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2020-06-01

『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』(山崎弁栄 述 中井常次郎 記)


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令和2(2020)年3月下旬に、
『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』(山崎弁栄 述 中井常次郎 記)が、求龍堂選書として刊行されました。

弁栄聖者御遷化後百年記念の書として刊行当初は、ただ嬉しく有り難く拝読していました。
ところが、本書に記された聖者の御講話が、今から100年程前になされていることに気付き、昨今の世界的大流行の新型コロナウイルス感染状況禍にあって、その意味、意義を、その歴史的背景等をも考えあわせながら改めて読み進める様になりました。

歴史学者磯田道史氏の師、速水融氏の著書、『日本を襲った スペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』には、
前流行期 大正7(1918)年秋―大正8(1919)年春、
後流行期 大正8(1919)年暮―大正9(1920)年春

と区分され、日本各地の当時の感染状況が歴史的背景等とともに記されています。

参考文献としては他にも、
〇内務省衛生局編著『流行性感冒―「スペイン風邪」大流行の記録』東洋文庫778、
〇東京健安研セ年報56の369‐374.2005「日本におけるスペインかぜの精密分析」などの他、
〇「防災歳時記(15)―スペイン風邪、猛威を振るう― 宮澤清治」には、大阪市天王寺区逢坂「一心寺」の境内にある、大正11年建立の「大正八九年流行感冒病死者の慰霊碑」の写真が掲載。
この「一心寺」とは、弁栄聖者最晩年の直弟子の一人鈴木憲栄上人とご縁の深かったお寺。
大正6年10月に当寺で行われた聖者の講話、上人によるその講話録『弥陀教義』 には、
「三昧中所見の仏は、主観的客体である。」と。
この解釈には留意が必要と思われますが、極めて重要な聖者のご教示が明記されています。
大正8年に、中井師と同席されていた恒村師にご教示された聖者の同じ言葉が、既にこの時点で使用されている事実をも示す貴重な講話録でもあります。

また、
弁栄聖者『御慈悲のたより』と、中井常次郎『乳房のひととせ』( 『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』の底本)には、100年前の大正時代に大流行した「流行性感冒」に関する言及が幾つか記されています。

例えば、
弁栄聖者『御慈悲のたより 中』71(河波昌師による改定版は、昭和54年5月10日発行)には、「此度到処に猖獗(しょうけつ)を極めたる流行感冒に侵さるる処となり、遂に帰らぬ旅路に趣きなされしとの事、アゝいかに酷なる哉。」と認められています。
この便りは、山本空外編『弁栄上人書簡集』504頁以下にも掲載されており、大正7年3月に認められたものと記されています(書簡保有者からの伝聞か)。

100年程前の大正時代に大流行したいわゆる「スペイン風邪」のことが気になり、この度、この便りを詳しく調べてみたところ、興味深い事実が判明しました。
この『御慈悲のたより 中』71には掲載されていないのですが、山本空外編『弁栄上人書簡集』173(507頁)には、「先日御書簡によれば千葉浄光なる者甚だ御迷惑をかけ・・・知恩院三昧道場にて 二日」と記されています。
この便りは、前半と後半の二種類に分かれている様な形式ですが、この二つが同時期に認められたものと仮定しますと、この書簡が大正7年3月であることには、以下の幾つかの点から疑問が生じてきました。

推定根拠は、以下のとおりです。

〇前述の速水氏の書には、
「前流行期 大正7(1918)年秋―大正8(1919)年春
後流行期 大正8(1919)年暮―大正9(1920)年春」と明記。
日本では、大正8(1919)年11月に島村抱月が罹患して死去したこと等にもより世間的に注目。

〇「千葉浄光なるものの迷惑事」に関して。
この迷惑事とは、千葉なるものが布鎌教会堂との縁を利用した事件であり、布鎌教会堂の開堂は、大正8年4月。
また、中井常次郎『乳房のひととせ』には、中井師と当時親交のあった恒村師が、『ミオヤの光』の広告でその迷惑事を知ったと記されている。

