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2017-10-01

佐々木為興上人の弁栄聖者との邂逅を巡って・・・


弁栄聖者の最晩年に聖者に邂逅され、聖者のご遷化まで随行された佐々木為興上人だけありまして、
為興上人の聖者の逸話には、とても有益で示唆に富み、かつ興味深いものが多いです。

今回は、前回、前々回に引き続き、為興上人の弁栄聖者の想い出と、
”弁栄聖者の法然上人観”を中心に記します。

○ 広島県広島市中区白鳥「心行寺 第十五代住職」佐々木為興上人と弁栄聖者

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ここ心行寺は、熊野宗純上人が弁栄聖者に初めて値遇されたところ。
熊野上人は、当時浄土宗布教界の第一人者と言われ、
笹本戒浄上人のあと、全国光明会連合会の二代目総監

更に、このお寺で、後、信州松本光明会の生み育ての親、
多田助一郎氏の妹が聖者に遇われ、大変感激され、
弁栄聖者に是非会われるよう、兄である助一郎氏に強く勧められたご縁により、
信州上諏訪「正願寺」で、聖者と結縁されました。

風光明媚な信州鉢伏山での別時(現在閉鎖)の開催、継続は、
多田助一郎氏のご尽力による賜物でした。
藤本浄本上人も導師としてご教化にあたられました。
また、そこには、浄本上人と椎尾弁匡博士の石碑も建っています。


”ご縁”の不思議さ、有難さを、大切さを感じます。


○ 広島県二廿市市「潮音寺」 第34世住職 佐々木為興上人と弁栄聖者

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「潮音寺」は、弁栄聖者が「念仏三十七道品」を講説されたお寺。

「念仏三十七道品」の内容は、詳しくは、
弁栄聖者光明体系の『難思光・無称光・超日月光』に記されています。
なお、この御遺稿の発行は昭和39年で、佐々木為興上人ご西化後であり、
『佐々木為興上人遺文集 藤堂俊章編』には、
為興上人の「念仏三十七道品」に関するご法話が収録されています。


(注) 書籍のご購入は、「光明会本部聖堂」で販売されています。
「岐阜光明会」のHPには、PDF化されアップされています。
更には、『弁栄聖者の光明体系』等が、PDF化されています。

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この「念仏三十七道品」関連のご法話でのことであったと記憶していますが、

「弁栄聖者は、”分かったようで、分からん”という説かれ方をされている。
これは、達人ならではの文章です。」

といった趣旨を、杉田善孝上人がご教示されたことがありました。

当時、”禅の悟りマニュアル”といった類の本が出回ったことがあったそうです。

聖者のこの独特の説かれ方は、
一つには、この類の”あんちょこ(虎の巻)”防止といったご配慮から。

”冷暖自知”故に、言葉では説き尽せず
実際の霊育過程は、個々区々であり、定まった道はなく
霊幾過程に関する固定観念(先入観)を植え付けないため
といったご配慮によるほか、
 ”全く分からん”では、”我この道を行く”といった気概が削がれ
また、あまりに巧みに説かれていると、
頭で分かったつもりになってしまい、
真の奥義に到達する前に修行が停滞することを未然に防ぐ
といったご配慮もあったかと推察いたします。

ただし、成仏への霊育過程には、道標(みちしるべ)は不可欠で、
未知の領域へ踏み入む場合には先達の導きが欠かせず、
「徒手空拳」は、甚だ難行苦行であり、効果も少なく、
時に、危険さえ伴う
と思われます。


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【佐々木為興上人(1888年~1955年) 世寿67歳】
法名:「安蓮社正僧正禅誉上人法阿実禅為興大和尚」


話は変わりますが、
佐々木為興上人に弁栄聖者へのご縁をつけられた恩人大谷仙界上人と共に、
聖者に随行され始めたのは、大正8年7月からのこと。
聖者の御遷化は、大正9年12月

