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2015-12-07

『近代の念仏聖者 山崎弁栄』(佐々木有一著 春秋社)を読む(その6)


     20151206.jpg
    
『近代の念仏聖者 山崎弁栄』(佐々木有一著 春秋社)

目次
序 章 信仰の皮肉と骨髄
第一章 光明主義と山崎弁栄
第二章 光明主義の七不思議
第三章 大ミオヤの発見
第四章 四大智慧の真実
第五章 無礙の恩寵
総 結 光明主義の正法・像法を期す


これまでの記事は、
(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)、と本書を読んできました。

今回は、
「総 結 光明主義の正法・像法を期す」と、
今までの記事の補足に関する内容です。


「笹本戒浄上人は、昭和3年(55歳)の頃には、
「仏眼については、「まだ経験していないが、想像はできる」旨洩らされたが、
昭和4年春には上記のお言葉は出さぬようになった
そして、昭和8年から9年にかけて(60歳から61歳)仏眼について次第に明了に
昭和10年(62歳)から具体的に明了にご説示されるようになった」

杉田善孝上人のご述懐であったと記憶していますが、
本書を読みながら、ふと、思い出しました。


唐突に思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、
この戒浄上人に関する杉田上人のご述懐は、
とても重要な内容を含んでいるように思われ、印象深く記憶に残っています。


「わかるとは、何か。」
と云う極めて重要な根源的な問いを含んでいます。


これは、如来「四大智慧」の働きですが、
更に、興味深く、重要な内容が含まれています。

「知らないはずのことを、既に、知っている。」

といった、真に不思議な、興味深い「智の働き」です。


本書の著者、佐々木氏の場合には、
「念仏実践」としては、「五根五力の成就」と「七覚支の択法覚支」への「思惟」が中心のように思われますが、
その「思惟」等を手がかりとし、また、論理的思考及び比較思想等の研究成果を駆使された、
「弁栄聖者の仏身論及び十二光」の論考、
といった体裁がとられており、
このことが、「求道者 佐々木有一」氏の面目躍如たる、
「本書の最大の特徴」のように思われます。

佐々木氏は、この点、極めて自覚的であられ、

「正しい念仏の相続のみがその門を開く宝鑰(宝の鍵)であると信じます。」

と、その「正しい念仏の相続」のための「起行の用心」、
すなわち、念仏の真髄とも要諦とも云い得る
「般舟三昧の行法の復活」に関し、
「「弁栄教学」の根拠を検証し、提示すること」
ご自身の「最大の使命」と自己規定されておられるように思われます。


ここで、ご留意していただきいたいことがあります。

「本書は、いわゆる学術書ではない」
と、以前ご指摘しました。

その意味は、
「本書は、「文献学的考証」のみの本ではない」ということです。

著者である佐々木有一氏は、
「日課念仏」をされている。
と、この点も何回かご指摘してきました。

本書は、内容的にも高度で、難解でもあり、
「学解」が全面に出ていますが、内実は、
「「学解」のみでは、本書のような内容の書は書けない。」というのが、
本書の「隠し味」となっているようにも思われます。


また、河波昌先生が特に強調される、
弁栄聖者が直弟子の大谷仙界上人に差し上げられたと伝えられている『お慈悲のたより』
すなわち、

「すべてを大ミオヤに御任せ申し上げて常に大ミオヤを念じ
大ミオヤはいつも離れずあなたの真正面に在まして
慈悲の面をむけて母の子をおもうごとくまします。
あなたは其れのみをおもうて専らにして・・・」


「起行の用心」として、
佐々木氏は、とても大切にされ、実践しておられるようです。


なお、
「「凡てを大ミオヤに、おまかせ申し上げる」という気持は
よほど発達してからでないと出来ん。」
(『田中木叉上人御法話聴書』冨川茂 筆記)


とは、田中木叉上人の肌理細やかな、ご親切で真にありがたいご教示。


ここで、留意すべき点は、
佐々木氏は、「起行の用心」を、弁栄聖者のこのご指南に置かれつつも、
「念仏実践修道」の「具体的なご指南」に関しては、
多くを、笹本戒浄上人に求められているご様子がうかがえることです。

