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2012-04-15

「目は見る器官というよりは、むしろ見せない器官。すなわち感覚を制限する機械である。・・・ 」(田中木叉先生法話録)

「目は見る器官というよりは、むしろ見せない器官。
すなわち感覚を制限する機械である。
視神経はある一定の波長の世界だけしか見ていない。
それ以外に無限の世界がある。」

(会報誌『めぐみ』2009年1月号
田中木叉先生法語録(その169)河波定昌)

「目とは、物を見せる器官である。」
これが、一般通念かと思います。

数学者の岡潔博士は、小さい頃から、

「物が見えるのが、不思議だ」

と疑問に思っていたそうです。

私たちは通常、科学の説くところを自明のこととし、
目と光と脳の働きにより感覚される、と思っています。

幼き岡潔少年の疑問は、驚くべき早期の「真智」の発動であり、
後年、『弁栄聖者光明体系 無辺光』に出遭い、
初めて解決できたとのことです。


仏教では、人間に開発可能な認識機能を五眼として説いています。

すなわち、「肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼」

通常私たちには、肉眼が開け、自然界の一部が認識されており、
天眼以上は三昧の眼であり、しかべき仏道修行により開発可能と言われています。

自然界の一部と言ったのには理由があり、
いわゆる「心霊現象」、「超能力」などは、
天眼により(認識)可能であり、
自然界でも、肉眼では認識できない領域で、「世間の三昧」の眼。

天眼でも十分に不思議な三昧の眼ですが、所詮は「世間の三昧」であり、
これに強く魅かれる者も現れるため、
釈尊もこれに魅かれることは、禁じられていたと伝えられています。

あくまで、仏道修行の目的は、「出世間の三昧」であり、
「慧眼、法眼、仏眼」が開けることであるため。

如来の光明は、大宇宙の両面、つまり自然界と心霊界に働いており、
弁栄聖者は、「法身の四大智慧」と「報身の四大智慧」とに分けて、
『弁栄聖者光明体系 無辺光』に詳述され、
五眼については、「成所作智」に説かれています。

宗派宗教では、五眼のどこか(一部)に焦点があてられており、
弁栄聖者のように実地体験上から、
五眼全面について詳細に説かれている教義は、希少だと思われます。


冨川茂氏と重住茂氏による筆記本『田中木叉上人御法話聴書』も、是非お勧めいたします。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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