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2012-06-06

「石窟(がんだら)に一生さゝげ野に朽ちて 仏きざむにわが名刻まず」(田中木叉上人『じひの華つみうた』)

仏典には、著作者が不明のものが多い。

この事実は、大変示唆深いと思われます。

「大乗経典」の真髄を、如来による「啓示」、

と解釈すれば、

啓示に「私」が入る余地は、無いはずです。

一方で、

「劫初より つくりいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」

与謝野晶子の「草の夢」所収のよく知られた歌ですが、

この心意気にも惹かれます。


2012-06-03

「伝道とは饒舌に喋ることではない。心の内にはたらくものが相手にはたらくこと。故に弁栄聖者は「伝燈」とも云われた」(田中木叉上人)

「辨栄辨栄というから余程弁のよいお説教師かと思ったら、
これじゃ辨栄じゃない辨無いじゃわィ」


と、聖者のご法話を聞いていた瓢軽の者がこのように言って、
皆を笑わせたことがありました。

参考文献:霊鷲山善光寺編『辨榮上人の思い出』

何とも失礼な聴聞者がいたものだという類いの逸話ですが、
実はこれは貴重な記録で、

弁栄聖者のお言葉は、
訛りがあり、声は小さく、聞き取り難かった


と、聖者を尊崇するお弟子さえも、そのような感想をもらされています。

したがいまして、

当時の信者方の聖者への尊崇の念は、
お世辞にも「説法の巧さ」によるものではない、


と推察されます。

聖者の最晩年のお弟子の一人に、鈴木憲栄上人という方がいました。

大谷仙界上人から、

「弁栄上人は三昧発得の御方、生きた如来様を拝んでおられる」

と聞かれ、聖者に大変興味を持たれました。

ある時、弁栄聖者が名号の掛け軸に礼拝されている姿に接し、
「聖者への信」が自然と芽生えました。

この方は、生きて在します如来様を拝まれていると、
その姿に、直観的に感得されたようです。

「仏作仏行」といわれます。

如来無差別智の一つに「成所作智」がありますが、
「所作を形成する智慧」とも言われています。

芸、武術など身体所作を鍛錬されている者、
特にその練磨された達人の所作が美しいのは、
この「成所作智」の働きによるもので、
その所作に「真善美」、特に「美」を感得するからだと思われます。

無差別智の権威の書として、
『無辺光』を推奨してやまなかった岡潔博士は、

「弁栄聖者の場合は、相手の阿頼耶識に直接働きかけるのであろう。」

との感想を述べられています。

聖者御在世中、信州の多田助一郎氏という在家者が、
聖者に御逢いした後、
その何とも言えぬ「霊的雰囲気」とでもいうべきものに包まれ、
しばらくそれが消えなかったのですが、ある時、それがふと消えた時、
なんとも言えぬ寂しさを覚えられたといいます。

弁栄聖者に出逢われた多くの人たちが、
ある種の「霊的雰囲気」を感得されているようです。


それは、

ある種の「懐かしさ」であり、
暖かさ、親わしさであると同時に、気高き「神聖さ」


でもあったかと思われます。

すでにお気付きかと思われますが、

その特性とは、まさに如来様の特性そのもの

私は、それこそが「生仏」の特性そのものだと確信している者ですが、

私の少ない読書経験、人生経験においてですが、
この様に確信できる御方は、
伝説ではなく、史実と確信できる御方においては、
弁栄聖者以外にはございません。

2012-06-01

「弁栄聖者という方は、なんか、有り難いのですね。」(田中木叉上人)

前回ご紹介しましたように、

友人でもあった大谷仙界上人(当時既に弁栄聖者の弟子)の命がけのお勧めにより、
木叉上人は、大正7年、34歳の時に聖者に初対面されました。

聖者御遷化の2年前。

もし、田中木叉上人が弁栄聖者と出会っていなければ、
聖者の御遺稿編纂、あれほどの伝記は存在しえず、
この不可思議な大ミオヤの御計らいの因縁に、
感謝の念を禁じえません。


