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2017-01-29

【追記】福岡県エリア、弁榮聖者御遺跡等探訪の際のご参考として


【北九州市若松 善念寺】

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大正2年9月、
波多野諦道上人の自坊、若松善念寺で、 弁栄聖者の送別会が催され、
それが、波多野上人と聖者との今生でのお別れとなりました。
大正4年7月、波多野上人西化。

その後、弁栄聖者は、幾度か九州入りされご伝道されていますが、
ごく短期間です。


【北九州市若松 安養寺】

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「若松教会」の右脇の小道をのぼって行きます。
道が狭いので、車でお出での場合には、ご注意を。

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波多野上人西化後は、
若松での弁栄聖者の活動拠点は、
「善念寺」から「安養寺」に移ったようです。
当時の「安養寺」住職、西山賢道上人の存在が大きかったようです。

そして、今生での、九州の地での弁栄聖者のご伝道は、
大正9年7月、安養寺でのお別時が最後となりました。

そのお別時に参加され、聖者を見送られた、
宮川粂次郎氏(大谷仙界上人の姉婿)の、
とても印象的な、聖者の逸話を記しておきたいと思います。

「(弁栄)上人のお念仏される時の様子は、
初めまともに木魚を叩いてられるが暫くすると、
木魚の上をバイでなでられるかと思うと、畳の上を叩いたりしていました。

私共では上人の心境を窺うことはできませんが、
多分木魚を叩いて称名することにより、
憶念に意を注がれる三昧に這入っていられたのだろうと思うようになりました。

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また、若松「安養寺」は、
芥川賞作家、火野葦平氏ゆかりのお寺でもあり、
『花と龍』に登場しているようです。

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【火野葦平記念館】

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「若松教会」の通り、教会から直ぐ、1~2分の場所にあります。

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【豊前博多 善導寺】

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長い白壁が目印。現代的な造り。

「豊前博多 善導寺」

最近リニューアルされたようです。

開基は、鎮西上人で、1212年。
1212年は、奇しくも、法然上人入寂の年。

『善導寺縁起』によりますと、
善導大師の霊夢によるお導きが基になっているようです。

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【博多区東公園 「日蓮聖人銅像」と「亀山上皇銅像」】

「日蓮聖人銅像」

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正面には、福岡県警察本部が、
付近には福岡県庁があります。

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とても大きな銅像ですが、
東大寺の大仏、鎌倉の大仏につぎ、
日本で三番目に大きい銅像とのこと。

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「日蓮聖人銅像」の完成は、明治37年。

この制作を引き受けたのは、岡倉天心氏

岡倉天心氏は、特に美術の分野で知られ、
『茶の本』でも知られていますが、
宗教に対する深い理解を示されていたことは、

若松英輔著『岡倉天心『茶の本』を読む』 (岩波現代文庫)で、
説かれており、大変興味深いことに、本書において、
「霊性の次元」における、岡倉天心氏と弁栄聖者との関係に触れておられます。


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【東郷平八郎胸像】は、意外な気がしましたが、
東郷氏は篤い法華信者でもあったようで、
日露戦争の日本海戦での戦勝のお礼の報告に、お参りされたようです。

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東郷平八郎氏といえば、

司馬遼太郎著『坂の上の雲』において、
とても印象的な記述がされています。

「佐藤が戦後、海軍大学校の教官をしていたとき、
梨羽時起という海軍少将があそびにきて、

「佐藤、どうしてあんなに勝ったのだろうか」

と、梨羽はかれ自身実戦に参加しているくせにそれがふしぎでならないようなことをいった。

「六分どおり運でしょう」と、佐藤はいった。

「しかしあとの四分は何だろう」と問いかさねた。

佐藤は、 「それも運でしょう」といった。

梨羽は笑い出して、
「六分も運、四分も運ならみな運ではないか」というと、

佐藤は、「前の六分は本当の運です、
しかしあとの四分は人間の力で開いた運です、」といった。

ただ佐藤はこの説明のつかない「六分の運」について海軍大学校の講義で、

「東郷長官はふしぎなほど運のいい人であった。」と。

「戦いというのは主将を選ぶのが大切である。
妙なことをいうようだが、主将がいかに天才でも運のわるい人ではどうにもならない。」
と述べたことが残っている。

「もしこの海戦において勝利をもたらして無数の人間のなかでただ一人の名をあげよといえば、
この海域にいない山本権兵衛であったであろう。
かれは、閑職にいて予備役を待つばかりの境涯にいた東郷を抜擢し、
明治帝がおどろいてその理由をきくと、

