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2018-10-13

「徳本行者の修行地を巡って」~弁栄教学等からの考察


 【誕生院】
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徳本行者は、幼き頃から道心深く、
誕生寺裏には、行者が幼少時に念仏した洞穴があります。

また、誕生寺には、『徳本行者絵伝』が残っており、
時々、絵解きも行われています。

徳本行者の伝記等は、
福田行誡編著『徳本行者伝』の他にも幾つかありますが、
今回も、定番のこの福田行誡編著『徳本行者伝』を中心に記していきたいと思います。

『徳本行者伝』は、現代人の目からは、
不可解さ、怪しさ、不信さえいだきかねない内容
も結構あると思われます。

今回は、弁栄聖者の行状、弁栄教学等と対比させて考察いたします。
この書の読解の一助になれば幸いです。

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 【往生寺】
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27歳の時、
大円大徳について得度、徳本と称す。

往生寺再建等のため、
大円大徳と共に、勧請等に精を出される。

その二年後、大円大徳逝去。

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 【月照寺】
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福田行誡編著『徳本行者伝』では、「月正寺」と表記。

徳本行者16歳の時に、
住持大良和尚について別時念仏、併せて水行も修す。

16歳~18歳頃、
廻国行者に「一枚起請文」を付属さる。

ここに既に、徳本行者の生涯に決定的な影響を与えた、
「一枚起請文」とのご縁が結ばれます。

ただし、徳本行者の行状等をおっていきますと、
"浄土宗捨世派"の系譜には収まりきらない実態
が徳本行者にはあるように思えてなりません。

徳本行者のご生誕地である紀州和歌山。
熊野詣でで、古来から全国的に知られる熊野三山、
高野聖の活躍した高野山もある、
そういった様々な宗教的風土の濃厚な地域
それらの地域性も十分考慮する必要があるように思われます。

28歳の時、
住持大良和尚と共に、念仏修行を修す。
徳本行者は、
昼は、「月照寺」付近の丸山を巡り念仏、夜は、堂内礼拝。
一日炒麦一合。30日間修す。

「何事も一道を貫通せんと思はんものは、
艱難苦行を経て練磨を重ねざれば
其妙処に到るものにあらず、
何事も初めはかたき事に思へども
漸くにしておのづから平易の場にいたるものなり」


と徳本行者は、この頃、人に語っておられます。

ここにて、千津川・須ヶ谷の苦行を発願。

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「月照寺」から数百m程行った山中に、
「徳本行者の初行の洞窟」があります。

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この辺りから、周囲の雰囲気が変わってきます。

ここは、
熊野古道、熊野神社、那智大社、高野山のある紀州和歌山。

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この場所にさしかかった時、
不思議な、妙な気分に襲われました。

「deja vu」、既視感!とでも云いましょうか?

何処かで、見たような光景・・・
あっ、そうだ!
弁栄聖者が二十代の半ば頃に籠って修行された、
”三昧発得の修行地”、茨城県「筑波山」!

古来から、
「西の富士、東の筑波」と並び称されてきた霊山。


「芝増上寺(時の東部管長)行誡和上は、
かねてこの青年沙門日頃の行持を聞き伝えて、
「東から名僧がでる」
とよくいっておられた」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

福田行誡上人にとって、
西の名僧が、徳本行者なら、
東の名僧は、弁栄聖者
であった、
のかもしれません。

※ 福田行誡上人と弁栄聖者には、 50歳程の開きがあり、
徳本行者と福田行誡上人も同様、50歳程の開きがありました。

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弁栄聖者、「浄土宗捨世派」、「木食」僧が、
籠って修行されたと伝えられる岩屋、洞窟等に実際に行ってみて、
ほぼ確信できた事実があります。

それは、籠られた修行地である、
「岩屋、洞窟等の近くには、湧水がある。」
という共通点です。

"肉体"といった「生理的制約」を持った人間には、
水は不可欠だからでありましょう。

また、例えば、 信州唐沢山阿弥陀寺に参詣されれば、
「霊山と云われる山中の湧き水には、何処か神秘性がある」
と自ずと感得される
かと思われます。

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【徳本行者初行洞窟】
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弁栄聖者の三昧発得の修行地、
筑波山の「立身石」、女体山の「護摩壇の岩屋」を彷彿とさせます。

