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2018-08-06

「南葵光明会」創始者、中井弁常居士による弁栄聖者の御法話「聞き書き」等


前回は、
中井常次郎(弁常)居士による弁栄聖者の想い出、
弁常居士と「南葵光明会」及び「弘龍庵」等について書きました。

大正8年9月(※)に、
弁常居士は、弁栄聖者に出逢われ、
最晩年の聖者のお別時、御法話会等に可能な限り参加され、
その時の貴重な「聞き書き」、聖者の行状等を遺して下さいました。
※ 聖者の御遷化は、大正9年12月。

もちろん、聖者の御教え、行状等は、
田中木叉上人がご編纂された『弁栄聖者 光明体系』等、
木叉上人著『日本の光(弁栄上人伝)』等によって、
知ることができます。

中井弁常居士の記録は、
弁栄聖者の最晩年の御法話記録、行状等であり、
また、聖者にお逢いされた直接ご本人の記録であるだけに、
およそ百年前の出来事でありながら、
当時の出来事が、臨場感をもって感じることができるように思われます。

引用には、
引用者の境涯、思想・信条、理解力が如実に露呈
しますので、
畏れ多いことではありますが、
中井弁常居士の弁栄聖者に係る記録はとても貴重であり、
有益な点が多いと思われます。

そこで、今回は、
弁常居士著『乳房のひととせ(上巻)』(昭和三十六年刊)と、
弁常居士著『乳房のひととせ(下巻)』(昭和十八年行)に依り、
弁栄聖者の御法話記録、行状等で、
特に印象に残った箇所を記して置きたいと思います。

なお、本書の主要な記録が、
「一般財団法人 光明会」のHPにアップされています。

また、中井常次郎(弁常居士)著『如来光明礼拝儀講義』
(増補改訂第四版(初版は昭和16年6月))が、平成30年4月に出版されました。


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 【大正9年10月 弁栄聖者 61歳】
 (「勢至堂の念仏三昧会」、京都市知恩院勢至堂前石段の下にて)
 ※ 二列目、向かって右側の御婦人(藤堂クラ氏)に抱かれている子供は、藤堂恭俊師。


【「念仏」に係る弁栄聖者の御教示】

○ 「念仏三昧、見仏三昧の成就をめざして別時をつとめよ。」

○ 「如来は智慧であり、同時に姿である。
弥陀の身心は法界に遍満す。
・・・念仏すれば、如来は真正面に現はれ給ふ。
けれども或る衆生には、仏の在す事が解らぬ。
三昧の鍵を以て浄土の門を開け。」


○ 「活きてまします如来様が、
今、わが真正面に在す事を信ぜよ。
これを仰信と云う。」


○ 「初めは、肉眼で、まことの仏が拝まれぬから、
画像を掲げて、如来様を思ひ上げるのである。」


○ 「初めは、仏の御姿は拝めない。
それでよい。心に帰命の思ひが起ればよい。
南無阿弥陀仏と称へて、帰命すれば、
仏様は我が心に宿つて下さる。」


○ 「如来を尊く思へば、思ふほどよろしい。
無上の尊敬を献げる事によって、距りができ、
愛によつて、如来を離れぬ。
この二つが調和を得る事が大切である。」


○ 「仰信は初歩であつて終りである。
この中にねうちが有る。
ま受けすれば、十分なる力が与へられる。
仰信から解信、証信と進むのであるが、
証を得るのは一部分である。
一分の証を得てから初めて仰信に帰るのである。」


○ 「如来を愛するは、霊性より来る。
これは最高の愛である。」


○ 「聖徳太子の念仏法語に、
念仏は情に在りて、理に非ず。」

○ 「浄土教は、聖道のやうに、理屈は云はぬが、如来を慕はせる。
これは浅いやうに見えるけれども、
深く仏心に入り、徹底した、最も深い悟りを得る法である。

如来の相好は、慈悲の現れである。
仏のみ姿拝む者は、仏のみ心を見奉る。
如来を見奉れば、慈悲の心は自ら湧き出でる。」
※ 「大原談義に曰く
人をして欣慕(ごんも)せしむる法門は暫らく浅近に似たれども
自然悟道の密意は極めて是深奥なりと。」


