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2012-06-10

「世間の人は水の上を歩いたとか、お酒にかえたとか、手にふれて病気をなおしたとか、こういう事を大へんな奇蹟として驚くがそれは大した事ではない、それよりも・・・」(熊野好月著『さえらぬ光に遇いて』)

「・・・それよりも、悪の心を善心に立かえらせる。
これ程大きな奇蹟は外にない」


と常々仰っていらっしゃいました、と。

光明会発展のために女性の果たした役割は大きかったようですが、
いづれこの点に関しても記事を書きたいと思っています。

ところで、好月さんは、弁栄聖者の女性のお弟子で、
弁栄聖者にご随行されていたこともあり、
彼女の聖者観察からとても大切な事を教えていただけます。

「お上人様を特別のお方、不思議なお方と見られておるようでした。
又実際、常人のなし得ない事も何でもないもののように仕てしまわれます。
時々は両手に筆をもち同時に異なった歌を書かれたり、
お米ひと粒に般若心経一巻を書かれたり、
それは人を驚かせる為でなく、如来様のお慈悲を知らせたさに、
口でいうだけではよりつかないので
何とかしてとのやるせない心から方便としてお用いになった


と、好月さんは聖者の御心の深奥を鋭く正確に指摘されていると思われます。

聖者は、

「宗教家は奇蹟を現わさなくてはつまりません。
釈尊のお弟子でも多くの人が釈尊の教理に服して入道したのではなく、
釈尊の奇蹟に驚嘆してお弟子になっております」。

また「予言ができるとか、病気がなおるとか、
そんな奇蹟がなんの価値がありましょう。
凡夫が仏になる。これほど大きい奇蹟がまたとありましょう」。
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


とも。


「宗教家と奇蹟」

は、世間の大きな関心事だと思いますが、
私はこの聖者に関する逸話で、
この「宗教家と奇蹟」の議論の核心は尽くされていると考えています。

傑出した宗教家とは、

「奇蹟を顕そうとすればそれを顕す御力を持っているが、
それ自体に大した価値は置いておらず、
したがって、それを誇ることはしない。
宗教の真の目的は、衆生の心身の霊化にこそある。」


との認識に基づき、それらが実践出来得る方。


あるいは、
文学と宗教に関心をお持ちの方は、
ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』
あの有名な「大審問官」を思い出されたかもしれません。

「人間が心底望んでいるのは、奇蹟と神秘と教権である」

と大審問官はイエスに詰問し続けますが、
イエスは沈黙のまま、じっと聞き入いるばかり。

ずっと聞き入っていたのち、
突然、イエスは無言のまま老審問官に近づき、

老人のくちびるに静かに接吻した。
それが答えの全てなのだ。


老人はぎくりとなった。なんだか、くちびるがぴくりと動いたようであった。

と、彼は戸口に寄って、さっと戸を開けながら、
囚人に向かい、

「さ、出て行け、二度と来るな、どんなことがあっても」

と言って、放してやった。囚人はしずしずと歩み去った。

「宗教家と奇蹟」を文学的に表現した白眉、傑作中の傑作だと思います。
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「・・・それよりも、悪の心を善心に立かえらせる。これ程大きな奇蹟は外にない」と常々仰っていらっしゃいました、と。光明会発展のために女性の果たした役割は大きかったようです...

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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