2012-07-14
「好人好日」~山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~喜劇編~
風変わりな数学者と娘、妻との愛情を描いた人情喜劇。
1961年(昭和36年)作、渋谷実監督の映画。
モデルは、明らかに、数学者の岡潔博士かと思われます。
以前からみたいと思っていたところ、
先日、NHKのBSプレミアムで放送したものをみました。
2~3年前に、50年ほど前にベストセラーになったといわれる
評論家小林秀雄氏と岡潔博士との対談『人間の建設』
が再版され、最近もベストセラーになっているようで、
大変嬉しく思っています。
小林秀雄氏は、岡潔博士に対し、
「岡さんは、天才です。脱俗の人です。」
と、晩年まで、敬愛の情を込めて、しみじみと語られていたそうです。
ちなみに、
小林秀雄氏が亡くなられたのは、
奇しくも、岡潔博士が亡くなられた五年後の同日、3月1日。
現在、弁栄聖者に関心を寄せている方で、
岡潔博士に恩を感じている方が多いのではないかと思われます。
岡潔博士に光明主義の手ほどきをされた方は、
田中木叉上人であったとのことです。
岡潔博士の名言といえば、
「数学における情緒の大切さ」
を説いた言葉と、
文化勲章の受賞の際、天皇陛下に答えられたという
「数学とは生命の燃焼である」
との言葉かと思われますが、
実は、田中木叉上人の
「信仰とは生命の燃焼である」
との言葉が、基になっていると、木叉上人の岡潔博士への影響を、
岡潔研究者の高瀬正仁氏が指摘されています。
(参考文献 高瀬正仁著『評伝 岡潔-花の章-』)
ところで、「好人好日」で描かれた岡潔モデルの数学者を演じる笠智衆が、
またいい味を出されています。
岡潔博士といえば、俗に言われる「天才」を地で生きた方。
何の分野であれ「天才」と言われる方には、
俗世間とずれている方が多いと思われますが、
念仏による「霊格形成」を説かれた弁栄聖者は、
宗教的天才であり、「脱俗の方」でありましたが、
世間の常識、人情にも精通されておられていたようです。
田中木叉上人の奥様と聖者が、
買い物での値段の比較を話されていて、
感心したと木叉上人が語れています。
私は岡潔博士の「非常識的行動」に関しては、
天才にありがちなものと捉えていますが、
こと光明主義の先達として考えた場合、
その点に関し、戸惑うことが正直ありました。
この点に関し、示唆を与えられたのは、
一昨年前に、力作『井筒俊彦 叡智の哲学』を書かれた若松英輔氏でした。
若松氏とは、『井筒俊彦 叡智の哲学』の最終章「第十章 叡智の哲学」において、
「井筒俊彦氏と弁栄聖者の際立った高次の一致点」
を指摘された稀有な評論家です。
若松氏は、『神秘の夜の旅』の「聖者論ー越知保夫と小林秀雄ー」において、
「聖者とは、単に礼節を守った人間ではない。
世界が聖なる実在であることを表現した人間の謂である。
「聖者」は「聖人」と同義ではない。
「聖人」のなかにも「聖者」は少なくないだろう。
しかし、「聖者」は「聖人」に定められた宗教的枠組みを突破しつつ出現する。」
と、極めて重要な指摘をしています。
したがって、若松英輔氏は、
ランボオ、リルケ、ドストエフスキー、ゴッホ、小林秀雄など
を「聖者」に位置付けています。
共通するのは、常識的生活者からは逸脱した方々ばかりです。
この中では、小林氏は常識的生活者の範疇に属するほうですが、
何処か憑かれた方であったことは確かかと思われます。
若松氏の定義にしたがいますと、
岡潔博士は、「聖者」に属する方と位置付けられ、
何か、とても腑に落ちました。
若松英輔氏の言われる「聖者」とは、
私には、「真の詩人」であるように思われます。
1961年(昭和36年)作、渋谷実監督の映画。
モデルは、明らかに、数学者の岡潔博士かと思われます。
以前からみたいと思っていたところ、
先日、NHKのBSプレミアムで放送したものをみました。
2~3年前に、50年ほど前にベストセラーになったといわれる
評論家小林秀雄氏と岡潔博士との対談『人間の建設』
が再版され、最近もベストセラーになっているようで、
大変嬉しく思っています。
小林秀雄氏は、岡潔博士に対し、
「岡さんは、天才です。脱俗の人です。」
と、晩年まで、敬愛の情を込めて、しみじみと語られていたそうです。
ちなみに、
小林秀雄氏が亡くなられたのは、
奇しくも、岡潔博士が亡くなられた五年後の同日、3月1日。
現在、弁栄聖者に関心を寄せている方で、
岡潔博士に恩を感じている方が多いのではないかと思われます。
岡潔博士に光明主義の手ほどきをされた方は、
田中木叉上人であったとのことです。
岡潔博士の名言といえば、
「数学における情緒の大切さ」
を説いた言葉と、
文化勲章の受賞の際、天皇陛下に答えられたという
「数学とは生命の燃焼である」
との言葉かと思われますが、
実は、田中木叉上人の
「信仰とは生命の燃焼である」
との言葉が、基になっていると、木叉上人の岡潔博士への影響を、
岡潔研究者の高瀬正仁氏が指摘されています。
(参考文献 高瀬正仁著『評伝 岡潔-花の章-』)
ところで、「好人好日」で描かれた岡潔モデルの数学者を演じる笠智衆が、
またいい味を出されています。
岡潔博士といえば、俗に言われる「天才」を地で生きた方。
何の分野であれ「天才」と言われる方には、
俗世間とずれている方が多いと思われますが、
念仏による「霊格形成」を説かれた弁栄聖者は、
宗教的天才であり、「脱俗の方」でありましたが、
世間の常識、人情にも精通されておられていたようです。
田中木叉上人の奥様と聖者が、
買い物での値段の比較を話されていて、
感心したと木叉上人が語れています。
私は岡潔博士の「非常識的行動」に関しては、
天才にありがちなものと捉えていますが、
こと光明主義の先達として考えた場合、
その点に関し、戸惑うことが正直ありました。
この点に関し、示唆を与えられたのは、
一昨年前に、力作『井筒俊彦 叡智の哲学』を書かれた若松英輔氏でした。
若松氏とは、『井筒俊彦 叡智の哲学』の最終章「第十章 叡智の哲学」において、
「井筒俊彦氏と弁栄聖者の際立った高次の一致点」
を指摘された稀有な評論家です。
若松氏は、『神秘の夜の旅』の「聖者論ー越知保夫と小林秀雄ー」において、
「聖者とは、単に礼節を守った人間ではない。
世界が聖なる実在であることを表現した人間の謂である。
「聖者」は「聖人」と同義ではない。
「聖人」のなかにも「聖者」は少なくないだろう。
しかし、「聖者」は「聖人」に定められた宗教的枠組みを突破しつつ出現する。」
と、極めて重要な指摘をしています。
したがって、若松英輔氏は、
ランボオ、リルケ、ドストエフスキー、ゴッホ、小林秀雄など
を「聖者」に位置付けています。
共通するのは、常識的生活者からは逸脱した方々ばかりです。
この中では、小林氏は常識的生活者の範疇に属するほうですが、
何処か憑かれた方であったことは確かかと思われます。
若松氏の定義にしたがいますと、
岡潔博士は、「聖者」に属する方と位置付けられ、
何か、とても腑に落ちました。
若松英輔氏の言われる「聖者」とは、
私には、「真の詩人」であるように思われます。
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