懐を煩さんものと勝手に考えて、
奥に進むと初めて御辞があるのが例である、
此の上人も亦私が案内して、次の間まで伺候して居ると
猊下は自ら境の襖を開き、
例の如きご挨拶もなくて、早速に次の間へすべり出でられた、
面もいつもの如き謙譲の中に自ら持せらるゝ謹厳の御態度は無くて、
寧懐しき旧友を迎へて喜ぶという風に、
正座も少し崩して右手をつきて其上人の方へ倚り凭る様、
如何にも嬉しそうにして話しかけられた。

私が時々種々の階級の人をご案内した中で、誠に異様に感じた
然し他の上人の方は矢張り尊者に対する礼儀を乱すことなく、
暫時対話
せられたるは双璧の美とおもひたり、・・・」


弁栄聖者直弟子の熊野好月氏の述懐によりますと、

「祖山の御別時
来る十月十六日より二十二日まで五日間、
総本山知恩院勢至堂に於て山崎弁栄上人指導の下
別時行儀三昧会を修業致可候間
参会御希望の御方は
左記の各項御承知の上申込下され度この段御案内申上候也

大正九年九月 主催者 桑田寛随

一、道場の静粛を保つ為人員を制限致候間御望の方は十月五日迄に
   総本山知恩院事務所桑田寛随宛に御申込之有候事
二、以下略

とのことです。


次は、
現有大僧上の日常生活の或る逸話です。

「(現有大僧上の)お部屋に蟻が入ってきたことがありました。
(大僧上は)気にされないどころが、砂糖のかたまりをあげ、
その黒山の蟻を見て、面白がっておられていたそうです。

或る時、侍僧が見かねて、箒で掃き出そうとした時、

手荒なことをするものではない
あなたがたが、御本堂でお経をあげているとき、
赤鬼が来て、鎗箒で掃きたてたら、どうなさる。
蟻がうるさければ斯うなさい。」

といって、砂糖のかたまりを掴んで、縁側に据えさせられた
蟻は一匹残らず、家から出て、
砂糖のかたまりの方に行ってしまった
そうです。」

弁栄聖者のお姿が想起せられ、
山下現有大僧上のご遺徳も偲ばれる逸話で、
目頭が熱くなる思いがいたします。


最後に、
柴武三氏の弁栄聖者の逸話です。

その山下現有大僧上が、
弁栄聖者に「あとを頼みます」と仰られた
ことが2~3度あったそうですが、

「自分は、釈尊の御教えを皆さんにお伝えをする身でありますから。」 
と堅く固辞された
とのことです。

福田行誡上人に対しても弁栄聖者の似た逸話があります。

弁栄聖者が深三昧定中において認識しておられた、
「超在一神的汎神」の仏身(神)観に基づく信念からのご発言で、
その認識に於いては、
「宗派宗教の各々の宗乗、組織は、狭い枠である」
と感じられていたからだそうです。

柴氏がご逝去されてから、早40年程が経過しており、
この山下現有大僧上と弁栄聖者とのやりとりのニュアンスを、
詳しく確かめる術がないのがまことに残念です。


田中木叉上人御晩年の頃の逸話

「笹本上人が亡くなられ、やがて私も死ぬ。
すると光明会はやがて従来の宗乗の枠内に
引き入れられてしまうかも知れない、
いやきっとそうなる」
と。

「それは困ります。そうなった時どうしたらよいのですか。」

すると、木叉上人は、
「また弁栄聖者が出て来て下さいます」と。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-10-24

「仏とは自覚ある大常識者です。」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


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【(右)弁栄聖者と(左)佐々木為興上人
(大正9年10月中旬 知恩院勢至堂別時会)】


三身四智の仏眼」を深く体得されていた弁栄聖者の最晩年
聖者の”不可思議な異能(法)力”を、度々目の当たりにされていたのでしょう、
聖者に随行中の佐々木為興上人が、

「上人はどんなことでもお分かりになるのですね」
と聖者に聞かれたところ、

「何でも分かります。
大体仏とは自覚ある大常識者です」


と言って聖者がお笑いになられた
(『佐々木為興上人遺文集 藤堂俊章編』)

この「仏とは自覚ある大常識者です」の箇所が、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に記載されています。

