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2017-10-24

「仏とは自覚ある大常識者です。」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


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【(右)弁栄聖者と(左)佐々木為興上人
(大正9年10月中旬 知恩院勢至堂別時会)】


三身四智の仏眼」を深く体得されていた弁栄聖者の最晩年
聖者の”不可思議な異能(法)力”を、度々目の当たりにされていたのでしょう、
聖者に随行中の佐々木為興上人が、

「上人はどんなことでもお分かりになるのですね」
と聖者に聞かれたところ、

「何でも分かります。
大体仏とは自覚ある大常識者です」


と言って聖者がお笑いになられた
(『佐々木為興上人遺文集 藤堂俊章編』)

この「仏とは自覚ある大常識者です」の箇所が、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に記載されています。

○「何でも分ります」
○「自覚ある」
○「大常識者」の「大」と「常識」

について、ご留意願います。

また、ある時、

弁栄聖者は「何でもよく分かって」おられる筈なのに、
よく本を読まれていたのを為興上人が不思議に思われ、

「聖者は三昧発得していらっしゃって
何でも分かっていられるから、
本など読まれなくてもよいでしょうに」

と聖者に尋ねになったところ、

「いや、それはいけぬ。やはり本を読まぬといけぬ」と言われたので、

「どういう訳ですか」と重ねてお尋ねになると、

「それは、お念仏していれば
大宇宙の事柄が一切分かるようになる。

分かるけれどそれは観念的に分かるのだ。
書物を読むと書物に書いてある事柄と
自分の観念として得ている事とぴったりと合う。

認識にしようとすると思うと本を読まねばならぬ
本を読む事によって認識となるのだ」
と聖者はお答えになられた。

またある時、

「どうして本を読むのがそんなに早いのでしょうか」
とお尋ねになると、

「こんな事を言うとおかしいが、
私の心の通りに書いてあるようで早い。
事新しいことが書いてあるとは思わぬ。
丁度自分の手紙を読むようだ

と聖者は仰言った。

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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

また次のような、興味深い逸話もあります。

弁栄聖者に随行中の大谷仙界上人と佐々木為興上人が、
九州福岡の珠林寺の縁側に腰かけて、
「(弁栄)上人は大円鏡智が開けて居ると思うか」
以前、ある者に聖者のお金を使い込まれたことがあったが、
「(大円鏡智が)開けているならそれがわかる筈だ」
「とすると買被りかな」等と、朝、話しをしました。

その日の午後、
聖者から「大谷さん、佐々木さん、ちょっと」と呼ばれ、
「仏様の大円鏡智は十方三世色心、すべてが映っています。
ところが或る程度の菩薩は注意をした程しかわかりません」

と聖者が仰言られたので、
聖者は大円鏡智が開けていることが分かり
「やられた」と二人は、兜を脱いだとのことです。

以上、これらの逸話は、
藤堂俊章編『佐々木為興上人遺文集』に記載されています。

更に、こんな逸話も残されています。

笹本戒浄上人と田中木叉上人のお二人は、
弁栄聖者に面談される時、聖者のお部屋に入られず、
次の間で聖者に礼拝され、何も言わずに帰られた。

柴武三氏が、不思議に思い、その理由を戒浄上人にお尋ねになると、

「覚者は、口に出して質問をしなくとも、
相手の質問をちゃんと分かっている。
口に出して質問せねば相手の考えていることが分からぬようでは、
覚者とは言えぬ。」



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【笹本戒浄上人(1874年~1937年)】

笹本戒浄上人も為興上人と同様の質問を、
弁栄聖者にされていますが、それに対し、

「私も観念としては得ておるが、
認識的一切智では釈迦さんに及ばない。この世界で
認識的一切智を得ておられたのは釈迦さんばかりだ」


と、戒浄上人にご教示されたのこと。

(註) 「開・示・悟・入」の「入」の仏眼「三身四智の仏眼」における一切智を、
「観念的一切智」「認識的一切智」の二種に区分。

(註) 「三身四智の仏眼」(観念的一切智、認識的一切智)に定義、説明等については、
( 『笹本戒浄上人全集』 ))をご参照下さい。
 なお、光明主義の「髄」要約版としては、『光明主義玄義ワイド版』が、
比較的入手しやすい値段でもあり、携帯用としてもお勧めです。
ただし、内容は、かなり濃く、高度で、難解かとは思われます。


これらの逸話を補完する、留意すべき、
戒浄上人のご教示を、是非記しておきたく思います。

「仏の完全な大円鏡智は、特別に意志を働かさなくても、
肉眼といつも同一時に活動している。
認識的一切智を実現していられる仏は、
大円鏡智で宇宙の一切を任運自在に感じていられる。」


ただし、「宇宙の一切のこと」と申しても、それは、

「成仏の中心道を直進する上で核心となり急所となるもの、
自行化他の道において尊く価値のあるもの、
一切の衆生を中心道に導く対機説法で有効適切なもの、
お互いの心を明るく清く楽しく豊かにするもの」