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ここ数年の実地調査、文献等から、

弁栄聖者御遺稿の学問的研究書ともいうべき、
山本空外上人編『辨栄上人書簡集』において、

「その夏筑波山入山、
立身・北斗両石上各一ヶ月の三昧証入となり」と。

弁栄聖者の筑波山中での御修行場所を、
「立身・北斗両石上」とされた断定表記は、
後世に誤解を生む
と確信するに至り、
ここに信憑性のある推定を改めて記します。

弁栄聖者の篤信家、吉松喜久造氏は、
聖者の筑波山での御修行地について調査された結果、
次の如くに、結論されました。

「聖者が最初、男体山で寝泊り、雨宿りなさったのは、
男体山岩屋で、二、三人は入れる位のほら穴で、
立身石より約百米位下にある。
聖者は日中は人目を避けて男体山岩屋で念仏し、
登山者が帰ったあとで、百米上の立身石上の巌上で
一心専念に念仏三昧をされたという。
この岩屋から更に約百米位下に、
水の湧き出る御海(みうみ)が位置し、
この湧き水にて聖者は炊事をして居られたと伝えられる。

この立身石での御修行のあと一か月間は、
女体山岩屋、北斗石、護摩壇石付近かと推定される」。


弁栄聖者の筑波山での御修行場所を明確には断定できかねますが、
現時点では、吉松氏の説が最も信憑性が高い。


なお、徳本行者、「木食」僧、弁栄聖者においても、

「長期間籠られた「窟屋」は、
人里から全く閉ざされた山奥ではない。」


このことは、
肉体を持った人間、他者の存在を不可欠とする人間、
そうした「様々な心身の制約のある人間」の修行法を考察する場合、
決して見落とせない視点かと思われます。


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【尊光寺】
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「上人堂」とも呼ばれ、
徳本の水行跡に、その遺徳を偲んで建立したお寺。

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29歳時、
ここ、千津川落合谷にて、苦行6年間に及ぶ。

避穀断塩のうえ、近くの落合川で水垢離をとり、
五体投地高唱念仏の荒行を修す。

この「避穀断塩」の実施には、逸話あり。

徳本行者が修行中、この地に、
増上寺学侶が訪ねて来て、
「昔弾誓、澄禅の両大徳は木食草衣にて、
久しく山居修行されたとのこと。
行者の修行はこれに非常に似ている。」
と。
「我もその志しである」と徳本行者は答えられ、
それより、この「木食行」を行われた。
※ ちなみに、 「木食」とは、「木喰」の誤りではなく、修行方法。
一般には、「木喰」といえば、
木喰行道(木喰五行、木喰明満)上人を指すことが多いです。

なお、平成30年は、木喰生誕300年にあたり、
平成30年10月21日まで
山梨県身延町の「なかとみ現代工芸美術館」で、
「生誕三百年 木喰展 ~故郷に還る、微笑み。~」が開催中です。


福田行誡編著『徳本行者伝』には、

「避穀断塩の苦行は山居巌棲の際(あいだ)、
事の煩はしさを省くの方便なるのみ。」

と記されていますが、

この「木食」行の五穀断ち修行には、
"修行上における生理学的効用"といった観点からも、
考察する必要があるかと思われます。


後に、徳本行者は、弾誓・澄禅両上人の遺跡巡礼をされます。

徳本行者の行状等を考察する場合、
弾誓上人について知ることが不可欠
かと思われます。

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「徳本行者水行座石」

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光明会の『如来光明礼拝儀』が置かれています。

「上人堂」にある木魚。

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寺内にある「書継ぎ名号石」にまつわる逸話は、
よく知られた徳本行者の霊験譚の一つ。

村民が病難を防ぐため、村に名号塔を置こうと、
村の河原で探しましたが、
その石に疵があったのでそのままにしておいたところ、
ある朝、石屋の表にその石が置かれていました。
石屋は近くの寺の法師に名号を書いてもらい、南無の二字を彫刻。
今度はその石が、自分を慕って飛んできたことを聞いて、
この石に十念を授け、残りの「阿弥陀仏」を、
「書き継がれた」とのこと。

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この現象を見聞した村人達が、不思議がっていたところ、

「凡夫の極楽に往生するは、
石のおのずから飛び来るよりも不思議なり」

と徳本行者は仰られました。

真偽のほどは、暫く置くとしまして、

これと似た御教示は、弁栄聖者にもあります。

「宗教家は奇蹟を現わさなくてはつまりません。
釈尊のお弟子でも多くの人が
釈尊の教理に服して入道したのではなく、
釈尊の奇蹟に驚嘆してお弟子になっております。」

また、
「予言ができるとか、病気がなおるとか、
そんな奇蹟がなんの価値がありましょう。
凡夫が仏になる。
これほど大きい奇蹟がまたとありましょう。」

※ 熊野好月氏への御教示には、「水の上を歩く」ことも含む。

と 、(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)に、
木叉上人は、慧眼にも、併記されています。