○「何でも分ります」
○「自覚ある」
○「大常識者」の「大」と「常識」

について、ご留意願います。

また、ある時、

弁栄聖者は「何でもよく分かって」おられる筈なのに、
よく本を読まれていたのを為興上人が不思議に思われ、

「聖者は三昧発得していらっしゃって
何でも分かっていられるから、
本など読まれなくてもよいでしょうに」

と聖者に尋ねになったところ、

「いや、それはいけぬ。やはり本を読まぬといけぬ」と言われたので、

「どういう訳ですか」と重ねてお尋ねになると、

「それは、お念仏していれば
大宇宙の事柄が一切分かるようになる。

分かるけれどそれは観念的に分かるのだ。
書物を読むと書物に書いてある事柄と
自分の観念として得ている事とぴったりと合う。

認識にしようとすると思うと本を読まねばならぬ
本を読む事によって認識となるのだ」
と聖者はお答えになられた。

またある時、

「どうして本を読むのがそんなに早いのでしょうか」
とお尋ねになると、

「こんな事を言うとおかしいが、
私の心の通りに書いてあるようで早い。
事新しいことが書いてあるとは思わぬ。
丁度自分の手紙を読むようだ

と聖者は仰言った。

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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

また次のような、興味深い逸話もあります。

弁栄聖者に随行中の大谷仙界上人と佐々木為興上人が、
九州福岡の珠林寺の縁側に腰かけて、
「(弁栄)上人は大円鏡智が開けて居ると思うか」
以前、ある者に聖者のお金を使い込まれたことがあったが、
「(大円鏡智が)開けているならそれがわかる筈だ」
「とすると買被りかな」等と、朝、話しをしました。

その日の午後、
聖者から「大谷さん、佐々木さん、ちょっと」と呼ばれ、
「仏様の大円鏡智は十方三世色心、すべてが映っています。
ところが或る程度の菩薩は注意をした程しかわかりません」

と聖者が仰言られたので、
聖者は大円鏡智が開けていることが分かり
「やられた」と二人は、兜を脱いだとのことです。

以上、これらの逸話は、
藤堂俊章編『佐々木為興上人遺文集』に記載されています。

更に、こんな逸話も残されています。

笹本戒浄上人と田中木叉上人のお二人は、
弁栄聖者に面談される時、聖者のお部屋に入られず、
次の間で聖者に礼拝され、何も言わずに帰られた。

柴武三氏が、不思議に思い、その理由を戒浄上人にお尋ねになると、

「覚者は、口に出して質問をしなくとも、
相手の質問をちゃんと分かっている。
口に出して質問せねば相手の考えていることが分からぬようでは、
覚者とは言えぬ。」



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【笹本戒浄上人(1874年~1937年)】

笹本戒浄上人も為興上人と同様の質問を、
弁栄聖者にされていますが、それに対し、

「私も観念としては得ておるが、
認識的一切智では釈迦さんに及ばない。この世界で
認識的一切智を得ておられたのは釈迦さんばかりだ」


と、戒浄上人にご教示されたのこと。

(註) 「開・示・悟・入」の「入」の仏眼「三身四智の仏眼」における一切智を、
「観念的一切智」「認識的一切智」の二種に区分。

(註) 「三身四智の仏眼」(観念的一切智、認識的一切智)に定義、説明等については、
( 『笹本戒浄上人全集』 ))をご参照下さい。
 なお、光明主義の「髄」要約版としては、『光明主義玄義ワイド版』が、
比較的入手しやすい値段でもあり、携帯用としてもお勧めです。
ただし、内容は、かなり濃く、高度で、難解かとは思われます。


これらの逸話を補完する、留意すべき、
戒浄上人のご教示を、是非記しておきたく思います。

「仏の完全な大円鏡智は、特別に意志を働かさなくても、
肉眼といつも同一時に活動している。
認識的一切智を実現していられる仏は、
大円鏡智で宇宙の一切を任運自在に感じていられる。」


ただし、「宇宙の一切のこと」と申しても、それは、

「成仏の中心道を直進する上で核心となり急所となるもの、
自行化他の道において尊く価値のあるもの、
一切の衆生を中心道に導く対機説法で有効適切なもの、
お互いの心を明るく清く楽しく豊かにするもの」


「もしも、そのような意義深いもの以外のものまでも
朗々と感じているのであれば、
それは、真実の仏の円満な認識的一切智ではない」
と。
( 『笹本戒浄上人伝』)

