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2013-09-01

「あなたは、如来様をあなたを産んで下さった母のように思いますか。(弁栄聖者の熊野宗純上人へのご教化)」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

弁栄聖者の直弟子として、
笹本戒浄上人と、田中木叉上人が、一般には知られていると思いますが、
今回ご紹介します熊野宗純上人は、山口県下の教育界へも影響力があった方で、
天台が専門で、全国光明会連合会の二代目総監。

ちなみに、全国光明会連合会初代総監は、笹本戒浄上人
在団法人光明修養会の三代目上首は、藤本浄本上人

笹本戒浄上人は、心理学者で、弁栄聖者にお逢いになった時には、
既に、禅でいう「見性体験」があったが故に、
他仏を念じる「念仏」への精進に、大変ご苦労をされました。

また、熊野宗純上人藤本浄本上人は、宗教学者でありましたので、
経文上、宗乗上の「学解」には精通されていましたが
弁栄聖者とお逢いになった時には、
「生きた信仰」は、いまだ得られてはいませんでした

熊野宗純上人が、弁栄聖者に初めてお逢いになったのは、
田中木叉上人著の『日本の光(弁栄上人伝)』によりますと、
大正8年の8月、広島県心行寺でとのこと。

熊野上人は、その時の聖者の印象を、

「おかしがたき崇高の人格と、慈悲あふるる温容に接して、
一種いい知れぬ充実味を心の奥底に覚えた」
と。

その時、弁栄聖者は熊野宗純上人に、

(弁栄聖者)「あなたはこれまで如来様を親様と呼んだことがありますか」、

(熊野上人)「はい、いつもそう申しています」。

(弁栄聖者)「それでは、あなたは、如来様をあなたを生んで下さった母のように思いますか」。

(熊野上人)「いいえ、そうは思われません」。

(弁栄聖者)「それではなんにもなりません。真剣に念仏してご覧なさい、きっとそう思われるようになります。」

聖者のこのなんの理屈もない事実そのままの簡単なお言葉を伺った時、

熊野上人は、

「腹をえぐられたように感じ、長い眠りから目ざまされたように感」じた

「今まで熊野上人が名匠碩学について学んだ宗乗も、それは、空なる冷やな知識で、
如来様はガラス戸棚の中のお人形様のように血の気のない冷たいもので、
罪に泣いている者みづからを抱きしめて下さる温い親様とは実感されず
醍醐味のはずの念仏は無味乾燥で、
微妙荘厳のお浄土も架空の空想のように感ぜられてならなかった」が、

この五日間の熱火のごとき提撕によりて、信心喚起し、

聖教に対する一隻眼も開かれて

弁栄聖者を「如来の顕現と仰ぐ」ようになって念仏に精進し、特に

「聖教の文々句々が文字通りうなづけるようになったことも、大なる喜び」で、

ますます仏道のあゆみを進めた。

と、田中木叉上人は、熊野宗純上人の弁栄聖者との邂逅を、感動的に描写されています。


達人の衆生済度には、小難しい屁理屈はなく、
深三昧に証入され、事実を知った者のみが備え得る「威神力」が、
弁栄聖者には、おありであった証左であるように思われます。


この「大御親様」とは、弁栄聖者の真相認識に拠りますと、
事実そのとおりで、

この論理的必然に拠って、

我々衆生は「如来の子」であることになります。

仏眼を開かれた田中木叉上人は、ご自身を、「仏子 木叉」と表記されています。


この「大ミオヤ(大御親)」という表現には、
弁栄聖者の幾つかの深意が込められているようにも思われ、

その一つに、「阿弥陀仏の本願」についての、
聖者の卓見である画期的な解釈があるように思われます。

周知のとおり、「阿弥陀仏の本願」としては、
従来から『無量寿経』中の第十八願が決定的に重要な願と解釈されてきましたが、

弁栄聖者は、その「本願」の深意を三昧直観され、

「親の願いは、我子に、親の宝を授けること」

これも、『法華経』の極めて重要な御教えですが。

南無智慧光仏

如来智慧の光明に
我等が無明は照されて
仏の知見を開示して
如来の真理悟入るれ

(「南無十二光仏」弁栄聖者『如来光明礼拝儀』)


親様である「阿弥陀仏」の本願の内実が、
弁栄聖者にとっても極めて重要な大乗経典である『法華経』に記されています。

「我一大事因縁ヲ以テ世ニ出現セシ所以ハ
一切衆生ヲシテ仏知見ヲ開示悟入セシメンガ為也」
と。

熊野宗純上人には、『念仏より観たる法華経』という書があり、
その書の冒頭に、この経文が引用されています。


上述の、熊野宗純上人の、

「聖教に対する一隻眼も開かれて、
聖教の文々句々が文字通りうなづけるようになったことも、大なる喜び」で、
ますます仏道のあゆみを進めた。


この箇所も極めて重要で、

大乗経典に関する「大乗非仏説」論に対し、

「私もそう思う。
大乗経典とは、三昧定中における大乗仏陀釈尊による直説法である。」


と、弁栄聖者は、喝破されています。

なお、弁栄聖者の『法華経』観につきましては、更に、次のように明記されています。

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。
名に迷ふて真理を失うなかれ。
若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。
又大乗非仏説の如きは今の所論にあらず。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)


なお、弁栄聖者により三昧直観された、
極めて重要な「如来と衆生との関係」の真相は、

如来即ち「大ミオヤ」は、
衆生の「親」であり「根底」、かつ、真実の自己。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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