弁栄聖者の田中木叉上人への導かれ方は、

「本を読むな、お浄土の事も聞くな、
ただ念仏せよ。
歩き出さねば聞く事も不必要だ。」


と云うものでありました。

今まで自分が勉強してきた様子とは全然違い、

「仏道とは成る程々々そういうものだ」

と木又上人はシンから感じ、念仏をする気になりました。


弁栄聖者から、御本尊としての御画像をいただき、
一週間、御念仏をする事を誓って、
鎌倉海岸のある洞窟に入ってお念仏を始めましたが、
しずくが落ちてくるので、そこを出て、
パンだけを用意して、小屋にこもり念仏が始まりました。

ところが、念仏を称えていても、
何のことはなく、馬鹿馬鹿しくも感じられ、やめようとも思われましたが、
聖者とのお約束もあり、
俺も男だと、「ただ意志の力だけで」お念仏をされていらっしゃいました。

勿論、如来様も想えない、慕わしくもない、砂をかむ思いで一生懸命やっておられますと、

或時は、自分で過去に於てやった種々の悪い行いの
その時のスガタが絵のように見えてきて、
懺悔心が自ずと起こり、涙がボロボロこぼれて来て止まらなかったこともあり、

その他いろいろなことがあり、
又蝋を喰むように只つまらなかったり、

とにかく、一週間のお念仏を頑張ったのですが、
お光明も頂けない、如来様に御逢い出来ない、
何の事もなく、帰京されたそうです。

弁栄聖者という方は、全国を伝道の為廻っていらっしゃったので、
暫くしてから、多聞室でお目にかかることが出来、

聖者がお部屋の中から、

「サアどうぞこちらにお入りなさい」と云って下さるのに、

突然、涙が次から次へと湧いて来て
どうしてもお部屋に入れませんでした。


と述懐されています。


それから、聖者に帰依する身となられてからも、
しばらく、木叉上人は念仏に苦労されました。

その年の暮れに、聖者が木叉上人に差し上げれた「お慈悲のたより」が、

光明会でよく知られた『年頭法語』。

「念々弥陀の恩寵に育まれ、声々大悲の霊養を被る。
十万億土遥かなりと愁ふること勿れ、
法眼開ける処に弥陀現前す。」


その後、
如来様をお慕い申す情に導かれた「憶念口称念仏」
にご精進をされ、

ついに、仏眼を開かれ、大菩薩として衆生済度をされました。

御遷化は、昭和49年ですから、ごく最近の方です。


参考:藤堂俊章編『田中木叉上人遺文集』 


また、ありがたいことに、

冨川茂、重住茂両氏の筆記による『田中木叉上人 御法話聴書』

が残されており、

仏眼による如来認識はいかなるものか、
が平易な言葉で記されており、
大変貴重な書。

2012-05-30

「ここまで来たが、ここをどっちに行けばよいかと云う風に、道は尋ねるものである。先ず何よりも一心不乱に念仏三昧をつとめて、それからのことにせよ。」(田中木叉上人への弁栄聖者のご指南)

弁栄聖者に直接ご指導を受けられたお弟子、信者の方々の逸話は、
大変示唆深いものがございます。

弁栄聖者の田中木叉上人への導かれ方は、
笹本戒浄上人とは違っていました。


田中木叉上人が聖者に初めて逢われたのは、
大正7年、34歳、東京芝の多聞室、
まだ、大学を出たての頃。

東大を主席で卒業、天皇陛下から銀時計を下賜、
木叉上人(当時は俗名田中徹)は、学生時代はノートをとったことがなく、
あの谷崎潤一郎が同級生で、
「分からないことは、徹っちゃんに聞け!」
と言われていたほどの秀才中の秀才。