"宗教者徳本行者の衆生済度の在り方"を考察する場合に、
不可欠な両つの観点。



笹本戒浄上人は、より具体的に、

「私共凡夫は、
神変不思議を目のあたり見せられますと驚いて、
その神変不思議に興味を感じ、
仏道修行上最も大切な成仏という事を忘れて仕舞います。

成仏とは涅槃と菩提とを完全円満に成就する事であります。
そしてその為には如来様の御力を信じ、
お慕い申して如来様に同化されて
完全円満な霊的人格を成就しなければなりません。
衆生済度の目的は実に其処に向かわせる事にあります。

ですからうかつに相手かまわず神変不思議を見せますと
必ずといってよい程仏道修行の道から脱線して仕舞います。

然し又、神変不思議を現ずる必要のあるものには時期を逸せず、
御力を発揮して見せるという事もできなくてはなりません。

弁栄上人様はそのような御心を以って
私共を成仏へとお導き下さいました。」と。


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【水垢離の行場】
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広懺悔誦して水垢離、五千~一万の礼拝。
寒風肌刺し全身ひびあかぎれ松皮の如し。
礼拝のたびに鮮血ほとばしる
までなりましたが、

かつて人に語りては、
「仏道修行は一旦艱難をしのぐが大事なり、
三ヶ年の後にいたりては、
いかなる難行の場にいたりても、
一身痛悩する程の事はなきものなり」

と、いよいよ修行に励まれました。

人目には荒行そのものでしたが、
徳本行者御自身の意識とは違っていたかもしれません。
仏の御加護(他力)の致す処と推察いたします。

その後、ある無言にて別行の折、
激しい下痢をされ、
或いは赤く或いは黄のものを多く下し、
十二三日過ぎて平癒。
その後、一しほ身のかろき事を覚えた」
と。

ここで、注目すべき点は、
身体の変容過程です。

修行とは、一般的に心、精神、魂の浄化と捉えられがちですが、
身体の浄化も必然的に伴うものである
ことは、通常、見落とされがちかもしれません。

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ここ、千津川周辺での約6ケ年に及ぶ苦行の後、
弾誓上人ゆかりの京都古知谷の阿弥陀寺に参詣された時、

「此ころまでは
頭髪肩にたれ錫杖を突きたるさまを見て、
弾誓上人の再来なるべし
など土人(ところのひと)は申合ひけり。」


徳本行者の修行形態、風貌等は、
奉行所からも怪しまれ、増上寺から弁明書を幾度か提出されています。

徳本行者は、「浄土宗捨世派」に属し、
生涯法然上人の「一枚起請文」を以て、
自行他化の鏡
とされたとは、通説ですが、
どうも腑に落ちないところがあります。

確かに、形式は、南無阿弥陀仏の高唱念仏ですが、
念仏の内容については、検証の余地があるように思われます。


ここで、徳本行者が尊崇された弾誓上人にふれておきたいと思います。

弾誓上人に関しては、
資料が著しく少なく、文献のみによる研究はかなり困難であると思われます。

『徳本行者全集』代表編者戸松啓真氏の論文、
「近世浄土宗における捨世派の成立
ー 称念と以八と弾誓について ー」

(『大正大学研究紀要 仏教学部・文学部 72号 1986.10』)に、

「近年信濃の宮島潤子氏が弾誓の遺跡ならびに遺品の調査をして、
弾誓にふれ「木食上人弾誓の生涯と思想」、「弾誓と徳本」の論作で
弾誓を広い立場から考察し
単に捨世派の人師としてみるだけではなく、
円空に先行する木食上人、作仏聖遊行聖
としても考えられることを述べ、
思想的には、天台系融通念仏、
さらに真言覚鑁の密教思想の影響
などについても
資料をあげて述べられている問題提起の力作である。」
注目されています。

「弾誓研究」といえば、
宮島潤子氏、五来重氏の研究を以て嚆矢とし、
不勉強の誹りを招きかねませんが、
現在のところ、
両人の研究成果を凌駕する著作、論文等にお目にかかれておりません。

特に、宮島潤子氏の「弾誓研究」姿勢、
力作『万治石仏の謎』等に通底しているのは、
いわゆる"研究者"のそれではなく、
弾誓上人への敬愛の情に基づく、
弾誓上人(人と思想)に肉薄せんとするその篤き情熱。

大きな感銘と感動さえ覚えます。

伊藤唯真氏は、
『五来重著作集第十巻 木食遊行聖の宗教活動と系譜』
解説「五来「ひじり」学のフロンティアー木食遊行聖の世界ー」において、

「木食聖の研究においては、
地元研究者の協力が何より必要である」


と期待を寄せられています。

弾誓上人との関係においていえば、管見では、
円空上人の郷土史研究家として知られる、
『[修験僧] 円空 研究成果と課題』の著者、
岐阜県美並村の池田勇次氏も挙げられるかと思われます。

郷土史研究家でもある、
「弾誓、木食研究者」宮島潤子氏と
「円空研究者」池田勇次氏両人の
弾誓上人への共通の関心事は、
「弾誓自筆譜脈」「宝冠の弥陀の弾誓」に象徴される、

