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2020-01-18

吉水岳彦著『お袖をつかんで』を巡って


2020年(令和2)年1月17日は、
1995年(平成7)年1月17日の阪神淡路大震災発生から、
25年になります。

日本の大都市における未曾有の大災害として、
様々な課題を、現在にまで投げかけ続けています。

災害時の支援に奔走された浄土宗僧侶としては、
明治大正時代に活躍された颯田本真尼が知られています。
今回は深入りしませんが、以下の2冊があります。

〇藤吉慈海著『颯田本真尼の生涯』
〇金田昭教編集『山崎弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』
340頁〈解説 颯田本真尼〉。


2008年10月に、
吉水岳彦氏が、大正大学へ提出した学位請求論文、
「霊芝元照の浄土教思想」

2009年4月に、
ホームレス状態の方へおにぎりを配る、
「ひとさじの会」が、
吉水氏により発足されています。
また同時に、
「為先会」の中心人物の一人でもあります。
この両面の併存、
このことは吉水氏の活動を考える際、
決して忘れてはならないことだと思われます。

その博士論文執筆から7年後、
2015年11月に出版されたのが、
吉水岳彦著『霊芝元照の研究ー宋代律僧の浄土教ー』

元照に関して、
山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』には、
元照の「仏種」に対し、
弁栄聖者は、「聖種子」と表記され、

「人の本有の性は無定性にて、
しかも一切の種子を薫習する性能あり。」
と。

聖者は、
従来の「仏性」という表現から、
宗派宗教の枠を突破し、
より開かれた「霊性」という表現をされました。


20200118.jpg

今回取り上げます、
吉水岳彦著『お袖をつかんで』は、
『無量寿経』に説く四十八願に準拠し、
東日本大震災の翌年の、
2012年6月から2016年8月の四年間に渡り月一回、
光明会機関誌『ひかり』に掲載された記事の書籍化。
※ 発行所は、「光照寺」内。

先ず始めに、よくご覧になって頂きたいのが、
この本のブックカバーのデザインです。

「月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむる人の 心にぞすむ」


有名な浄土宗歌ですが、

このブックデザインは、
如来様側と衆生との両方の目線から、
具体的に描かれている点に大きな特徴があると思われます。

輝く月の光に照らされる元、
お地蔵さんの様なお坊さん達が一緒に歩まれています。
注意深く見ますと、一人として同じ所作はありません。
輝く月の元、皆と行動を共にしながら、
各人がそれぞれなりの祈り方をしています。
一番後ろの者は、何かに話しかけている様です。
表ではなく裏のブックカバーを見ますと、
一人木陰で、月に念じています。
また、
挿絵にはお地蔵さんのような僧侶の姿が描かれています。
上から人を導くのではなく、
辻道にひっそりと立ち、
ささやかではあるけど、目立たないけれども、
人々の日常の生活こころの拠り所となる、
そんなお地蔵さんの姿。

このデザイン、挿絵は、
山﨑まどか氏によるもので、
支援活動の現場等で吉水氏の活動をご覧になり、
吉水氏の立ち居振る舞い、考え、人柄等をよくご存知の方、
更に言えば、
吉水氏の「理想の信仰の在り方」を描かれたのではないかと推察されました。

ちなみに、
批評家の小林秀雄氏、弁栄聖者ともご縁の深い河波定昌師を、
「月の人」と評されたのは、批評家の若松英輔氏。
太陽の様に自らの力によって輝くのではなく、
太陽の光を受けて、自づと自らも輝き、人をも照らす「月の人」。
「一隅を照らす」
伝教大師最澄の言葉を思い出しました。

また、博士論文の執筆後、論文の書籍化までの数年間、
この記事が書かれていること、
吉水氏の関心が律僧にあること、
この二つを頭の片隅に置いて本書を読まれると、
また違った味わいが感じ取れるかもしれません。