そんな田中徹氏の元へ、
熱血漢、九州の同郷人で友人の大谷仙界上人(当時既に弁栄聖者の弟子)が来られ、
いきなり短刀を目の前に置いて、この手紙を読んでみろと。

その手紙とは、九州の聖人と評判の高かった波多野上人のもので、

「若し勧めても聞き入れない時には
相手を殺して自分も死ぬと云う決心がつかない間は勧めに行ってはならない」

と。

随分、荒々しい逸話ですが、
田中徹氏への期待と氏の相当な強情さも伺える逸話です。

この手紙を読み、本気だと思われ、
そこまで勧めるなら、弁栄聖者に会ってみようと思われたそうです。

聖者の御法話を初めて聴かれた時の田中氏の印象は、

一向にありがたくもなく、

「それ位のことなら既に知っている。
大谷上人に騙され、こんなところに連れて来られた」

と後悔されたそうです。

御法話が終わり、聖者が呼ばれているというので、
お部屋に伺い、田中氏が聖者に質問をしますと、

(弁栄聖者)
「貴方は北海道に行ったことがありますか」

(田中氏)
「いいえ行ったことがありません」

(弁栄聖者)
「それでは其町の郵便局に何々橋を渡って何屋の角を左に、
何屋の角を右に、何々町をつき当たって、
何から何軒目と云う風にきいても、覚えられますか。」

(田中氏)
「いいえ、覚えられません」

(弁栄聖者)
「仏道と云うものはその様なもので、
行った事も無いものが知らぬ国の地理のうわさをして居ても少しも解らない。
そこで先ず歩き出す
そしてどっちに行けばよいかわからぬところに出る、
そして此処からどちらの道を取ればよいのですかと云う様に聞く、
仏道とはそんなもので、
行った事もないお浄土の事を尋ねても解る訳が無いではないか
。」


聖者からの御説法を聞かれた時、

「仏道とは成る程々々そういうものだ」

と田中氏はシンから感じ、念仏をする気になりました。(続く)

参考:藤堂俊章編『田中木叉上人遺文集』 

2012-05-12

「光明主義は忠実にさえ研究すれば、学問の上からだけでも信じられるが、それには相当な学問が要る。」(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

数学者の岡潔博士は、
弁栄聖者の『無辺光』無差別智の権威書として、
推奨してやみませんでした。

岡潔博士は、日本が誇る世界的な天才的数学者と言われていますが、
その数学上の発見に念仏修行が大いに役立っていたことは、
あまり知られていないかもしれません。

冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』に、
興味深い御法話録が残っています。

「岡潔先生が唐沢山に来て、
「報恩念仏に来た。念仏を頂いてから、ハッと思い付いて、
〇〇題、解いて、文化勲章を貰った。」と。」



「数学上の発見と念仏に一体どのような関係があるのか?」

と疑問を持たれた方も多いかと思われます。

弁栄聖者は『無辺光』において、
如来光明の働き、作用を、
「法身」の四大智慧「報身」の四大智慧の両方面に分けて、
説かれています。

宗教といえば、一般的には、救済面(「報身」の四大智慧)に、
焦点があてられてきたと思います。

聖者は、「法身」の四大智慧、
つまり、自然界に働く如来光明も同時に説かれました。


自然科学者でもある数学者岡潔博士は、
四大智慧(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)のうち、
特に、「平等性智」の重要性を強調されました。

重要な知的認識力である「自明性」、「実在感」がわかるのも、
この「平等性智」の働きによるからです。

岡潔博士の本を読んでいますと、
博士の取り組まれていた「数学」とは、
私たちの常識的な数学とは、どうも違うようで、

「法身の理法」を明らめようとされていたように思えてなりません。

その認識力を高めるためには、
如来の光明、特に「法身の平等性智」の智力が欠かせません。

数学上の発見に、念仏の功徳による智力の深化が役立つのは、
このためかと思われます。

岡潔博士の随筆が大変魅力的なのは、
この「四大智慧」が根底にあるからだと思います。

岡潔博士の「法身の平等性智」への鋭く深い洞察は、
次の指摘にも発揮されているように思われます。

平易な言葉で表現されていますが、内容は理解し易いでしょうか?

