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2015-03-08

弁栄聖者の東京遊学時代にゆかりのお寺巡り


今回の記事は、主として、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に依っています。

今回記事にするにあたり、
弁栄聖者の東京遊学時代にゆかりのお寺を巡り、
それらを整理しながら、見えてきたことがあります。

徳川家康は、念仏行者でありましたので、
江戸時代は、浄土宗と徳川家との関係が深く、
浄土宗の養成機関としては、「関東十八檀林」が知られており、
浄土宗以外でも、「檀林」のような養成機関があって、
現在そこを訪づれても、往時の雰囲気を感じとることができます。

弁栄聖者の宗派宗教を包超した宗教体験の深さ、広さは、
聖者の宗教的資質に依る(釈尊への憧憬が強かった)とは思われますが、
江戸時代から明治時代の仏教各宗派の養成機関の在り方も、
影響しているようにも思われました。

弁栄教学の宗教哲学的基盤には、華厳哲学があるように思われます。
弁栄聖者の宗教体験においても、また、然り。

弁栄教学の理解には、弁栄聖者光明体系『無量光寿』『無辺光』が必読書かと思われますが、

現在、井筒俊彦全集が発刊されており、
最近発刊の『井筒俊彦著作集第9巻 コスモスとアンチコスモス  1985年-1989年』
所収の「事事無礙・理理無礙―存在解体のあと」は、とても参考になると思われます。


また、現代の各宗派宗教の養成機関の在り方、
関東大震災といった自然災害、第二次世界大戦といった人災、
災害の影響、時の経過による風化といったものにも、想いをいたしました。


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明治十二年十一月以来、
千葉県小金東漸寺での弁栄聖者の御修行の様子を大谷大康老師はご覧になり、

「もはや我が膝下に止むべきではないと思い、
すみやかに帝都一流の学者の門をたたいてこの法器を磨かせんとて、
明治十四年正月から、上京させることになった。」

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』

この当時から、

「仏法は学解にあらず、三昧実証にあり」

と、弁栄聖者の「常の方針」は一貫されておられました。

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東京遊学時の寄宿先は、
浄土宗の芝増上寺、時宗の浅草日輪寺、真言宗の田端東覚寺


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東京芝の増上寺(浄土宗)で、
傳通院主、大谷了胤老師から、
『往生論註』、『唯識論述記』、『倶舎論』その他を聴講されました。

大谷良胤氏は、
「ロシア大司教ニコライに請われるままに仏典の講義を行った。」
(藤堂恭俊『弁栄聖者』)

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関東十八檀林の一つ、増上寺とも縁の深い小石川傳通院
こちらも徳川家と大変縁の深いお寺。

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浄土宗第七祖了誉聖冏(しょうげい)上人が開山。

聖冏上人当時の浄土宗は、「寓宗」、「附庸宗」などと呼ばれ、
未だ独立した宗として認められてはいなかったようです。
その状況を嘆かれた聖冏上人は、
宗義の相承に五重相伝の法を定め、伝法制度を確立し、
現在の浄土宗の基礎を築いた、と云われています。

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浄土宗の芝増上寺の次の寄宿先、 時宗の浅草日輪寺

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時宗檀林、浅草日輪寺は、
浅草ビューホテルの隣り。

浅草日輪寺(時宗)では、
卍山(かずやま)実弁老師から、『原人論』、『起信論』等の講義を聴講し、
次第に『首楞厳経』等をきわめられました。

浅草と云えば、
弁栄聖者が東京留錫の時、一室を本拠とされた浅草誓願寺
戦災で焼失。

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時宗の浅草日輪寺の次の寄宿先、真言宗の田端東覚寺から数百mほどの距離にある、
東京田端真言宗の与楽寺

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ここ田端、真言宗の与楽寺で、
弁栄聖者は、密教を学ばれた、
と伝えられています。

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時宗の浅草日輪寺の次の寄宿先、
田端真言宗の東覚寺

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広瀬堅信氏。

弁栄聖者の御生家の近く、 真言宗豊山派「善竜寺」 。
聖者が御幼少年期に、仏画などを教わったお寺。
そこで教えて下った方が、広瀬堅信氏。

「後、東京田端の東覚寺に住し、又真言宗一派の管長となられ、一生親交があった。」

と、田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に記されています。

田端東覚寺寄宿の頃の、弁栄聖者の御修行の在り様、御境界の一端。

「愚衲、昔、二十三歳ばかりの時にもっぱら念仏三昧を修しぬ
身はせわしなく、事に従うも意こころは暫らくも弥陀を捨てず、
道歩めども道あるを覚えず、路傍に人あれども人あるを知らず、
三千界中、唯だ心眼の前に仏あるのみ。」