更にまた、

「私共凡夫は神変不思議を目のあたり見せられますと驚いて、
その神変不思議に興味を感じ、
仏道修行上最も大切な成仏という事を忘れて仕舞います。
成仏とは涅槃と菩提とを完全円満に成就する事であります。
そしてその為には如来様の御力を信じ、お慕い申して如来様に同化されて
完全円満な霊的人格を成就しなければなりません。
衆生済度の目的は実に其処に向かわせる事にあります。
ですからうかつに相手かまわず神変不思議を見せますと
必ずといってよい程仏道修行の道から脱線して仕舞います。
然し又神変不思議を現ずる必要のあるものには時期を逸せず、
御力を発揮して見せるという事もできなくてはなりません。

弁栄上人様はそのような御心を以って
私共を成仏へとお導き下さいました。


尊くして尊いご教示

ここで、気になっていることがありますので、記載しておきます。

「一国一釈迦」という決まりが仏教にはある。
自ら仏と号し、他から仏と号せしめるのは釈尊だけである。
釈尊以外で認識的一切智を得た仏があったとしても、
自ら仏であるとは名乗らない。
仏教の秩序を護るためである。」

このような趣旨を、戒浄上人が言われたことがあったそうです。


弁栄聖者光明体系『無量光寿』(※)において、
「開・示・悟・入」の「入」の位
「三身四智の仏眼」、(光明主義上の)「無生法忍」における一切智の内容を、

「事の無量光」として、
「一切の無量の事々物々の真理を悟る」

と、弁栄聖者は、自内証から説かれています。
(※ 「聖堂」で購入できますが、
最近、新たに、初版の復刻版が出版されたとのこと。
「一般財団法人 光明会」 または、 「光明園」で、購入可かもしれません。)


「事の無量光」に関して、
笹本戒浄上人は、以下の様にご教示されています。

「私共人間は肉体を持っているから、
認識的一切智が実現しても、
文字通り十方三世の一切の差別の内容を
悉く詳しく具体的には識別できない。
認識一切智を得た人が、
「前世から現在までに、
どの様な物質文明と精神的文化の社会に生活して、
どの様な経歴の人々と共に活動して、
どの様な経験をしたか。」という内容により、
認識一切智によって、
具体的に詳しく識別出来る差別の現象の内容とその範囲が変化する。
認識一切智によって、
具体的に詳しくその内容を識別出来ない差別の現象については、
其の差別の内容を規定する大ミオヤの差別の法則を了々と認識する。
それで誤解を除くために、
智の代りに法則を意味する知を使って、
認識的一切知と云うのがいいと思います。」

(笹本戒浄上人最晩年における、泉虎一氏へのご教示)


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

弁栄聖者の云われる「大常識」とは、
”「三身四智の仏眼」の境界”における”仏作仏行(認識及び所作)”のこと。

肉眼における頭脳明晰な大学者、あるいは、慧眼を開かれた方の中には、
日常生活(肉眼)における「常識」のあやうさが見受けらることがありますが、
五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)円かに開けておられた
弁栄聖者においては、
全くといってよいほどこの”あやうさ”が見出しがたいです。

”常識(肉眼)”も確りとわきまえられ、
”人情の機微”にも精通され、”世間知”にも長けておられ、
世俗的な観点からも、正に「知・情・意」全面において、
信頼のおける”人徳者”と呼ぶべき御方との心象があります。


ふと、思い出したことがありますので、記します。

弁栄聖者の最晩年に、東京芝増上寺近くの「観智院」 。
その「聖者の家」で、聖者と寝食を共にされた聖者直弟子、
聖者の御遷化後、「真生同盟」を設立された土屋観道上人。
観道上人は、また、「浄土宗大本山百萬遍知恩寺」法主中島観琇上人の弟子でもあり、
ご自身の性格は、 「凡夫見仏論」の著者、観琇上人の方に似ておられていたようです。

『大悲に生きる 観道法話』には、
観道上人の「弁栄上人の思い出」が収録されていますが、
大変有難く、また、とても示唆に富む聖者の逸話が記されています。

その内、弁栄聖者の行状に関する貴重な逸話。

「今でも私の眼にアリアリとその姿が浮かぶのですが、
上人(聖者のこと)がいつも右の人さし指で傷がつく程に額の中心をおさえ、
眼をとじて、「如来様」「大ミオヤ」と云ってお話しになられ、
その日常の御生活の態度にも、全く如来つねにここにいまし、
如来と共に生きていらっしゃったご様子で、
微塵も如来を離れた感じがうかがえませんでした。
常に生ける如来、大宇宙の大人格にふれ、
合掌しておられることが理屈や説明なしに実感として感ぜられ、
まことに尊く有難く拝察されました。」



「「上人は「知識(みちびくひと)は月を指す指です。
月さえ見れば指に要はない。
とかく月を忘れて指に眼をつける、月に目をつけねばなりませぬ」
といって雲上の如来尊像を書いてくださった。」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

大変重要な弁栄聖者のご指南ですが、

一方で、
「法いかに尊くとも伝弘人を得ざれば大法は泯絶せん。」
(「指月録」『笹本戒浄上人全集』下巻)とも。


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【佐々木為興上人(1888年~1955年)】

弁栄聖者の真骨頂は、
大衆を前にして大衆を唸らすというような大演説ではなくて、
膝を交えてじゅんじゅんと説き、膝を進めて熱をこめ、
いつの間にかそのご人格に感化し、薫習される

というところにあった。」(佐々木為興上人談?) 


