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2016-07-03

福岡県北九州市、若松「善念寺」 第十七世 波多野諦道上人


 28062601.jpg  28062602.jpg

目印は、若松区役所

若戸大橋が近くをとおっています。

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その区役所の付近、若松本町郵便局の目前に、

浄土宗「善念寺」は、あります。

 28062605.jpg

久留米の善導寺にて、二祖鎮西上人から、三祖良忠上人が、
1237年に、浄土宗の法灯を継承され、
四十八願になぞらえ、四十八ヶ寺建立の誓願を立てられ、
若松の浜にも立ち寄られ、
この地を仏縁の地として草庵を結んだことが始まりとされています。

 28062606.jpg

  28062607.jpg  28062608.jpg

 28062609.jpg  28062610.jpg

今の本堂は、
明治39年に、第17世實誉諦道上人時代に建て替えられたもの。


     28062613.jpg
                     
      弁栄聖者    波多野聖善上人   
     波多野諦道上人   
          大谷仙界上人

波多野諦道上人(1870(明治3)年~1915(大正4)年)に関しては、
資料がとても乏しく、
光明会に詳しい方でも、上人のお名前と上人に関する若干の逸話を知る程度のようですので、
諦道上人の雰囲気を知る手立てとして、
ご参考までに、珍しい写真をアップします。

波多野諦道上人に関しては、
田中木叉著『日本の光』が最も詳しい情報源ですが、

明治四十五年四月に、
筑後善導寺貫主、広安真随僧正のご招待により、
弁栄聖者が九州に初入りされて以来、
数ヶ月ほどが経った、7月20日頃、

偶然の用事で、波多野諦道上人が善導寺を訪れ、
そこで、聖者にお逢いなり、篤く帰依され、

「他の用事は捨て置き、
聖者に願いまず筑前各地に聖者を紹介してお伴をして歩くようになった。」


この一見偶然とも思われるご邂逅は、
その後の光明会の発展上からも、極めて重要な出逢いでもありました。

『日本の光』の著者田中木叉上人は、
木叉上人ご自身と聖者との邂逅を取り持たれた、
大恩人のお一人でもある波多野諦道上人
と、弁栄聖者との値遇を、

「鎮西第一の法の器が、
器を求めて筑紫路にはるばるくだった上人に値遇した。
そしてひとり九州のみならず、波紋はそれからそれと大きくつたわる、
光明教海に投ぜられた一石となった。」

と、やや控えめに記されています。


一方、山本空外編著『辨栄上人書簡集』
「辨栄上人(1859-1920)の御略伝と御在世中の印行の全著作」において、

「その原動力になったと考えられるのは、
若松(現北九州市)善念寺の波多野諦導師がその筑後善導寺において
辨栄上人に帰依なされるにいたったこと
である。
その後同師の教界指導的人格が上人御教化の点火を積極的に進め得た詳細については、
わたくしが親交を得た筑前楠橋専福寺丹波円浄師などから御生前に拝承した。」

※ 空外上人は貴重な情報を直接関係者から得ておられるようですが、
残念ながら、同書において記されていません。

     28062614.jpg

  ○     ○     ○    弁栄聖者
   ○○○ 波多野諦道上人  丹波円浄上人


この波多野諦道上人の写真は、
”脱俗の”諦道上人らしい雰囲気をよく表しているように思われます。

この写真には、大変珍しく、
諦道上人から聖者の面倒を見るように頼まれ、
最初とても渋っていましたが、後、聖者の信奉者となった、
専福寺住職丹波円浄上人が写っています。


     28062615.jpg

   大谷仙界上人  弁栄聖者   波多野聖善上人

ひょっとしますと、
波多野聖善上人とは、波多野諦道上人の間違いではないか、
と思われた方がおられたかもしれませんが、

間違いではありません。

波多野聖善上人は、
波多野諦道上人の、齢が離れた異母兄弟。

また、この写真からも連想される興味深い逸話があります。

波多野諦道上人は、その頃、福岡教務所長でもあり、
いまだ伝統宗乗の理解の枠で、宗祖法然上人を理解されていたため、
当時弁栄聖者が異安心視されていたことに対し、
若干の疑念を払拭し切れてはいませんでした。

そこで、兄弟である聖善師を大谷仙界上人のお伴として、
聖者の言動を見張る”お目付け役”として、付き添わせていたとの逸話が伝わっています。

しばらくして、誤解は解けたようでしたが、

実は、
諦道上人は、聖善上人に”短刀”を渡され

「弁栄上人が異安心であることがハッキリしたら、
弁栄上人を刺し、お前もそれで自害せよ!」


と命じていたとの物騒な逸話も伝わっています。


一方、大谷仙界上人のご随行は、波多野諦道上人の命によるもので、
聖者の身の周りのお世話と上人ご本人の伝道上の修練のためであったとのこと。

自坊をしばらくの間離れることを心配され、
当時、諦道上人ほどには信を置いていなかった聖者にご随行されることを躊躇されていた仙界上人に対し、

「あてはないが、どうにもならぬ時になれば、どうにかなる」。
との諦道上人の言によって、

「ついに心を決して大正2年9月より1ヶ年2ヶ月の間、
常侍して各国をお伴することになった。」


     28062611.jpg

波多野諦道上人の単独のお墓は、見当たりませんでした。

     28062612.jpg
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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