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2012-08-04

「聖者は弟子達に「私は光明主義の基礎と家丈けを建てゝおいた、各部屋の荘厳はお前達が力を合せて完成せよ」と仰せられた、との事であります。(恒村夏山)」(弁栄聖者著『弥陀教義』)

弁栄聖者の絶筆となった、会誌「光明」に掲載中であった『弥陀教義』

田中木叉上人が日本全国を回られて、聖者の草稿等を編纂された『弁栄聖者光明体系』

聖者には、御自身の深甚なる自内証を余すところ無く体系的に著作に残されるということはなく、
何よりも衆生済度に力点を置かれた偉大なる宗教家の御生涯
であったと思われます。

聖者の直弟子達の中で、
後世の私達が聖者の御教えのご指南とすべきお弟子の中の双璧は、
笹本戒浄上人と田中木叉上人であろうかと思われます。

特に戒浄上人には、兵庫県芦屋にある光明会本部聖堂系の戒浄上人のお弟子達による、
『笹本戒浄上人全集』、『弁栄聖者 光明主義注解』なる貴重な本が残されています。

ただし、これらの書は、人類の貴重な財産と呼ぶべき奇書だと私は信じていますが、
現段階では、学問的裏付けが難しいといった種類の本でもあろうかと思います。

多くの仏典が、釈尊の直接の御教えではないことは、
今は常識かと思います。

したがって、学際的な研究と理性的考察が不可欠ですが、
最終的にはどうしても、
その御教えを説いた者の「人徳」とでも呼ぶべきものが、
判断基準となるような気がしています。

そのような曖昧なことが判断基準であるのか、
と批判される方もいらっしゃるかもしれませんが、
私達の日常生活を省みますと、
今までの人生経験とある種の直感のようなもので、
その人が信頼できるか否かを判断しているようにも思われます。

笹本戒浄上人が弁栄聖者から口伝されたという御教え、
特に泉虎一氏の筆によるものは、
文体が独特で難解、同じことが繰り返し説かれており、
当初はなかなか馴染みにくい文章かと思われますが、
極めて重要な、驚嘆すべき内容が満載です。

ただ、この書の難しさは、

「あなたは、笹本戒浄上人を信じられますか?」

といった、究極の選択を私達に迫るといった類の書でもあるように思われます。


今まで弁栄聖者を学んできた者の私見となりますが、
以下、私の印象を記したいと思います。

弁栄聖者の御内証の最深の真相を直接伝えられているのは、
笹本戒浄上人とその直弟子、杉田善孝上人、泉虎一氏、能見寿作氏かと思われます。
弁栄教学を学ぶ上で、絶対に欠かせない方々です。
光明主義の念仏の仕方、教義の特徴点について、
明確かつ具体的に説かれています。
ただし、学者ではないため、最新の学際的研究の知見は少ないです。

また、芦屋の聖堂系の方達は、「笹本戒浄上人絶対主義」で、
残念ながら、他の光明主義信奉者の方々との交流があまりないような印象があります。

田中木叉上人は、戒浄上人(聖堂系)の「直線道」の説き方には、
終生賛同できなかったように見受けられます。

それは、弁栄聖者の自在な法便力による衆生済度の在り方を、
御自身も体験されていたからだと思われます。
戒浄上人が強調された「直線道」には、排他的な匂いが多分にあり、
戒浄上人が真に言わんとされた「直線道」の真意が伝わりにくいといった、
誤解を生じやすい言葉であるようにも思われます。

また、木叉上人には詩才、文才が豊かで、
深い宗教体験に基づく御教えが、
すっーと身体に入ってくることが多いという印象があります。
(泉虎一氏による戒浄上人の文体では、そうはいきません)

ただし、弁栄聖者の深甚なる三身四智の仏眼、
特に、観念的一切智と認識的一切智の境涯に関する御教示
は、
笹本戒浄上人の独断場かと思われます。


一方、光明修養会元上首であった山本空外上人は、
生涯「口称念仏」を貫かれ、「いのちの根源に直入」された稀な方であり、
同時に大学者、知る人ぞ知る「書の達人」でもありました。

ご自身の念仏体験と幅広い語学の知識を生かされた学問的著作もあり、
光明主義研究にも役立つと思われます。

私は、空外上人にはご生前に数回ほどしかお会いしていませんが、
弁栄聖者のような宗教家というよりも、
生涯「口称念仏」を貫かれた「脱俗の大学者」といった印象がありました。

特に、ニコラウス・クザーヌスの日本への紹介者であり、
昭和初期に、弁栄教学研究にも益すると思われるプロティノス研究の学位論文
『哲学體系構成の二途ープロティーノス解釈試論ー』を書かれています。

※ 「空外記念館」では、最近復刊れた『念仏の哲学』ともに4千円ですが、
東京練馬にある河波昌園主の「光明園」では、安価で入手可能のようです。


ちなみに、最近、慶応大学出版会から復刻された
井筒俊彦著『神秘哲学』が書かれたのは、昭和24年です。

現在ご在生中の中で、
弁栄聖者の精神を最もよく受け継がれ、
比較宗教学的にも、優れた学問的な考察をされていると思われる方は、
現在光明修養会上首でもあられる河波昌氏であろうかと思われます。

河波氏には、弁栄聖者→田中木叉上人に受け継がれた聖者の精神と、
山本空外上人から受け継がれた学際的精神を兼ね備えられ、
もちろん、学者でありながら、永年にわたり念仏修行もされています。

河波昌氏の御著書は、念仏修行上と知的な学びにおいても示唆に富むことが多いですが、
それはご自身の宗教体験に拠るところが大きいと思われます。

ただ、河波氏は大学の教授でもあるので、
笹本戒浄上人のように思い切った発言はあまり見受けられず、
学問的な領域外の知見については、慎重に発言されている印象があります。

また、お念仏に対するご指南は、大らかな印象があり、
聖堂系のような具体的で細かいご指導は少ないようです。

おそらく、
聖堂系は、お念仏の修行上における「自作自受」面を強調され、
河波氏は、大ミオヤの霊育における「他作自受」の「縁起」面に信を置かれているため、
と推察しております。

河波昌氏の御著書は弁栄聖者の入門書として最も入りやすく、お勧めです。

河波氏のご姿勢と似たような印象の方で想い出されるのは、
東大名誉教授でもあった玉城康四郎氏です。


芦屋の聖堂系では、弁栄聖者→戒浄上人の御教えが主で、
戒浄上人以外の聖者の直弟子方、また河波昌氏に関する発言はほとんど見受けられず、
また同様に、
河波昌氏も弁栄聖者→田中木叉上人の御教えが主で、
戒浄上人その直弟子方、芦屋の杉田善孝上人に関する発言はほとんど見受けられません。

大変残念なことですが、
私は、ただただ「弁栄聖者の真髄」を学びたい一心で今まで学んできました、
現在の光明会の現状の率直な印象です。

おそらく、弁栄聖者御遷化後、光明会の発展、歴史が関わっていると思われますが、
今ここでは、それには深入りしません。

私の私見、印象が、これから弁栄聖者を学ぼうとされる方にとって、
何らかのお役に立てば幸甚です。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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