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2012-03-04

「川の流れも断えなくば 周囲九里を湿おすと ミオヤ離れぬ明け暮れに 聖きに業識入らんとや」(杉田善孝上人)


「念仏は、どこに働くのか?」

もっと率直に言えば、

「念仏は、本当に作用しているのか?」

信仰に入った者が突き当たる深刻な疑惑かと思います。


大ミオヤの慈悲の雨が、私どもの阿頼耶識を湿し続けると、
ついに時節到来し、
大ミオヤがお遇い(見仏)してくださる。

杉田善孝上人のこのお歌、実に味わい深いお歌だと思います。

杉田上人とは、弁栄聖者の高弟笹本戒浄上人のお弟子で、
惜しくも2年前、平成22年1月にご逝去されました。


次にご紹介します法然上人のご説法も、
念仏の支え、励みになり、実にありがたい。


「たとへば、葦の茂き池に、十五夜の月の宿りたるは、
よそには月宿りたりと見えねど、よくよく立ち寄りて見れば、
葦間をわけて宿るなる。
妄念の葦は繁けれど、三心の月は宿るなり。」(法然上人)



法然上人ご自身も大変気に入られていたご説法であったようですが、
私は言葉を変えて、次の歌として愛用しています。

「妄念の葦繁けれど、月宿るなり。」


「念仏為先」(法然上人)


信仰において「信」は、最重要な働きですが、
その「深心(信)」でさえ、
実は大ミオヤの御働きにより、
念仏のうちから自ずと生じてくるようです。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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