「阿弥陀如来即大日如来、即身成仏という信仰」
にあります。

弾誓上人は、佐渡でのご修行中、
弥陀から直説法を給はれました。

「一夜清朗にして岩窟特に寂莫たれば
心もいとど澄みわたりて念仏もっとも勇猛なり。
その時岩窟変じて報土と成れり。
教主弥陀如来、大身を現じて微妙の法を説給ふ。

大日如来釈迦如来及び一切諸菩薩衆、
星のごとく列りて虚空界に充満せり。
時に弥陀尊、直に上人に授記して
十方西清王法国光明正弾誓阿弥陀仏と呼びたまふ。
その説法を書記して弾誓経と名く
説法既に終る時、
観音大士手づから白蓮所乗の仏頭をもって上人に授け給ふ。
是伝法の印璽なり。」
(『弾誓上人絵詞伝』)

弾誓上人が念仏により即身成仏を果たしたとされた時に、
大日如来と阿弥陀如来が共に描かれている点が、
真に興味深い点です。

弁栄聖者は、自内証の上から、
「大日と弥陀」及び「弥陀と久遠実成の仏」(法華経)」を、
同体異名
と明言されています。

また、
「弁栄聖者の光明体系の構想にあたり、
真言密教のある経典から示唆を受けた」
とも。
(弁栄聖者から藤本浄本上人への御教示)


弾誓上人に関する文献は、とても少なく、
特に、上述の宮島潤子、五来重両氏の文献は必読かと思われます。

○ 宮島潤子著『信濃の聖と木食行者』
〇 宮島潤子著『万治石仏の謎』
〇 宮島潤子著『謎の石仏ー作仏聖の足跡ー』

〇 五来重著 『五来重著作集第十巻 木食遊行聖の宗教活動と系譜』

〇 鈴木昭英著『越後・佐渡の山岳修験 修験道歴史民俗論集.3巻』

他にも次の方々の著作等も参考になります。


〇 西海賢二著『漂泊の聖たち―箱根周辺の木食僧』
〇 西海賢二著『江戸の漂泊聖たち』
〇 吉田幸平著『弾誓譚―ある修験僧の生涯』
〇 池田勇次著『[修験僧] 円空 研究成果と課題』
〇 「佐渡の木食上人」(田中圭一先生講演録 第八集)
〇 田中圭一著『地蔵の島・木食の島』(私家本)
〇 「41 それは佐渡から始まった
ー木食弾誓とその後継者たちー(1)」
(佐渡出身の方のブログ「石仏散歩」)



一方、徳本行者は、
平生のお言葉に、
我れ念仏する時は即ち阿弥陀仏なり。
説法する時は即ち釈迦なり、
とぞのたまひける。
聖道門にはかかる伝へもあれど、
浄土宗にてはかくまでには申さぬぞ教限なるべきを、
師の自得し玉へるさまおのづから経論の至理に符合せるを、
其まま仰せられし
もいとめずらしくなむ。」

と、増上寺法主の福田行誡上人は、
幾分懐疑的にも記されています。

「師の自得し玉へるさま
おのづから経論の至理に符合せる」


とは、真に、意味深長な表記。


「私は経文に依って演繹的に説くのではない。
帰納的に説いておる」

(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)

「経典に依るのでなく、
御自身の体験せられた如来様の事実※から
帰納的に光明主義の教学体系を組織せられた、
という意味である。」(笹本戒浄上人のご教示)

※「御自身の体験せられた如来様の事実」とは、
「三身四智の仏眼」の境界における認識。

更に、
「真生同盟」提唱者土屋観道上人への弁栄聖者のご教示として、

「キリストが此の世に出て説いたものが新約聖書となって、
それ以前のユダヤ教経典が旧約聖書となったように、
今後の宗教は光明主義経典を以て新約聖書となし、
従来の一切経をもって旧約となすべきである」

と(弁栄上人が)おっしゃったことが、今尚私の心に遺っています。」
「弁栄上人の思い出」『大悲に生きる 観道法話』)


