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2018-01-01

愛媛県松山市「大林寺 第二十四世 大嶋玄瑞上人」と「松山光明会」


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前回の記事のお寺は、
同松山市内の「浄土宗 浄福寺」で、
大嶋玄瑞上人が、弁栄聖者に真の意味でご邂逅されたお寺。

今回は、大嶋玄瑞上人のお寺で、
旧 伊予松山藩主久松家菩提寺の「大林寺」

学信上人は、大林寺第十二代住職。

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この「浄土宗 大林寺」の文字は、
山本空外上人の筆になるものと思われます。

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「大林寺」は、
戦前と戦後で、雰囲気が大きく変わっているようです。

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大嶋玄瑞上人は、弁栄聖者との御邂逅を、
「盲亀の浮木に逢う如く」に喜ばれたとのこと。

 
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右側に行くと奥には、
旧 伊予松山藩主久松家のお墓。

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  【大嶋玄瑞上人(1883年~1978年)】

大嶋玄瑞上人と弁栄聖者との直接のご縁は、
大正9年6月~大正9年10月
伊予松山「浄福寺」と、広島「心行寺」と京都「知恩院勢至堂」での、
わずか3回のみ
 ※ 弁栄聖者の御遷化は、大正9年12月。

大嶋上人と弁栄聖者との真のご邂逅が、
伊予松山「浄福寺」であったのですが、
そこで、聖者への「全身全霊の信が確立」したのではなく、
「弁栄聖者への信が確りと芽生えた」といった段階であったと推察されます。


大正9年10月、京都「知恩院勢至堂」における、
大嶋玄瑞上人と弁栄聖者との興味深い逸話があります。

知恩院勢至堂にて、京都光明会主催の別時が開催されました。
導師は、弁栄聖者でした。

大嶋上人は、どうしても聖者のお別時に就きたくて、
最終布教先の信州長野から京都へと急ぎ向われました。

京都に着き、
大嶋上人が、弁栄聖者にご挨拶されますと、

「大嶋さん、信州の布教が無事にお済みなさいましたな。」
と聖者が仰っられたので、
大嶋上人は度肝を抜かれました

といいますのも、
大嶋上人は、弁栄聖者のお別時に就くために、
3週間ほどの布教先での御法話を少しずつ縮めて、
予定よりも日程を短縮できました。
そこで、本山へは報告をせずに
急ぎ、信州長野から京都に向ったのでした。

弁栄聖者の直弟子方は各々、
聖者の「三身四智の仏眼」に依る霊(法)力をまざまざと体験され、
そのことも、「弁栄聖者への信」を深める大きな要因になっていることが、
ハッキリと解ります。

大嶋上人が体験されたのは、
弁栄聖者の三身四智の仏眼、その「大円鏡智」の働きであったわけです。

弁栄聖者への信を深められた大嶋玄瑞上人は、
聖者ご遷化後、昭和3~4年から5年かけて
弁栄聖者の御遺稿(『ミオヤの光』、『人生の帰趣』、『無辺光』)等を熟読され、
また、笹本戒浄上人はじめ聖者直弟子方のご法話等もご参考にされながら、
「光明主義教学」を研究され、
「光明主義の六大特長」を決択されました。

「光明主義の特長」とは、
弁栄聖者によって開顕された「大宇宙(自然界と心霊界)の真相」
といった意味です。

六つの内容、項目は、次のとおり。

一、 十二光
二、 三十七道品
三、 縁起実相を統一調和せる王三昧ー弥陀三昧
四、 念仏の初発心より見仏して成仏、
無限に向上さして戴く終りまで信念の変更を要せず
五、 無明
六、 主観客観いづれに偏(カタヨル)してもタンパンカン


この「光明主義の六大特長」は、
『笹本戒浄上人全集』が出版された昭和50年代の前半頃まで、
光明会内で流布されていたようで、

笹本戒浄上人は、
「正にそのとおりであり、間違っているところはない。」
とお認めになられたそうです。

ただし、続けて、
戒浄上人の直弟子、泉虎一氏に、
「あの六大特長は、
光明主義の特長の全部を厳密に述べたものではない。
後日、補完するように。」
と御遺言(託)されたとのことです。


現在では、
泉虎一氏、杉田善孝上人等、笹本戒浄上人の弟子方に依って、
『光明主義玄義(ワイド版)』の最後に、
「光明主義の主要特徴」として、
一往「十三項目の特徴」として補完されていますので、
是非、お読みになってご確認ください。


大嶋上人の思い出話の中で、
示唆に富み、印象深い逸話が、
まだ幾つかありますので、記しておきたいと思います。

○ 【弁栄聖者の大嶋玄瑞上人へのご教示】

 ・ 「我(弁栄)は、釈尊がお説き残しの法を説く。」

 ・ 【筑波山での念仏三昧発得偈】について
   (明治十五年、弁栄聖者二十四歳時)