『法然 イエスの面影をしのばせる人』の著者、
井上洋治神父が信奉された「法然上人像」に通底するものを、
吉水氏も感じ取っておられるのかもしれません。

浄土宗僧侶の吉水氏の活動に、早期から注目され続けている一人に、
批評家の若松英輔氏がいます。

若松氏ご自身はカトリックの信者で、
最近、社会問題への発言も積極的になされていますが、
若松氏の師匠が井上洋治神父であることは知られています。

なお、令和2年2月27日に、
若松英輔、吉水岳彦両氏により、
「貧困への無関心を越えて」
というテーマで、
対談が行われます。

上述しました『お袖をつかんで』の本が出来上がる経緯から、
吉水氏は、始めから弁栄聖者、光明主義の信奉者で、
この本も、光明主義の立場から書かれていると思われるかもしれませんが、
「第三十歩 いのちがけ」に率直に記されていますが、
弁栄聖者への「かなり強い偏見」からは解き放たれつつある過程上で、
この本は書かれている様に思われます。

吉水氏のお寺「光照院」は、
漫画「あしたのジョー」の舞台としても知られる、
浅草山谷にあります。

山谷近辺の歴史を調べている過程で、
福田行誡上人、弁栄聖者との関係に関心を深くされ、
『行誡と弁栄展』図録において、
吉水氏は、行誡上人を担当されています。

浄土宗僧侶である吉水岳彦氏の諸活動は、
現在の光明会の在り方に、
ある課題を投げかけている様に思われます。

法然上人における「一枚起請文」ともいうべき、
弁栄聖者の最重要のご教示である、

【弁栄聖者御垂示】

「真理の終局に帰趣すれば仏界に入るなり。
仏界に帰するは真理なる故に自然なり。
法然なり。故に易往といふ。
唯絶対無限光寿即ち
弥陀の聖名を崇め聖意を仰ぎ帰し奉りて、
意に至尊をのみ憶念し、
口に聖名を称え、
身に聖意の実現に行動すべし。
一念弥陀なれば一念の仏。念々弥陀なれば念々の仏。
仏を念ずる外に仏に成る道なし。
三世諸仏は念弥陀三昧によりて正覚を成ずと南無」


において、
「身に聖意の実現に行動すべし。」
と、積極的な行為へのご教示をされています。

『如来光明礼拝儀』の「昏暮の礼拝」、
その「至心に懺悔す」
には、

〇「作す可からざる罪を造り」
〇「作すべき事を怠るの罪に陥いれり」

と、罪に、積極・消極の二面の罪を含めています。

『お袖をつかんで』には、
吉水氏の「友情物語」と、「専修念仏体験」が、
その基底を貫かれている様に思われ、
ご自身の体験から紡ぎ出された生きた言葉、
教学的な学説を消化されたご自身の思索に基づく生きた言葉、
その迷いながらも一歩一歩歩まれている姿が、
感動を呼び起こします。

例えば、
「支援」ではなく「支縁」と表記されています。
そうとはいえ、時に、
「親身になることから時折逃げたくなることもあります。」
と正直にご自身の気持ちを吐露されています。
そんな時、
人気のない温泉に招く吉水氏の親友の思い遣りに、ほっとします。

被災地における、
暖かい食事と暖かい風呂の重要性。
阪神・淡路大震災時に、
中井久夫氏が認識され、実践されていた事。
支援には、深い人間洞察に基づく、智慧と実践力が、
必要であることを教えて頂けます。
※ 参考図書は、文末。

「支援者を支える支援者(エネルギーの供給源)は、
支援活動における必須条件」
とは、
災害支援の実践から得られた極めて重要な智慧の一つかと思われます。

後述します、阪神・淡路大震災時とその後も、
正に身を粉にして献身された精神科医の安克昌氏。
安医師は、震災の6年後の2000年12月2日、肝細胞がんのため、
39歳の生涯を閉じられました。

「自分の体を通して他者の毒を濾過する。
このことは、神ならぬ人がしてはならないことだった。」

とは、安医師の悲痛なる遺言でしょうか。

※ 肝細胞の働きとは、
「たんぱく質の合成と貯蔵」、「解毒作用」、
「胆汁の生成と分泌の促進作用」と言われています。

なお、阪神・淡路大震災、東日本大震災において、
正に献身的な働きをされた方のその後の余命が短い様な気がしています。
いまだに、その意味、意義はわかっていません。
「溺れる者を助けるためには、先ず自分が溺れない事だ」
との教訓と同時に、宮沢賢治の思想も念頭に置きながら。