○ 「我はただ仏にいつか葵草
心のつまにかけぬ日ぞなき(法然上人)

法に念仏と見仏と観仏と有るが、
此の歌は念仏を詠んだものである。
観仏は理性を鎮め、心を澄まして仏を映す法である。
念仏は感情的に如来を念(おも)ふて救はれる法である。
親子の情を進ませる処に念仏の温味(あたたかみ)がある。
理性を澄ます観仏には温味が無い。」


○ 「観音さまは念仏行者の模範である。
宝冠に阿弥陀如来を戴いているのは、
常に仏を念じて忘れぬことを示されているのである。」


○ 「見仏は帰命の信念に依るもので有つて、
観仏と違ふ。
口に称名するとも、乱想起らば徒ら事である。」


○ 「念仏三昧とは、仏思ひの心を常とし、
仏と自分とを一つにする事である。
口に仏名を称へても、心が仏を離れては念仏三昧でない。
念仏中に悪い思ひを起こせば、悪人になる。
良くない事を考へながら念仏のまねをしてはいけません。」


○ 「称名の音声に功徳あるのではない。
称名念仏とは、み名を称えて救いを求める事である。」


○ 「真宗では、南無阿弥陀仏の文字に功徳ありと云ふが、
そうではない。
如来は現に、ここに在して、
吾等がその御名を呼べば聞いて下さるから有難いのである。
善導大師は「衆生、行を起こして、
口に仏を称すれば、仏之を聞き給ひ
乃至意に仏を念ずれば、仏之を知り給ひ、
衆生仏を憶念すれば、仏も亦、衆生を憶念し給ふ」
と云つて居られる。
絶対なる法界は、時間、空間に障りなし。」


○ 「本当の仏壇は、各人の宮殿内に安置しておかねばなりません。
家の仏壇を金銀で飾りより、
心の宮を荘厳するように心がけねばなりません。」



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  【大正9年10月 弁栄聖者 61歳】
 (京都市知恩院勢至堂に於ける別時念仏三昧会の記念写真の拡大写真
  弁栄聖者のお写真としてよく知られる写真の原版は、この写真)


【「大ミオヤによる霊育過程」に係る弁栄聖者の御教示】

○ 「光明主義は南無の二面即ち
救我と度我の二つを完備して居る。
・・・真宗の欠点は、度我の願ひの少い事である。
度我に就ては、真宗は如来に任せ切りである。」


○ 「如来の世嗣となるには、
娑婆に在る間に、其の資格を作つて置かねばならぬ。
・・・娑婆では心が研け易い。
・・・念仏して、心が研けると、霊性が有る事が知れる。」


○ 「宗教の宗教目的は、人格の完成即ち成仏である。」

○ 「雑念を起こすまいとすれば、益々起こるものであるが、
それに捕われぬやうにせよ。
妄念が起こる度に、根気よく振り捨てて、
仏おもひの心を起こして居れば、
だんだんと妄念が薄らぎ、奥の心が現はれて来る。
太陽の光よりも強い光明を見る。
その光に因つて心は清められる。」


○ 「霊の実を結ぶ高等な信仰は、
米を作るやうに育てねばならぬ。」


○ 「急に心の花が咲くものでない。
常恒不断に念仏して、お育てを蒙らねばならぬ。」


○ 「闇消えて、日出づるに非ず。
太陽出でゝ闇去るのである。
・・・如来の光明に遇ふから、罪消えるのである。
病気を治してから入院すると云ふのは、まちがひである。
大病なる故に入院して治して貰ふのである。
これが光明主義である。」

※ (註) 田中木叉上人の御法話に、「念仏病院」とのご教示あり。

○ 「欲は必ずしも悪いものではない。
霊化とは有害なる欲を有益にする事である。」


○ 「習慣→必需→病的→悪弊症
これらの悪弊症を除くには、それに代はる良きものを与えるのがよい。
一心に念仏すれば、生まれつきの汚れが除かれて、
自然に善い性が現はれて来る。」