「弥陀身心遍法界
 衆生念仏仏還念
 一心専念能所亡
 果満覚王独了々」


この「念仏三昧発得偈」の内実について、
弁栄聖者は、笹本戒浄上人と大嶋玄瑞上人に自内証を漏らされたようですが、
その内容について、泉虎一氏と杉田善孝上人のお二人が協力してまとめられています。
とても貴重なものですので、少し長くなりますが記します。

「念に応じて
お顔の丈が一丈五尺位の如来様のお姿がお現われになるが、
初めは私共が互いに向いあって
相手のお方のお顔を見ているのと同じ状態から、
間もなく向きをかえて、如来様と弁栄聖者が一つになって、
自分で自分の姿を見るようになり、お姿を念じ始めてから、
無限の大宇宙なお入るるに狭しとする
大天大地を貫く大御姿とお成りになる。
念じ始めてから大宇宙を貫く大身の御姿を
しかと見奉るようになるまでの時間は、およそ五分間。
(但しこれは聖者の三昧直観による時間であって、
均質的連続としての物理学的時間とは
根本的に区別されるべきである)」。



○ 【大嶋上人の「弁栄聖者観」、「笹本戒浄上人観」】

弁栄聖者の在家の直弟子、京都帝国大学工学部講師、
中井常次郎(弁常居士)氏が、笹本戒浄上人の講演の後、

「いったい笹本上人は弁栄上人に比べたら、
夜這星(よばいぼし)と恒星との区別があります。」

と言われたことがあったそうです。

その時、戒浄上人は、
「いや、恐ろしいことで。
夜這星と恒星と比較して頂くほどでももったいない」

と言われ、ニコニコしておられたそうです。

この逸話の年代が知りたいところですが、
それはそれとして、この逸話がとても興味深いのは、
中井常次郎氏と笹本戒浄上人の人柄の特徴がよく表れていると思われる点です。

中井常次郎氏は、科学者であり、
「真理の前には、誰もが皆平等である。」との信念があったのでしょうか、
また、”直言居士”の面目躍如。

一方の笹本戒浄上人は、
弁栄聖者ご在世当時から、
とても謙虚な人格者との評判の高かったお方。

戒浄上人のこのご発言、ご対応は、
内心の怒りを抑制され、謙虚と思われる”大人の対応”をされたのではなく、
戒浄上人は、心底からそう思ってのごく自然な対応であったと推察されます。

「弁栄聖者を仏様」として心底拝めておられた戒浄上人です。

”桁違いに格の違う人物”に対しては、
人は、競争心(嫉妬)などいだかぬものであり、

その様な人物には、
無私になって接した方が、かえって、自分がより活きる、
といった逆説が生じるものではないでしょうか?

「私の一生は、砂浜で美しい貝殻を拾って喜んでいる子どものようなものだった。
真理の大海は目の前に未知のまま広がっている。」


ニュートンの言葉であったように記憶していますが、

”絶対的な智慧”に対する、
”相対的な理性”の健全な在り方(態度)であるように思われます。


そこを、法然上人は、『一枚起請文』の中で、
「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」
とご教示されておられます。


「笹本上人もそれはご立派であったが、
笹本上人は、一世紀一世紀の時代に出られる聖者で、
弁栄上人は、千年刻みに出られる聖者です。」



大嶋玄瑞上人の晩年における、
「弁栄聖者観」と「笹本戒浄上人観」。



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左側に行き直ぐ右側に、大嶋玄瑞上人のお墓


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【法名 本蓮社正僧正達誉上人性阿無三湛然玄瑞老和尚
大林寺第廿四世】


大嶋玄瑞上人のご西化は、昭和53年。
世寿95歳

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大嶋玄瑞上人、垣本都氏が中心となって、
「松山光明会」が発足、発展していったようです。

笹本戒浄上人、熊野宗純上人 藤本浄本上人
大谷仙界上人中川察道上人等、
弁栄聖者の直弟子方によって、お別時が開催されていたようです。

なお、
大林寺は、「松山光明会」発足当時、
旧制松山高等学校の仮宿舎であったため、生徒への影響が大きく、
後の光明会に大きな影響を与えた方々が多数輩出されました。
主だった方々のお名前を記しますと、

 川本正良氏(松山高等学校ドイツ語教授、俳人(雅号臥風)、松山光明会員)
 垣本都氏(松山光明会の育ての親)
 山本空外上人(光明修養会元上首)
 岡本薫氏(神奈川県相模原 光明学園学長)
 泉虎一氏(笹本戒浄上人の直弟子)
 蛯名寿家夫氏(月照寮同人、
『真実の自己』(笹本戒浄上人述)を英訳する会代表)

※ 「松山光明会」の現在の活動状況等については、
残念ながら、不明です。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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