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2018-09-09

「法然上人以来、徳本行者ほど内感豊かな念仏者は無い」(弁栄聖者)


【誕生院】
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この石碑は、
知恩院門主山下現有大僧正の揮毫。


和歌山県日高町にある「誕生院」

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徳川治宝公の書による扁額。

徳本行者は、1758年~1818年、
江戸期後期に活躍された”浄土宗捨世派”に属すると云われます。

弁栄聖者が、1859年~1920年ですら、
徳本行者は、聖者の100年程前にご生誕され、
聖者が御遷化される100年程前に御遷化された聖。
世寿が、奇しくもほぼ同年齢。

○ 「徳本行者のような悟りをお開きになったお方は古来ない。
その三昧は、深くして深かった。」


○ 「古来、三身四智の仏眼を体得」されていたのは、
釈尊→善導大師→法然上人→徳本行者である。」

とは、弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示であり、
弁栄聖者の「徳本行者観」

ここで真に興味深いのは、
三身四智の仏眼を体得された聖方の内、
徳本行者だけが「学のある者ではなかった」
という点です。

此処に、”徳本行者御出世の因縁”
即ち、”大ミオヤの深意”
を強く感じます。

弁栄聖者は、「大乗非仏説」に対して、

「大乗経典とは、
三昧定中における、”永遠の生き通しの大乗釈尊”による、
出世間の三昧を開かれた聖方への直説法である。」


と喝破されています。

”その生き証人こそ、正に徳本行者であった”ということです。

悟りにも浅深があり、
悟りは、知・情・意・感覚全面に関わりますので、
知的面での認識力と、
意志的側面での実行力(法力)に、浅深が生じ
ます。

「悟りの浅深とは、
大ミオヤに依る霊育程度(霊化)の差(しゃ)別。」


念の為ですが、
弁栄聖者の(神)仏身観に依りますと、
”大ミオヤ”とは、「超在一神的汎神」であり、
聖者が提唱された「光明主義」とは、
「超在一神的汎神教」故、
その悟りの内容は、宗派諸宗教を包超しています。

徳本行者の行状を、
浄土宗乗の枠に捕われずに丹念に検証されれば、
自ずと頷かれると思われます。

なお、
法然浄土教は「易行道」と云われています。
徳本行者は、「浄土宗捨世派」と云われており、
激烈な苦行修行とも云い得る”浄土宗捨世派の念仏者”である、
称念、弾誓、澄禅、忍澂、無能、関通、法岸、法洲、法道、以八、学信、穏冏、徳本、徳住
の各上人に於いて、
反って、”法然上人の念仏精神が真に生かされている”という逆説は、
一考に値する
と思われます。

「徳本行者の真骨頂は、
行者の説法ではなく、
徳本行者の行状(行住坐臥)と
和歌にこそ顕現」
していると推察されます。

ここで、
この記事における表記について、
一言お断りしておきたいと思います。

この記事においては、
「徳本行者」との表記を主とし、
「徳本上人」との表記は特別の場合に限っています。

「徳本行者」との「行者表記」の方が、
相応しいとの感触
によるものです。

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「木魚 伝 徳本所用」
徳本行者の念仏修行により、”叩き抜かれた木魚”

この画像では分りにくいですが、反対側も穴が開いています。
六ヶ年に及ぶ千津川落合谷での苦行の際のものと伝えられています。

弁栄聖者にも同様の”穴の開いた木魚”が、
千葉県松戸五香「善光寺」に残っていたと記憶しています。


また、「誕生院」には、『徳本上人絵伝』があります。


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「徳本上人念仏行場」

少年の頃、
友人に手伝ってもらい洞窟を造り、念仏行場としました。

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「徳本上人十念名号塔」
徳本行者の熱心な信奉者、兵庫の吉田喜平次氏達が建立。

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誕生院近くの徳本行者の御生家は、
現在残っていません。


【一行院】
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東京都文京区千石にある「一行院」
徳本行者が示寂の地。

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「徳本行者墓」

1818年10月6日、
「一行院」にて、御遷化。
世寿61齢。

なお、
「徳本行者異聞 八木季生」
(戸松啓真編代表『徳本行者全集第六巻』)
には、
徳本行者のお墓に関する代々の口伝が、初披露されています。

「徳本行者在世中、
自分の亡きあと百年以上経ったら
遺骨を掘り起こしてほしいということを、
秘に側近の弟子に言い残された」
と。

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徳本行者に関する必読書としての筆頭に挙げられるのは、
福田行誡編著『徳本行者伝 上・中・下之巻
附録 法弟小伝総目』