三千界中、唯だ心眼の前に仏あるのみ

この極めて重要な箇所を、

「三千界中、心眼の前に唯だ仏あるのみ」

笹本戒浄上人は、「唯だ」の位置をわざわざかえて、
弁栄聖者の念仏三昧における意識の強調点

「念弥陀三昧」

を、明確にされておられます。


「予、かつて華厳の法界観門に由って、一心法界三昧を修す。
行住坐臥つねに観心止まず。
ある時は行くに天地万物の一切の現象は悉く
一心法界の中に隠没し、宇宙を尽くして唯一大観念のみなるを観ず。
また一日道灌山に座禅して文殊般若をよみ,
心如虚空無所在の文に至って、
心虚空界に周遍して、内に非ず、外に非ず、中間に非ず、法界一相に真理を会してのち、
心常に法界に一にせるは是平生の心念とはなれり
之すなわち宗教の信仰に所謂、光明遍照中の自己なり
大円鏡中の自己なりと信ず。」

弁栄聖者は、寄宿先でも学友との議論には加わらず
「ひとり眼を仏書にさらしつつも心を三昧に凝らして念仏する方が主」であり、
信解行証の道程をひたすら歩まれたため、
学友からは、愚鈍の者とみられることもあったようです。


この頃、既に、弁栄聖者は、華厳の「法界観」を成就

真空に偏することなく

「本堂ができた、本尊様を迎えねばならぬ」

と、なお一層念仏三昧精進に専念されました。

「本堂ができた」とは、大ミオヤとの形式における致一
「本尊を迎える」とは、大ミオヤの内容との融即

形式と内容相まって、成仏

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東京駒込の曹洞宗の旃檀林吉祥寺

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関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」(現、駒澤大学の前身)。

駒込吉祥寺学林で、卍山(かずやま)老師の『華厳五教章』を聴講されました。


田端の東覚寺から、駒込の吉祥寺までは、徒歩で、およそ半里(2km)ほど。

「後二十四の時東京駒込の吉祥寺学林に於いて
卍山上人の五教章の聴講に列なりし時
田端の東覚寺に寄宿して吉祥寺に通う往復にも
口に称名を唱え意(こころ)に専ら弥陀の聖容を想ひ専ら神(こころ)を凝しけるに
一旦蕩念(とうねん)として曠廓(こうかく)極まりなきを覚え、
其時に弥陀の霊相を感じ、慈悲の眸(まなじり)丹花の唇等、
其の霊容を想ふ時身心融液にして不思議なるを感ず、
其後は常に念に随て現ず。」

「一旦蕩念(とうねん)として曠廓(こうかく)極まりなきを覚え、
其時に弥陀の霊相を感じ、慈悲の眸(まなじり)丹花の唇等、
其の霊容を想ふ時身心融液にして不思議なるを感ず、」


笹本戒浄上人の御教示によりますと、
弁栄聖者のこの御境界は、厳密には仏眼の一歩手前
「慧眼が円満に開け」、ついで、「法眼も円満に開け」たことによって実現できた御境界と。

「常に念に随て現ず。」

この心霊的自由を得た境界が、
「自受用にて自ら現じ自ら感ず。能感と所感と自己にある」仏眼の境界
(弁栄聖者光明体系「成所作智」『無辺光』)

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第二次世界大戦で、そのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵のみが往時を彷彿とさせます。

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東京遊学は、僅か2年足らず。

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明治15年7月、東京遊学後、実家には戻らず、
医王寺の薬師堂で、
21日間の御修行により、激修に堪えることを確認の後、
霊地、筑波山へ。

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霊地、筑波山での御修行により、念仏三昧発得

「弥陀身心遍法界 衆生念仏仏還念
一心専念能所亡 果満覚王独了々」
(筑波山上における弁栄聖者の三昧発得偈)


この時の、大宇宙を貫く大ミオヤを、

「念仏者の心本尊は六十万十万億の奥行きの堂」(弁栄聖者)

とも詠われています。

この後の弁栄聖者の仏作仏行の基盤となる宗教体験となり、
更なる大ミオヤの霊育を受けられていかれました。

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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