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2018-02-13

「念仏の択法は主義上の重大問題ですから、壁に向かって一人言云ってでも、曲げてはなりません。」(笹本戒浄上人の垣本都夫人へのご教示)


前回記事にしましたが、
笹本戒浄上人のご薫陶を受けられた垣本都夫人。

戒浄上人と垣本夫人に関わる逸話において、
主義上欠かすことのできない極めて重要なエピソードがあります。

以下、『笹本戒浄上人伝』によります。

 2018021201.jpg
【笹本戒浄上人(64歳) 昭和12年3月 松山大林寺】

垣本夫人が某教授と「念仏択法」について議論となり、
随分と苦労されていた折、
昭和12年、笹本戒浄上人御来松時、
無問自説に、

「念仏の択法は主義上の重大問題ですから、
幾ら迫害を受けましても、又誰も聞いてくれる者がありませんでも、
壁に向かって一人言云ってでも、主義上の大切な問題
です。
曲げてはなりません。
若し此の点を妥協するなら雑草の如き宗教の数多き中に
光明主義として態々説き出す必要はありません。」
と厳然として仰せられました。

戒浄上人の堅固な護法精神を象徴する逸話です。

また、
(橋本徳冏氏)
 「浄土宗内では、まだ光明主義は異安心であるとか、
見仏は異安心だ、などという人もありますが・・・」

(戒浄上人)
 「そのようでございますな。
しかし、それは卑怯というものです。
浄土宗はすべからず法廷を開くべきです。
そのとき私は法廷に立ちます。
その結果、光明主義・見仏がいけないというなら、
あなた方こそ法然上人の真精神を壊すものだ、
あなた方こそ浄土宗を出ていらっしゃい、と申します。」

と、断固お答えになった。

弁栄聖者の直弟子の中で、
「念仏の択法」すなわち「起行の用心」について、
笹本戒浄上人ほどこの点を強調されたお方はなかったと思われます。


戒浄上人ご遷化の7年程前の、
昭和5年1月に、
宗乗の統一を計る前に協議をとの意図で、
浄土宗務所主催の「布教要義研究会」(「信仰会議」)が開催されました。
会議の詳細について明らかにはされなかったようです。

主だった出席者を記します(敬称略)と、
桑門秀我、望月信亨、矢吹慶輝、岩井智海、渡辺海旭、
笹本戒浄、藤本浄本、熊野宗純、土屋観道、
椎尾弁匡。


出席者からみても、
浄土宗務局からの「光明主義」、「真生主義」と「共生会」の検証、
といった意味合いが濃厚であったようで、
「昭和の大原談義」とも評されていたようです。

この会議について、
「宗務当局はよいことを言ってくれた。」
と戒浄上人は言われたそうですが、
また同時に、
「ひょっとすると今回私は
お寺から出て行かなければならなくなるかもしれません」

と慶運寺総代宅へ行かれ、ご挨拶をされたそうです。


『教学週報』掲載の会議の「申合せ事項」のうち、

「宗乗闡明の根本精神としては宗祖を中心とし
教化の基準を一枚起請文に置くこと」


との項目があり、そのことについて、
戒浄上人は、大谷仙界上人宛の書簡で、

「この申合せ事項」の内に、公表せざる申合せがあり、
それは、
「布教の基準を一枚起請文となすこと、
但しその説明は自由たるべき事
との但し書があったとのことです。

この但し書は、
光明会側での同志討ちを避け、
光明会側の意志の統一をはかられた
とのことです。
(註 当時光明会内では、藤本浄本上人の”安心往生派”
笹本戒浄上人の”見仏成仏派”との軋轢があったようです。)

なお、
主務所側の渡辺海旭博士の対応について、
「大変度量の大きい方だ」と戒浄上人はほめれておられたようです。

また、望月信亨博士は、
「笹本先生は悟りにおいて当代の第一人者だ」
と側近の教え子に洩らされた。(岸覚勇氏談)

ただし、
これにて一件落着といったはずはなく、

後に、
岩井智海大僧正は、ご在任中、
光明会総監であった笹本戒浄上人に、
「質ねたい儀があるから祖山にくるように」との呼び出しがあり、
その時、浄土宗全書第十巻(第二祖鎮西上人の著作所収)を持参され、
その典拠を指摘しながら光明主義の説明をされた。
その時特に何も申されず、そのまま対面は終わったとのこと。