「平等性智」の智力を量る試金石、命題の一つ。

「物質が各々の法則を守って決して背かないのは何故であるか。
自然科学はこれに対しても少しも説明しようとしない。
かように物質的自然の中を調べてわかるものは、
物質現象の一部分に止まるのである。」
(岡潔「まえがきー無辺光と人類」『弁栄聖者光明体系 無辺光』講談社版)

2012-05-03

「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

弁栄聖者のこの御説は、仏教、特に、浄土教の知識がある方には、
驚くべき説だと思われます。

周知のごとく、

「法蔵菩薩は、阿弥陀仏の因位の菩薩」

として、『無量寿経』に説かれています。

田中木叉上人は、弁栄聖者と出会われる前から、
相当な博識であられました。

したがいまして、「法蔵菩薩」解釈に相当苦しまれたようで、

「釈尊を通して見るのが新約である。」 (冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

との弁栄聖者のお言葉が大変ありがたかったと語られています。

釈尊といえば、応身仏であります。

木叉上人と比べるのも大変おこがましいことですが、
私でさえ、『無量寿経』で説かれる「法蔵菩薩」解釈は受け入れ難いものでした。

弁栄聖者の真実説に出会うまでは、
『法華経如来壽量品第十六』で説かれる「久遠実成の仏」の方が、
正しく、深い教義だと思われ、煩悶した時期がありました。

しばらく後に、

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。
名に迷ふて真理を失うなかれ。
若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)


との聖者の自内証から得た驚嘆すべき知見に接し、歓喜し安堵しました。

さらに、

「絶対大霊界には重々無尽の霊徳具備して
其の内容は真善微妙にして有らゆる万善万美の極致である。
其の中心本尊の神尊は一切真理の本源一大霊力の原動にして
因果の法則より成立したものに非ず。・・・
矢張り本有無作の報身と信ぜざるをえぬ。」
(『弁栄聖者光明体系 難思光 無称光 超日月光』)


と、報身の真実説「本有無作の報身」を開顕されています。

ここで、疑問をいだかれた方がいらっしゃるかと思います。

「それでは、『無量寿経』で説かれる法蔵菩薩とは、いわゆる仏教説話の類で、
空想上の創作に過ぎないのか?」

と。

この疑問に対しては、
これ以上簡潔にして、的を射た言葉が見当たりませんので、
河波昌氏の論文からの引用をもって、
その疑問へのお答えとしたいと思います。

「法蔵菩薩神話は、釈尊の正覚が宇宙の根源的な真如力として
単なる神話的なカテゴリーを突破して
しかも不可避的にその神話的表象において
直接にわれわれに語りかけるところのものに他ならない。」
(河波昌著「法蔵菩薩神話をめぐって」『大乗仏教思想論攷』)

2012-04-15

「目は見る器官というよりは、むしろ見せない器官。すなわち感覚を制限する機械である。・・・ 」(田中木叉先生法話録)

「目は見る器官というよりは、むしろ見せない器官。
すなわち感覚を制限する機械である。
視神経はある一定の波長の世界だけしか見ていない。
それ以外に無限の世界がある。」

(会報誌『めぐみ』2009年1月号
田中木叉先生法語録(その169)河波定昌)

「目とは、物を見せる器官である。」
これが、一般通念かと思います。

数学者の岡潔博士は、小さい頃から、

「物が見えるのが、不思議だ」

と疑問に思っていたそうです。

私たちは通常、科学の説くところを自明のこととし、
目と光と脳の働きにより感覚される、と思っています。

幼き岡潔少年の疑問は、驚くべき早期の「真智」の発動であり、
後年、『弁栄聖者光明体系 無辺光』に出遭い、
初めて解決できたとのことです。


仏教では、人間に開発可能な認識機能を五眼として説いています。

すなわち、「肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼」

通常私たちには、肉眼が開け、自然界の一部が認識されており、
天眼以上は三昧の眼であり、しかべき仏道修行により開発可能と言われています。

自然界の一部と言ったのには理由があり、
いわゆる「心霊現象」、「超能力」などは、
天眼により(認識)可能であり、
自然界でも、肉眼では認識できない領域で、「世間の三昧」の眼。

天眼でも十分に不思議な三昧の眼ですが、所詮は「世間の三昧」であり、
これに強く魅かれる者も現れるため、
釈尊もこれに魅かれることは、禁じられていたと伝えられています。

あくまで、仏道修行の目的は、「出世間の三昧」であり、
「慧眼、法眼、仏眼」が開けることであるため。

如来の光明は、大宇宙の両面、つまり自然界と心霊界に働いており、
弁栄聖者は、「法身の四大智慧」と「報身の四大智慧」とに分けて、
『弁栄聖者光明体系 無辺光』に詳述され、
五眼については、「成所作智」に説かれています。

