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2015-11-09

『近代の念仏聖者 山崎弁栄』(佐々木有一著 春秋社)を読む(その2)


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『近代の念仏聖者 山崎弁栄』(佐々木有一著 春秋社)

目次
序 章 信仰の皮肉と骨髄
第一章 光明主義と山崎弁栄
第二章 光明主義の七不思議
第三章 大ミオヤの発見
第四章 四大智慧の真実
第五章 無礙の恩寵
総 結 光明主義の正法・像法を期す


前回は、本書の内容のご紹介に入る前に、
気づいたことを5点ほどふれましたが、
今回は、本書の内容に関してです。


「私は聖典に依て演繹的に説くのでない、帰納的に説いている。」
(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)


ご自身の「教学研究」と「念仏体験」を通した、
「弁栄教学への深い共鳴とそれにも基づく弁栄聖者への深信」が、
著者である佐々木有一氏には、貫かれています。

一見、理詰めで難解な本書からは意外に思われるかもしれませんが、
著者である佐々木氏が切に求めているものは、
人仏との「見仏」により、必然的に勃発する「仰信」であるのかもしれません。


弁栄聖者のご生誕時期とご生誕地に関する、
佐々木氏の着眼点が示唆に富んでいます。

聖者のご生誕時期については、

「偶然にも日本開国条約の翌年に誕生(1959年) 」
(田中木叉上人著『日本の光』)

「開闢以来の世界において唯だ一つある。
東西古今の合体したこの明治の日本に
上人出世の一面の意義はここにある
慈悲門に輝く上人の智慧門に、ついに科学実証の結論と、
三昧実証の体験とがまさに合一大成した。」(田中木叉上人遺文集)


弁栄聖者のご生誕地については、

「江戸時代から明治にかけては大河利根川の水運に恵まれていて外に開かれた土地柄で、
経済的にも豊かなうえに各種の情報や世相の動きが早く伝わる地域であった
ということが見逃せないと思います。」
「・・・西洋からの新知識の吸収に意欲的な人達がこの地にかなり住んでいたと思われます。」
と、佐々木氏は指摘されています。

聖者のご生家からほどなく、明治十五頃に建てられた手賀教会に大変な興味を示され、
氏は、東京御茶ノ水のニコライ堂にまで調査に行かれています。

「弁栄聖者とキリスト教との関係」は、極めて重要な着眼点ですが、
とりわけ、東方教会との教義、信仰の在り方は今後の研究課題かと思われます。

本書の成立にも大いに刺激ともなっていると思われる、
評論家でもある若松英輔氏の師でもあったカトッリク神父の井上洋治氏は、
生前、東方教会の教義にも大いなる関心を示されて、
また、法然上人への篤き想いを寄せられていました。

後者に関しては、
手賀沼の向う岸には「大正期 我孫子白樺派」の人達、特に注目すべきは、
若松氏が大いなる関心を寄せられ、
『目の眼』という雑誌に連載中の柳宗悦氏が暮らしていました。


前回でもふれましたが、
佐々木氏は、本書で幾つかの「タブー」に果敢に挑まれています。

○「光明会の人ほど祖師の遺稿を読まない者はない。」
以前、聞いたことがある伝聞です。

弁栄聖者の本が難しいこともあるとは思われますが、

○「仏道修行は、言境に非ず、行境にある。」

○「念仏為先」
○「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」(法然上人の御法語)

という信条が根底にあり、
「行」と「学」を比較した場合、「教学」を軽視する傾向があるのかもしれません。

佐々木氏は、もちろん、「行の重要さ」を認識されていますが、
弁栄聖者の教学研究を通して
「信の確立における「教学」の重要性」にも着目されるようになったと思われます。

憶測を許されれば、
佐々木氏は、ご自身の役割を、むしろ、「教学」の普及に置かれておられるように思われます。
佐々木氏の教学上の究明と推測に関しては、矜持と自負が感じられる箇所が見受けられます。

一方、念仏実践に関するご指南等に関しては、弁栄聖者は当然ですが、
より具体的なご指南に対して、笹本戒浄上人と田中木叉上人からの引用が数多く眼をひきます。

これらの点に、著者である佐々木氏の篤き求道性と学究への関心の深さを感じますが、
氏が学恩を被られている河波昌先生の存在も大きいように思われます。

光明会史上、特に、弁栄聖者百回忌を数年後に控えたこの時期に、
本書のような類の著書が出版されたことは、画期的であり、重要な意義を強く感じます。

といっても、
本書が「光明主義教学の研究書の決定版」という意味ではありませんが、
今後の光明主義研究においては、必ずや、この労作の著作の恩恵を被るものと確信いたします。