○ 「霊化の度が大きくなれば抜苦与楽の功徳も深くなり、
善行力も大きくなる。」


○ 「拝む如来は大きくとも、小さくとも、
絶対(宇宙精神)より現はれて下さるのであるから、
絶対に信頼すべきである。」


○ (弁常居士)
「「きよきみ国」のお歌に「日々に六度の花の雨」と有りますが」
(弁栄聖者)
「阿弥陀経に説かれてある浄土は真実である。
三昧が進むと、華の雨が降る。この世の花とは、少しちがふ。
三昧にはいれぬのは、心が汚れて居るからだ。
念仏により、心が浄化されると、浄土や仏様が見えて来る。
信仰の進むに連れて、如来は限りなく大きく現はれる。」

※ (註) 笹本戒浄上人の「お浄土の音楽」についてのご教示。
「お浄土の旋律は娑婆の音楽とは違う。
『聖意の現はれ』は、お浄土の旋律を表わしたものだ。」


○ 「光明主義は実感の上に立って居る。」

○ 「五(読拝・礼拝・観察・称名・讃嘆供養)正行
これは喚起、開発、体現に通ず。」



【「弥陀の本願」に係る弁栄聖者の御教示】

○ 「弥陀の本願とは、
宇宙現象の終局目的とする摂取の光明に、
吾等が照らされ育まるゝ本然の理を、
人格的に見、具体化して名付けたものである。
故に本願は四十八ヶ条に限つた事ではない。」


○ 「第十八願 如来の願は
衆生に親の如く円満なる徳を譲りたいと云ふ事である。」



  201808053.jpg
【大正9年7月(弁栄聖者 61歳)
 横浜市久賀医学博士宅にて(弁常居士撮影)】

※ この写真の裏に聖者の和歌あり
「誰もみな同じ地水のかり物を
など辨栄と名ずけたりけん」



【「戒律」に係る弁栄聖者の御教示】

○ 「最も重い罪は、己が仏性を殺す事である。
即ち成仏せぬのが最も大きな罪である。
吾々は仏性を育てるために生かされて居る事を知らねばならぬ。」


○ 「殺生戒は生物に限らず、
機械、器具の如き物までも生かして使ふ事である。
水でも無駄使ひをしてはならぬ。」


○ 「有漏とは肉の心、無漏とは聖き霊なる心である。」
※ (註) 「肉の心」とは、
弁栄聖者の笹本戒浄上人のみへのご教示と理解していましたが、
それは、誤解でした。

○ 「肉体に衣食住の必要ある様に、
心の上にも、これが必要である。
信仰の人となれば、如来より、
清浄無垢の衣、法喜禅悦の食、
光明心殿の住居が与へられる。」


○ 「「神通は難化の衆生を度すために使つて良いが、
徒に凡俗に示すのは沙門のすべき事ではない。
木鉢のために神通を現はし人々の歓心を買ふ如きは、
賤むべき事である」と(釈尊は)誡められた。」

※ (註) 弁常居士は科学者でもあったため、
「神通」なるものを、当初全くの空事と考えていましたが、
弁栄聖者の御遷化の後、しばらくして、自身の認識力の浅さを認められました。


【「仏身論」に係る弁栄聖者の御教示」】

○ 「十二光仏を研究すれば、宇宙は活ける霊体なる事が解る。
大乗仏教は釈尊が霊性によつて宇宙を見た実感を伝えたものである。」


○ 「経文の文字の解釈が解つただけでは、
その心が読めたとは云はれぬ。
宇宙全体が活きた経文である。
それを仏眼で見たまゝを書いたのが文字の経文である。」


○ 「西方極楽
西とは方向の義ではなく、終局といふ意である。
十萬億土とは、距りの遠さを云ふにあらずして、
佛と凡夫との差を意味する。」


○ 「キリスト教に新教と旧教とあるやうに、
仏教にも、之れと似た事がある。
法蔵仏、西方十萬億土を過ぎたる彼岸にある浄土等は旧教にて、
釈迦正覚、娑婆即寂光は新教である。
釈迦を肉眼で見れば人間であるが、
仏眼を以て見れば阿弥陀仏である。」


○ 「人間の身体は大み親の霊体に似て居るから、
人体を美の極みだと美術家は歎美する。
・・・仏身は生理的の身に非ずして、霊妙なる身である。」

※ (註) 「生物進化の結果、私共人間の姿も如来様の御姿に似てまいりました。」
と笹本戒浄上人は別時念仏の際に云われました。
戒浄上人は、弁常居士のこの本の此処の箇所を示して、
「これは如来様の事実です」とご教示下されました。
(参照: 「凡聖の巻」『弁栄聖者 光明主義注解』 )