徳本行者の御道詠には、
法然上人の御道詠同様、
浄土宗の伝統的な宗乗の枠を超えた
徳本行者の自内証が吐露されたお歌が幾つもあります。


〇 「口先で唯心己心をいふたとて
知らねば仏は十万奥土」


〇 「一心に南無阿弥陀仏をいふ時は
我が阿弥陀か阿弥陀が我か」


〇 「本地あらわす南無阿弥陀仏
いつも替らぬもとの姿を」


〇 「徳本は南無阿弥陀仏の異名にて
帰りて見れば主なりけり」



弁栄聖者の「仏々相念の讃」には、

「人仏牟尼は一向に 本仏弥陀を憶念し
本仏弥陀の霊徳は 牟尼の身意に顕現す
入我我入は神秘にて 三密正に冥合し
甚深不思議の感応は 是れ斯教の秘奥なり」

斯教とは、弁栄聖者提唱の光明主義


ここで、ふと思い出した逸話があります。

杉田善孝上人から、
この聖者の「仏々相念の讃」を聞かれた 数学者の岡潔博士

(岡潔博士) 「成仏しても他仏を拝むのですか?」
(杉田上人) 「はい、成仏しても、本仏大ミオヤを拝みます。」


一般に、浄土教において、
「真実の自己」とは、あまり耳にしませんが、
「真実の自己」の認識にも浅深があると云われています。

「 『臨済録』は、慧眼で体大法身と合一した時の如来の大我。
『瑜伽論』は、仏眼で体大法身と合一した時の如来の大我。
『光明主義』は、
三身四智の仏眼で法身の中心である絶対の報身と合一して、
その体大法身の最も深い部分、
法身の最も重要な面と合一した時の如来の大我。」

(『笹本戒浄上人全集 中巻』)


「我といふは絶対無限の大我なる
無量光寿の如来なりけり」(弁栄聖者)


「この我は真我のことで、
弁栄聖者の真精神の御教示では、
真我には、
"絶対の報身の最高最深の
いつも変わらぬあり通しの永遠の生命"と
"法身の粋である絶対の報身"の二義がある。」

戒浄上人は仰せられた。
(『「笹本戒浄上人伝」笹本戒浄上人全集 別巻』)


「絶対の報身が真実の自己でありながら、
お慕い申すと無限にお育て下さる。
故に唯一独尊の報身をお念じ申し、
お慕い申さざるを得ない。」

(『辨榮聖者 光明主義注解』)

弁栄聖者が三昧直観された、
釈尊、最晩年の善導大師、法然上人、徳本行者が、
外部には漏らされずに、
三昧証入され、示寂
された、
三身四智の仏眼の境界。
弁栄聖者の真精神、
"平等と差別に偏しない絶対中心の中道の念仏"。



 【西法寺】
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【須ヶ谷山 岩室山】
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それほど急な道ではありませんが、
麓から頂上までは、徒歩で二十分~三十分ほど登っていきます。
結構しんどいですから、
小型の車で、可能な限り登って行かれ、
そこから徒歩で行かれるることをお勧めします。

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徳本行者の弟子の尼僧、
「本名、本勇の墓」。

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徳本行者の或る尼僧救済に関する逸話。

「= 尼の色欲 =」(岡本鳳堂著『改訂再販 徳本行者』)によります。

徳本行者の弟子である尼が念仏修行中に、
色欲が頭をもたげ、念仏に集中できずに悩みに悩み、
とうとう意を決し、恥を忍んで師である徳本行者に相談されました。

徳本行者は、黙ってお聞きになり、
憐みのお顔をなさって、

「膝を、開きなされ。」といわれました。

よりによって師である徳本行者の前、
女の身、そんな恥ずかしことはできない。
ところが、徳本行者はしずかにお待ちになっています。
羞恥心と緊張のため膝が硬くなり、思うようになりません。
それでも徳本行者は威厳を整えお待ちになっています。
やっとのことで少し膝を開げることができました。
その時、徳本行者が、力のこもった「お十念」を授けられると、
電気のようにビリビリと肉体を走りました。
その後、尼には、再び色欲が起こりませんでした。


善導大師は言うに及ばず、
法然上人、弁栄聖者においても、
とでも想像出来ない生々しい徳本行者の御教化。

法然上人には、『一百四十五箇条問答』がありますが、
それはあくまで、言葉による問答。

弁栄聖者は、いわゆる"清僧"でありましたが、
私達が思い描きがちの"聖人"とは違っておりました。

笹本戒浄上人によりますと、

「 慧眼、法眼が開けた、三昧中に如来様を拝んだ。と申しましても、
温かい人間味の欠けた、
浮世の酸いも甘いも噛み分けないような三昧は雑念
であります。
弁栄上人は一生独身でいらっしゃいましたが、
夫婦の愛情の機微にも通じた
本当に人間味も豊かな大慈悲の聖者
でござんした。」
(笹本戒浄上人述 泉虎一記
『辨榮聖者 光明主義玄談 巻一』)


また、杉田善孝上人は、
「弁栄聖者は、仲睦まじい夫婦関係の機微を、
大円鏡智によって、御存じでした。」

と、御教示されたことがありました。

なお、
(笹本戒浄上人述 泉虎一記
『辨榮聖者 光明主義玄談 巻一』)は、
2018年(平成30年)9月に発刊
されました。

hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。

この書は、「弁栄教学」の上からも極めて重要な書であり、
同じく極めて重要な書である
(『辨榮聖者 光明主義注解』)は、芦屋聖堂から発刊されていますが、
非常に高価で、とても重く、携帯には不向きです。