○「光明会内での「見仏」を巡る解釈について」

この問題は、本書でも詳しく記されており、
「中川弘道上人の弁栄聖者への質問状」がよく知られていますが、
実に現在に至るまでの、光明会内での骨絡みの大問題で、

「弁栄上人の業たい。」と言われた方もあったようです。

「見仏」を巡る解釈は、大別しますと、
「狭義見仏主義」「光明生活(広義見仏)の重視」の二つの捉え方があり、

「狭義見仏主義」は、
笹本戒浄上人を信奉する芦屋聖堂の系列に属する方々に共有された信念であり、

「光明生活(広義見仏)の重視」は、
藤本浄本上人を始め、光明主義に理解がある浄土宗の僧侶方に比較的に多いような印象を受けます。
後者の系譜に属すると思われる山本空外上人は、
念仏による「命のおかげ」を深く生きられた稀有な念仏行者であられました。


佐々木有一氏ご自身、在家で、経済界で働かれた元ビジネスマンでもあり、
光明会、浄土宗との関係から比較的自由であられる立場もある関係からか、
この光明会内での大問題に対して、この点を真正面から言及されており、
佐々木有一氏の真っ正直な「求道性」と「覚悟」を強く感じます。

佐々木氏自身は、
大乗仏教に一貫する「船舟三昧の行法を再発見された」
弁栄聖者のこの側面の意義を高く評価されており、

念仏の行法は、実際には「狭義見仏」に親近感があるようにも見受けられますが、
決して「憶念」に特化した強調ではなく、「声」の役割も重視されておられます。

現時点の佐々木氏は、
善導大師の「念声是一」
に解決策、統合策の方向性を示唆されておられるようです。

この大問題に関しては、よく読むと、
著者である佐々木氏自身も揺れていることが感じられます。

この骨絡みの大問題は、
弁栄聖者における御境界の方においてのみ、
解決可能なものである
ようにも思われます。


ただし、次の点は、よくよく認識しておいた方がよさそうに思えます。

「仏身仏土論と実践修道論は分離したものではない」
との杉田善孝上人のご指摘です。

笹本戒浄上人の「狭義見仏」の強調は、
一見、戒浄上人の頑なさ、偏狭さと感じられる方もおられるかもしれませんが、
実は、決してそうではなく、
弁栄聖者の三身四智の仏眼の御境界による認識

「無始無終、本有無作の三身即一の広義の報身大ミオヤには、
もとより御姿在まします。」


「大ミオヤの仏身観」から必然的に導かれた「実践修道」なのです。

ただし、ここで認識されている「大ミオヤの御姿」とは、
衆生のような「固定相」ではなく、
「有相即無相、無相即有相」の「一即一切の重々無尽の御姿」に在します


心霊差別現象を認識する出世間の三昧の眼(機能)である、
「法眼」における「霊応身」の御顕現に関しては、
「各人の衆生の信念に応じた(報いた)」、「霊応身の差別相」を顕現されます。

報身の「成所作智」に依る「啓示の恩寵」です。

ただし、今述べてきたのは、「実践修道論」上のことであり、

「衆生済度」の面からは、別の観点が求められるように思われます。

「衆生済度」、つまり、「度生論」上からは、
「直線道」(「実践修道論」における笹本戒浄上人の命名)は、ありえません。


「実践修道論」と「度生論」における認識上の誤解があるように見受けられます。

「応病与薬」の「対機説法」の力量が発揮できるのは、
「仏眼においてである」との杉田善孝上人のご教示は、肝に銘じる必要があります。

「見仏」を巡っての解釈には、
「実践修道論」と「度生論」の両側面から、よくよく考えて対応していく必要
があるように思われます。

「見仏」を巡っての解決は、
弁栄聖者における御境界の方においてのみ解決可能なものである
と先ほど言いました理由はこのためです。


佐々木氏ご自身の日課念仏、そして、論理的思考及び比較思想等の研究成果を駆使された、
「弁栄聖者の仏身論及び十二光」への論考は、
とても生き生きとしていて、示唆に富んでおり、刺激的でもあり、
「求道者 佐々木有一」氏の面目躍如であるように思われます。

今回の佐々木氏の著作には、
光明主義上、あまりにも重要な観点、指摘が数多く盛り込まれているため、
今回も、氏の弁栄教学解釈のご紹介にはたどり着けませんでした。

次回としたいと思います。
ご了承願います。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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