聖光(鎮西)上人が法然上人に邂逅されたのが、
法然上人が65歳、聖光(鎮西)上人36歳
聖光(鎮西)上人は6年間、法然上人のもとで生活を共にされます。
法然上人が66歳で”三昧発得”され、
それからも宗教体験が深まり、円熟期を迎えられた時期にあたります。

弁栄聖者と佐々木為興上人の関係も、まさに聖者の円熟期。
為興上人には、その当時十分に咀嚼できなかった部分もきっとあったと思われます。
しかし、為興上人の弁栄聖者随行録は、この上なく貴重な資料。

今回の記事の主題の一つ、
「弁榮聖者の法然上人観」は、
聖者の講述書である『宗祖の皮髄』においてかなりの程度うかがい知ることができます。
※ 『宗祖の皮髄』は、現在入手可能なものとして、
主に「一般財団法人 光明会」と「光明会本部聖堂」から販売されているものと、
『法然上人の神髄 (現代語訳「山崎弁栄講述 ──『宗祖の皮髄』」) 谷慈義訳 河波定昌 (監修) があります。
「一般財団法人 光明会」のものは、
初版本(笹本戒浄上人の御本)のコピー藤堂恭俊博士による解説の他、
藤堂俊英氏の註記、江島孝導氏の資料探訪記等の記載もあり、研究資料としても有益だと思われます。


聖者は、『宗祖の皮髄』において、法然上人の崇高なご霊格に着目され、

「宗祖の法語には、心行の様を示したまえども、
起行の用心については深く沙汰したまわず。」
と明言され、

法然上人のご霊格(自内証、ご境界)の形成上不可欠な要因を、
「起行の用心にあり」
と喝破され、
法然上人の自内証の真髄と起行の用心の内実を、
伝統的な浄土宗乗の定説である『選択集』と『一枚起請文』には置かず、
法然上人の『ご道詠』と『三昧発得記』にある
着眼しておられます。

弁栄聖者が浄土宗から”異安心(異端者)”扱いされたのは、
この聖者の”法然上人観”にあったと思われます。

『宗祖の皮髄』は、光明主義上とても重要な書であり、
「弁栄聖者なきあと、光明主義は、この書を基にして教義を理解していく」、
といった話し合いがもたれたほどのものです。

ところが、この『宗祖の皮髄』のご講述においては、
法然上人のご道詠十首の内、7首を講演され、
残りの3首は他日に期せれらました。

この点は、この『宗祖の皮髄』の書を通し、”弁栄聖者の法然上人観”を考察する際には、
十分留意すべきかと思われます。

この点に関連することとして、
最晩年の聖者に随行された青年(のち弁護士)の柴武三氏へのご教示は、
とても示唆に富むと思われますので、記しておきたいと思います。


○(『宗祖の皮髄』京都の一音社発行の本を、弁栄聖者が柴武三氏に下された時に添えられた一言)
「これは知恩院で僧侶の方々に説いた話をまとめたものですが、
この話は宗祖(法然上人)の御真意のあるところを少しでも明かそうとして、
宗祖が光明主義であらせられた処を述べたものであります。
しかし、これで光明主義が充分説き明かされたと云うのではないけれども、
その一端を知るには役立つと思いますから、参考のためにお読みなさい。」

○ 「宗祖(法然上人)の御真意(宗祖が実修され実地体験されながら、お説きになっていない処)を顕彰しようと思って、
皆さんにその証拠ともなるべき文献を示そうとして随分捜しましたが、
方便済度の御言葉のみ多く御真意のある処がなかなか見当らないで、ほんとうに苦労致しました。」(弁栄聖者談)



この『宗祖の皮髄』の初版本は、大正5年12月

聖者の時代から、法然上人に関する文献学上の研究も相当進んでいると思われますが、

特に注目すべきは、
大正6年に京都醍醐寺三宝院の宝蔵で発見された、
醍醐本「法然上人伝記」所収の『三昧発得記』。
翌大正7年に、望月信亨博士が論文に発表され、
法然研究の第一級の資料となったもの。

