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2012-02-11

「仏とは自覚ある大常識者です。」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

佐々木為興上人といって、
弁栄聖者の晩年に聖者によくご随行された高弟がおられました。

聖者の高弟の一人大谷仙界上人とのご縁によって、聖者に出逢われた方です。


聖者にご随行中不思議に思われることがきっと多かったのでしょう。

「聖者はどんなことでもお分かりになるのですね」

と為興上人が聖者に聞かれたところ、

「何でも分かります。大体仏とは自覚ある大常識者です」

と言って聖者がお笑いになられたとのことです。


また、ある時、

聖者は何でもよく分かっておられる筈なのに、
よく本を読まれていたのを不思議に思われ、

「聖者は三昧発得していらっしゃって何でも分かっていられるから、
本など読まれなくてもよいでしょうに」

と為興上人がお尋ねになったところ、

「いや、それはいけぬ。やはり本を読まぬといけぬ」と言われたので、

「どういう訳ですか」と重ねて尋ねられると、

「それは、お念仏していれば大宇宙の事柄が一切分かるようになる。
分かるけれどそれは観念的に分かるのだ。
書物を読むと書物に書いてある事柄と自分の観念として得ている事とぴったりと合う。
認識にしようとする思うと本を読まねばならぬ。
本を読む事によって認識となるのだ

と聖者はお答えになられました。

またある時、

「どうして本を読むのがそんなに早いのでしょうか」とお尋ねになると、

「こんな事を言うとおかしいが、
私の心の通りに書いてあるようで早い。
事新しいことが書いてあるとは思わぬ。
丁度自分の手紙を読むようだ


と聖者は仰言ったとのこと。

以上、藤堂俊章編『佐々木為興上人遺文集』による引用です。


釈尊と弁栄聖者とのお悟りの深さの相違を、

「私も観念としては得ておるが認識的一切智では釈迦さんに及ばない。
この世界で認識的一切智を得ておられたのは釈迦さんばかりだ」と。

笹本戒浄上人が弁栄聖者から口伝として承ったこととして伝えられています。
『笹本戒浄上人全集 中巻』


五眼(肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼)のうちの仏眼。

「無生法忍」とは、その仏眼でも最深の境涯で、
この境涯まで達した方は歴史上ごくわずかであるといわれていますが、

この最深の「無生法忍」においても、さらにその深まりがあり、

「認識的一切智」と「観念的一切智」がその内容とのことです。

なお、弁栄聖者は最晩年には、「認識的一切智」の一歩手前まで、
報身大ミオヤの霊的お育てをいただかれていらっしゃったとのことです。


釈尊が認識的一切智のご境涯であられたということは、
おそらく、どの経典にも記されていないと思われますので、
弁栄聖者が三昧直観されたこととして、
後世のために記しておきたいと思います。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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