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2018-11-08

大乗仏陀、弁栄聖者の真精神の開顕!!!『笹本戒浄上人述 泉虎一記 辨榮聖者 光明主義玄談 巻一』発刊


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笹本戒浄上人述 泉虎一記『辨榮聖者 光明主義玄談 巻一』が、
2018年(平成30年)9月に発刊されました。

この書は、 「弁栄教学」上、極めて重要な書であり、
同類の書である、『辨榮聖者 光明主義注解』が、
芦屋聖堂から発刊されていますが、
非常に高価で、とても重く、携帯には不向き。

hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。

発行編纂者の一人、平澤伸一氏は、
笹本戒浄著『真実の自己』等の発刊者でもあります。
また、平澤氏は在家でありながら、自宅を解放され、
長年に渡り、定期的(毎月一回)に、念仏・勉強会を開催。
現在の光明会には幾つかの系譜がありますが、
平澤氏は、弁栄聖者→笹本戒浄上人→ 杉田善孝上人の系譜。

なお、今回は、巻一であり、
今後、順次、四巻発行の予定とのこと。


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【笹本戒浄上人(1874~1937)】

インド思想、仏教学者の中村元氏が、
弁栄聖者の高弟、笹本戒浄上人に出会った時の逸話。

「近年、弁栄という坊さんがおったが、これが偉かったで・・・」

と、第一高等学校在学当時、
ドイツ語教授が講義の途中に、
心の底から感嘆して語られたことがあり、
そのことが強く印象に残り、
弁栄聖者の『お慈悲のたより』を読まれました。

その後、光明会の本を求め、
田中木叉師のご自宅をお訪ねしました。

中村青年が笹本戒浄上人にうかがった御説法の内容等。

正面にかけて光り照らされている阿弥陀如来の御絵図を指しながら、

「よく阿弥陀さまを見つめてお念仏を唱えなさい。
阿弥陀さまがお姿を現してくださいますよ」
と。

「御説法の詳細は忘れてしまったけれども、
慈悲にみちた、温和で、柔和な笹本戒浄上人のお顔を忘れることができない。
・・・あのような方が、本当の宗教家ではないかと思う。」


「笹本上人に、お目にかかったのは、
その時、たった一度だけ。
それも御法話を伺った時だけ。
しかし、今なお忘れられぬ感銘を残しているのは、
ことばでは一々表現することのできない
御高徳のゆえであろう」

(「私が感銘を受けた宗教家ー戒浄上人の思い出ー」
(『「笹本戒浄上人伝」笹本戒浄上人全集 別巻』)

此処で注目すべきは、
中村元氏が、光明主義の教義内容ではなく、
「笹本戒浄上人の人格」が強く印象付けられたこと
特に、そのことに焦点をあてられている点です。

先ず初めに、中村元氏の笹本戒浄上人の思い出話を引用しましたのは、
中村元氏の記憶に刻印された戒浄上人の印象と、
泉虎一氏記のこの書から受ける戒浄上人の印象とが、
相当に異なっているであろうと懸念されるからです。

また、
この書の元となった電子データ作成者の故小川純氏、
編纂者の平澤氏方々は、
泉虎一氏の謦咳に長年接しておられた方々。

この点は、決定的に重要な点であり、
つまり、泉氏が語る内容とともに、
言外のメッセージ、泉氏の人柄等も伝わっているはずです。


難解な批評家として知られる小林秀雄氏が、
幅広い読者を獲得し続けているのは、
おそらく、小林秀雄講演、講義CD発売による、
小林秀雄氏の肉声を通して、
小林秀雄氏の人間性の一端に触れた影響が極めて大きい

と推察されます。

特に、この書の様な"癖の強い書"の場合には、
特に留意すべきコツのようなものであろうかと思います。

本書の編集後記に、
当時を知るある高弟は
「我々が質問に伺おうとしてもご事情により叶えれない場合があったが、
上人はいかなる時でも泉さんの謁見を断られることがないのに驚いた」
と。

とありますように、
笹本戒浄上人と泉虎一氏とは、そのような深い因縁の間柄。
戒浄上人の直弟子筋の中で、
泉氏は、「弁栄教学の奥義」の伝授を使命と生きられた御方。

また、
その為に、おそらく、意図的に人の心を揺さぶり、
印象付けるような強い言葉を選び、
何ら配慮を混じえず、繰り返し繰り返し、同じ内容のことを語っておられる、
そんな節も感じられなくもありません。

泉氏の口癖は、
「阿頼耶識の奥底から、(念仏により)大掃除をすること。」

なお、
泉氏が戒浄上人に出会われたのは、昭和3年で、
戒浄上人の御遷化は、昭和12年(1937年)でした。

戒浄上人の高弟、杉田善孝上人
ご述懐であったと記憶しますが、
真に興味深い逸話ですのでここに再掲します。

「笹本戒浄上人は、昭和3年(55歳)の頃には、
「仏眼については、
「まだ経験していないが、想像はできる」旨洩らされたが、
昭和4年春には
上記のお言葉は出さぬようになった。
そして、昭和8年から9年にかけて(60歳から61歳)
仏眼について次第に明了に、
昭和10年(62歳)からは
具体的に明了にご説示されるようになった」。

また、
田中木叉上人とご縁の深かった、
吉松喜久造氏が笹本戒浄上人にうかがった言葉。

昭和4年に、笹本戒浄上人が、
「田中木叉先生も仏眼が開かれました。」
と嬉しそうにおっしゃられました。


さて、
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

この書を読解するにあたり、

幾つかの留意点が必要かと思われます。

① "憶念口称念仏のみを直線道"とする根拠は何か。
そもそも、"直線道"とは何か。

② 弁栄聖者の笹本戒浄上人への口伝、
すなわち、"弁栄教学の真精神"の受け止め方。


大別すると、この二つになろうかと思われます。


① "憶念口称念仏のみを直線道"とする根拠は何か。
そもそも、"直線道"とは何か。


本書を読み解く際の最大の躓き、難関は、
笹本戒浄上人が再三強調される"直線道"という言葉だと思われます。

先ず、お断りしておきたいことは、
"直線道"という言葉は、
弁栄聖者の直接的な言葉ではなく、
弁栄聖者の真精神を表す言葉として、
「弁栄聖者から意を汲んでいる」という同意を得られた、
笹本戒浄上人の言葉です。

"直線の対が曲線である"とのイメージが、
我々には先入見として一般にあるため、
曲線道であったとしても、成仏に至る到達時間の相違があるだけで、
「成仏への道には多種多様な方法がある」と捉えがちです。
"直線道と曲線道"をそう捉えますと、
戒浄上人の真意から逸れることになると思われます。

