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2014-10-14

「常陸国筑波山麓より・・・立身石てふ巌窟あり 此に在って凡そ一ヶ月 次に場所をかいて一ヶ月・・・(次の場所は北斗石と伝うる人もあり決して確ならず)」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

弁栄聖者の直弟子、山崎辨誡師へのおたより(弁栄聖者『御慈悲のたより(中)』)
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』によりますと、


      DSC04289.jpg

立身石巌窟での一ヶ月ほどの御修行
(巌窟内 ↑ と、立身石上 ↓ )


  DSC03961.jpg

は、文献上からほぼ確実ですが、
次の御修行先等は、この二つの文献だけからでは確実なことは言えません

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』の第1版は、昭和11年9月11日発刊。

ところが、山本空外上人は、
弁栄聖者の御遺稿集の、実証的、学問的研究書ともいうべき、『辨栄上人書簡集』において、

「その夏筑波山入山、立身・北斗両石上各一ヶ月の三昧証入となり

と、次の場所を「北斗石」と断定されていますが、
この断定は、空外上人独自の調査結果に基づいているものと思われます。

山本幹夫著『辨栄聖者の人格と宗教』(初版 昭和11年10月18日 発行)において、
山本幹夫氏(山本空外上人の俗名)は、
男体山の立身石の次の御修行先を確認すべく、筑波山へ調査(昭和10年12月か)に行かれ、
次のような運命的な出遭いを経験されています。

女体山中でふと巡り合った真言宗の行者、
その母堂故水島キヌエ氏が弁栄聖者の信者で、
聖者から、筑波山上での修行体験内容の有難さを聞いて、
自らも筑波山上で数回も修行された程の関係があり、
「弁栄聖者は、立身石から女体山の北斗石の方へ移られた」
と、母堂から聞かされていた


と、山本幹夫氏達に話されたとのこと。

この云い伝えをもって、空外上人は、
立身石の次の場所を「北斗石」
と断定されたと推測されます。

弁栄聖者の筑波山上での御修行先としては、
男体山の「立身石」が知られており、
この場所での御修行は確実ですが、
次の御修行先と考えられる女体山の「北斗石」は、
光明会関係の方達の間でもあまり知られていないようです。

空外上人のこの文献を知り、
いつか、女体山の「北斗石」にも行ってみたいと思っていました。

男体山の「立身石」へは、
ケーブルカーを利用すれば、それほど苦労せずに行けます。

一方、女体山の「北斗石」へは、
ケーブルカーの終着駅を出た正面の広場から、右の方へ、
女体山頂上へと、約10数分ほど登って行きます。

 DSC03816.jpg  DSC03818.jpg

男体山の立身石への路と比較しますと、結構、きつく、なります。

途中、興味をそそられる巨岩・奇岩、セキレイ石、ガマ石等があります。

女体山頂には、ロープウェイ利用が可能であり、
6分ほどで女体山駅に到達し、そこから5分ほどで女体山頂にたどり着けます。
男体山側から行くよりも、はるかに容易に女体山頂に行くことができます。

 437.jpg  438.jpg

女体山頂は、天気がいいと、素晴らしい景色で、
観光客の人気スポットでもあります。

 439.jpg  DSC03981.jpg


目的地の「北斗石」へは、ここから下って行きます。

 DSC03836.jpg  442.jpg

ご覧のとおり、目的地である「北斗石」まで、
結構、ではなく、かなりきつい岩路が10数分以上続きますので、
足腰に不調のある方には、残念ながら、お勧めできません。
行かれる場合は、それなりの「覚悟」と、「装備」で!

    DSC03841.jpg  DSC03839.jpg  

女体山頂から、弁慶茶屋跡までの数十分は、かなり険しい路が続きますが、
興味を惹く奇岩、巨石等が、いくつもあり、人気の登山ルートです。

「筑波山は、霊峰。修行の山」だ、と感じました。


女体山頂から、10数分ほどで、目的地の「北斗石」!

