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2014-11-10

筑波山、女体山「護摩壇」の行者窟


「常陸国筑波山麓より一里ばかりか山頂より二丁許南の方に
立身石てふ巌窟あり 此に在って凡そ一ヶ月 次に場所をかいて一ヶ月
身に纏ふ所は半素絹 食物は米麦そば粉などにて
(次の場所は北斗石と伝うる人もあり決して確ならず)」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


弁栄聖者の男体山頂付近の「立身石」における御修行は確実ですが、


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(筑波山上における弁栄聖者の三昧発得偈)

     DSC03969.jpg

「弥陀身心遍法界 衆生念仏仏還念
一心専念能所亡 果満覚王独了々」



「立身石」後の一ヶ月間の御修行先は、
確実な資料がなかなか見付からないのですが、

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山本幹夫(空外)著『辨栄聖者の人格と宗教』によって、
女体山の「北斗石」は、「かなり確実性が高い」と思われました。

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ところが、実際に現地に行ってみると、
此処「北斗石」で、弁栄聖者が一ヶ月御修行をされた、
ということには、幾つかの理由によって、疑問を抱かざるをえず、
この場所の他に、「新たな場所」を想定せざるをえませんでした。


現地調査のために、筑波山に訪れる度ごとに、
筑波山における「修験道」に関心が深まっていきました。

今から考えると、
必然でもあり、ある種の「お導き」であったのかもしれません。

真に幸運なことに、
初刊が昭和43年、再刊が55年発行、
最近までしばらく品切れ状態となっていた、

宮本宣一著『筑波歴史散歩』

が、平成26年4月に再々刊されました。

この本には、「筑波山禅定」 (今は、「筑波山神窟講社」といわれている)
の修行地(六十六ヶ所)の順序と解説が載っています。

この本のお蔭もあり、
弁栄聖者の御修行地が「修験道」の修行地の一つである可能性が濃厚で、
ほのかに光が差してきたように感じました。


「イワヤ」、つまり、「行者窟」を巡る現地調査が、新たに始まりました。


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じきに、男体山の男女川水源付近の「役公之窟」が推定でき、

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「立身石」後の弁栄聖者の御修行先を巡っての現地調査が一段落し、
ひとまず、ほっと一息。

ところが、
実は、腑に落ちないところがあることも、内心感じていました。

「役公之窟」一帯は、独特の霊気漂う雰囲気があり、
男女川水源付近で湧水もあり、登山道からは少し脇に入った処にあります。

修行地として、十分に可能性がある処ですが、

此処の、「窟」、「イワヤ」は、

〇「男体山」(「立身石」と同じ)にあること。
「女体山」の「北斗石」から、また、戻ってきたことになること。
〇登山道から若干近いこと。
〇修行するには、内部が狭いこと


また、この一帯は、登山者にはよく知られた休憩地で、
周囲を気にせず修行に専念出来難いこと

以上の疑問を内心抱きながらも、
これ以上可能性のある修行地が想定できないため、
此処の地で、一連の現地調査の一区切りとしました。


その後、次の記事のための資料を改めて再読、再確認していたところ、

前回の記事で焦点となった「行者窟」について、
新たな「他の修行地」が、浮上してきました。


その地とは、女体山にある、「筑波山禅定」 の修行地(六十六ヶ所)の一つ


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つつじヶ丘駅から、ロープウェイで約5分ほど、女体山頂へ行き、
そこから、「かなり険しい岩道」を十数分ほど下り、
「北斗石」を目指します。

なお、弁栄聖者が筑波山頂で御修行された明治15年の頃には、
まだ、ロープウェイはありませんでした。
筑波山ロープウェーの営業開始は、「昭和40年8月11日」とのこと。

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「北斗石」を少し過ぎ、「注意深く辺りを見る」と、
右へ、更に少し進むと、左へと進める道がありました。

  645.jpg 644.jpg

左の方へ行く道に入ります。

この道は、それほど険しくはないのですが、
道が分かりにくいので、
多少注意が必要かもしれません。 

  646.jpg  652.jpg

右手に、岩、か細く流れる沢(?)を眺めながら、

しばらく、下って行きます。

  657.jpg  655.jpg

更に、5~6分ほど下っていきますと、
右手の方に、こんなペイントが。。。

先の方には、沢が見えてきます。

沢を斜め右下に見ながら、数分ほど進みますと、
左の方へ行く道があります。

  697.jpg  661.jpg

道を左へ入り、少し進むと、左手前方に、見えてきました!

     695.jpg

     670.jpg

     681.jpg


女体山、「護摩壇」の行者窟


  676.jpg  675.jpg

「護摩壇」の行者窟の裏側に回りますと、
適度なスペースがありました。

  689.jpg  688.jpg

「ここだ!」、「ここだ!」

弁栄聖者の「立身石」の次の主な修行地は、
「ここに、違いない!」

と、ある種確信めいた直観と、
ようやく辿り着けた、という歓びが湧き上り、
しばらく、興奮状態が続きました。

30分近くも、居たでしょうか?
しばしの間、興奮に包まれ、この地を離れ難かったのです。

気持ちを落ち着かせ、周囲を改めて見渡しますと、
心地好い、沢の水音が聞こえてきました。

「此処しかない!」


気を鎮めて、帰りに、確りと、沢を確かめました。
「護摩壇」の行者窟からは、目と鼻の先、1分程度。

     711.jpg

「女体山中でふと巡り合った真言宗の行者、
その母堂故水島キヌエ氏が弁栄聖者の信者で、
聖者から、筑波山上での修行体験内容の有難さを聞いて、
自らも筑波山上で数回も修行された程の関係があり、
『弁栄聖者は、立身石から女体山の北斗石の方へ移られた』
と、母堂から聞かされていた。」
(山本幹夫著『辨栄聖者の人格と宗教』)

この山本空外上人の言葉から始まった、本格的な現地調査。

実は、『女体山の北斗石の方へ移られた』の『方へ』が、気になっていました。

今回、訪れた、女体山、「護摩壇」の行者窟は、

女体山の、「北斗石」の方に位置しますし、

弁栄聖者の御修行地における立地条件的にも、
必要十分条件をほとんど全て満たし、

空外上人が断定された「北斗石」に感じた疑問が、
ほとんど全て解決され、初めて、腑に落ちました。

山崎辨戒編『辨榮上人と辨誡師』に、
弁栄聖者の次のような書簡がありました。

「愚衲はむかし若き折、筑波山に登りて念仏三昧をつとめ、
諸処にてつとめたるも、・・・。」

「諸処にて」、と書かれていました。

「北斗石」は、「立身石」後の修行地の主要地ではなく、
「護摩壇」の行者窟が主要地に違いない。


これも、今のところ、確たる文献的証拠はなく、
あくあでも推測の域を出ないのですが、
幾つもの点で、かなり腑に落ち、
更には、「筑波山禅定」の修行地(六十六ヶ所)の一つであり、
ここでもやはり、弁栄聖者と弘法大師空海とのご縁を感じます。


「(次の場所は北斗石と伝うる人もあり決して確ならず)」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

此処、女体山「護摩壇」の行者窟を訪れたことによって、
「次の場所」の推定のために筑波山を訪ずれることは、
しばらくは、ないと思われます。

今後望むこととしては、
弁栄聖者の新たな関連資料から、
この直観の正否を確認していきたいと思っています。

ようやく、私が出来得る「任務」を果たせたような気がしています。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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