戒浄上人の"直線道"とは、
"それあるのみ""それ以外はありえない"といった、
"唯一無二、絶対中心道"という意味かと推察いたします。

戒浄上人は、この点について分かりやすい喩えで説明されています。

よく仏道修行を山登りに譬えて
どの道から登っても同じ頂上に行ける、と申しますが、
この譬えは正しくありませんな。
世界の有名な高山の中に
途中の八、九合目までは道がいくつもありますが、
そこから頂上までは唯一つしか登る道がない
というのがありますな。
あれが正しい譬えであります。」 
(【〇一七】 曲線道を排して直線道へ (4))


"直線道"とは、"信念の変更を要せず"という意味内容ですが、
更に本質的に最重要なことは、その根拠にあり、
仏身論と不可分の関係にあるという点です。
即ち、"直線道とは、仏身論から必然的に導き出された修道論"。

ただし、
"直線道"とは、
仏道修行における「修道論」においてであり、
衆生済度における「度生論」においてではない。

このことは、十分な留意が必要であるように思われます。

弁栄聖者の御行状
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)は、
この推測を裏付けているように思われます。

「木叉先生はよく
「(弁栄)聖者の皮肉骨髄の髄を承けていられるのは戒浄上人だ。
しかし上人は髄ばかりを説かれる。
もっと応病与薬のご説法をして下さるとよいのだが」
昭和三十年代終わり頃までよく仰言った。」

ところが、

「後には先生は全くこれを口にされる事がなく、
晩年はしきりに上人の熱血溢れる
正法護持と破邪顕正の光明主義二祖としての行履に
随喜活仰せられた。」

(「戒浄上人と田中木叉先生」 (『「笹本戒浄上人伝」笹本戒浄上人全集 別巻』)

木叉上人の御遷化は、昭和49年(1974年)。

田中木叉上人御晩年の頃の逸話として、

「笹本上人が亡くなられ、やがて私も死ぬ。
すると光明会はやがて従来の宗乗の枠内に
引き入れられてしまうかも知れない、
いやきっとそうなる」と。


「それは困ります。そうなった時どうしたらよいのですか。」

すると、木叉上人は、
「また弁栄聖者が出て来て下さいます」と。


「後には先生は全くこれを口にされる事がなく」
との箇所は、若干の留保が必要であるようにも思われますが、
木叉上人は晩年、
"弁栄聖者の髄"が伝わらなくなることを、
大変心配されていたことは確かだと思われます。

衆生済度における方便智が発揮されるのは、
"仏眼"においてであり、
より厳密には、"三身四智の仏眼"においてであると云われています。

現実問題としては、この点に留意すべきかと思われます。

なお、同書にも、笹本戒浄上人が、驚くべきことに、
「先ず禅をして禅の悟りを開くよう勧められた」方があったという、
戒浄上人の衆生済度における対機説法(方便智)が記されています。
ただし、ここで留意すべきは、
禅の悟りの次には、法眼、仏眼へと、
念仏による悟りの深まりへと、
確りとご指南をされている点です。

戒浄上人の印象的な逸話をもう一つご紹介します。

光明主義の信奉者の在家、横山勝郎氏が、
「御顔は戒浄上人の慶運寺の、後光はまん円くはっきりとした」三昧仏様
を描いていただくように、
笹本戒浄上人の御子息の浄光氏に依頼され、
浄光氏が描かれていたところ、
「横山さんのために描くならば、
お顔は少し細面に描くように」

と戒浄上人が注意されました。

これらの逸話からも、
笹本戒浄上人の泉虎一氏への
一見、排他的、偏狭とも思える御教示は、
意図的にそうされたものであったことが推察できます。

"後世に、弁栄聖者の真精神を明確に伝えるため"
と推察いたします。


戒浄上人が再三強調される"直線道"を理解するためには、
弁栄聖者が開顕された"聖者独自の仏身論"を理解することが大前提となります。

【超在一神的汎神の大ミオヤ】

弁栄教学では、
「無量寿経の法蔵比丘の酬因感果の阿弥陀仏
汎神教的の三世諸仏の一仏」と捉らえ、
超在一神的汎神の大ミオヤとは厳密に区別し、
報身ではなく、応身と定義します。

「三身即一の本有法身は絶対、本有無作無始無終の根本仏。
活きた根本仏の同時同態の三方面
である
その体・相・用は皆、絶対で本有無作無始無終。」
したがって、
「如来様の妙色相好身も無生。
衆生の有無、念不念に関せず
本来、如来様に人格的の妙色相好身在しますのが事実。」


肉身と理性を持った我々人間には、
"人格的の妙色相好身"と云われると、
"一定の固定相"しか想像できませんが、
一即一切、事事無礙重々無尽の絶対的現象態、
衆生の信念に応じて、無量の定相を発現される、
絶対無規定、本有無作の霊的御姿(霊相)"


弁栄教学は、通仏教とは根本的に異なります。


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】


ごく最近、大変興味深い論考に出会いました。

岩波書店発行『図書』(2018年11月号) 掲載の、

「鈴木大拙と山崎弁栄
ー近代仏教の中の『大乗起信論』 末木文美士」。


おそらく、末木氏が弁栄聖者について公けに触れるのは、
これが初めてではないかと思われます。

この時期に、
「鈴木大拙と山崎弁栄ー近代仏教の中の『大乗起信論』」の論考が、
岩波書店の月刊誌『図書』に掲載されたのは何故か。

この論考の記述等から推察しますと、

〇 山崎弁栄『人生の帰趣』が、
平成30年4月に、岩波書店から刊行。
本書の解説が、 若松英輔氏であること。

若松氏は、末木氏の"死者論"を大変評価され、言及されていること。

〇 安藤礼二著『大拙』が、
平成30年10月に刊行。
雑誌『群像』掲載は、平成28年6月号~平成30年5月号。
安藤氏ならではの詳細な調査等に基づく「鈴木大拙」論。

この書が、末木文美士氏の永年の大拙研究の成果等にも啓発されていること。
また、安藤氏の興味・関心と極めて共鳴度の高い
「鈴木大拙論」、「井筒俊彦論」を展開されている
若松英輔氏の論考とは異なり、
安藤氏の「大拙論」には、"山崎弁栄"との比較考察が無いこと。

ここでは、安藤氏の「大拙論」には深入りできませんので、
次の参考文献をご紹介しておきたいと思います。
安藤氏推奨の「鈴木大拙論」、
グレイス, ステファン P氏による博士論文。
『鈴木大拙の研究
現代「日本」仏教の自己認識とその「西洋」に対する表現』。



〇 大竹晋著『大乗非仏説をこえて
大乗仏教は何のためにあるのか』

が、平成30年8月に刊行され、
末木文美士氏が、推奨文を寄せられていること。

大竹氏は、
この書において、仏教を専門とする学者としては大変珍しく、
弁栄聖者に大いなる関心を寄せられ、
弁栄聖者の文章等を、頻繁に引用、評価をされている
こと。