福田行誡編著『徳本行者伝』の基となった、
小石川「一行院」に所蔵されていた徳本行者の伝記六十余巻を、
弁栄聖者は、この一行院で、お読みになっていたようです。

予期せぬ悲劇が起こりました。
蔵に入っていたにも関わらず、惜しくも、
昭和20年5月25日夜半の東京大空襲により焼失。

ところが、幸いなことに、その写本が、
愛知県岡崎の「荒井山九品院」に伝えられていました。
和歌山「無量光寺」にも同筆、同体裁の写本が現存。
また、九品院本を底本として昭和34年に書写されたのが、”大正大学本”
なお、この大正大学本の写本には、
椎尾弁匡増上寺法主のご尽力がありました。

昭和55年には、
戸松啓真大正大学教授を中心とする
『徳本行者全集 全六巻』がめでたく刊行され、
九品院所蔵『徳本行者伝』を含む大部の徳本行者に関する著作が収録されました。

詳細なる解説については、
田中祥雄「解題 徳本行者全集全五巻書誌解説」
(戸松啓真編集代表『徳本行者全集 第六巻』)

をご参照ください。

なお、この全集の第六巻は、研究編で、
大変興味深く示唆に富む論考が多数ありますが、
特に、”徳本行者の悟りの内容(深さ)”に関する論考としては、
○ 「徳本行者の禅的性格 藤吉慈海」
○ 「徳本行者の宗教体験と念仏思想 ー聖と俗の間ー 峰島旭雄」

の両論考を、特にお勧めいたします。


第六巻の「あとがき」に、戸松教授は、

昭和四十八年であったか南紀に調査に行った時、
不自由な体で案内の役をかっていたゞいた
松田良信氏も今は故人である。
手をにぎり「たのんます」といわれ、
合掌して別れた思い出は、
思い出としてだけではおさまらなかった。」


思わず目頭が熱くなりました。

松田良信氏は、
弁栄聖者の直弟子中井弁常居士とも親交のあった、
徳本行者の篤信者にして、
「徳本行者奉讃会」の中心人物。


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【福田行誡上人(1809年~1888年)】

「徳本行者 伝 例言 九条」『徳本行者伝』によりますと、
行誡上人は、
小石川一行院にあった徳本行者の伝記六十余巻を基に、
三巻本として編著。

その際の編著方針がこの九条ですが、
”行誡上人により取捨選択がなされている”点は留意すべきです。

徳本行者の行状を具に検証するに於いて、
特に留意すべき事項としては、

○ 「事奇怪に互りて常人の疑を生ずべきものあり。 
かくの如きものはおほよそこれを省く。

ひそかにおもんみれば、師の一世の行履上中下の三等あり。
今の伝は其上と下とを省いて、しばらく中等に就てこれを記録す。
人の不信と軽謗を防がんがためなり。」
とあります。

おおよそこれを省く」とありますが、
行誡上人編著『徳本行者伝』にも、
現代人の眼には奇怪と思われるものが数多く含まれています。

徳本行者の伝記は、
何処が伝説で、何処が史実であるか、
現代人には、その判別が甚だ困難です。


また、行誡上人は、この例言九条の最後に、

○ 「・・・昔は仏世尊弟子のために神通を現ずることを呵し、
また異を顕し衆を惑はすことを誡め玉へり。
本伝をよまんものすべからくまづこれを知るべし。」

と釘を刺されています。

徳本行者の全貌を捉えるためには、
徳本行者のこの”奇怪さ”から眼を逸らしてはならず、

徳本行者の「行者性」、
その神秘性、不可解さ、怪しさを、如何に読み解くか

が、読者側に問われているように思われます。

「徳本行者の魅惑は、
その多くを「行者性」(神秘性、不可解さ、怪しさ)におっており、
徳本行者に接した者に、
念仏に依る”現当二世の利益(功徳)”の顕現(体現)を、
まざまざと感得せしめた点にあった。」


ここでは、
この心象だけを指摘するに留めます。

とはいえ、
福田行誡編著『徳本行者伝』は、
「三身四智の仏眼を体得」された徳本行者ならではの、
とても興味深く、同時に示唆に富む行状

が記されている箇所が幾つもあります。
その箇所を、是非記して置きたいのですが、
記事が長くなり過ぎますので、
今回は一点だけ記しておきます。

徳本行者は、
京都獅子谷「法然院」とはご縁が深く、
此の地で、それまでの行者風の”長髪長爪の異相”を改め、
江戸、小石川伝通院にて、宗戒両脈を相承。

上京の際には、ここ「法然院」に泊まられていました。

その頃典寿律師と云う優れた学僧がおられ、
或る時、徳本行者に、『華厳経』の大旨を講じられた時、

「律師の学解やや大菩薩の悟道にせまれり、
栂尾の明恵上人の再来にやなど、師ものたまえり。」


徳本行者は、学問が達者ではありませんでしたが、
難解な「華厳哲学」を理解されていました。
真に不可思議なことではありますが、
「念仏三昧発得」により、”大ミオヤの四大智慧”を頂かれていた
と考えるのが自然かと思われます。