平澤伸一氏は、
笹本戒浄著『真実の自己』等の発刊者でもあります。
また、平澤氏は在家でありながら、自宅を解放され、
長年に渡り、定期的(毎月一回)に、念仏・勉強会を開催。
現在の光明会には幾つかの系譜がありますが、
平澤氏は、弁栄聖者→笹本戒浄上人→ 杉田善孝上人の系譜。

 
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同じく「蜜柑の産地」ということもありましょうか、
ふと、愛媛松山と似た風景を思い出しました。

この辺りの地域で、
徳本行者は、害虫退治のため、
また、古戦場の亡霊のための念仏廻向をされました。

もちろん、弁栄聖者も亡霊のための念仏廻向をされました。

なお、念仏廻向に関してですが、
田中木叉上人は、その働き方を、

〇 生者 → 死者
〇 生者 → 生者
〇 死者 → 生者
〇 死者 → 死者


と四通りに分けて御教示されています。


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『徳本行者行場跡』

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【徳本行者直筆之碑】
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「修行中における魔境」について、
徳本行者は次の如く御述懐されています。

「勇猛につとむるころは内外に魔鏡きそひ起りて、
こわいなるかな宿業にかと
身の毛もよだつばかり覚ゆる事屢ばなり、
この時更に心を動ぜずして
深く三宝に護念をこひ奉りて
いよいよ専心に勤修おこたる事なければ、
魔境次第に消滅してやがて安穏の場に至るなり。

さればすべての事一際の越えがたく忍び難き処にいたる時、
みずから励しいよいよつとむれば、
後々は任運にすすむものなりとぞ語られける。」



弁栄聖者も徳本行者同様の御教示があり、

「魔事といひ業相といひ、
三昧修養の不調より惹起すべき心的現象なり。」

(「三昧と魔事」『弁栄聖者光明体系 無対光』)
( 書籍はこちらで、 PDF版はこちら)

と喝破されております。

徳本行者の同郷紀州の明恵上人にも、
同様の御教示があります。


杉田善孝上人は、
「修行における魔境について」
次の如く御教示されています。

「如来様のお慈悲にもたれかかる修行をすると、
業相に耐える力がついた後に業相が出る、
というようにさせて頂く。
そうでないと、はじめから業相が出る、
または修行成就しかかると
自分の弱点に業相が出て修行が止まる、
というように魔境が起こる。」
と。

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だいぶ長くなりましたが、
もうしばしお願いいたします。


或人が「口先ばかりにて唱える念仏は益なし」
と言ったのを耳にされた徳本行者は、

「そな言ひそ。
人間にても業障深きものは決して念仏は申されず、
今口先ばかりにても念仏の申さるる人は
宿縁開発の人なりとぞの玉ひける。」


〇 「口先であみだ仏々いへばよい
心なくして言はれるものか」(徳本行者)


弁栄聖者は、
「米粒名号」を善巧方便として授け
られました。

「口があっても念仏が口に唱えられない。
米粒に書かれた南無阿弥陀仏を読み、口に出す、
その一言が仏縁となって、如来様のお救いにあずかる」
と。

また、
徳本行者の粉挽唄の一部に、

「極楽に望みなくとも南無あみだ仏
うわの空でも申しておきやれ
弥陀の大悲で三途におちぬ
遂にけまんにみちびくぞ
けまんつくれば浄土に往生」


「三生果遂の願」。

「一心にお念仏しておれば、
三代生れ変る間に必ず親様のお世継になれます。
これは事実でございます。
私は決してうそは申しません。」
(笹本戒浄上人の御教示)



小金の東漸寺、檀林寺院の貫首宣契大和尚が、
徳本行者自身の日課念仏の数を尋ねたのに対し、
「念々不捨に念仏昼夜しばしも間断なければ
日課を定むることなし」
と。

「念々不捨とは申せども
一食の間もなお間断あり、
況んや上人は平生念仏の御いとま、
説法に力を用ひ給うことなれば、
無間修の名は如何にや」
と重ねて問うと、

徳本行者は居住まいをあらためられ、
「吾は四才の時より無間修の行者なり。
たとへ聖徳太子には及ばずとも
念仏説法の両途を一時に勤むるに
何の難きことかあらん。
大和尚には未だ念仏の数の足らぬより、
かかる疑ひの生じ給えるなり」
と。
大和尚はその時、
徳本行者が実地の修行者であることに感服