大竹晋氏は、
筑波大学在学中、竹村牧男氏の元で研鑽を積まれ、
『大乗起信論成立問題の研究
『大乗起信論』は漢文仏教文献からのパッチワーク』

を、平成29年11月に刊行。

「本書は、近年いちじるしく進展した、
漢文大蔵経の電子化と、
敦煌出土北朝仏教文献の翻刻出版との二大成果を活用しつつ、
同論が漢文仏教文献からの一種のパッチワークであることを明らかにし、
来中インド人撰述説を斥け、北朝人撰述説を確定する。」

と、千五百年間の『大乗起信論成立問題』にほぼ決着を付けたと評されています。

なお、石井公成氏による書評があります。ご参考までに。
書評 大竹晋 『大乗起信論成立問題の研究
: 『大乗起信論』は漢文仏教文献からのパッチワーク』


末木氏が、岩波書店の月刊誌『図書 11月号』の、
「鈴木大拙と山崎弁栄ー近代仏教の中の『大乗起信論』」において、

「起信論』は二世紀頃の馬鳴(アシュヴァゴーシャ)の著とされていて、
・・・大正期に望月信亨によって中国撰述説が主張されて大論争となり、
最近になってようやく中国撰述説で決着しそうである。」と。

これは、 大竹氏の同書を指していることはほぼ間違いありません。


末木文美士氏が、
この時期に、岩波書店の月刊誌『図書 11月号』に、
「鈴木大拙と山崎弁栄ー近代仏教の中の『大乗起信論』」の論考を投稿されたのは、
上述の理由が大きいと推察いたします。

この論考においては具体的に、
末木氏は、
「大我、「宇宙全一の心霊体とも云うべき如来蔵性」を、
「大御親」あるいは「大ミオヤ」とも呼ばれるようになると、
通常の仏教になじんでいる目には、いささか大胆過ぎて面食らう。
もはや『起信論』の枠組みどころか、
常識的な仏教の教学をも超えて、
独自の世界に入っていくことになる。
・・・むしろ仏教を核としながら諸宗教を統合する、
一種のシンクレティズムと見られるであろう。
その点では、大拙以上に大胆である。」


「学術的な枠組みを逸脱して、
一見奇妙な議論を示すところもある」

とされながらも、
「決まった枠組みの中では封印されてしまう
自由な発想が生き生きと展開される可能性も持っている。
・・・今日改めて見直しがなされなければならない。」


と、末木氏は結ばれています。

なお、
「もはや『起信論』の枠組みどころか、
常識的な仏教の教学をも超えて、
独自の世界に入っていくことになる。」

と指摘されていますが、

例えば、
『大乗起信論』ではいまだ未解明であった、
"無明"の発生根拠については、
弁栄聖者に依りますと、
「三身四智の仏眼」において初めて認識可能となる旨仰っられています。

弁栄聖者光明体系の『無量光寿』、『炎王光』等に記されています。


鈴木 大拙著 佐々木 閑訳『大乗仏教概論』の訳者後記において、
佐々木氏は、

「鈴木大拙の『大乗仏教概論』を訳してみて、
私はこの本が、現代において生み出された
新たな大乗経典である と感じるようになった。
・・・だがもし、本書を、仏教学という学問世界の中に含めず、
仏教という宗教の流れに置いてみるなら、
それは『般若経』や『法華経』などの経典と同じレベルに並ぶ
『大拙大乗経』とも呼ぶべき
新たな聖典の誕生を意味している
と思うのである。」と。


一方で、弁栄聖者は、

「私は経文に依って演繹的に説くのではない。
帰納的に説いておる。」
(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)

とは、
「経典に依るのでなく、
御自身の体験せられた如来様の事実※から
帰納的に光明主義の教学体系を組織せられた、
という意味である。」
(笹本戒浄上人のご教示)
※「御自身の体験せられた如来様の事実」とは、
「三身四智の仏眼」の境界における認識。

更に、
「真生同盟」提唱者土屋観道上人に対する弁栄聖者のご教示として、

「キリストが此の世に出て説いたものが新約聖書となって、
それ以前のユダヤ教経典が旧約聖書となったように、
今後の宗教は光明主義経典を以て新約聖書となし、
従来の一切経をもって旧約となすべきである」

と(弁栄上人が)おっしゃったことが、今尚私の心に遺っています。」
「弁栄上人の思い出」『大悲に生きる 観道法話』)


弁栄聖者は、「大乗非仏説」に対し、
「大乗経典とは、
三昧定中における、”永遠の生き通しの大乗仏陀釈尊”による、
出世間の三昧を開かれた聖方への直説法である。」

と、喝破されています。


鈴木大拙氏と弁栄聖者の両者に通底する
この"学術的な枠組みを逸脱した大乗仏教観"
を、
末木氏は、感知されたと推察されます。


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【弁栄聖者(1859年~1920)年】


〇 大竹晋著『大乗非仏説をこえて
大乗仏教は何のためにあるのか』


仏典に精通されている大竹晋氏は、

「われわれは大乗経が仏説であることを論証することは不可能である
と率直に認めなければならない。」


と明言され、

「大乗経が仏説であることは、
推理によっては決して論証されるべきことではなく、
大乗経にもとづいて修行した者たちの悟りの体験によって
自内証("個人的に確証")されるべきことなのである。
悟りを齎す以上、大乗経はいつわりではない。」


その解決策、「体験的大乗仏説論」を提示されています。


「又は大乗非仏説を主張する人に、
上人 「現に飲んで効能のある薬なら、
誰が発見してもよい。大乗非仏説でもよい。
私も大乗非仏説とおもふ。」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

この箇所を、
大竹氏は、著作に、引用し、次のように解説されています。

"現に修行して悟りを体験できる法なら、
誰が発見されたのでもよい。大乗非仏説でもよい。
わたしも大乗非仏説と思う。"
ー弁栄はそう言い切っている」と。

また、
日本の近世から近代に限られているとはいえ、

「大乗経にもとづいて修行し、
大乗仏教の悟りを体験することに依って、
大乗仏教にみずから安心するに至った真摯な僧侶」

として、

〇 浄土宗・普寂徳門(1707-1781)
〇 真言宗・慈雲飲光(1718-1805)
〇 浄土宗・山崎弁栄(1859-1920)
〇 浄土宗・原 青民(1868-1906)