ここで、、
鈴木大拙著『日本的霊性』における「妙好人」を、
思い浮かべる方が居られるかもしれません。

『華厳経』とは、
”仏眼を体得された大菩薩”がお説きになった「大乗経典」と云われています。

徳本行者は或る時、
難解な華厳哲学である”重々無尽の縁起”
目の前に流れる小川に即して、さらさらとお説きになったので、
徳本行者のご境涯(認識力)の深さに、
華厳の大学者が驚嘆されたことがありました。

杉田善孝上人が、この逸話を思い出されたからでしょうか、
数学者岡潔博士に、
「小川の流れを、数学的に説明できますか?」
と問うたところ、
「ハイ出来ます」
と数学的に見事に説いて下さったそうですが、
その内容は、残念ながら残っていないようです。

徳本行者は、
現代の「流体力学」の原理を御存じだったことになります。


さて、
田中木叉上人も『日本の光(弁栄上人伝)』における著述方針について、

なおちなみに記す。 
全篇にわたり各個人のうろ覚えの口述による資料は、
全国蒐集材料綜合判断上甲乙矛盾し、あるいは不確かなること往々あり。
史学研究法に準じて検討取捨の結果怪しきものは記載せず。
むしろ記載せざれざりし事により、
丁寧なる調査吟味を費したることをここに付記す。」
と。

この点に関して、
弁栄聖者の信奉者でもあった岡潔博士は、ご生前、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に関して、
「現代人の理性に配慮し過ぎている処がある。」
と洩らされたことがあったそうです。


ついでながら、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』の初版は、
昭和11年9月で、
木叉上人編纂の弁栄聖者の御遺稿『ミオヤの光』の発刊が、
昭和9年までかかったとはいえ、
弁栄聖者御遷化後、十五年程かかっています。
奇しくも、山本幹夫(空外)著『弁栄聖者の人格と宗教』の初版が、
同年昭和11年10月に発刊されています。
また、
この翌年、昭和12年7月には、
笹本戒浄上人がご遷化されています。


ここで、
福田行誡上人と弁栄聖者の関係について触れて置きたいと思います。

行誡上人と弁栄聖者の関係については、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に数ヶ所記載されていますので、
「明治期の名僧として知られた福田行誡上人程の方は、
さすがに弁栄聖者の真価を御存じだったのだ」

という程度の認識でした。

ところが、
この記事を書くにあたり、
行誡上人編著『徳本行者伝』並びに行誡上人ご自身に関する伝記、
更には、徳本行者に関する論考等を拝読していた時、

「徳本行者→(福田行誡上人→)弁栄聖者」

の系譜がふと頭を過ぎりました。

行誡上人の強い信念であった、
八宗兼学の精神」、「僧侶の戒律復興」を、
弁栄聖者が生きられたからというだけでは、
大切な何かが抜け落ちているように思えてなりません。

「行誡上人にとって弁栄聖者とは、
幼き日に出逢った徳本行者の再来だった」
のではないか。

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』には、

○ 「当時の増上寺法主は徳望古今に秀でたる行誡和上で、
疾(つと)にこの青年沙弥の比なき法器に嘱望し、
爾来ずっと推称しておかなかった。」


○ 「明治二十一年浄土門主行誡和上は遷化さるる前に、
知恩院よりわざわざ法門付属のお墨付きをそえて
二十五の大衣を上人に送られた。」


この箇所を読まれた読者の中には、
俄かには信じ難いと思われる方もおられると思いますが、
田中木叉上人の弁栄聖者の御伝記の記述は、
史実を調べれば調べるほど、
真実、事実であることが史料等から裏付けられ、
木叉上人の”冷静で淡々とした筆致”に、
かえって驚かされることが多い
という印象をいだきます。

逆に、徳本行者に関する学者の論考等に、
「徳本行者と弁栄聖者の関係の指摘、記述が皆無に等しい。」
この現象は、反って、訝しく、不思議
です。

管見するところ、
「徳本行者と弁栄聖者との関係」を明確に指摘されているのは、
東京芝増上寺ご法主、八木季生台下のみ。」
(参考:「徳本行者異聞 八木季生」(戸松啓真編代表『徳本行者全集第六巻』))

なお、八木台下は、「一行院」の前住職で、
「一行院」には、
徳本行者のお近くに、弁栄聖者のお墓
もあります。

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行誡上人と弁栄聖者に関する記述を続けます。

「行誡上人御遷化の前
二十五条の袈裟を弁栄上人に附属し
態々送りし事を目撃せしが今いづこに在るものか、

行誡上人はその遺法伝持の任が弁栄上人にあることをしめしものにて
御墨付きも附き居たりしものなり。」
(「行誡上人の袈裟附属 館林善導寺主 塚田英亮師談」
『ミオヤの光』縮小版三巻249頁)