なお、この醍醐本「法然上人伝記」こは、
「悪人正機説」が親鸞聖人の師法然上人のお言葉であることが明記されていることでも画期的な発見であったはずのもの。

ただし、この法然上人の「三昧発得」の記録は、
法然上人66歳から74歳までの9年間のみ
法然上人のご遷化は、80歳


「法然上人は三昧発得の聖者だが、
『三昧発得記』に現われている其の位は、上品中生の位だ。」
(弁栄聖者の佐々木為興上人へのご教示)



弁栄聖者は、藤本浄本上人に、
「光明主義は善導法然の真意を現したものである」とご教示され、
浄本上人は、
「内証の円満し給へる(弁栄)上人は、
定めて三昧境中に、高祖や宗祖に直参して仰せられたことと思います」

とご述懐されています。
なお、藤本浄本上人は、浄土宗の勧学

笹本戒浄上人は、
「善導法然の真意」を、
「(文字としては明記されていない)善導大師法然上人の最晩年、三身四智の仏眼のご境界(自内証、認識)」と。

法然上人の「三昧発得記」に記録されていない75歳からご遷化の80歳までの文献学上の発見が待ち望まれます。

なお、『御臨終日記』には、
「この十余年、常に極楽や仏菩薩の姿を拝してきた」
と法然上人は、今まで秘しておられたご内証の一端をお弟子方に語られました。


なお、藤本浄彦氏(浄土宗総合研究所長、佛教大学名誉教授、西蓮寺住職)は、
藤本浄本上人の孫にあたる御方ですが、
法然上人の『逆修説法』・『三昧発得記』の重要性に着目され、
浄土宗乗の伝統、文献学的見地にも十分配慮され、
法然上人の念仏は、あくまでも「往生のための行業」であると注意喚起をされながらも、
法然上人の念仏三昧発得体験(自内証)を、
”口称念仏の継続”による、不求自得の三昧発得の聖境
と捉えられ、
伝統的な浄土宗乗上踏み込んだ”法然上人観”をご提示されています。
【参照】 藤本浄彦著『法然浄土宗学論究』平楽寺書店

特に、法然上人、浄土宗にご縁、ご関心のある方には、是非、ご一読をお勧めいたします。


ところで、
弁栄聖者の読書態度、その在り様に関し、
「眼光紙背に徹しておられた」と笹本戒浄上人はご述懐、ご感嘆されています。

ある時、戒浄上人が、
『大原談義聞書鈔』について、
古来真偽問題が種々論じられているようですが、
と弁栄聖者に申し上げられたところ、

「聖法然でなければ言うことのできない御言葉が載っている。」
と、文献学上の真偽そのものには直接にはお触れにならずにお答えになったとのことです。


また、弁栄聖者の御遺稿集としてあまり知られていないご著書に、
『啓示の恩寵 阿弥陀経』(弁栄聖者光明体系 智慧光 巻下(開示悟入))という本があります。
戦後間もなく物資の不足している時代に、
田中木叉上人が大変ご苦労され出版されたもので、
紙質が粗悪なため、原書の保存状態がよくなかった本でしたが、
(以前、図書館で手に取った時に、保存状態からこの原書は貸出禁止にした方がよいとさえ思いました)
平成24年12月に、聖堂から補正版が出版されました。

この書について、田中木叉上人は、
「『阿弥陀経』の真理を、お釈迦様以来始めて、弁栄聖者により言われた真理がある。
他の菩薩が教えて下さらなった真理が、弁栄聖者により始めて喝破された」と。

(『田中木叉上人御法話聴書』 冨川 茂 筆記)

なお、このことを裏付ける弁栄聖者のお言葉があります。
「上人 「われはじき六十歳になる。早く三部経を訳さねばならない。
三種に分類して直訳、新訳、新新訳として各信者に分たねばならない。
それには山居して着手するつもりだ。」
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』