〇『ミオヤの光』の創刊は、大正8年11月。

〇山本空外編『弁栄上人書簡集』173(『御慈悲のたより 中』71とほぼ同文)には、「故米子のきみには生年はわずか五々(『中巻』では五五)の盛なりし短きに以(『中巻』では、似)たれども、」、「就て残り玉いし御両親さま并に御妹子等の御かなしみのほどは、」と認められている。
「五々の盛なりし」、「短きに似たれども」と認められていることから、25歳との判読が可能か。
なお、この便りには、娘小式部の内侍に先立たれ悲嘆に暮れていた和泉式部にも言及。小式部の内侍は、20代半ば頃に逝去とも伝えられている。

この書簡の関連記事が、
金田昭教編『弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』259頁に記載。その記載内容によると、芳子氏は、四女で、大正7年3月では3歳前後、大正9年3月では5歳前後と推定。
また、同書258頁には、この便りを受け取られた方の大正8年当時の写真が掲載。30代から40代半ば程の方か。
大正8月8月は、聖者ご指導の第一回唐沢山別時念仏会が開催。
なお、米子のきみに関する聖者の和歌が、同集40頁の⑪に掲載。

〇総本山知恩院勢至堂での別時念仏三昧会は、大正6年以降、3月1日からの開催が毎年恒例となっていた。ただし、大正9年は、3月と10月開催。

以上の点から総合的に判断し、この便りは、大正9年3月2日に認められたものと推定。

また、中井師自身も『乳房のひととせ』に、「あの恐ろしい世界的流感の横行した時、沢山人が死んだ。私共の友人や知人も多く死んだ。・・・どこの火葬場も棺桶の列をなしと云ふことであった。そのうち自分も感染し、頭痛が加わり、熱は上った。」と記されています。

他にも、大正時代の流感性感冒に関すると推定される便り等がありますが、今回は、この程度にとどめたいと思います。

ただし、弁栄聖者の最後の病態、症状に関しては、是非言及しておきたい事があります。
病死因は「尿毒症」とされているようですが、「愚衲発病後の経過は三十八度より九度の間を往復してやまず。じつは近頃覚えなき熱度に候ごとし。」とご遷化の10日程前の大正9月11月23日に認められています(代筆か)。
流行性感冒によるご持病の腎臓疾患悪化等の可能性が気になるところです。
「大正八九年は流行感冒で多くの人が斃れた。」ことが大変気になり急ぎ見舞いに行かれた鈴木憲栄青年は「急性肺炎」による呼吸器障害に似た症状を気にされていますが、聖者の「咳の症状」の記述は、どなたも不思議と記録されていないようです。
また、医学的にはせん妄等の様相とも受け取れる症状があったためか、治療にあたられた医師等の所見では「脳梗塞」との合併症との見方もあったようです。
「病気の苦しみは苦しみとして如来さまの有り難いお慈悲はいかなる場合にも輝いている。」と外見上の苦しい病相とは全く異なる「心中の安楽な有様」が、例えば臨死体験者の報告等でもなされています。
また、釈尊の示寂前の肉体的苦痛を三昧力によって制御されたご様子とも重ね合わせ、自然界における肉体と心霊界における現象との異次元の相違を考えました。


前置きが大変長くなりましたが、本題に入ります。

今回ご紹介します、
『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』(山崎弁栄 述 中井常次郎 記)は、
弁栄聖者御遷化までの最晩年、およそ一年間(ひととせ)にわたる京都帝国大学工学部機械科講師であった中井常次郎師による弁栄聖者御講話等記録。
弁常居士『乳房のひととせ』が底本(弁常とは中井常次郎師の法名)。
なお、中井師は、弁栄聖者と邂逅の後、数年後、30代で京都帝国大学での職を辞し、弁栄聖者の光明主義の為に生涯を尽くされた方。

先ず始めに、些細なことですが念のため。
中井常次郎師(弁常居士)の職歴ですが、「教授」との表記が時々見受けられますが、京都帝国大学工学部機械科の講師。
中井師創設の南葵光明会の後継者である池田常山氏は、本書の「『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』刊行によせて」に、「大正六年、京都帝国大学工学部機械科講師として奉職」と明記されています。
なお、『お慈悲のたより 中』149には、「京都の中井氏の如きは大学の教授を受持ちながら」と認められていますが、この「教授」とは、教え授ける、つまり、講義、授業の意。