を挙げています。

「大乗非仏説をこえて」という究極の難題の解決策
を模索するにあたって、
弁栄聖者にかなりの頻度で言及されているのは、
必至であった
と思われます。


② 笹本戒浄上人に対する弁栄聖者の口伝、
すなわち、"弁栄教学の真精神"の受け止め方。

にも関わることですが、

"弁栄教学"は煎じ詰めると、
「大乗ブッダの真精神、つまり、宗教の根源とは何か。」に究極します。


笹本戒浄上人が、
「経典や宗乗、学者が何と言おうが、
弁栄上人が云うことを信じなさい」

と極言されているのは、
妄信、偏狭さの類では勿論なく、
実は大変合理的判断に基づくものであり、

「大乗非仏説」という事実が念頭にあったためと推察します。

更に、戒浄上人は、
「原始経典、大乗経典等、文字で記された文献によって、
釈尊の真精神を判別することは出来ない。」

といった御教示さえされています。

したがって、
笹本戒浄上人に対する弁栄聖者の口伝、
すなわち、"弁栄教学の真精神"を、
仏教諸経典等を根拠にして"釈尊の真精神"として、
論証することは不可能。

この弁栄聖者の口伝(弁栄教学の真精神)は、
唯々、弁栄聖者、笹本戒浄上人を信じ、
"釈尊の真精神"であると信ずるという域を出ない。
自身が"仏陀の悟り"を得るまでは。


ただし、このことは、
全ての信仰において、究極的にはそうとしかありえず、
平等、対等の前提
です。


大竹氏は、
「大乗仏教の本質は、歴史的ブッダへの回帰ではなく、
仏伝的ブッダの模倣(まねび)である。」

「仏伝的ブッダの模倣(まねび)とは、
具体的には、仏伝的ブッダと同じように福徳を積んでブッダとなること。」
と明言され、

「大乗仏教のアイデンティティーは、
歴史的ブッダの教えと異なるにせよ、
歴史的ブッダの教えを超える高貴な人間性こそが、
大乗仏教の最大の特質
なのである。」とさえ定義されています。

更に、
「大乗仏教のブッダの加護を得た体験」、
すなわち、「見仏体験」
に関して、

浄土宗の山崎弁栄、真言宗の金山穆韶(ぼくしょう)、曹洞宗の木村霊山尼
の「見仏体験」にふれ、

このような大乗仏教のブッダが
どのような仕組みによって現れるのかはわからないが、
大乗経にもとづいて福徳を積んだ者たちの前に
このような大乗仏教のブッダが現れるという事実を否定することはできない。

福徳を積まない者は
このような体験を愚かな大乗の妄想にすぎないと言うかもしれないが、
筆者としては、福徳を積まない者が言うことよりも、
弁栄、穆韶、霊山尼のように
福徳を積んだ者たちが言うことのほうがはるかに信じられる。」
と。

これは、
精緻に、実証的に経典研究されている学者の言葉としては、極めて異例。
大乗仏教と真摯に向き合う者の信仰告白

大変、感銘を受けました。

なお、
光明主義の弁栄聖者、真言宗の金山穆韶(ぼくしょう)師は共に、
法身を人格的に仰いでいることは、
注目すべきかと思われます。


弁栄聖者、笹本戒浄上人への信とは、
念仏実践、弁栄教学の研究、比較宗教学的研究等は、
当然の前提としましても、
究極には、
正に、この大乗仏教のブッダの加護による「見仏体験」、
その宗教体験により福徳を得た、
"仏のような人"弁栄聖者、
"福徳が備わった大菩薩"笹本戒浄上人、
その"霊徳"に対する信
に極まります。

なお、
公のブログで公表することに躊躇するものがありますが、
大変貴重な逸話ですので、
先ほど引用しました横山勝郎氏によります
戒浄上人のもう一つの逸話を記します。

「昭和一桁の時代に拝聴した御法話
戒浄上人はかく申されました。
「太陽系には地球以外に衆生はおらぬ」と。」


その他の若干の補足としまして、

普寂に関しては、力作があり、
〇 西村玲著『近世仏教思想の独創 僧侶普寂の思想と実践』

また、
「原青民氏と弁栄聖者」との関係については、
ここでは深入りしませんが、
大竹氏は、
青民の悟りと禅の悟りを、
最古の禅文献における禅の初祖、菩提達磨、
白隠禅師の言葉と対比させ考察されています。

光明主義においては、
禅で云われる悟りは、念仏の内に自ずと開かれてくる境界

と捉えています。

この点については、
弁栄聖者、笹本戒浄上人、田中木叉上人にとっては、
当然の事実として、
おそらくご自身の宗教体験、比較思想・文献研究等を通して、
一貫して説かれていた方が、東洋大学名誉教授、
「一般財団法人 光明会」の元上首
「光明園」前園主、
「山崎弁栄記念館」初代理事長の
河波定昌師。

以前一般に公開されていた河波師の講演録ですが、
真に残念ながら、
随分以前のもので、河波氏がご逝去されたため、
削除されてしまったようです。

それは、大変貴重な講演録であり、
信仰上、学問上においても、大変な遺産の損失と思われますので、
ご紹介させていただきます。

ただし、
リンクは既に削除されているため、
全文をここに記しますと大変長くなり、
文章の構成上煩雑になり、読みにくくなると思われます。
単独の記事にすべき程の大変貴重な講義録ではありますが、
今回は、文末に記します。
是非、お読み頂きたく存じます。

『念仏と空-大乗仏教の本質(第16期スクーリング)
2003年6月 6日 第16期開講式特別講義
河波昌 東大仏青でのご講義から』



大竹氏は、
「大乗非仏説」の前提に立つことにより、
浄土真宗系と日蓮宗系には甚大な影響がある
とされていますが、

浄土真宗の僧侶による、
とても興味深い論文がありますのでご紹介します。

〇 田中和夫博士論文『親鸞の念仏思想と見仏体験』


また、近著においては、
〇 平岡聡著『浄土思想入門 古代インドから現代日本まで』
があり、特に、
第八章 近代以降の浄土教家
  (一)浄土宗系──山崎弁栄・椎尾弁匡
終 章 浄土教が浄土教であるために

には、弁栄聖者の意義に言及されています。


なお、
現代においては、
データの電子化、情報の公開、知的財産としての共有化は、必至であります。
弁栄聖者の御遺稿集、十二光体系等が、PDF化され、
岐阜光明会のHPで公開されており、
また、
「弁栄上人百回忌記念事業」の一環として、
金田昭教氏を中心に、
弁栄聖者関連の資料等の調査、電子化、公開等が進められています。
平成30年11月に、
「山崎弁栄上人讃仰会」により、
「念仏三昧の聖者 山崎弁栄上人」のHPが開設。


最後に自戒を込めて、
笹本戒浄上人の遺言とも受け取れる言葉を引用します。

「見仏が成仏の唯一の直線道で、実に釈尊の真精神である、というのは
実に弁栄上人様の真精神で光明主義の生命とするところでありますから、
弁栄上人様の光明主義を信奉する私共と致しましては、
弁栄上人の真精神を述べなければならない場合には
何のためらうことなく、
見仏が成仏の唯一の直線道で実に釈尊、弁栄上人の真精神である、
といわなければなりません。」

