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2013-05-11

弁栄聖者における「如来四大智慧」の発露について

数学者の岡潔博士は、
田中木叉編著『弁栄聖者光明体系 無辺光』の復刻を使命とされ、
1969年講談社版として、実現されました。

自然科学者でもある数学者岡潔博士には、
博士が長年疑問としていだいていた「大自然界の謎」を払拭できる唯一の書と映ったからでした。

ただし、『無辺光』は、大変難解な本でその理由は、
理性的理解の難解さもさることながら、
さらに、如来四大智慧の境界から書かれており
この書の真の理解のためには、「宗教体験が不可欠となる」からです。

私たちに真に求められているのは、
この難解の奇書(奇蹟的な書)『無辺光』を知的に理解することに留まらず、
この「如来四大智慧」を体得することにこそあるからです。

今回は、
如来四大智慧(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を体得すると、
如来四大智慧が、どのような智慧、行為となって衆生に発露するのかを、
「三身四智の聖者」弁栄聖者の逸話をご紹介しながら、
確認できればと思っています。

如来四大智慧(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)は、
元々唯一絶対の如来の智慧を便宜的に四つに分類して分析しており、
当然ながら、一つの行為に単一の智慧だけが働くことはないので、
逸話を考察する際には、この点は注意を要するように思われます。

弁栄聖者の一挙手一投足、日常生活の所作が、ほとんど奇蹟的とも思われますが、
名著、田中木叉著『日本の光』以外の資料からも引用しながら、
幾つかご紹介したいと思います。

弁栄聖者が大変尊崇された徳本行者は、江戸時代の方で、伝記が幾種類かあるようですが、
「余りに非合理的な逸話」は、ある時期に削除が行われた、という話を聞いたことがあります。
ただし、文献の上での確認はまだです。

幸い弁栄聖者は、まだ御遷化後百年の方、
逸話の信憑性に関しては、事実としては、まず確かかと思われます。
ただ、勿論、私たち現代人が、「その事実を信じられるかどうか」は、別問題

【大円鏡智】

「あるお寺の閉めたお室で渡辺氏がいると、
今に人がくるから云々と用事をいいつけられる。
氏がどうして知れますかと尋ぬれば、
「今向こうの松原の松陰に馬が通ってる。
その後に訪ねてくる人が歩いている」といわれる。
室の中から松原さえ見えない。しばらくすると果たして訪ねて来た。」

「弁栄上人は、他の本を読むことを少しも勧められず、
「一心に念仏せよ」との一点張りであった。
渡辺氏が、新聞広告に出た『織田得能師法華経講義』を
読みたくてたまらなかったが、(上述の理由から)黙っていた。
すると、聖者はその心を見抜かれ、氏にお金を渡された。
ところが、購入時に割引いてくれたので、
その差額分で勝手に鰻飯と焼鳥を食べて帰り、
次の間から帰宅時の挨拶をすると、
「鰻飯はうまいか」と問われたので、とぼけていると、
「焼鳥はうまかったか」と言われたので、あまりに不思議に思い尋ねると、
上人「お前のお腹の中にある。」

「(侍者が)ご法話中あまりに喉が渇き、
庫裡にさがって湯呑みでお茶を頂き早く本堂に出たい心から、
その湯呑みを洗わずにそのまま伏せて置いた。
すると上人ご法話が終わり本堂からさがり、
すぐ侍者のつかった湯呑みを手にとり侍者の顔をみてニッコリと笑い、
他の湯呑でお茶を飲まれた。それから、上人は、
侍者の飲んだ湯呑とご自身の使われた湯呑と二つともみづから洗って元の茶盆に伏せられた。
この無言の導びきに侍者はただひれ伏した。」
※ この侍者とは、確か、弁栄聖者のご高弟の一人佐々木為興上人。

「(弁栄上人の)朝鮮満州伝道がなされた。・・・
京城では、当時在住の松尾師がかれの説法の通訳にあたった。
通訳の際、法話の内容の一部分が脱落するような場合、
かれがその脱落した部分を必ず次の話に加えて法話を進めるのに驚き、
敬意の念を抱いたという。」