また、柴武三氏へは、
「聖者は、前から数か月ほど暇をつくって少し纏まった著述をしたいと仰言っていました。
柴武三氏:「何頁くらいの本になるのですか。」
弁栄聖者:「四百頁ぐらいの本が四冊程です。
無辺光の四大智慧に関するものを書きたい。それを読みなさい。」
これが、弁栄聖者の柴武三氏との最後の言葉となったようです。

※ ご参考までに、岐阜光明会のHPには、
『無辺光』の項目には、田中木叉上人編纂の弁栄聖者の御遺稿のものと、
それを基にした、昭和44年(1969年)発行の講談社版
数学者岡潔博士の「まえがき  無辺光と人類」もPDF化されています。


弁栄聖者一切経を読破されたのは、二十代の半ば頃でしたが、
それは、聖者が筑波山で三昧発得された後であったことに留意する必要があります。
※ 笹本戒浄上人によりますと、
その当時の三昧発得のご境界は、
仏眼でも、「開・示・悟・入」の悟の中程度とのこと。
釈尊のご境界は、入の位、三身四智の仏眼
その究極である認識的一切智
※ 仏眼にも深浅あり

「私は聖典に依て演繹的に説くのでない、帰納的に説いている」
とは、聖者の戒浄上人へのご教示。

弁栄聖者の「一切経読破」とは、正に”心(身)読”というべきもので、
自内証の自己検証、確認作業といった意味合いもあったかと推察されます。


少し横道に逸れますが、
弁栄聖者は、何故か、弘法大師空海を彷彿とさせます。

空海の二十代の修行期間は謎に包まれ、
また、恵果阿闍梨と空海との邂逅の有様(短期間での真言密教の奥義直伝)は、
伝説に包まれている部分があるとはいえ、
若かりし空海が真言密教の奥義を、”既に会得”していればこそだと思えるからです。


大変長くなり申し訳ございませんが、
最後に、ご参考として、記しておきたいことがあります。

弁栄聖者の「五種正行」の御解釈について。

「五種正行」 「行トハ霊的生活の糧」について  

一 読誦正行 「経ハ教祖自カラノ所験、心霊界二誘導」
二 観察正行 「瞑想観念シテ霊的理性ヲ開発ス」
三 礼拝正行 「身口意共二献ゲテ仏力ヲ被ル」
四 称名行   「通ジテ生仏合一、別シテ三義(請求・感謝・咨嗟」
五 讃嘆供養正行
  「(イ)讃嘆 仏徳ヲ讃美シテ如来中ニ逍遥ス」
  「(ロ)供養 我が身ヲ献ゲテ奉仕スルヲ第一ノ供養トス


伝統的浄土宗乗では、
四 称名を正定行とし、
他の、一 読誦正行、二 観察正行、三 礼拝正行、五 讃嘆供養正行を、
前三後一は助業で、正定行の称名念仏を助ける業と捉えていますが、
    
「そうみてはいけない。
此れは何れも正行である。正しき糧である、正しき行である
・・・正行だから、何れを修しても往生できる
だから この助業は、念仏の助業ではない
往生の助業である。往生を助ける業だと解さねばならぬ
善導大師の御著述をよく見れば、確かに此の事が分る。」
『佐々木為興上人遺文集  藤堂俊章編』


次のことも、是非とも記しておきたいと思います。

「橋本徳冏氏が、笹本上人よりうけたまわった話によると、
笹本上人は常に言っておられた。
「弁栄聖者は法然上人の皮も髄もあらわして下さった。」

(『田中木叉上人御法話聴書』 冨川 茂 筆記)

「光明主義は法然浄土宗(法然上人の真精神、髄)。
法然浄土宗と伝統宗乗の浄土宗とを混同してはならない。」(田中木叉上人)

また、
「浄土宗と光明主義とを、同じものあるいは違うものと捉えるのは、間違いである。
”連続の非連続、非連続の連続”、”伝統即創造、創造即伝統”と捉えるべきである。」

(平成28年ご西化 河波定昌 元光明会上首、元光明園園主)
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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