「しかし、他の信念を持っていらしゃるお方に対して
少しでも不遜な態度をとるようなことがあってはなりません。」




【河波昌師の講演録】

『念仏と空-大乗仏教の本質(第16期スクーリング)
2003年6月 6日 第16期開講式特別講義
河波昌 東大仏青でのご講義から』


仏塔崇拝から大乗仏教へ
仏像造られた念仏行法も

大乗仏教とは何かという問題をこれから 「念仏と空」と題して追求していきます。
実は大乗仏教の根幹を語るにはこの言葉でもう尽きていると思います。

普通、念仏といいますと、浄土宗とか浄土真宗、
ですから法然上人とか親鸞聖人の教えの中核をなすものです。
ところが 「空」 と申しますと、全然違いまして、
例えば禅宗などで、「空」 を説く経典は、『般若心経』なんかがその代表的なものです。
特に日本仏教は宗派仏教で、浄土宗は浄土宗、禅宗は禅宗と縦割りで説きますから、
お念仏はお念仏で、 「空」 は 「空」 ということになっていきます。
ですが、お念仏の中に般若波羅蜜の悟りが開いてこなければ、大乗仏教ではありません。
また、般若波羅蜜と 「空」の実践の中にお念仏が出てこなければ、それも嘘だと思います。
そういう二つの関係に論究しながら、
改めて大乗仏教とは何かという問題の本質をついていきたいと思います。

簡単に申しますと、
念仏が 「空」の世界を開き、
「空」 の世界が、またお念仏の世界を開いていった。

この二つは表裏一体のもので、一つのものです。
それがある段階で、二つに分かれていったんです。
これは大乗仏教にとっての悲劇で、
結果として大乗仏教の本質が見えなくなった
と断言してもいいくらいです。

大乗仏教はいつごろ起こってきたかという問題ですが、
大体、紀元前一世紀の後半だと考えてください。
それで最初の大乗仏教の経典は何かといいますと、
サンスクリットの経典の中に『八千頌般若経』というお経がありまして、
これが大乗仏教の出発点になります。
このお経の中に初めて「大乗」という言葉が登場します。
「マハーヤーナ」 という言葉です。
それ以前はなかった言葉ですからこの経典こそいわば大乗仏教宣言の書と言ってもいいです。
それから「空」という言葉が、また初めて出てくるんです。
ですからこの二つの言葉をもって、
この『八千頌般若経』というお経が大乗仏教の最初の経典ということになりました。
それからもう一つ、
漢訳に『小品般若経』というお経がございます。
これはほぼ『八千頌般若経』が漢文に訳された形です。
だからこの辺を押さえていきますと、大乗仏教の一番の原型が出てくるわけです。

「空」という言葉がどうして出てきたかが問題になります。
これは案外はっきりしているようで、はっきりしていないんです。
非常に難しい問題ですが、
大乗仏教が起こってくる一つのエレメント、契機として仏塔崇拝があります。
私は恐らくそれが関係していると思います。

仏塔崇拝が始まる前の仏教はどういう仏教かといいますと、僧院仏教なんです。
僧院の中にこもって、専門のお坊さんたちが難しい勉強をやる。
倶舎論などで、 阿毘達磨といいまして、
お釈迦様が説かれた法というもので分析していくんです。
でもそんな分析をしたって、一般大衆には関係ないですよね。
何百年間か、僧院仏教が続きますけれども、
一般大衆とは全く無関係だったとは言えませんが、
大体無関係なところで、今でいえば 「象牙の塔」です。
一般大衆はそんな難しいことはわからないけれども、
お釈迦様が亡くなられて、もちろんもう灰になって、どこにもおわしまさないけれども、
何とはなしにお釈迦様の本当の命というものが在すはずだという方向へ向いていきます。
歴史的な仏様はなくなっても、仏様の命は永遠だという思想が、一般大衆に出てきます。
それを一つの人格として拝むことができる、それが仏塔です。
ストゥーパと言いますが、仏塔と申しますのは、
実はお釈迦様の舎利、お骨が祀られているところです。
お骨が祀られているところにお釈迦様がましますというのは皆さんでもそうですね。
亡くなったご先祖様はもうわからないけれど、
例えば亡くなったお父様のお墓に参ると、
何とはなしにやっぱりお父さんと出会えそうな気になります。
仏塔崇拝を通して初めて、
目には見えないけれども人格的な如来様、
そこではまだ阿弥陀様という言葉はまだ出てきませんが、
お釈迦様とそこで出会う。
ストゥーパに参り、そこで一生懸命祈りを捧げる。
これはもう自然の情だと思います。
そういうわけで、一般大衆を中心にして、ストゥーパ即ち仏塔崇拝が起こってまいります。
これは僧院仏教とは一応別なもので、
ここで僧院仏教と一般大衆の仏教という、
質の異なる大きな二つの流れが出来始めたということが言えると思います。

仏塔への想念の集中ということは、
これはもう、実は念仏のことです。

お釈迦様は数百年前に亡くなったけれども、
お釈迦様の命が仏塔のところに現前している、そういう存在観念です。
そこで祈りが深まっていくことになります。
そして仏塔に即して仏様を拝むときに、「空」 になっている、
そういうお経の文章が 『華厳経』 などに出てきます。
これは後になってから出来た経典ですけれども、
それはまさに、その本質をついているわけです。

やがて仏像というものがギリシャから入ってきます。
それはどういうことかと言いますと、
アレキサンダー大王がインドにやってきたのは、紀元前三二七年です。
間もなく特にインドの西北部はギリシャ文化の支配下に置かれました。
そこを支配するのは、ギリシャの王様です。
当然、貨幣が必要です。
その表側はギリシャ語で書かれているんです。
裏側はカローシュティー文字といった、その当時のインドの言語が刻まれています。
貨幣の次元まで、ギリシャ語とインドの言葉が一つになっているということは、よくよくのことです。
少々の人数のギリシャ人だけでしたら、そんな必要はないのですが、
大人数のギリシャ人が本当にインドに入ってきて、
もちろん学問のレベルでもそうですが、生活のレベルでもコンタクトをし始めますと、
全面的に両者の文化の出合いが起こってきます。