○ 「ここの処(礼拝儀を指して)を
「摂化せられしをわり(終局)には」と書き替えよと仰せられた。
説法中にご注意下さったから、記しておく。」


大正9年3月 知恩院勢至堂別時中でのこと。
※ (註) 『如来光明礼拝儀』のこの「無対光」の箇所は、
改訂前は、『摂化せられし人は皆』となっていましたが、
誤解を起こさぬようにとのご配慮から、
弁栄聖者御遷化後に、
笹本戒浄上人の校訂の後、現形のものに改訂されました。
なお、
事情は分りませんが、
土屋観道上人創設の、
「観智院(真生同盟)」では、
この「無対光」の箇所が、改訂前の文言となっています。

○ 「往生浄土に二つの意味がある。
大原談義に往生に「かわる」と云ふ訓がある。
即ち往生とは弥陀の光明中に生れかわる事である。」


○ 「仏の本体は浄土に在つて、分身を娑婆に出す。」
※ (註) 「無余即無住処涅槃=成仏」即ち「往相還相」に関する弁栄聖者の真意」

○ 「今は、これを述べない。
(筆者が上人に「妙観察智が抜けました」
と申し上げたのに対し、上の如く、お答えになつた。
御遷化後、聞いた事であるが、
妙観察智は奥伝として、
一般人に説かぬ方針であつたそうである。)」



  201808052.jpg
 【大正9年6月 弁栄聖者61歳】
 (京都市恒村医院内、茶室の間にて
 中井夫妻、恒村夫妻、徳永あい子、谷安三、鈴木憲栄各氏と共に)


【弁栄聖者の行状】に係る中井常弁居士による逸話

○ 「弁栄上人のお話は、
聞いて居ると、もどかしい
けれども、
書き留めて味へば、慈味尽きず、齢と共に光を増す思ひがする。
その一言一言が、胸に響き、膽に滲み、
啓蒙、恐縮、驚嘆、信頼、帰依、敬慕の情が油然として湧いて来る。」

※ (註) 「伝道とは饒舌に喋ることではない。
心の内にはたらくものが相手にはたらくこと。
故に弁栄聖者は「伝燈」とも云われた。」(田中木叉上人)


○ 「私共が争ひやいたづらなどするのを見られても、
だまつて居られる事が多かった。
良くない事やまちがいを申上げても、
頭からしかつたり否定されず、「それでも宜しい」と云はれた。
それで私共は、この「でも」を頂けば「いけない」のだと心得て居た。」


弁栄聖者の御教えの解釈を巡って、
弁常居士柴武三氏が議論をしていましたが、
互いに自分の解釈の正しさを主張し譲らず、
その結着を弁栄聖者に仰がれた時のこと。

弁栄聖者は机の上の茶碗の中のお茶を呑み干して、二人の前に差出され、
「エーこの茶碗をコー出せば裏の糸底の方でしょう、エー、こう出せば上の方ですね、
同じ話を同じ人から伺っても糸底の方を差出した方はほんの少ししかいただけませんね。
上の方を御出しになった方は沢山いただきなさいますね。
同じ御話を伺っても
その受ける人に依って大変な差が生じます。
同じ器を差出していただくのに、
糸底の方でいただかないようにせねばいけませんね。」
と仰言ってホホホとお笑いになりました。


結局、その時の議論の結着はつかず、
二人は互に、君は糸底ばかり差出しているから
十二分に聖者の御真意をいただくのが少ないのだと、
笑って引き下がったことがありました。

○ 「仏とは自覚ある大常識者である。(弁栄聖者)」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

当時、弁栄聖者が蓄えられたかなりのお金を使い込んでしまった者が、
なかなか非を認めようとしなかったので、
「その者を、警察に訴えるように。」
と、聖者が指示された
事件がありました。

聖者の信者達が、「聖者としてはあまりにも無慈悲である」と感じながらも、
その旨をその者に伝えると、
その者は涙を流して、反省の意を表したので、
かわいそうに思い、聖者の指示に反して、許してしまいました。