このことは、「求道者 佐々木有一」氏の、
真摯な「弁栄教学の精読体験」と、「日課念仏」によるものと思われますが、
また同時に、「大ミオヤからの自発的な能動的な働きかけ」を感じます。

と云いますのも、
佐々木氏が学恩を受けておられるという河波昌先生の著書等は、
とても示唆に富む内容の論考等が多いのですが、
笹本戒浄上人のような「具体的かつ詳細な念仏実践へのご指南」は少ないように思われるからです。

また、杉田善孝上人泉虎一氏、能美寿作氏他、
戒浄上人の直弟子達が書き残されたもの、
「弁栄聖者から戒浄上人への口伝」の内容についての言及も、
ほとんど見受けられません。

このことは、山本空外上人河波(定)昌先生に共通する、
「弁栄教学に対する研究態度」の特徴の一つでもありますが、
おそらく、「経典に書かれていないことには、慎重にならざるをえない」
と云う「学者としての立場」もあろうかと思われます。

「(光明主義)念仏実践」及び「弁栄教学の精髄」を学ぼうとする場合には、
両者の立場からのアプローチが有益かと思われます。


「私は聖典に依て演繹的に説くのではない、帰納的に説いている。」
(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)



「弁栄教学の真髄を理解するため」には、
「弁栄聖者への信」または、
「弁栄聖者の笹本戒浄上人への口伝への信」 
が不可欠となる。

「弁栄教学」を学ぼうとされる方への「試金石」となるように思われます。


「本書で、佐々木氏は、幾つかのタブーに果敢に挑まれておられる。」
と、既に書きました。

佐々木有一氏にそれが可能であったのは、

○真理追及の学究の徒であり、
ご自身で捉えられた真理を伝えたいという切なる想いが強いこと。
○光明会に出逢われたのが十数年前であったこと。(最後の世代交代の時期であったこと)
○河波昌先生のご指導を光明園で受けられておられるようであること。
(河波昌氏は田中木叉上人の弟子筋にあたり、比較宗教思想・哲学の学者であり、かつ、念仏行者であられること)
○「在家」であり、浄土宗の僧侶ではないこと。
○御齢、七十歳台の後半(浮世とのしがらみからかなり自由)であること。 

思いつくままに記しましたが、以上掲げた点が推察されます。


「弁栄聖者を信奉する組織」は、それぞれ、組織としては小さな集団ですが、
それでも、幾つかの系列があります。
詳細に関しては、後日記事にしたいと考えていますが、

比較的大きな団体としては、
○「一般財団法人光明会」に属する系列
○「光明会本部聖堂」に属する系列
○「観智院」
○その他、弁栄聖者を信奉される小規模の会等

特に、「光明会内の暗黙のタブー」としては、
これらの組織の横の繋がりの希薄さがあり、

佐々木有一氏のこの書は、
これらの組織間を「架橋する」試みの一つだとも受け取れます。


特に、兵庫県芦屋聖堂出版の、
『笹本戒浄上人全集』『弁栄聖者 光明主義注解』
に、佐々木氏が、注目され始めておられる点にも、留意していただきたく存じます。

ただし、佐々木氏は、意図的にそうされようとしてこられたわけではなく、
「弁栄聖者の御教えの真髄」を追及されてきた結果
自ずと開かれてきた道程、といった点が重要かと思われます。

光明会本部聖堂の系譜に属していない光明会員が、
これほどまでに、笹本戒浄上人への関心と理解を示されている方は、極めて稀だと思われます。


また、佐々木氏は、本書執筆の動機を「あとがきー有力無名」で、
平成二十二年十月に、岐阜で開催された山崎弁栄展と、
その記念シンポジウムでの記念講演での若松英輔氏の発言にあった、
と記されています。

※ 岐阜県岐阜市には、
若松英輔氏が館長である「一般財団法人 山崎弁栄記念館」があります。
 そのシンポジウムの際の「山崎弁栄図録」は、こちらで購入できます。


先ず、『近代の念仏聖者 山崎弁栄』の表紙の写真に注意を惹かれました
聖者の御写真としては珍しいものだったからでもあり、
この点から、著者の意図の一端を汲み取ろうと努めました。