弁栄聖者のご遺稿は、主に大正期に記されているため、言葉の表現、内容ともに読み難いと感じる方が多いのではと思われます。
二年前に岩波書店から出版された、山崎弁栄『人生の帰趣』を読まれている方には、本書の講話内容は比較的理解され易いかもしれませんが、
本書は、僧俗信者等を前にした講話等の記録であり、「中井常次郎の聖者随行記」も随所に挿入され、「一貫して宗教者」であられた弁栄聖者の御相が彷彿とされ「生身の聖者」と対面しているかの様な工夫が施されています。

本書に関して是非触れておきたい重要な事柄が幾つもありますが、今回は、何点かに絞ってご紹介させて頂きたいと思います。

本書は、近代自然科学の洗礼を受けた工学専攻者が、「ひじりとは、どんな顔の持ち主かと、それが見たさに」弁栄聖者を訪ねたことに始まります。

ところが、極めて印象的なことは、
「上人のお顔を拝むことができなかったが、お裙のすそのさばきいとしとやかに我等の前にお坐りになったのを見ただけで、はや霊感に打たれた。」と、光明主義の教義を「知解する前」に、既に弁栄聖者への「信が目覚め」かけていたという点です。
もちろん、自然科学者であった中井師は、聖者の幅広く深い知識・知見と、「聖意が体現された」三業四威儀に接しながら聖者への信をより深めていかれます。

また、ある時の御講話に、
〇「仰信は初歩であって終りである。・・・仰信から解信、証信に進むのであるが、証を得るのは一部である。一分の証を得てから初めの仰信に帰るのである。」と聖者は一見何気なくご教示されています。
「仰信→解信→証信」と直線的に信仰が深まっていくものと一般的には考えがちですが、聖者のこの御教示は、深い宗教体験に基く、実体験からのご発言だからでしょうか、まことに合理的で説得力があります。

中井師は、念仏中に一部ながら証を得、「それは、明相というものだ。今後は仰信によって励むように」と聖者から御教示を受けていますが、田中木叉『日本の光(弁栄上人伝)』には、
上人「綱島梁川の光映というのは、あれは明相です。」と聖者は指摘されています。
「明相」とは、「難思光」位の「五根五力」において心霊界への深甚なる証入への一歩手前に蒙る感覚的な啓示の一種と云われています。

〇「念仏三昧を宗とし、往生浄土を体とす」
光明主義の特徴が端的に表現され、解釈上特に留意すべき表現と思われますので、便宜的に二つに分けて考察してみたいと思います。

「念仏三昧を宗とし」について
弁栄聖者は、御講話の中で、
「称名の音声に功徳があるのではない。」、「口に仏名を称えても、心が仏を離れては念仏三昧ではない。念仏中に悪い思いを起こせば、悪人になる。良くないことを考えながら念仏のまねをしてはいけません。」と厳しく戒められています。
念仏を称える際の心構え(「起行の用心」)を誤りなく確りと伝えるための表現であり、決して「(唯信)口称の念仏」を貶める意味ではないと推察されます。
あるところでは、
「称名はこの関門を叩くの声、憶念はこの法蔵を開くの宝鑰なり」とご教示されています。 ※関門とは三昧証入のこと。

田中木叉『日本の光(弁栄上人伝)』には、弁栄聖者の便りの一部を引用され、「三昧発得の稀有人」と三河の貞善尼を評されています。
このもとになった便りには、
「法尼の如く深い三昧の境に入りし者は実に稀有なり」と高く評価されつつも、一方で聖者は「宗教者」としての法尼に、化他への期待をこめられています。

貞善尼は、徳本行者への信が篤く、立礼拝、「唯信口称」念仏をとても熱心にされていたので、その噂を耳にした聖者随行者が聖者にお伝えしたところ、「いくら熱心に念仏していても空念仏ではしかたない」と漏らされ、そのことを随行者が貞善尼に伝えてしまいました。貞善尼は「何と酷いことを云われる」と聖者をお恨みに思い、時に悔し涙を流しつつ一心に念仏精進をされていたところ、ある時、自分は今まで「空念仏をしていた」ことに気付かれ、聖者の真意「憶念口称」念仏の深意を悟られ、後に三昧発得されました。
なお、金田昭教編『弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』274頁には、その三昧発得の貞善尼と因縁の深い武藤弁隆尼への、聖者の厳しい叱咤激励が記されており、尼僧をはじめ直弟子に対して、大変厳しい一面のあった聖者の有様がうかがえます。
「少しでもお叱りを頂けるようになればしめたものである。」と中井師は述べています。
「さようで。それでいいですね。」との慈愛の一面と、「神聖、正義」の厳しい一面も合わせ持っておられたようです。