「もしも、そのような意義深いもの以外のものまでも
朗々と感じているのであれば、
それは、真実の仏の円満な認識的一切智ではない」
と。
( 『笹本戒浄上人伝』)

更にまた、

「私共凡夫は神変不思議を目のあたり見せられますと驚いて、
その神変不思議に興味を感じ、
仏道修行上最も大切な成仏という事を忘れて仕舞います。
成仏とは涅槃と菩提とを完全円満に成就する事であります。
そしてその為には如来様の御力を信じ、お慕い申して如来様に同化されて
完全円満な霊的人格を成就しなければなりません。
衆生済度の目的は実に其処に向かわせる事にあります。
ですからうかつに相手かまわず神変不思議を見せますと
必ずといってよい程仏道修行の道から脱線して仕舞います。
然し又神変不思議を現ずる必要のあるものには時期を逸せず、
御力を発揮して見せるという事もできなくてはなりません。

弁栄上人様はそのような御心を以って
私共を成仏へとお導き下さいました。


尊くして尊いご教示

ここで、気になっていることがありますので、記載しておきます。

「一国一釈迦」という決まりが仏教にはある。
自ら仏と号し、他から仏と号せしめるのは釈尊だけである。
釈尊以外で認識的一切智を得た仏があったとしても、
自ら仏であるとは名乗らない。
仏教の秩序を護るためである。」

このような趣旨を、戒浄上人が言われたことがあったそうです。


弁栄聖者光明体系『無量光寿』(※)において、
「開・示・悟・入」の「入」の位
「三身四智の仏眼」、(光明主義上の)「無生法忍」における一切智の内容を、

「事の無量光」として、
「一切の無量の事々物々の真理を悟る」

と、弁栄聖者は、自内証から説かれています。
(※ 「聖堂」で購入できますが、
最近、新たに、初版の復刻版が出版されたとのこと。
「一般財団法人 光明会」 または、 「光明園」で、購入可かもしれません。)


「事の無量光」に関して、
笹本戒浄上人は、以下の様にご教示されています。

「私共人間は肉体を持っているから、
認識的一切智が実現しても、
文字通り十方三世の一切の差別の内容を
悉く詳しく具体的には識別できない。
認識一切智を得た人が、
「前世から現在までに、
どの様な物質文明と精神的文化の社会に生活して、
どの様な経歴の人々と共に活動して、
どの様な経験をしたか。」という内容により、
認識一切智によって、
具体的に詳しく識別出来る差別の現象の内容とその範囲が変化する。
認識一切智によって、
具体的に詳しくその内容を識別出来ない差別の現象については、
其の差別の内容を規定する大ミオヤの差別の法則を了々と認識する。
それで誤解を除くために、
智の代りに法則を意味する知を使って、
認識的一切知と云うのがいいと思います。」

(笹本戒浄上人最晩年における、泉虎一氏へのご教示)


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

弁栄聖者の云われる「大常識」とは、
”「三身四智の仏眼」の境界”における”仏作仏行(認識及び所作)”のこと。

肉眼における頭脳明晰な大学者、あるいは、慧眼を開かれた方の中には、
日常生活(肉眼)における「常識」のあやうさが見受けらることがありますが、
五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)円かに開けておられた
弁栄聖者においては、
全くといってよいほどこの”あやうさ”が見出しがたいです。

”常識(肉眼)”も確りとわきまえられ、
”人情の機微”にも精通され、”世間知”にも長けておられ、
世俗的な観点からも、正に「知・情・意」全面において、
信頼のおける”人徳者”と呼ぶべき御方との心象があります。


ふと、思い出したことがありますので、記します。

弁栄聖者の最晩年に、東京芝増上寺近くの「観智院」 。
その「聖者の家」で、聖者と寝食を共にされた聖者直弟子、
聖者の御遷化後、「真生同盟」を設立された土屋観道上人。
観道上人は、また、「浄土宗大本山百萬遍知恩寺」法主中島観琇上人の弟子でもあり、
ご自身の性格は、 「凡夫見仏論」の著者、観琇上人の方に似ておられていたようです。

『大悲に生きる 観道法話』には、
観道上人の「弁栄上人の思い出」が収録されていますが、
大変有難く、また、とても示唆に富む聖者の逸話が記されています。

その内、弁栄聖者の行状に関する貴重な逸話。

「今でも私の眼にアリアリとその姿が浮かぶのですが、
上人(聖者のこと)がいつも右の人さし指で傷がつく程に額の中心をおさえ、
眼をとじて、「如来様」「大ミオヤ」と云ってお話しになられ、
その日常の御生活の態度にも、全く如来つねにここにいまし、
如来と共に生きていらっしゃったご様子で、
微塵も如来を離れた感じがうかがえませんでした。
常に生ける如来、大宇宙の大人格にふれ、
合掌しておられることが理屈や説明なしに実感として感ぜられ、
まことに尊く有難く拝察されました。」