※ 参考文献:「館林市善導寺調査報告 新発見光明資料 27 
ひかり編集室 金田照教」 『ひかり』2018年8月号


これは、
金田照教( 香阿昭教‏ @ganyosyoukyou)氏のご教示によるものですが、
史料発掘として、大変貴重な発見であり、ご指摘。

行誡上人が遷化に際し、
弱い三十歳に満たないまだ年若い青年僧山崎弁栄に、
わざわざ二十五条袈裟を贈られている事実は、
大方の『福田行誡上人伝』において、
殆んど看過されている史実

ただし、
この「行誡上人のその遺法伝持」には、
行誡上人の幼き心眼に焼付いた、

「威貌堂々士庶敬服す。
音声枯渇すれども響き林谷に徹す。
婆心丁重にして聴く人感涙するに至る。」

徳本行者の面影
が彷彿とされ、
青年沙弥山崎弁栄の将来像と徳本行者が重なって
おられたと推察いたします。

「徳本行者の自内証の真髄は、
弁栄聖者の研究を通してこそ信解可能である。」

とさえ云い得るように思われます。


【荒井山九品院】
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愛知県岡崎にある「荒井山九品院」。

徳本行者の高弟、徳住上人の開基。

先述の小石川「一行院」に所蔵されていた徳本行者の伝記六十余巻の写本、
「九品院本」を所蔵。

おそらく、
未公開の徳本行者に関する本を所蔵されている可能性は大きいと思われます。

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「徳住上人の墓」

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本堂の裏手には、とても立派な、
「徳本上人の名号石」があります。

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近くには、
松平(徳川)家ゆかりの寺「大樹寺」があります。


【無量光寺】
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和歌山市内にある「無量光寺」

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先述の九品院本同様の写本を所蔵。

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「無量光寺の名号塔」
平成九年 徳本行者百八十回忌記念の大きな青銅の名号塔。
側面には、徳本行者のお歌が彫られています。

【徳本行者 辞世の句】
「南無阿弥陀仏生死輪廻の根を断たば
身をも命もおしむべきかは」



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「無量光寺の名号碑」

裏側には「仏子塚」とあります。
餓死者、病で亡くなった方々の遺骨がおさまっています。


【大雄寺】
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飛騨高山にある「大雄寺」

徳本行者の名号石は、日本各地に多数有りますが、
此処の名号石は、「日本一大きい」と云われ、
高さ4.5M(台座含むと6M)、幅1.3M。

徳本行者の筆跡は、とても独特ですが、
祐天上人の筆跡を模倣したものとも云われています。

昨年、2017年(平成29年)は、
徳本行者の200回忌(※1)でしたが、
祐天上人の300回忌(※2)でもありました。

また、祐天上人、徳本行者も、
江戸期に活躍され、当時の民衆は勿論、
将軍徳川家からの信もとても篤く、
正統的な浄土宗の枠内には収まり切らない不可思議さを持った御方。

なお、弁栄聖者は、
徳本行者は勿論、祐天上人とも不思議なご縁がありました。

「「出家したいなあ」とおもいながら、
棹をとってたちあがれば、
薄くらがりの水に浮ぶ一冊の本、
拾えば奇縁、それは祐天上人の伝記であった。」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


(※1) 有田市郷土資料館特別展図録
『念仏行者徳本 ー200回忌記念ー』
発刊。

(※2) 祐天上人300回忌を記念して、
『祐天上人の名号石塔』を発刊。

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今回は取り上げませんでしたが、
和歌山県内で、徳本行者ゆかりの地は他にもまだあり、
主だった処を列挙しますと、

○ 「往生寺」:大円上人について得度。
○ 「月照寺」:大滝川、大良上人につき、本格的な念仏三昧修行に入る。
○ 「尊光寺」:六年の苦行地「千津川」落合谷」
○ 「西方寺」: 「岩室山」、有田市宮原町の修行地。


などがあります。

徳本行者に関する本は現在入手し難いかもしれませんが、
幾つかの参考文献を挙げておきますので、
徳本行者とのご縁の一助になれば真に幸いです。

○ 福田行誡編著『徳本行者伝』
○ 戸松啓真編集代表『徳本行者全集 全六巻』
○ 松田良信発行『徳本行者傳』
○ 松田良信編著『徳本行者 言葉の末』
○ 八木季生発行『徳本行者傳 全』
○ 岡本鳳堂著 『改訂再版 徳本行者』

○ 中野善英著『徳本行者』
○ 井上豊太郎著『念仏大行者徳本上人傳』
○ 塩路善澄著『徳本行者を慕いてー郷土での足跡』
○ 有田市郷土資料館特別展図録
『念仏行者徳本 ー200回忌記念ー』

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山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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