      DSC03851.jpg

      DSC03855.jpg

岩の隙間をくぐり抜け、反対側に出ると、こんな姿です。

      DSC03857.jpg

「北斗岩」の説明が書かれています。

北斗星(北極星)のように決して動かない岩という意味。
また、弘法大師がここで北斗七星を司る妙見菩薩を見たという伝説が残っているとのこと。
~「筑波山の概要」『つくば新聞』より

ここでも、弁栄聖者と真言宗の宗祖弘法大師空海とのご縁が・・・


岩盤の上に立っていることがわかります。

 DSC03859.jpg  DSC03860.jpg

やはり、弁栄聖者の御修行の場に相応しい雰囲気がありました。

ところが、「此処で1ヶ月間の修行」となりますと、
男体山の「立身石」との比較から、
幾つかの疑問をいだきました。

疑問点を列挙します。

〇この「北斗石」は、登山ルートの通り道になっており、
念仏に専念する場所の確保が困難であること。
岩の上での長時間の念仏となりますと、空間的な場所の確保が困難であること。
〇付近に湧水などがなく、飲食の確保が困難であること。

これらの疑問点からして、

「この場所、『北斗石』での1ヶ月の御修行は、困難であったろう」と推定しました。

もちろん、弁栄聖者が筑波山で御修行された明治15年当時は、
ケーブルカー(大正14年10月開業)、ロープウェイ(昭和40年8月11日営業開始)はまだなく、
登山道も現在ほど整備されていなかったでしょうし、
「日本百名山」の中で、「最も標高の低い山」である「霊峰 筑波山」といえども、
そう簡単には、登って来れないため、
此処「北斗石」も、現在ほどには、登山者の往来はなかった、とはいえです。

当時、お茶屋さんは、江戸時代から続く
男体山と女体山の鞍部の御幸ヶ原(現在の男体山のケーブルカーの終着駅正面広場)の、
五軒茶屋(依雲亭、迎客亭、遊仙亭、向月亭、放眼亭)と、
みなの川茶亭の他、

「北斗石」から10数分ほど下ったところに、
かつて、 「弁慶茶屋」などあったとのこと。


「山上には昼登山の人に茶をだして、夜は山を下る茶店があって、
そこの人が親切に世話してくれた。
多くは少量のそば粉で飢えをしのいだ。」


と、田中木叉上人は、 『日本の光(弁栄上人伝)』に記されています。

やはり、今回の弁栄聖者の御修行の実際において、
とても気になった「水」に関してですが、

そば粉だけでは、食事とはならないでしょうから、
そば粉に混ぜる「水」が必要であったはずです。
したがって、御修行先の選定にあったっては、
「その水源は、重要なポイント」かと思われました。

 469.jpg  463.jpg

ここ「弁慶茶屋跡」からの下山は、比較的容易になります。

ただし、それは、つつじヶ丘へ下る「おたつ石コース」で、
筑波山神社への「白雲橋コース」は、かなりきついので、ご注意を!

 468.jpg  470.jpg
 
男体山の「立身石」、女体山の「北斗石」に実際に訪れ、
ようやく記事にできると思い、ほっとし、
弁栄聖者の筑波山上での御修行関連の文献等を、改めて読み直したところ、
女体山の「北斗石」で感じた疑問が膨らんできて、
「他の御修行先の可能性」が、新たに浮上してきました。

今回の一連の記事を書くために筑波山へ調査に行き、
訪れる度ごとに新たな疑問がわき、
幾度となく筑波山を訪れ、登山道を歩くうちに、
次第に、筑波山における「修験道」に関心が出てきました。

弁栄聖者は、ここ「北斗石」だけでの1ヶ月の御修行ではなく、
「立身石での御修行の後、
北斗石、その他の場所で御修行をされた」

と捉える方がより実態に近いのではないか、
と考えるようになってきています。
もちろん、推察の域を出ませんが・・・

今回も長くなりましたので、
この点について、改めて次回に考察してみたいと思います。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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