次に、「往生浄土を体とす」について。
自由自在な無礙の「無余即無住処涅槃」の境界。自然規定である「肉の心」が霊化された、「心霊的自由」を得た無礙自在の境界。光明主義で云う「如来のお世嗣」。

〇「正見」について
一般に仏教では、成仏へと到る道として「八正道」(「正見」はその一つ)が説かれますが、光明主義における「八正道」とは、「お世嗣」となり初めて可能となる(獲得できる)行為と捉えています。

今回の新型コロナ感染症への重要な対策の一つである、「マスク」着用の効果に関して、当初から、専門家の見解に注目してきました。
5月の現時点では、直接・間接的に「マスク着用には、効果あり。」との見解が世界的に有力ですが、
新型コロナウイルス感染が世界的蔓延となる前、今年の2月頃には、「マスク着用には、科学的なエビデンス無し。」との見解が有力でした。ウイルスの粒子とマスクの穴の大きさとの関係、その一面のみの観点からの検証であったためでしょうか。

ここで「マスクの効用」の可否の見解を翻した事実を非難したいのではなく、「正見」を得ることの困難さを痛感しています。
と同時にそれに付随する「正当にこわがること」(「小爆発二件」寺田寅彦)の困難さも。

おそらく、現時点においても、新型コロナウイルスに関する科学的知見、その対処策における因果関係には、まだまだ不明な点が多いと思われます。
現在見聞している新型コロナウイルスに関する情報だけでも、このこのウイルスの実に巧妙な生存戦略は、驚異かつ脅威現代社会に暮らす地球上の人類に、顕在、潜在的に人類が直面していながら避け続けている人類の難題を次々と突き付けてくるように感じています。

そんな中にあって、例えば、ノーベル生理学・医学賞受賞者山中伸弥教授の発言等は、未知のウイルスの解明を模索する科学者の姿勢、その良心と責任、謙虚さを感じ、とても感銘深い行為と思われます。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。」

宗教上の「正見」に、科学的知見をも含めることに違和感を感じる方がいるかもしれませんが、
光明主義における「如来のお世嗣」とは、三身即一の広義報身(自然界と心霊界を統御する大宇宙全一の根本仏)の真理、法則を認識、その知的側面をも悟った境界。数学者として名高い岡潔博士が、弁栄聖者『無辺光』を絶賛し、推奨されていたのは、聖者独自の「四大智慧」論のため。

本書には、弁栄聖者の印象的なエピソードが随所に挿入され、その一つに、パンを巡る聖者の行為が記されています。
その行為を目撃した中井師が感銘を受けたのは、聖者の「慈悲」の行為とその根底にある「智慧」の発露ゆえと推察されます。三身四智の聖者の行為においては、「慈悲と智慧とは、相即不離」。

光明主義文献刊行会編集部では、本書「まえがき」に、
「弁栄上人の教えの根幹にあるのは、宗教の目的は真理追及であって、正しい幸福は真理の本質的属性として真理に伴うものだということである。」と指摘されています。


〇「授戒会」について
田中木叉『日本の光(弁栄上人伝)』には、「いつものごとく道場に幕を張り廻して雲半身の尊像をかけ念仏のあいまにご説法。」この授戒会を評して、通常の別時念仏三昧会の形式であると。

ここも一見何気ない表現ですが、真の道徳は、光明獲得(宗教体験)によって実行可能となり、念仏(「他仏を念じて自仏を作る」)による霊化(霊育)、そのことを前提としなければ、真の道徳は成立しえず、理性的次元、すなわち、大脳前頭葉による意志的抑止に基づく道徳的行為は、実に脆く危ういとの示唆と受け止めます。

「正見」の智力同様、「正見」に基づく「正業」の実践力の前提となる、特に「自他弁別本能」、その無明の働きを抑制する「自由意志力」。

「真の自由」とは、自然規定である「肉の心」を離れて、「心霊的自由」を得ることに依る。 (「妙観察智」弁栄聖者『無辺光』の取意)