弁栄聖者の「全分度生の在り方」は、
理性的次元における堅固な道徳的意志力ではありません。
その行為を在らしめている根源は、
三身四智の仏眼による、
大ミオヤとの形式・内容全面での三昧合一

その「内霊応に満ち給う」状態における、
豊かな四大智慧(無辺光)と内発的な霊的意志力(不断光)の発現

と拝察します。

また、本書には、
「霊妙の力」に戸惑う吉水氏の姿が率直に記されています。

ただし、2019年5月刊の『行誡と弁栄展』図録の20頁
若くして愛娘を亡くされ悲嘆のどん底にいる母親に、
弁栄聖者が染筆された観音様の逸話に、
吉水氏は素直に感嘆されています。
(金田昭教編集『山崎弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』)163頁にも記載。

「如実知見」

常識的には信じ難い事ですが、
「肉眼特殊、五眼一般」の立場は、
三身四智の聖、弁栄聖者には常識であったようです。
※ 「五眼」とは、肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼のこと。

東日本大震災を契機に、
「臨床宗教師」に注目が集まっています。

あくまで私見ですが、
「臨床宗教師」に求められている重要な事は次の3点、

〇「被災者のこころに寄り添うこと」
〇「現存者、亡くなった者の人生の意味」
〇「亡くなった後のこと」

最後の項目以外は、
こころに関心を寄せる専門家を含む全ての人が、
覚悟すべき実存的な問いですが、
最後の項目は、特に宗教者に求められている切実な問い。

「臨床宗教師」は、
原則として、特定の宗教の信条を押し付けない、
ことが大前提だと思われますが、
それゆえに、
特に最後の項目に関して、
「臨床宗教師」の実際的な関わりに関心があります。

奥野修司著『魂でもいいから、そばにいて
3・11後の霊体験を聞く』


なお、著者の講話が、YouTube、
「第18回 現代仏教塾」、
「魂でもいいからそぼにいて」

にアップされています。

この切実な悲痛な魂の叫びに、
宗派宗教の教義、あるいは、個人の信条に基づかずに、
「臨床宗教師」はいかに応え得るか、にです。


さて、吉水岳彦著『お袖をつかんで』には、
内省に向かわせる力があり、
考えさせられた事も多々ありましたが、
「第四十歩 美しさの徳」には、
ご自身の体験から、
「美の働き」に関する極めて重要な洞察が述べられています。

批評家の若松英輔氏が、
柳宗悦氏に見出されたものと同種の、
真、善では為し難い「美の功徳」。
調和と一致・同化の働き、真の平和の源泉。

ただし、吉水氏の場合は、
「人格的な聖容」への憧憬がある様に思われます。


最後になりましたが、
冒頭に関しまして、お知らせしたいことがあります。
阪神淡路大震災時に「心のケア」の第一線で活躍された、
安克昌精神科医師の著書、
『心の傷を癒すということ』原作がドラマ化。

NHK総合、土曜ドラマ全四回、
「心の傷を癒すということ」
の第一回は、
令和2年1月18日(土)21時~21時49分。

安和隆(安克昌医師)役は、柄本佑氏、
永野良夫役は、近藤正臣氏で、
『心の傷を癒すということ』に序を寄せられている、
神戸大学名誉教授中井久夫氏がモデル。

NHKのドラマを知り、あるいは、ドラマを見て、
安克昌氏に興味関心を持たれ方には、
〇「安克昌先生と私」(中井久夫著『「昭和」を送る』)
をお勧めします。

安医師の友人からの貴重な記録としては、
〇「友人・安克昌医師の死 精神科医 名越康文」
(藤井誠二著『「壁」を超えていく力』)


専門的にはなりますが、
〇「二 安克昌の臨床」(杉林 稔著『精神科臨床の星影』)
〇「[特集] 安克昌の臨床世界」(『治療の聲』第9巻第1号 2009年2月)

また、東日本大震災時においても影響があったと思われます、
中井久夫氏の次の本も是非ご紹介したいと思います。

中井久夫著『災害がほんとうに襲った時』
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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