弁栄聖者は人に念仏を勧めるのに、
ご自身では念仏を熱心に称えているようには見えない
のを、
率直に意見した信者に対し、

「弁栄は、昔は一日十万遍、
血尿が混じるほど念仏を称えたが、
今の方がよほど念仏している。
・・・行住座伏、寝息に至るまで念仏となっていた。」


また、
徳本行者には、病気平癒の念仏「服薬名号」の授与といった、
現世利益的側面があったことも、
当時"生き仏"として崇められた要因として、見逃せない点。

もっとも、"現世利益"には、多種多様な意味合いがあります。

ただし、医学、科学が現代ほど発達、普及もしておらず、
また、自然災害の影響が現代以上に甚大であった、
という江戸時代の状況も考慮する必要があると思われます。

弁栄聖者は、
「念仏に現世利益があるのは、当然である。」

とご自身の念仏体験上から、
当たり前の事実として、身近の者に漏らされたことがありました。

「産気づいた妊婦が、弁栄聖者の米粒名号を呑んだ後、
しばらくしてから生まれてきた赤ちゃんが、
聖者の米粒名号を握って生まれてきた。」


これは、明治、大正期の話。
何とも不可思議な現象ですが、このようなことが結構あったそうです。


福田行誡編著『徳本行者伝』に記されている、

〇 「内心慢心をいだき、徳本行者を見下しながら、
会いに来た者の心中を見抜き、度肝を抜かしたこと。」


〇 「翌日会いに来る者とその者の未来を予告されたこと。」


弁栄聖者においても、
この種の話は、日常茶飯事でした。

特に印象的な弁栄聖者随行者による逸話を一つ。

「笹本戒浄上人と田中木叉上人のお二人は、
弁栄聖者に面談される時、聖者のお部屋に入られず、
次の間で聖者に礼拝され、何も言わずに帰られました。


不思議に思い、その理由を木叉上人に聞かれましたが、
笑ってお答えになりませんでした※ので、
(※ おそらく、その理由を言っても信じてもらえないからと推察されます)
戒浄上人にお尋ねになると、
「覚者は、口に出して質問をしなくとも、
相手の質問をちゃんと分かっている。
口に出して質問せねば相手の考えていることが分からぬようでは、
覚者とは言えぬ。」と。


弁栄聖者の
三身四智の仏眼に依る大円鏡智の働き。

ただし、ここで、留意すべき大事な点があり、

「仏の完全な大円鏡智は、
特別に意志を働かさなくても、
肉眼といつも同一時に活動している。
認識的一切智を実現していられる仏は
大円鏡智で宇宙の一切を任運自在に感じていられる。

ただし、「宇宙の一切のこと」と申しても、それは、

成仏の中心道を直進する上で核心となり急所となるもの、
自行化他の道において尊く価値のあるもの、
一切の衆生を中心道に導く対機説法で有効適切なもの、
お互いの心を明るく清く楽しく豊かにするもの。

もしも、そのような意義深いもの以外のものまでも
朗々と感じているのであれば、
それは、真実の仏の円満な認識的一切智ではない」と。

( 『笹本戒浄上人伝』)

更に、
徳本行者の母堂がご覧になられた徳本行者の奇端。

「母堂ののたまひけるは、
まず謝し申すべきは上人は
毎朝時も違はで
御十念授け給はる事のうれしさよ。


朝毎に光明の中に
師の十念の姿を拝みまいらすなり。」


徳本行者の奇端話として、
さらっと読み飛ばしがちの箇所かもしれませんが、

弁栄聖者にも同種の逸話があり、
仏眼を得た聖者の自内証に依らねば、
理解の糸口が掴み難いかと思われます。

仏眼を体得されていた、
笹本戒浄上人によりますと、

「仏眼に依る"分身利物"の働きである」と。

"分身利物"とは、
『妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五』に、
「観世音菩薩が三十三身を自由自在に示現する」
ことを説かれていますが、

これは、おとぎ話の類ではなく、

仏眼にも浅深があり、

「自得し玉へるさまおのづから経論の至理に符合せる」は、
仏眼、大円鏡智に依る認識力ですが、

大ミオヤにより、更に、霊育を頂きますと、
意志的方面が更に深く開発され、
如来妙観察智が分相応に応用可能となり、
分身利物の働きが分相応にできるようになる。

戒浄上人は御教示されています。

また、
同じく仏眼を体得されていた、
田中木叉上人は、

「人に如来様やお浄土を見せてやれる能力を得た人が仏眼である。」とも。
(冨川茂筆記『田中木叉上人 御法話聴書』)


浄土教においては、
伝統的に、阿弥陀如来の慈悲を全面に説きますが、
真実浄土門においては、
"三身即一の大ミオヤ"の慈悲と智慧の両面を説きます。

「師の自得し玉へるさまおのづから経論の至理に符合せるを」
と『徳本行者伝』に記されているように、
徳本行者が、生涯に渡り、一文不知のままであったかは、
疑問が残ります。