「わたしどもは光明主義の遠い未来から眺めて
初期光明主義の時代にあると覚悟する責任があります。
尖兵として後代への使命を背負っています。」


佐々木氏の気概が感じられる言葉ですが、
岡潔博士の聖者観を思い出しました。

若松氏は、佐々木氏同様、岡潔博士の随筆等によって、弁栄聖者を知られたようです。

その岡潔博士の聖者観には鋭い観点が含まれています。

「私は、この方の御写真を見ていると、
どうしても達磨大師に見えてきます。」(岡潔著『曙』)


岡博士が、聖者のどの写真を見られていたかはわかりませんが、
本書表紙の御写真ではなかったと推察しますが、
聖者を「達磨大師」「意の人」と捉えられる方は比較的少ないかもしれませんが、
確かに、聖者にはそのような厳しさがおありだったようにも思われます。

岡潔博士は、ご自身を典型的「日本人」として自己規定されており、
典型的「日本人」の系譜として、
「道元禅師→松尾芭蕉→夏目漱石→岡潔」
と捉えておられますが、
留意すべきことに、そこには、弁栄聖者の御名前がありません

岡博士は、聖者を「情」よりも「意」の人と捉えておられていたようです。

岡潔研究者の第一人者としては、高瀬正仁氏が知られていますが、
最近注目されている岡潔研究家でもある森田真生氏のご関心は、
今のところ、この「日本人としての系譜」にあるようで、
残念なことに、岡潔博士の尊崇された弁栄聖者にはほとんど触れられていません

最近、森田氏の処女作『数学する身体』が出版され、
岡潔博士への深い敬愛の情と理解を示されています。


もう一点、是非付け加えたいことがあります。

若松氏もご指摘のように、
弁栄聖者は、宗教思想、宗教哲学的にも、傑出した「宗教思想家」でもありましたが、
やはり、何といっても、傑出した「宗教家」に徹しておられました。

弁栄聖者の「宗教家としての一面」を知った者は、
「尊崇の念」と同時に、
「我々とはありにもかけ離れた弁栄聖者の無我の仏作仏行」に、
戸惑いを覚えられるかと思われます。

この点には、いまだに忸怩たる思いが若干はありますが、
「弁栄聖者のイメージを描く手助けとなる」弁栄聖者の逸話等をご紹介することには、
ある種の意味があるのではないかと思えるようになっています。

ミラクルボディの身体能力を持つスーパースターと呼ばれるスポーツ選手の運動能力を、
熱心に観戦している子供達の身体能力が高まる傾向があるようです。

脳科学的知見としては、「ミラーニューロン」の発見に興味を惹かれます。

また、古武術研究家の甲野善紀氏の研究成果も、
真に興味深い知見に満ちています。
文献のみからの身体的な技術、技法(秘術)の再発見が如何に困難であるか
その困難さの過程から「古武術の技が再発見される過程」に教えられることが多いです。


「目標、理想とする、模倣したい、
具体的な生き生きとした「モデル、イメージ」が目の前に現存していること。」


この点は、極めて重要なことであり、


「弁栄聖者に直接邂逅された方々が、出家・在家を問わず、
信を深められ、信仰が深まっていかれた方が多くおられた事実」

に佐々木氏は、真に的確にも注目されておられます。


~耳寄り情報を一つ~
佐々木氏の勉強会が、東京練馬の「光明園」で行われている、
と風の便りで聞いています。
関東近辺の方で、ご関心のある方には、貴重な機会かと思われます。


最後に、本書を出版された佐々木有一氏の勇気と決断と労苦に対し、
深く謝意を表します。

また、推測の域を出ないことですが、
もしも、十数年前に、佐々木氏が、河波昌先生以外の光明会の指導者の方に出逢っておられたら、
本書は出来ていなかったかもしれません。
当時の佐々木氏の教学的疑問等には応え得ず、
佐々木氏は、早々に光明会から離れていったと思えてならないからです。
この河波昌先生との不思議なご縁に、感謝の念を覚えます。


佐々木有一氏の「弁栄聖者論」の第二弾、
「念仏三十七道品」
特に、『智慧光』、『無称光』の更なる詳細な研究成果を切に期待しています。
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テーマ : 宗教・信仰
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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