かくて、
浄土宗当局の光明主義に対する態度は明確にされないまま、
現在に至っている
ようです。

以上、 「信仰会議について」『笹本戒浄上人伝』より。


「見仏」を巡る批判、議論は、
弁栄聖者の御在世中、御遷化後も、
浄土宗内は云うに及ばず光明会内でも、
現在に至っても統一されていない最大の懸案事項かと思われます。

「念仏の択法は主義上の重大問題ですから、
幾ら迫害を受けましても、又誰も聞いてくれる者がありませんでも、
壁に向かって一人言云ってでも、主義上の大切な問題
です。
曲げてはなりません。」

”偏狭な堅い信念”とも受け取られかねない、この笹本戒浄上人の堅い信念
この妥協を許さぬ信念はどこから来るのか、その由来を考えてみる必要があるかと思われます。

それは、弁栄聖者がご唱導された見仏観は、
「三身四智の仏眼」を体得され、
それを歴史上、外部に漏らされた聖者のご内証による、
大宇宙の真相、すなわち、超在一神的汎神に基づく仏身観に依るものであったことに由来すると推察されます。

すなわち、
弁栄聖者の修道論である見仏論は、
仏身論から必然的に導かれたものである故に、
笹本戒浄上人は、その真精神を「直線道」と名づけらたと推察されます。

ただし、ここで留意すべき点があり、
「直線道」とは、主として修道論におけるものであり、
「度生論」におけるものでは必ずしもない。
この区別は峻別すべきであると思われます。

また、
この両面が自然に行え得るのは、
三身四智の仏眼を体得された弁栄聖者のような、
「大ミオヤのお世継ぎ」の境界においてである点です。


弁栄聖者が三昧直観された、
大宇宙の真相、すなわち、超在一神的汎神たる仏身観とは、
通仏教の無始無終の無相「法身」に規定された、
相対的な有始無終の「報身」ではなく、
「報身」無始無終であり、
大宇宙全一の絶対的現象態(妙身相好身本より在します)
三身即一の本有無作(無始無終)の内的目的論的報身を「大ミオヤ」
如来観を定義し直しされました。

なお、笹本戒浄上人に依りますと、
この仏身観は、三身四智の仏眼の境界において、
初めて認識可能となる大宇宙の真相
であるとのことです。

弁栄聖者独自の「見仏論」ご首唱の真意
笹本戒浄上人の「直線道」の深意は、
上述の光明主義独自の仏身論解釈、理解を経て、
初めて認識可能となるものと思われます。

また、修道論上、極めて重要なことは、
大宇宙全一の絶対無規定、絶対的現象態たる「報身」が、
大宇宙の絶対中心であるという点です。

この中心とは、場所的、重心的な中心という意味ではなく、
機能的中心という意味であり、
修道論上は、各自の「真正面」となります。

河波昌(定)東洋大学名誉教授、元光明会上首、元光明園園主は、
西田幾多郎博士の思想を引用され、

「無限円においては、至る処が中心である。」

という認識を大変気に入られたようで、ご法話、論文等にもよく引用されました。

なお、この言葉は、
中世のフランシスコ会修道士のボナヴェントゥラのもの。


  2018021202.jpg
【田中木叉(モクシャ)上人(1884年~1974年)】

最後に、
弁栄聖者三十三回忌(昭和27 1952年)における、
田中木叉上人のご法話の抜粋(大意)を記します。

「光明主義は、聖浄二門を納め統一したみ教えであって
浄土宗の内に光明主義があるのではなく、
光明主義の内に、
浄土宗あり、真宗あり、禅宗あり、真言宗あり、
またキリスト教あり、マホメット教がある。

従ってバイブルによって光明主義を説くこともできれば、
真宗の教えによって光明主義を説くことできる。

弁栄聖者は実に破邪顕正ではなく、破邪なき顕正であった。
一切のものにそれではいけないこれが正しい、
というように破邪をおやりにならず、
常に一切を生かされた。
一宗を建てられた方々は、たいてい法難に会っておられるが、
聖者は法難にお会いにならなかった。
法難にも会わないようなものは、本物ではないが、
また、法難に会うようではまだ円満とはいえない。
聖者は実に円満具足のお方で、
破邪なき顕正で在したればこそ、
法難等にもお会いにならなかった
のである。

光明主義は、万教を摂し統一したみ教えであり、
万教に通ずるみ教えであるから、
一切あるがままにおいて
その教えに従って光明主義の教えを説くことができるのである。

またこれらの意味において
浄土宗その他の宗団に所属しない光明主義の教会及び
これらを包括する包括団体ができよう
し、
またこれができたとしても、別の分派ができたと思って驚いてはいけない。
また、対立してはならない。
同じように円満に手をつないでゆかねばならないのである。」
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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