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2018-03-21

愛媛県松山市「浄福寺」における「弁栄聖者」の御教示&「学信上人」&「ロシア兵墓地」


愛媛県松山市の「浄福寺」、 「大林寺」の大嶋玄瑞上人と、
垣本都夫人と笹本戒浄上人関連記事を記しました。

まだ補足しておきたいことがありますので、
今回は、それらを記しておきたいと思います。


【浄福寺】

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この浄福寺での弁栄聖者の鈴木憲栄上人へのご教示は、
大変貴重なものですので、
それらを含めて是非記しておきたいと思います。

以下、
鈴木憲栄上人著『ミオヤとのめぐり会い』に依ります。

○ある時、突然聖者が、鈴木憲栄青年へ、

「如来様は、あの太陽よりも明るいですね。」

「如来様のお頭の紺青(みどり)の美わしいのを拝すると、
お敬いの心が起こりますねえ。
眉間の白毫相、月のお眉、すずしいお目を拝すると、
清らかな心持ちとなります。
み鼻、そして、燃ゆるようなお唇を拝しますと、
身も心も溶けてゆくようです。
おからだには美しい文(あや)があってそれが透徹っています。」

※ 「聖きみくに」には、
「烏瑟(うしつ)の綠(みどり)は天(そら)にこい」と記されていますが、
「こい」は聖者の方言で、「こえ」の方がよろしいのでしょうね。
聖きみくにを突きぬけた、如来様の無見頂相のこと。」
(これは、杉田善孝上人の貴重なご教示。)

このことと関連したものとして、
冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』には、
次の2点が記されています。

◇「「烏瑟(うしつ)」とは、如来様の御頭の髪である。これが天よりも高い。」
◇「如来様の本当のお姿は、釈尊のように成仏しないと拝めない。
池に映った月が霊応身であり、それに対して本当のお姿を真身という。」


○「如来様のお顔の丈だけでも一丈ばかりありましょうかね」

恍惚として聖者のお話を伺っていた憲栄青年の心に、

「聖者が今仰せられている、如来様のみすがたというのは、
幻のようにおみえになっておられるのではなかろうか。」
との疑念がふと起こった時、間髪を入れず、

「幻覚ではありませんよ。
この世のすがたがみえておって、そこに、如来様が拝めているならば、
それは幻覚といえないこともないでしょう。
しかし、如来様が拝めている時は、
この世界のすがたが見えていない」


と、突然、聖者は仰せられました。

田中木叉上人は、

「乱れざる一心凝りて
感性も理性も眠り 光る霊性」

と、『じひの華つみうた』に、詠っておられます。

○憲栄青年は、聖者に随行され、
「三昧状態」と「三昧発得」とを明確に区別すべきと気づかれ、
「三昧発得」とは、
一時的な、瞬間的な「三昧状態」のことではなく、
常時不断、自由自在な境地のことである、と。

これは、非常に重要な指摘だと思われます。

○「今になって思いますと、
如来様を拝まなければ(見仏すること)ならぬということはありません。
たとえ見仏することが出来なくとも、
如来様のお慈悲が喜べて、有難く念仏することが出来ればよろしい」

と、弁栄聖者が突然、憲栄青年に仰られた。

聖者ご指導の元、一生懸命念仏に励んでいても、なかなか見仏できず、
劣等意識を持ち始めていた時のこと、
憲栄青年は、この聖者のお話はとてもありがたく、
救われたような気持ちになられたそうです。

一方、
聖者は身近の者には、
常に「見仏を所期とせよ」
と仰られていたそうです。

弁栄聖者の最晩年に随行された鈴木憲栄上人は、
弁栄聖者の想い出として、
晩年に、両方を併記されています。

この点に、留意すべきかと思われます。


【田中木叉上人・弁栄聖者・笹本戒浄上人のお墓】

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以前は、松山市の他の箇所にあったようですが、
こちらに移されたようです。

また、戒浄上人を尊崇され、同上人とも因縁の深かった垣本都夫人の分骨は、
戒浄上人のお墓に埋葬されたとのこと。


【長建寺】

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佐々木為興上人のご自坊、
広島県二廿市市の「潮音寺」には、
学信上人のお墓がありましたが、
ここ「長建寺」で、学信上人のお墓に出会い、
何か、学信上人との不思議なご縁を感じました。

また、同市「大林寺」の第十四代住職は、
伊予奇談伝説の「墓で生まれた学信和尚」。

【十五世 学信上人のお墓】

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【ロシア兵墓地】

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ロシア兵捕虜は、松山では概ね厚遇であったようです。

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弁栄聖者の御晩年には、
日露戦争などもありましたが、
聖者は、浄土宗内の組織的な関わりを始め、
政治的な事柄からは、生涯に渡り、距離を置かれていたように思われます。

「宗教と政治、組織との関わり」は、永遠の課題
と云い得るほどの難題の一つではありますが、
浄土宗内では、
椎尾弁匡上人の社会運動「共生運動」が起こりました。

ある時、信者の方が、
「弁栄上人のような御方こそ、政治家になっていただきたい。」
と懇願された際に、

「私は、もっと大きな仕事をしていますから。」
とお応えになっておられます。

弁栄聖者のご真意を推し量ることは困難ですが、

「念仏三昧に依り「大ミオヤの四大智慧」を蒙り、
「三身四智の仏眼を体得」してこそ、初めて、
政治の根幹をなす「八正道」を実行することが、可能となる。」


との弁栄聖者の御信念であったとご拝察いたします。

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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