「東郷は運のいい男ですから」と、答えた。

山本は、
歴史を決定するものが、
佐藤の言う「四分の運」のほかに「六分の運」があるという機微
を、
それ自体異様なことだが、知っていたのである。」

”東郷平八郎観”を借りた、
司馬遼太郎氏の”人間観”・”人生観”ですが、
とても含蓄があり、印象深く記憶に残っています。


”運”というと、仏教的とはいえないと顔をしかめられそうですが、
”宗教的教義を抜きに、人生を達観”された方々には、
やはり、人生におけるこの”運”としか言いようのない、
”人生の不可思議な働き・作用”を認めざるをえないと認識されている方が多いという印象があります。


東郷平八郎氏には、”仏の御加護”もあったのかもしれません。

「仏の御加護「、「現世利益」というと眉をひそめる方もおられるかもしれませんが、
「現世利益」は、もちろん新興宗教のみのものではなく、

「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難」
(「四誓偈」『無量寿経』)


と、浄土教において極めて重要な『無量寿経』というお経にも、確りと説かれています。

弁栄聖者も”十二光中”
特に、 『清浄光・歓喜光・智慧光・不断光』において、
如来光明の化益を、当時の科学的知見も取り入れて、具体的に説かれています。

弁栄聖者ご高弟のお一人田中木叉上人は、
「念仏は、心・身体・魂・霊性・身の上に働く。」
と強調されています。


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熊野好月様曰く
「聖者の前かがみの後姿は博多の東公園に建立してある日蓮上人の銅像の後姿とよく似ておられた」と。

(吉松喜久造編『辨栄聖者御写真帖』)

好月氏が、後姿に着目されたことを興味深く思います。

後ろ姿は、取り繕うことが困難で、
その人となりが計らずも現われ易いかとも思われます。

この日蓮聖人銅像の肩は丸みを帯びていて、意外な気もしたのですが、
法然上人の肖像画は肩が丸みを帯びていたと記憶しています。

最晩年の弁栄聖者に随行されていた熊野好月氏が、
日蓮上人の後ろ姿に聖者の前かがみの後姿を重ねられたのは、
あるいは、跡見学園の創設者、跡見花蹊氏の影響もあるかもしれません。

花蹊氏は、好月氏の師匠ともいえる方で、
竹内喜太郎氏のお導きによって、
笹本戒浄上人、田中木叉上人をとおして、光明主義に出逢われましたが、
それ以前は、熱心な法華信者でありました。

光明主義に出逢われ、熱心な念仏信者となりました。

念仏の功積り、とうとう、大正12年に如来様にお逢いになられた境地を、

「いともいとも大いなるかな天地に みち足らひたる大みすがたの」
と詠われています。

また、
山本空外上人は、法華信者の紀野一義氏に、

「辨榮聖者の信心は、一から十まで法華経に基づいておるのですよ」

と語れたようです。

その根拠、空外上人の真意は計り難いところですが、
とても気になる内容です。

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。
名に迷ふて真理を失うなかれ。
若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。
又大乗非仏説の如きは今の所論にあらず。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)



弁栄聖者は、如来様を「大ミオヤ」と呼ばれましたが、
「一切衆生は 皆 これ吾が子なり」(『法華経 譬喩品 第三』)
と対応しますし、


南無智慧光佛
 
 如来智慧の光明に  我等が無明は照らされて
 佛の智見開示して
 如来の真理悟入(まことさとら)るれ」
(弁栄聖者『如来光明礼拝儀』)
は、『法華経 方便品 第二』に対応していますし、


『如来光明礼拝儀』は、
浄土教系の聖典とされる『無量寿経』の「如来光明歎徳章」を中心に作成されていますが、
初期の『礼拝儀』には、
『法華経壽量品』が併説されていました。


また、弁栄聖者の「三身即一の仏身観」は、
従来の浄土教系の経典からのみでは導き出すのは難しく、
『法華経』、『真言密教経典』、『キリスト教義』等との関連究明が、
今後待たれます。

もちろん、弁栄聖者にあっては、
ご自身の甚深なる三昧証入によって直観された仏身(神)観を表現するために、
帰納的に、経典等を引用された点は、忘れてはならない重要な点かと思われます。


↓ 「元寇資料館」は、通常閉館されているようですが、
  売店でお願いすると、入曜日、時間によって、入館できるようです。

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【亀山上皇銅像】

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東公園に、建っています。

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【大宰府天満宮】

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大宰府は、対外防衛の拠点でありました。
元寇後は、再襲来に備え、鎮西探題として、博多に移ったようです。

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豊後久留米 【坂本繁二郎記念館】

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JR久留米駅から、徒歩10分程度。

岡潔博士が、最も、親近感を覚え敬愛したと思われる画家。

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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