「ご法話に向かう途中、
タゴールの英語版の本が置いてあったので、その本をさらっとご覧になり、
弁栄聖者は、ご法話でそのタゴールの詩の話をされた。
それらを見ていた柴武三氏は、不思議に思い、
友人にその英語版の内容を確認されたところ、
確かにそこに書かれていた。
「弁栄上人は英語を読めますか」とお尋ねになると、
「いいえ」といわれるので、
さきほどのご法話でのタゴールの詩のことを問われると、
「別に英語ができなくても、タゴールになってしまえば、
タゴールの書いてあることはわかります」と。

「弁栄聖者の夜のご法話が予定より長引き、
終電の汽車の時間が気が気でならなかった学生がいた。
すると聖者が言われた。
「この中に、汽車の時間を気にしている者がいる。
しかし心配する必要はない。
その汽車は、二十分遅れて到着するので、ちゃんと間に合う」と。
果たして、その学生は、その汽車に間に合った。」

「弁栄聖者のご高弟の一人に、
九州筑紫の聖人と言われた、大変機根のよかった中川察道上人という方がおられた。
まだ三昧が開けていなかった頃の逸話、
上人「私のようなものも三昧に入る事が出来ましょうか」
聖者「出来ます」
上人「それではどの位の時日を要することでありましょうか」
聖者「三日間かかります」
その聖者のお言葉を聞かれた中川察道上人は吃驚され、
その顔つきを見られた聖者は、言葉を続けられ、
「けれどもそれはあなたのみに言うことで、
一般にはそんな事を勧めるのではない」
と念を押されました。
その後、弁栄聖者の言われるとおり、
ほどなく、中川察道上人は、出世間の三昧の眼、慧眼、法眼が開かれたといわれています。

弁栄聖者の大円鏡智の働きとして、私が存じ上げているものだけでもまだまだあり、
平等性智・妙観察智・成所作智と続けていくと、
あまりにも長くなりますので、今回はこのくらいに。

誤解無きように、最後に一言。

私は、弁栄聖者が如何に超人的能力をお持ちであったかのみを、
お知らせしたかったのではありません。

似たような逸話は、明恵上人にもあり、
この種の超人的な能力に関して、
実にすばらしい逸話が伝わっています。

また、弁栄聖者はご自身がお示しになった奇蹟の数々について、
感動的なまでに、実に冷静に的確に自覚されておりますので、

「宗教家の奇蹟」を考察する際の重要な示唆に富んでいますので、
明恵上人と弁栄聖者の御指南を併せてご紹介します。

生涯禅定修行に精進された明恵上人には、不思議な力が備わっていたようで、
そんな上人を、人々が「権者」と言っていると弟子たちが伝えると、

明恵上人は、慨嘆して次のように言ったと伝えられています。

「あら拙(つたな)の者共の云ひ事や。・・・
我は加様に成らんと思う事は努々(ゆめゆめ)無けれども、
法の如く行ずる事の年積るままに、自然と知れずして具足せられたる也。
汝どもが水の欲しければ水を汲みて飲み、
火にあたりたければ火のそばへよるも同じ事也」。

(河合隼雄著『明恵 夢を生きる』)


「宗教家は奇蹟を現わさなくてはつまりません。
釈尊のお弟子でも多くの人が釈尊の教理に服して入道したのではなく、
釈尊の奇蹟に驚嘆してお弟子になっております」。
また、
「予言ができるとか、病気がなおるとか、
そんな奇蹟がなんの価値がありましょう。
凡夫が仏になる。これほど大きい奇蹟がまたとありましょう」。
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


奇蹟を否定するか軽視する者も、
奇蹟を過度に重視し、誇る者も、

どちらも、真の宗教家に非ず。


弁栄聖者を学んできての、おそらく、生涯変わらぬ
「宗教家の顕す奇蹟」への正しい態度
と確信しています。

参考文献
田中木叉著『日本の光』
『浄土仏教の思想 十四 清沢満之ー脇本平也 山崎弁栄ー河波昌』
『辨栄上人の思い出』
「柴武三氏の思い出話」
河合隼雄著『明恵 夢を生きる』
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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