ギリシャ人というのは、神像をつくるわけです。
例えばアポロンの神様で在す神像。
その神像のところにアポロンの神様が現に在す。
そういうのがギリシャ人の考え方です。
神様ご自身は目に見えないといえば目に見えないわけですが、
ギリシャ人は、神様は必ず目に見える形であらわれてくる
という、そういう文化です。
日本人は、神様の像を伝統的にあんまり重視しませんでした。
もちろん、仏教の影響を受けて神様の神像がどんどん出来てきますけれど、
本来は神道というのは、拝むときに神様という形がないんです。
西行法師の歌ですが、
「何事のおわしますかは知らねども、
ただありがたさに涙こぼるる」そういう歌があります。
「何事のおわしますかは知らねども」、
神様の名前もわからない。お姿もはっきりしない。
でも何かありがたくてしようがない。
こんなのを西洋人が聞いたら、変に思うでしょうね。
わけのわからないものに出会って、感激して涙を流している。
日本人って一体何だと思うかもしれませんが (笑)、
ギリシャ人ははっきりした形をつくって、その神像に対して拝むわけです。

インド人にもその習慣がありませんでした。
形あるもの (色) は壊れるという考え方があるんです。
形あるものは壊れるから、そんなものが仏様であったら困るのです。
だからインド人は決して仏様の像をつくらなかった。
そこにさきほどのようなギリシャ人がやってきて、
インド仏教に出合い、 無数のギリシャ人が仏教徒になっていきます。
そして肝心なのは、 出家するギリシャ人たちさえもが出てくるんです。
ギリシャのお坊さんです。
ギリシャ人が仏教を信仰するとどうなるかというと、仏様を拝むときに、
アポロン神像を拝んでいたようにやっぱり仏像を拝むようになるんです。
ギリシャ的なやり方で仏様を拝むようになります。
それが念仏三昧になっていきます。

すなわち、
仏塔崇拝から仏像崇拝へと転換していくその過程で、
念仏三昧という行法が一層明確に確立していきます。
そしてそれが一貫して現在まで続いているわけです。

法然上人でも専修念仏といってお念仏ばかりされていたわけです。
そしてそれは
二千年にもわたる一貫して行じられてきた念仏三昧の実践ともなっていたわけです。
後に禅とかができるもっと原始的な段階での念仏三昧でもあります。

ところでギリシャ人はどんな仏様を拝んでいたのでしょうね。
結局、アポロンの神様を拝んでいるのです。
アポロン仏という、アポロンの形をした仏様です。
「それはアポロンの神様じゃないか」 と言っても、
ご本人は、「いや、 それはあくまでお釈迦様だ」と言います。
これはもうしようがないんです。
自分たちの顔に似せて、仏様をつくるしかないのです。
それは宿命的でさえあります。
けれども、そういう形で、実は念仏三昧という行法が出てきたのです。

念仏こそ実践の原点

大乗仏教は紀元前一世紀の後半にできましたけれども、
突然出てきたわけではなくて、
まだ「空」とか 「大乗」という言葉を使う以前の段階で、
実は大乗仏教というのは始まっていたんです。
紀元前一世紀の前半で、「原始大乗仏教」という言葉を使います。
そこでは「大乗」 とか、「空」という言葉は使わないけれども、
既に大乗仏教的な雰囲気が漂っていたというんです。

『三品経』 というお経がありますけれど、これは実は現在ではもうありません。
『三品経』 というお経そのものは、早い時点でなくなっていたのですが、
三品とは何かといいますと、懺悔、 勧請、そしてもう一つは随喜ということです。
大乗仏教が起こってからもこの三つの要素は、展開されていくことになるのですが、
三品という言葉ができた段階では、まだ大乗仏教ではありません。
大乗仏教が起こってくる以前に、こういう行法があったのです。
一般の信者の人たちも、仏様の前に、まだ仏像はできていませんから
仏塔・ストゥーパの前で懺悔して勧請して随喜していたのです。
随喜というのは、例えば他人の喜びを自分が喜ぶ、仏様の功徳を我が事のように喜ぶ。
これはなんでもないようですが、やがて般若波羅蜜の実践へと展開していきます。
随喜というのは、対立がなくなっていくのです。
相手がいいことをすると、一緒になって喜ぶ。
隣に倉が建つと、こちらに腹が立つということではなくて、ともに喜ぶということです。
随喜の功徳は、そのご本人よりもすぐれるという言葉が 『般若経』 に出てきます。
例えば百万円を寄付するでしょう。
それを喜びますと、百万円を寄付したよりももっと功徳が大きいというので、
貧乏人の我々にとってはありがたい修行ということになります。
そういうことでそこで対立が超えられ、 般若波羅蜜の実践になっていきます。

仏塔の前で仏様に対して祈りを捧げていきますと、
仏様の不思議な力が私の中に入ってくる。
これは後になりますと加持という形でさらに展開していきます。
加持というのは、祈りの中で、何か不思議な力が加わってくることです。
加持といいますと、真言宗の専売特許のようですけれども、
紀元前一世紀からもう始まっていたのです。

そういう懺悔、 勧請、 随喜を通して、
一般の大衆は、おのずとお念仏の世界に入っていたんです。
それは、法をアカデミズムの中で分析するのではなくて、
実践を通して既に大乗仏教の世界、すなわち念仏の中に入っていたと思います。
むしろ、そういう大きな実践の中で、すでに大乗仏教というものができております。
それは大乗仏教以前の大乗仏教であって、
如来様が現実にましまして、それとかかわっていくということです。
念仏というのは、 そういうことです。
そういうものを土台にして、
やがてはっきりとした形で大乗仏教の修行が確立していきます。

それが 「般舟三昧」 です。

それと大月氏国という国があって、
それを背景に大乗仏教が広がっていくわけです。
「般舟」って、どういうことかといいますと、
サンスクリットで「プラティウトパンナ」、仏前現立、という意味です。
プラティとは、現前に相対して、あるいは、近くに、という意味です。
「ウットパンナ」は現前する、あるいは現前に立ちたもうということ。
訳すときは、「仏現前立三昧」と訳されたりもする。
いろんな訳があります。

これも如来様に心を集中していくということです。
それが大乗仏教の実践の原点となります。

本当に生きた仏様に出会うなんていうのはできない相談ですが、
でも、そこに仏様がいらっしゃるという気持ちが大切なんです。
『般舟三昧経』 というのは、そういう経典です。
文字だけを考えていますと、難しそうですけれども、私たちに非常に身近です。

仏様は我々を超越した方ですが、時間空間を超えた仏様としてある。
それがそこに現前するということです。
その構造も一貫しています。

例えばずっと後半になって、『観無量寿経』というお経ができてきますが、
宇宙全体が仏様で満ち満ちてましますけれども、
そんな宇宙全体を包含する仏様なんて、我々はとらえどころがないですよね。
でもそうでなくて、

