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2011-10-07

「仏身円満無背相・・・(仏身円満にして無背の相なり・・)」(善導大師)


「仏身円満無背相(仏身円満にして無背の相なり)
十方来人皆対面(十方より来る人、皆対面す)」
(善導大師「般舟讃」)


弁栄聖者が「如来光明礼拝儀」で説かれる

「如来の在さざる処なきが故に今現に此処に在ますことを信じて
一心に恭礼し奉つる」


と同じこと。

浅草寺のご本尊は観音様ですが、
本堂外陣の賽銭箱の両側にある書聨には、
この善導大師の金言が書かれています。

ちなみに観音様のお頭には仏様を頂かれていますが、
それは観音様が「念弥陀三昧」でいらっしゃることであると弁栄聖者は言われた。


また、神の遍在性と正面性の問題を究明したのは、

15世紀に活躍した ローマ・カトリック教会の枢機卿であったニコラウス・クザーヌス。

『神を観ることについて』では、この点を中心に非常にありがたく説かれています。

クザーヌスの思想を日本に最初に紹介されたのが、
知る人ぞ知る”書の達人”にして大学者であった念仏行者山本空外上人。
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

>スエデンボルグ(1688 - 1772)の著書「天界と地獄」に、
>天界の天人は、常に心霊界の太陽を正面に見ている、と書かれています。洋の東西を問わず、心霊界を知る人のいう事は、共通しているものがあります。
>
>天界と地獄」は仏教学者、鈴木大拙が明治時代に翻訳しており、名訳です。

これも不思議なご縁ですね、
最近スエデンボルグの本を読んでみたいと思っていました。

鈴木大拙という方はやはり違いますね。

ただ、大拙のお弟子がこの事実を隠していたという話も伝わっていますよね。

若松英輔氏もこの点に注目されているようです。

>仏身円満無背相を、「剣の達人には背中にも隙がないように、仏様にも隙がない」ことの比喩的な表現だなどとされる方もいますが、
>
>「無背相」は、ミオヤ様は常に衆生の真正面におられる、心霊界の事実をそのまま、サラッと書かれたのだと思います。
>
>ですから、お念仏をする時は、ミオヤ様が真正面に在しますと思ってお慕い申して云々と、五根五力の修行のところなどに、お説き下さったのであろうと思います。

私も全くそう思います。

ただ蛇足かと思われますが、

「ミオヤ様が真正面に在します」

ということは、五根五力の修行から始まり、成仏以降も一貫した御教えで、
これは、洋の東西、時空を問わず、
如来、神の事実だからだと思います。

弁栄聖者はその発見者にして、はっきりと明言された方かと思います。

No title

スエデンボルグ(1688 - 1772)の著書「天界と地獄」に、
天界の天人は、常に心霊界の太陽を正面に見ている、と書かれています。洋の東西を問わず、心霊界を知る人のいう事は、共通しているものがあります。

「天界と地獄」は仏教学者、鈴木大拙が明治時代に翻訳しており、名訳です。

仏身円満無背相を、「剣の達人には背中にも隙がないように、仏様にも隙がない」ことの比喩的な表現だなどとされる方もいますが、

「無背相」は、ミオヤ様は常に衆生の真正面におられる、心霊界の事実をそのまま、サラッと書かれたのだと思います。

ですから、お念仏をする時は、ミオヤ様が真正面に在しますと思ってお慕い申して云々と、五根五力の修行のところなどに、お説き下さったのであろうと思います。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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