その者は、また同じ罪を続けたそうです。

後日、弁栄聖者は、
その者が、その時、涙を流して反省の意を表わしたのは、嘘ではないであろう。
しかし、意志弱く、また、同じ罪を犯してしまう。
自分の力では矯正できない者のために(本人に代わって)、
監獄があるのである。」

との弁栄聖者の透徹した「大常識」の一喝を受け、
信者達は、深く納得し、反省されたことがありました。

※ 以下は、この逸話に関連した、
示唆に富む別の逸話でありますので、併せて記します。

笹本戒浄上人に関するもの。

聖者同様に自分の財産を使用人に使い込まれた(盗まれた)戒浄上人の信奉者は、
その者を「警察に訴え」ようと、戒浄上人に相談されたところ、

予期に反し、戒浄上人は、「お止めない」と制止されました。

弁栄聖者のこの逸話をご存じであったその信者は、
はなはだ承服し難い面もちで、戒浄上人に、

「弁栄上人も、警察に訴えたではないですか」と反駁。

それに対し、戒浄上人が、一言。
「弁栄上人と貴方とでは、境地が違います」と仰った。

蛇足で恐縮ですが、
もちろん、戒浄上人は、この信者を貶しているのではありません。

聖者の行為は、一見無慈悲とみえながらも、「大慈悲の発露」
それに反し、この信者(一般に私達)の行為は、
聖者と表面上は似ていたとしても、通常、その発露は、「私憤」から

更に、もう一つ。

 弁栄聖者ご在世当時、
信者同志の間で、世間的にも非難される事態が起こりました。

その事態を知った信者が光明会の事を心配し、
田中木叉上人にその者に注意するように強く要請しました。

思い余った木叉上人は、
「注意をしたものでしょうか」と弁栄聖者にお尋ねになりました。
すると、
「注意をするな」と、聖者の意外なご指示

木叉上人は、こんなことは倫理的にも許されることではない。
弁栄聖者の真意が量り難いと思い、
念のために、聖者に再確認
されますと、

「いやそうではない。
如来様が付いていて下さるから、詣って念仏さえしておれば」


と、聖者から大説法をたまわったとのこと。

この件の後日談を記しますと、

しばらく後に、
「一日三千礼の懺悔念仏をして」、キッパリと互いに手を切ったそうです。

「もしも、自分が注意をしていたら、
その者はキッパリ来なくなり、(念仏とも会とも)縁が切れてしまう。
そうすると、このような事態でありうる最悪の事態を招いていたかもしれぬ。」

と木叉上人は反省されたそうです。

木叉上人が弁栄聖者に邂逅してまだ僅かの時でありましたが、
聖者の「衆生済度の力量」を印象付けられた事件であったそうです。

○ 「元気な若僧でも(弁栄上人の)お供をすると一週間は続かず、
逃げ口上を作つて逃避すると云ふ事である。
ほとうに、そうだと思つた。」

※ (註) 波多野諦道上人は、弁栄聖者を”不断光の権化”と云われました。


最後に、記して置きたい事が幾つかあります。

弁常居士が、
武者小路実篤氏を弁栄聖者に会せようとされたようですが、
タイミングが合わず、実現しませんでした。

中井弁常居士とご縁のあった、
同郷和歌山の松田良信氏は、
徳本行者奉賛会を主宰された、
徳本行者の篤信者として知られた御方。

「仏々相念」とでも云うのでしょうか、
弁栄聖者は、徳本行者を殊のほか尊敬され、
「法然上人以来、徳本行者ほど内感豊かな念仏者は無い」と。


  201808056.jpg
 【大正5年 弁栄聖者56歳】
 (聖者右側(向かって左側)の御夫人が、籠島咲子夫人。

中井弁常居士の信仰に大きな影響を与えられた御方で、
「生ける観音」とも云われ、
弁栄聖者から「妹 咲子」とさえ云われていた、
越後柏崎、極楽寺の籠島咲子夫人。

弁栄聖者は、大正9年12月に、その極楽寺で御遷化。
「うちに帰って、病つて良かった」
と咲子夫人に云われたとのこと。

咲子夫人は、大正2年に、弁栄聖者に邂逅され、
それ以来、折に触れ、聖者の御教化によって、
仏眼まで開かれたと云われた在家で、
聖者とは、心霊界で浅からぬ御因縁の在った御方。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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