「「上人は「知識(みちびくひと)は月を指す指です。
月さえ見れば指に要はない。
とかく月を忘れて指に眼をつける、月に目をつけねばなりませぬ」
といって雲上の如来尊像を書いてくださった。」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

大変重要な弁栄聖者のご指南ですが、

一方で、
「法いかに尊くとも伝弘人を得ざれば大法は泯絶せん。」
(「指月録」『笹本戒浄上人全集』下巻)とも。


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【佐々木為興上人(1888年~1955年)】

弁栄聖者の真骨頂は、
大衆を前にして大衆を唸らすというような大演説ではなくて、
膝を交えてじゅんじゅんと説き、膝を進めて熱をこめ、
いつの間にかそのご人格に感化し、薫習される

というところにあった。」(佐々木為興上人談?) 


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【田中木叉(モクシャ)上人(1884年~1974年)】

「人は生涯を通じてお慕い申し上げる方が居られると
とても幸せな一生を送れます」(田中木叉上人談)

※ 木叉上人にとっては、もちろん、弁栄聖者。


丹羽円浄上人が、
弁栄聖者ご在世中に、京都のお別時に参加された時の感想を、
中川順一氏に、ふともらされた言葉。

「聖者を中心にして、お世話される方々が、
”令せずして行われる”」


弁栄聖者の直弟子、信者方は、
聖者の御霊格に自ずと吸い寄せられ
自ずと薫習されるその感化力(霊徳)によって、
「聖者への信」への深まりと相即するかの如く 
各々、「”大ミオヤ様”への信」が自然に育まれてゆかれた

としか思えません。


やはり、「月」も「指」も、共に欠かせないものだと思われます。


弁栄聖者への”憧れ(憧憬)”
この”現身者”への内から突き上がる”憧れ(憧憬)”からこそ、
意識的、潜在的な”模倣”を生じさせる。
この現象にこそ、どの領域分野、特に子弟教育的分野において、
後身の能力を飛躍的に向上させる秘密があり、
その解明のヒントは、大脳神経科学でその機能が詳しく解明されつつある、
「ミラーニューロン」が鍵を握っていると思われます。


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

「丁度うすくぼかされた玉子の黄味が、
ほんのりとした白味のなかにういているような」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)
と、弁栄聖者のご高弟の木叉上人は、
聖者のありようを絶妙に描写、神筆されておられます。

「朝早く夫人がご用意を整えていると、上人(※ 弁栄聖者)が起きられたので夫人は、
「上人様まだ早ようございます。もう少しおやすみ遊ばせ」
と申しあげると、半分お召し替えのすんでいる上人はすなおに、
「ハイハイ」とまたおやすみになった。

それから三分とたたぬまに、それとは知らぬ主人が
「もうお起き遊ばしては」と申し上げにでると、
また「ハイハイ」といって、今お召したお寝間着を脱いで起きられた。」 
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


何とも”融通無碍な”お人柄と微笑ましくさえ思われますが、

聖者直弟子の大谷仙界上人の義兄、医師の宮川粂次郎氏は、この話を聞かれ、
「その通りのお方でした」と申されて、
眼を真っ赤にして泣かれました

九州光明会誌「めぐみ」の編集に長年携わっておられた中川順一氏は、
この宮川氏のご様子に接し、大変驚かれ、
「聖者に直接お逢いしている方と、私共では感じ方がこんなにも違うものか」
と痛く反省されたそうです。

聖者に関する逸話として、とても印象深く記憶に残っているものの一つですが、
中川氏は、ご自身念仏三昧修養にもご精進し、教学にも精通され、
なおかつ、”念仏三昧の達人”笹本戒浄上人、田中木叉上人、中川察道上人をはじめ、
弁栄聖者の直弟子から直接ご指導を受けられた「聖者孫弟子」、その御方にして然り。
現在は、その聖者の孫弟子すら、お浄土へ往かれています。


弁栄聖者に、
独特の、えも言われぬ
”尊崇性”、”懐かしさ””慕わしさ”、”霊的エロス”さえ、
感じられる方もいらっしゃるかと思いますが、
それは、如来無対光裡、超日月光位に住する弁栄聖者が体現されていた、
「聖きみくに(お浄土)」”帰趣する故郷の霊光、霊徳”なのかもしれません。


法然上人信奉者、法然上人理解には、
『法然上人絵伝』の影響が甚大だと推察されますので、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』をベースに、
弁栄聖者の直弟子方のエピソード他、更に詳細な文献学的調査に基づく史実も加味し、
「弁栄聖者絵伝」、「弁栄聖者行状記」ができれば素晴らしいことだと念願いたします。

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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