宇宙を包含する仏様は今、ここに現前する。

これなら私たちも分かりますね。
それで大乗仏教の多くの経典に貫通しています。

例えば『華厳経』 というお経があります。
「仏身は法界に充満する」、大宇宙全体が仏様の御心である、あるいは御体である。
それが今、私の前に現前するという考え方ですね。
『華厳経』 は大乗仏教の中心的な経典ですが、
大乗仏教というのは、どの経典も、言葉は違ってもその繰り返しばかりです。
「仏身は法界に充満し」、もう宇宙全体が阿弥陀様に充たされてということです。
そして 「あまねく一切の群生」、 私たち衆生のことです。
一切群生というと、何か他人のことに思いますが、実は私たち一人一人の問題です。
一切群生の前にあらわれているということです。
ただ漠然と神様、仏様を拝んでいても、心が集中しないでしょう。

それが仏塔へ、さらには仏像へと転換していくのです。
これが、大乗仏教が展開していく、一つの決定的な要因となります。

現在は日本のお寺のどこに行っても、仏像があります。
それは飾りのようにさえなっていますが、
そこへ我々の心が集中していくということで、
それを「般舟三昧」といいます。
そうすると仏様が拝めてくる、仏様が見えてくる、あるいは顕現するという。
これは大乗仏教、特に初期の大乗仏教の決定的な契機となりました。

見仏ということ、
生きた如来様にお会いできるようになる、
そういうことです。

ところで、仏様を拝めるようになると、「空」の世界が開けてくるというのです。
『般舟三昧経』を読みますと、三昧を得ると 「空」 であることを知る。
そこから 「空三昧」 とか、「空定」 という言葉が出てきます。
大乗仏教の原初的段階で成立したお念仏を説く経典の中に、
最初から「空」 が出てくる
のです。
これが非常に大切なのです。

「空」 は一体どこから来たかといいますと、
実は念仏三昧の中から出てきたのです。

お経をずっと拝見していきますと、
ストゥーパ塔を拝んでいると「空」になっていくと言う人もありますが、
より積極的に、仏様の姿に心を集中していくときに、そこに「空」が経験されてくる。
「空三昧」が開けてくる。
この三昧を得れば、「空定」なることを得る、とか言われ、

念仏と 「空」 とがセットになっている。
ここが非常に大事です。

例えば 『般若心経』 というお経があります。
これはたくさんの訳がありますが、
一番最初に訳したのは、 鳩摩羅什三蔵 (くまらじゅうさんぞう) という方です。
それからもう一人は玄奘三蔵です。

二人の訳は最初が違っています。

鳩摩羅什訳「観世音菩薩」で、
玄奘訳「観自在菩薩」です。
だからこの菩薩様は全然違う人だと思うでしょう。

ところが、サンスクリットの原典からいえば、全く同じなのです。

元々の原語は 「アヴァローキテー・シュヴァラ」と言います。
これをアヴァローキタ、で切りますと、玄奘訳です。
イーシュヴァラというのは「自在」 という意味です。
アヴァローキタは「観」です。英語のルック(look)と似ているんです。
もともと英語もサンスクリットも、 もとは一つですから。
この 「イー」 を切り離した「シュヴァラ」 ですと、音です。
だから「観音」、鳩摩羅什の「観世音菩薩」 となります。
ですから 「観自在菩薩」 は 「空」 を説くし、
「観世音菩薩」は念仏を説くと決まっているようですけれども、
『般若心経』 に関していえば、
両方とも 「空」 を説いているのですが、
「観世音菩薩」という方は、そもそも念仏をしていた人なんです。
「観世音菩薩」が念仏をする主体でありながら、「空」 の主体であるということです。
それは例えば、中国に入っても全く同じです。
『般若経』 (これは無数の経典から出来ている)というと
「空」 しか説いていないと思われがちですが、
実は念仏ばかり説いていると言えるほどです。
また見仏ということを説いているので、
例えばサンスクリットの 『八千頌般若経』 を読んでみますと、
「空」 を悟って般若波羅蜜が実現していくと、
「十方一切の諸仏を見たてまつる」 という言葉が出てきます。
「般若空」 を体験すると仏様が見えてくるというのです。
我々には見えませんね。我々はエゴイズムが壁のごとくありますから。

その我々のエゴイズムから空へと解放されてきますと、
そこに仏様が見えてくる。
当然のことですね。

また 『般舟三昧経』 は、
三昧を得れば仏様とお会いし、
「見仏」するときには、そこで空が悟られていく。


だから一見、念仏と空は別々に思えますが、
実は表裏一体で、 一つのものです。

そこで、インド大乗仏教が中国に入ってきて、
そこからやがて禅というものができていきます。

縁起の構造下で実践を

インド大乗仏教は中国に入ってきて、
その一つとして禅が成立していきますが、
最初は禅宗なんて無いのです。

禅宗のお坊さんもみんなお念仏をしていたのです。

禅宗史でははじめの六人の祖師方が出て参ります。
その最初が達磨さんで、さらにその第四祖に道信という人がいました
禅宗はこの人から歴史的にはっきりと押さえることができるのですが、

実を言えば、この道信という方も念仏をして悟っていったのです。

中国の初期禅宗の歴史を調べる上で決定的に重要なものに、
楞伽師資記』 という本があります。
そこには、道信は一行三昧によって悟っていったということが書かれています。

一行三昧というのはどういう経典にあるかといいますと、
『文殊般若経』 という短い経典で、『七百頌般若経』とも言われたりもしますが、
それを読んでみますと、やっぱり念仏三昧が述べられているんです。
般舟三昧そのものです。
一行三昧 ekavyuha-samadhi というのは、
玄奘の訳によりますと一相荘厳三昧
すなわち如来のお姿に集中するということです。
そうすると、忽然として 「空」 の世界が開けてきたと書かれています。
姿も何もなくなっていくのです。

だからこの「空」という悟りが出てくる背景に、
やっぱり念仏がある
ということになります。

そして念仏ということは、
実は縁起の構造に基づいているということです。

皆さんは、 自分があって自分が仏様を念じていると思うでしょう。
自分の心があって、その自分の心が仏様を念じていると思うでしょう。
そう考えたら、マルクスに観念論だといって徹底的に批判されます。
でもそうではないですね。

念仏とは、
どこまでも仏様と私とが縁起の構造に立っての上でのこと です。

仏教は縁起だといいます。
でも縁起を考えるときに、
普通はまるで縁起を見る視点が切れたところで縁起を見ていますから、縁起にならないんです。

縁起とはどういうことかというと、
「これあるがゆえに、かれあり」でしょう。
また「彼あるがゆえに、 此れあり」 でしょう。
それが縁起の構造です。
英語で訳せば interdependence、 お互いが相手によって出てくるということです。
ただ一方的に出てくるのでは、 縁起ではありません。
圧倒的に存在して、 我々を支配するキリスト教の神様とは違います。
しかも 「これあるがゆえに、 かれあり」 という縁起の構造を考えるときに、
私がここにいて客観的に縁起を考察している間は、縁起にならないのです。
自分は固定して、ああだこうだ、というのは学問の世界です。
縁起とはそんなものではない。
そういう立場に立った途端に、 縁起という構造は消えてしまいます。
今の学問は全部そうです。