宗派宗教では、五眼のどこか(一部)に焦点があてられており、
弁栄聖者のように実地体験上から、
五眼全面について詳細に説かれている教義は、希少だと思われます。


冨川茂氏と重住茂氏による筆記本『田中木叉上人御法話聴書』も、是非お勧めいたします。

2012-04-10

「仏、菩薩に性別なし。」(会報誌『めぐみ』2008年4月号田中木叉先生法語録(その160)河波定昌)

『田中木叉上人御法話聴書』は、冨川茂氏と重住茂氏による筆記本で、
素晴らしい御法話が多く、
今まで、何回かご紹介してきました。

木叉上人は、長崎のご出身ですので、
九州とのご縁が深かったようです。


今回は、東京の練馬にある光明園主の河波昌氏による
田中木叉先生法語録のご紹介。


「仏、菩薩に性別なし。
観音様が女性的に表現されているのは、愛と柔和の徳を表している。
性別があるのは人類など動物のみ。 」
(田中木叉先生法語録 河波定昌)


確かに、観音様は女性的ですが、
よく見ると性別が曖昧であるように見えます。

男女の身体的な性差は、生物学的な相違ですが、
心理的な差は、生得的なものである、
いや、社会的に身につけたものである、
等々、見解に相違があるようです。

数学者岡潔博士は、人の教育の関係上、「人のこころ」に強い関心を寄せ、
特に晩年は、あまり知られていないようですが、
「人のこころ」の研究に専念されていたようです。

岡博士の観察によると、

「ごく初期の頃から男女の性差が現れている」

とのことです。

この岡博士の観察は、大変興味深いと思います。


「仏、菩薩に性別なし。」

この木叉上人の御法話は大変興味深く、
様々な連想を刺激します。


この他にも素晴らしい御法話がありますが、
今回は、興味深い内容をご紹介しました。

2012-04-05

「信念に生きておれば、同じ説教を何回聞いても、同じお経を何回読んでも、初音の思いがする。」(『田中木叉上人御法話聴書 重住茂 筆記』)


私たちの健康維持のためには、心身の自己管理が必要なように、
信仰にも、自己点検が必要であるように思います。

信仰の健全度を測るための最も確実な指標は、
「念仏が自然と称えられているか」かと思います。

次に確実で容易な指標が、田中木叉上人の御法話の内容かと思います。

木叉上人の御法話は、多彩で豊かで独創的な内容、
飽きさせず、しかも、ありがたいのが特徴でしたが、
例えば、笹本戒浄上人の御法話は、
基本的には同じことの繰り返しであり、
しかも、お聴きする度にありがたかったといいます。

弁栄聖者はどうであったかといいますと、
対機説法はもちろんですが、
「存在そのもの」がありがたく、身業説法そのものであったとのことです。

「念仏を称えるたび、御法話を聴くたび、お経を読むたびに、
その都度新鮮さを感じる」。


この「新鮮さの湧出」こそ、
信仰が健全であることの確実なバロメーターであろうかと思われます。

2012-03-28

「白は白黄は黄のままに野の小菊 とりかえられぬ尊さを咲く」(田中木叉作『じひの華つみうた』)


SMAPの「世界に一つだけの花」(作詞 作曲 槇原敬之)を想い出された方も、
いらっしゃったかもしれません。

あるいは、また、仏教に詳しい方は、

「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(『阿弥陀経』)

を思い浮かべられたかもしれません。


田中木叉上人は、文才のあった方で、
歌も数多く残されていますが、
仏教経典が、その根底にあるように思われます。


また、「個性」ということですが、

弁栄聖者の信奉者でもあった数学者岡潔博士は、

「人には個性というものがある。
・・・そういう固有の色というものがある。
その個性は自己中心に考えられたものだと思っている。
本当はもっと深いところから来るものであることを知らない。

と、評論家小林秀雄氏との対談『人間の建設』の中で、
注目すべき発言をされています。

「個性」ということを考える時、
この岡氏の言葉を離れて考えることができません。


山本空外上人は、「各々性」と表現され、

「無二的人間形成」を説かれました。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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