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【田中木叉(モクシャ)上人(1884年~1974年)】

「人は生涯を通じてお慕い申し上げる方が居られると
とても幸せな一生を送れます」(田中木叉上人談)

※ 木叉上人にとっては、もちろん、弁栄聖者。


丹羽円浄上人が、
弁栄聖者ご在世中に、京都のお別時に参加された時の感想を、
中川順一氏に、ふともらされた言葉。

「聖者を中心にして、お世話される方々が、
”令せずして行われる”」


弁栄聖者の直弟子、信者方は、
聖者の御霊格に自ずと吸い寄せられ
自ずと薫習されるその感化力(霊徳)によって、
「聖者への信」への深まりと相即するかの如く 
各々、「”大ミオヤ様”への信」が自然に育まれてゆかれた

としか思えません。


やはり、「月」も「指」も、共に欠かせないものだと思われます。


弁栄聖者への”憧れ(憧憬)”
この”現身者”への内から突き上がる”憧れ(憧憬)”からこそ、
意識的、潜在的な”模倣”を生じさせる。
この現象にこそ、どの領域分野、特に子弟教育的分野において、
後身の能力を飛躍的に向上させる秘密があり、
その解明のヒントは、大脳神経科学でその機能が詳しく解明されつつある、
「ミラーニューロン」が鍵を握っていると思われます。


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

「丁度うすくぼかされた玉子の黄味が、
ほんのりとした白味のなかにういているような」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)
と、弁栄聖者のご高弟の木叉上人は、
聖者のありようを絶妙に描写、神筆されておられます。

「朝早く夫人がご用意を整えていると、上人(※ 弁栄聖者)が起きられたので夫人は、
「上人様まだ早ようございます。もう少しおやすみ遊ばせ」
と申しあげると、半分お召し替えのすんでいる上人はすなおに、
「ハイハイ」とまたおやすみになった。

それから三分とたたぬまに、それとは知らぬ主人が
「もうお起き遊ばしては」と申し上げにでると、
また「ハイハイ」といって、今お召したお寝間着を脱いで起きられた。」 
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


何とも”融通無碍な”お人柄と微笑ましくさえ思われますが、

聖者直弟子の大谷仙界上人の義兄、医師の宮川粂次郎氏は、この話を聞かれ、
「その通りのお方でした」と申されて、
眼を真っ赤にして泣かれました

九州光明会誌「めぐみ」の編集に長年携わっておられた中川順一氏は、
この宮川氏のご様子に接し、大変驚かれ、
「聖者に直接お逢いしている方と、私共では感じ方がこんなにも違うものか」
と痛く反省されたそうです。

聖者に関する逸話として、とても印象深く記憶に残っているものの一つですが、
中川氏は、ご自身念仏三昧修養にもご精進し、教学にも精通され、
なおかつ、”念仏三昧の達人”笹本戒浄上人、田中木叉上人、中川察道上人をはじめ、
弁栄聖者の直弟子から直接ご指導を受けられた「聖者孫弟子」、その御方にして然り。
現在は、その聖者の孫弟子すら、お浄土へ往かれています。


弁栄聖者に、
独特の、えも言われぬ
”尊崇性”、”懐かしさ””慕わしさ”、”霊的エロス”さえ、
感じられる方もいらっしゃるかと思いますが、
それは、如来無対光裡、超日月光位に住する弁栄聖者が体現されていた、
「聖きみくに(お浄土)」”帰趣する故郷の霊光、霊徳”なのかもしれません。


法然上人信奉者、法然上人理解には、
『法然上人絵伝』の影響が甚大だと推察されますので、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』をベースに、
弁栄聖者の直弟子方のエピソード他、更に詳細な文献学的調査に基づく史実も加味し、
「弁栄聖者絵伝」、「弁栄聖者行状記」ができれば素晴らしいことだと念願いたします。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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