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2012-05-03

「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

弁栄聖者のこの御説は、仏教、特に、浄土教の知識がある方には、
驚くべき説だと思われます。

周知のごとく、

「法蔵菩薩は、阿弥陀仏の因位の菩薩」

として、『無量寿経』に説かれています。

田中木叉上人は、弁栄聖者と出会われる前から、
相当な博識であられました。

したがいまして、「法蔵菩薩」解釈に相当苦しまれたようで、

「釈尊を通して見るのが新約である。」 (冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

との弁栄聖者のお言葉が大変ありがたかったと語られています。

釈尊といえば、応身仏であります。

木叉上人と比べるのも大変おこがましいことですが、
私でさえ、『無量寿経』で説かれる「法蔵菩薩」解釈は受け入れ難いものでした。

弁栄聖者の真実説に出会うまでは、
『法華経如来壽量品第十六』で説かれる「久遠実成の仏」の方が、
正しく、深い教義だと思われ、煩悶した時期がありました。

しばらく後に、

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。
名に迷ふて真理を失うなかれ。
若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)


との聖者の自内証から得た驚嘆すべき知見に接し、歓喜し安堵しました。

さらに、

「絶対大霊界には重々無尽の霊徳具備して
其の内容は真善微妙にして有らゆる万善万美の極致である。
其の中心本尊の神尊は一切真理の本源一大霊力の原動にして
因果の法則より成立したものに非ず。・・・
矢張り本有無作の報身と信ぜざるをえぬ。」
(『弁栄聖者光明体系 難思光 無称光 超日月光』)


と、報身の真実説「本有無作の報身」を開顕されています。

ここで、疑問をいだかれた方がいらっしゃるかと思います。

「それでは、『無量寿経』で説かれる法蔵菩薩とは、いわゆる仏教説話の類で、
空想上の創作に過ぎないのか?」

と。

この疑問に対しては、
これ以上簡潔にして、的を射た言葉が見当たりませんので、
河波昌氏の論文からの引用をもって、
その疑問へのお答えとしたいと思います。

「法蔵菩薩神話は、釈尊の正覚が宇宙の根源的な真如力として
単なる神話的なカテゴリーを突破して
しかも不可避的にその神話的表象において
直接にわれわれに語りかけるところのものに他ならない。」
(河波昌著「法蔵菩薩神話をめぐって」『大乗仏教思想論攷』)
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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