「肉の心」とは、聖者直弟子の笹本戒浄上人がよく用いられた表現ですが、本書には「肉の心」と表現が明記され、弁栄聖者ご自身の表現であることが判明。

なお、『如来光明礼拝儀』の「念仏七覚支 (五)定覚支」は、「初歩の仏眼」を得る境界とされ、「尽(すべ)ての障礙(さわり)も除(のぞ)こりぬ」と表されています。
一方で、 弁栄聖者『光明主義注解』11頁には、
「三身四智の仏眼、無生法忍を実現すると、一往浅いながらも大部分の無明滅して明が現前した自受用の境界となり、(無明が完全に滅するということができるのは認識的一切智の境界である)」と。極めて重要かつ貴重な御教示。
三身四智の聖者自内証からの厳密にして深甚微妙な境界が明記され、驚嘆します。

弁栄聖者のこの御教示はとても困難で極めて程度が高いものですが、現在の新型コロナウイルス感染禍での、不自由なストレスフルな持続的な生活状況下において、その方向性の正しさを、以前よりも実感できるようになりました。

上述の他、
〇弁栄聖者における「五戒の新解釈」
〇真宗との比較、中島上人・伝統的浄土宗乗との比較
・「阿弥陀仏」・「西方極楽浄土」・「法蔵菩薩」
・「第十八願」
・「五種正行」
・「安心」と「起行の用心」
〇「念仏三昧三十七道品」
〇「現世から来世への移行の仕方」
〇「人間の身体と大ミオヤの霊体との関係」
〇「『礼拝儀』無対光 「摂化せられし終局(おわり)には」への訂正指示」
〇「妙観察智 「今は、これを述べない。」」
〇聖者言及のポール・ケーラス『仏陀の福音』 。その緒言は、鎌倉円覚寺二百七世釈宗演師で、翻訳者は、鈴木貞太郎、即ち、鈴木大拙氏。
シカゴ万国博覧会開催は、明治26年。
本書の発行は、明治27年12月31日で、当時、弁栄聖者は、仏跡参拝のため印度へ渡航中。

などまだまだ言及したい点があります。
さらにはまた、
聖者の眼鏡姿といった興味深い意外な事実も。
最期に、是非とも触れておきたい点があります。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、今回の世界的な新型コロナウイルス感染症への対処策として、地球的な立場から、他者との連帯、共助、信頼等を挙げ、
「我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の内にある悪魔である。」
と鋭く指摘されています。

危機は往々にして、地下水面化にあった諸問題を露呈させます。このたびは、医療・福祉の問題が先ず危機に晒されました。様々な格差、経済、政治、教育制度、社会的インフラ、芸術文化面などの他方面に渡る諸課題、そして、心理的不安による人間性の負の面(利己性、差別、デマ等)の噴出。

何よりも課題の困難さの根底にあると思われるのが、何人も逃れることのできない生理的な自然規定無始の無明である「生きんとする意欲」と、自然界の生物である人間ゆえのその無明に付随する不可避の「自他弁別本能」。
この二点は、何人も逃れることができない自然規定ですので、具体的な方策を模索する際には、この自然規定から決して眼を離してはならない。まことに困難な道ですが、そのように痛感しています。

本書の終わりの方に、 大正3年に一枚刷りで頒布された「【資料】光明会趣意書」が掲載されています。
大正3年は、1914年にあたり、世界分断の象徴的事件である第一次世界大戦勃発の年。
この「光明会趣意書」には、伝統的な個別の聖名である「阿弥陀如来」の表記はなく、
「三身即一、無始無終の超在一神的汎神の根本仏」を、「大御親(ミオヤ)」聖者独自の新造語で表現されています。
「神仏の御名」が宗教対立の根幹にあると仮定すれば、聖者は100年以上前に、既に「人類対立の彼岸」に立たれていたといえましょうか。その慧眼に念いをはせています。

南無焔王光仏
「衆生無始の無明より 惑と業苦の極なきも
大焔王の光りにて 一切の障り徐こりぬ」


南無智慧光仏
「如来智慧の光明に 我等が無明は照(てら)されて
仏の智見を開示して 如来の真理(まこと)悟入(さとら)るれ」


南無無礙光仏
「如来無礙の光明は 神聖正義恩寵の
霊徳不思議の力にて 衆生を解脱し自由とす」

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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