弁栄聖者が、よく本を読まれていたのを
随行者の佐々木為興上人が不思議に思われ、

「聖者は三昧発得していらっしゃって
何でも分かっていられるから、
本など読まれなくてもよいでしょうに」

と聖者に尋ねになったところ、

「いや、それはいけぬ。やはり本を読まぬといけぬ」
と言われたので、
「どういう訳ですか」
と重ねてお尋ねになると、

「それは、お念仏していれば
大宇宙の事柄が一切分かるようになる。
分かるけれどそれは観念的に分かるのだ。
書物を読むと書物に書いてある事柄と
自分の観念として得ている事とぴったりと合う。
認識にしようとすると思うと本を読まねばならぬ。
本を読む事によって認識となるのだ」

と聖者はお答えになられました。

笹本戒浄上人と弁栄聖者との間にも同様の問答があり、

「私も観念としては得ておるが、
認識的一切智では釈迦さんに及ばない。
この世界で認識的一切智を得ておられたのは
釈迦さんばかりだ」


とは、弁栄聖者の戒浄上人への御教示。

「肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼が円かでありませんと
円満な仏とは申されません。
弁栄上人様がそのようにお勉強なさいましたのは
肉眼※を得られるためであります。」

※ 肉眼には、五感と理性を含む。

また、

「認識的一切智のことをよく誤解しておられるようでござんすな。
一切智の代わりに法則の意味の知を用いて
認識的一切知として考えるとよろしゅうござんす。」
(笹本戒浄上人述 泉虎一記
『辨榮聖者 光明主義玄談 巻一』)


とは、戒浄上人の極めて貴重な御教示。

(笹本戒浄上人述 泉虎一記
『辨榮聖者 光明主義玄談 巻一』)
が、
2018年(平成30年)9月に発刊。

hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。

また、
弁栄聖者は、
大ミオヤの「智慧と慈悲と威神」、
「神聖・正義・恩寵」を説かれていますが、

これも、従来の浄土教においてはあまり言わないことですが、
念仏による功徳として、自ずと具足されてくる威神力

徳本行者の念仏の姿を見て、
"剣の極意を悟った"剣豪白井亨の逸話も伝記に記されています。

これは、如来成所作智の働き。


如来四大智慧については、
三身四智の仏眼を体得された弁栄聖者の独自認識によるもので、
『弁栄聖者光明体系 無辺光』※に詳述されています。

(『弁栄聖者光明体系 無辺光』)。
( 書籍はこちらで、 PDF版はこちら)


「念仏に物憂き人は
無量の宝を失うべき人なり。
念仏にいさみある人は
無辺のさとりを開くべき人なり」(法然上人)



最後に、
徳本行者研究の必読書、福田行誡編著『徳本行者伝』についての留意点。

歴史書等一般に言えることですが、
それが書かれた動機、歴史的背景等の知識等の観点が不可欠。

「大基和尚略伝」(「浄土宗全書18」所収)によりますと、

同(文化)十一年の頃、
将軍文恭公日蓮宗を信し、浄風漸く振はす。
縁山典海大僧正深く之を憂ひ、
鸞洲上人に諮る。
上人答て曰、徳本行者盛徳非凡、今紀州に 在り。
宜しく當地に請して宗光の扇揚を図るへし」

典海による請待の背景には、
将軍家斉公の日蓮宗への傾倒があった
ようです。

なお、このことは、
福田行誡編著『徳本行者伝』には記されていません。

これは、
学術研究論考ともいうべきブログ

「徳本行者の生涯と思想」

に教えて頂きました。感謝いたします。

徳川政権の権力者の庇護下にあった浄土宗が、
"法然上人の純粋の精神のままに存続し得た"と考える方が無理があります。


なお、弾誓上人(1552~1613)と徳本行者(1758~1818)の
修行形態、権力者との関係等の違いには、
生まれ育った時代背景、すなわち、
江戸幕府による宗教政策等の影響も大きいと思われます。


弁栄聖者は、政治、伝統宗教の両権力を極力避けられました。

「信仰と宗教組織との関係」。

人類の永遠の課題かもしれません。


徳本行者の示寂後、200年経った現在においても、
徳本行者の信奉者がおられるのは、
弁栄聖者の場合も同様ですが、
念仏による"現当二世の利益"を民衆に感得せしめた、
念弥陀三昧力に依る奇端等が根幹にあることは確実です。

ただし、それだけではなく、
徳本行者においては、
「日課念仏の誓約」、「徳本名号札の授与」といった、
徳本行者ご自身との直接間接の関係があり、
「徳本講」という組織、
永年に朽ちることのない「徳本名号石」等も見落とせないと思われます。


長々とした拙文を最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

この記事が、
徳本行者理解の一助になれば、ありがたく存じます。
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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syou_en

Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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