お念仏というのは、
私と仏とがましまし、その両者の縁起の構造に立つことをいいます。

そのことは、『般舟三昧経』という大乗仏教の最初の経典でもはっきり説いているんです。

「仏を縁ずることに心を向ける」。

仏を縁ずるということは、
仏を対象的にいろいろ考えるのではなくって、
自分を、仏を縁ずるという状況に置くということです。
最初は自分がお念仏をしている。自分が念仏をしていると思っている。
しかし本当はそうしているうちにいつのまにか縁起の構造に入っていくんです。
本来はそうなのですから。

それで道信という人は、
お念仏をしていると一切皆空になっていくということが、
『楞伽師資記』には書いてあります。
それからまた、こうも言っているんです。

「心を離れて別に仏あることなく、
仏を離れて別に心あることなし」。


お念仏が集中していきますと、 根源的な縁起の目覚めという状況になります。
私たちも念仏をするときは、心が働いています。
心を離れて別に仏様がいらっしゃるわけではない。
また念仏ですから仏様を念じているんですが、
「仏を離れて別に心あることなし」。
お念仏をしているうちに、いつのまにか仏様と私とが縁起の構造の中にあることになる。
そうして縁起の構造の中にあることで、実体としての自分がなくなっていることにもなる。
ただ 「空」 だ 「無」 だと言うのではなくて、

むしろ念仏のただ中で、「空」 の世界が開けていくということです。

私の古い友人で、 最初の 『般若経』 の 『八千頌般若経』 がどうしてできたかを追求している人がいます。
京大の仏教学出身の方で、 そこでしか考えようがないと論じていました。
すなわち如来を讃嘆し、 如来様と一体化し、 そして瞑想し、
そして法?していった人たちの中に、 般若波羅蜜の世界ができていった。

最古の般若経典である『八千頌般若経』 (漢訳では 『小品般若経』)というのは、
そこからできていったと言っています。

『八千頌般若経』 ができたのは紀元前一世紀頃です。
その後無数の 『般若経』 ができるんです。
『大品般若経』 『大般若経』 『文殊般若経』、それから何とか般若経、 何々般若経。
そして最後に『般若心経』 ができるのは、紀元四百年ころです。
ですから我々は、 最後の最後の 『般若経』 を読んでいるわけですが、

その最後の最後の 『般若経』 のしかも 「空」 のところだけを読んでいるから、
一見したところ念仏がないんです。

極端に簡略化されていますので念仏が出てこないのです。
でもずっと読んでみると、
本当は念仏の中の「空」 の世界なのです。

「空」 を離れて念仏はなく、念仏を離れて「空」 はない。

そこの処がわかるんです。
念仏を省略して 「空」 だけを説いているのが 『般若心経』 ですが、

四百数十年の『般若経』 の歴史を知らないものですから、
念仏と 『般若心経』 の空とは別々だと思っているんです。
しかし本当はお念仏をしている中に般若波羅蜜の世界が開けていくのです。

それからまた玄奘訳では「行深般若波羅蜜多時」とあって、
「般若波羅蜜多」が目的格になっているでしょう。
観自在菩薩が般若波羅蜜を行じたもうというところの漢訳では、目的格になっています。
ところがサンスクリット経典ではそうなっていないんです。

甚深なる般若波羅蜜の中で、
般若波羅蜜に包まれてその中で行ずる、

というのです。

サンスクリットには格が八つあり、場所の格 (於格) というのがあります。

それを玄奘三蔵がこの於格のところを目的格に解釈したために、
般若波羅蜜と空の実践とが分かれてしまった。
これは大問題です。

「心を離れて別に仏あることなく、仏を離れて別に心あることなし」。
これはまた縁起の構造でしょう。

ところが第四祖道信から心と仏とのこの二つが分かれていくんです。

「心を離れて別に仏あることなし」 と言っているから、
心が大切だということで心の面に集中していったのが禅宗です。

これに対して
「仏を離れて別に心あることなし」。これは念仏です。
仏を離れて別に心があるわけではないと言っているのに、
浄土宗の人たちにとっては、心がどこかに行っちゃったんです。

しかしこれは両方とも片手落ちです。

やっぱりお念仏をしているときに、
仏との縁起の関わりにおいて
我々自身の心が限りなく開けてくるところがあります。

西田幾多郎や京都大学の哲学科の人たち (京都学派) の多く
やはり禅宗的な傾向が強いので、
心のほうへ重点が行って、仏様がどこか浮き上がっていくんです。

逆に、「仏を離れて別に心あることなし」 と言われているのに、
浄土宗あるいは浄土真宗の人は、心の問題がどこかへ行ってしまい、
死んだら極楽へ行くということばかり言う。

道信という方は、 六世紀の終わりから七世紀にかけて、
ちょうど中国に禅宗ができるころにお出になって、
最初は念仏をして、 「空」 の悟りを開かれたけれども、
一旦、 「空」 の世界が開かれてきますと、
そこで 「空」 というか、心の立場が強調されていって、
他のほうが消えていきます。


禅宗と浄土宗との分岐点は、 私は道信にあったと思います。

それから禅宗と浄土宗とが分かれていく。
日本に来てもやっぱりそうです。

ここでもう一度、縁起という仏教の根源的な地平に戻って、
そこで考えることが必要です。


日本の仏教は宗派仏教といって、
浄土宗だ、真宗だ、禅宗だ、その宗派の中だけしか考えることができないでしょう。

どうしても部分的になって、全体が見えなくなっていきます。

そういう問題が、わかっている人はわかっているんですけれど......。

大乗仏教という一つの大きなつながりの中で、
一番肝心な問題が消えていきます。


『般若心経』 で「空」だ「空」 だと言って唱えることは大事ですけれども、

念仏によって、その「空」が体得されて、
その人の上に空が働き出してこないといけない。


お念仏をしていますと、般若波羅蜜の世界が開けていく。
また、「空」 の実践をしている中でお念仏が出てくる。
二つは一見、表面的に違うようですが、一つの事柄です。
お念仏をして「空」の世界が開けてきますと、解放されていくんです。
そのときに、実は皆さん一人ひとりが観自在菩薩になっていくわけです。
自在というのは解放という意味です。一人ひとりが解放されていく。
観自在菩薩というどこかに一人の特殊な偉い人がいて、
般若波羅蜜を行じていると書かれていますけれども、

本当は皆さん一人ひとりが観自在菩薩になっていって、
初めて大乗仏教になっていく
のです。
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山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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