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2017-10-24

「仏とは自覚ある大常識者です。」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


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【(右)弁栄聖者と(左)佐々木為興上人
(大正9年10月中旬 知恩院勢至堂別時会)】


三身四智の仏眼」を深く体得されていた弁栄聖者の最晩年
聖者の”不可思議な異能(法)力”を、度々目の当たりにされていたのでしょう、
聖者に随行中の佐々木為興上人が、

「上人はどんなことでもお分かりになるのですね」
と聖者に聞かれたところ、

「何でも分かります。
大体仏とは自覚ある大常識者です」


と言って聖者がお笑いになられた
(『佐々木為興上人遺文集 藤堂俊章編』)

この「仏とは自覚ある大常識者です」の箇所が、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に記載されています。

○「何でも分ります」
○「自覚ある」
○「大常識者」の「大」と「常識」

について、ご留意願います。

また、ある時、

弁栄聖者は「何でもよく分かって」おられる筈なのに、
よく本を読まれていたのを為興上人が不思議に思われ、

「聖者は三昧発得していらっしゃって
何でも分かっていられるから、
本など読まれなくてもよいでしょうに」

と聖者に尋ねになったところ、

「いや、それはいけぬ。やはり本を読まぬといけぬ」と言われたので、

「どういう訳ですか」と重ねてお尋ねになると、

「それは、お念仏していれば
大宇宙の事柄が一切分かるようになる。

分かるけれどそれは観念的に分かるのだ。
書物を読むと書物に書いてある事柄と
自分の観念として得ている事とぴったりと合う。

認識にしようとすると思うと本を読まねばならぬ
本を読む事によって認識となるのだ」
と聖者はお答えになられた。

またある時、

「どうして本を読むのがそんなに早いのでしょうか」
とお尋ねになると、

「こんな事を言うとおかしいが、
私の心の通りに書いてあるようで早い。
事新しいことが書いてあるとは思わぬ。
丁度自分の手紙を読むようだ

と聖者は仰言った。

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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

また次のような、興味深い逸話もあります。

弁栄聖者に随行中の大谷仙界上人と佐々木為興上人が、
九州福岡の珠林寺の縁側に腰かけて、
「(弁栄)上人は大円鏡智が開けて居ると思うか」
以前、ある者に聖者のお金を使い込まれたことがあったが、
「(大円鏡智が)開けているならそれがわかる筈だ」
「とすると買被りかな」等と、朝、話しをしました。

その日の午後、
聖者から「大谷さん、佐々木さん、ちょっと」と呼ばれ、
「仏様の大円鏡智は十方三世色心、すべてが映っています。
ところが或る程度の菩薩は注意をした程しかわかりません」

と聖者が仰言られたので、
聖者は大円鏡智が開けていることが分かり
「やられた」と二人は、兜を脱いだとのことです。

以上、これらの逸話は、
藤堂俊章編『佐々木為興上人遺文集』に記載されています。

更に、こんな逸話も残されています。

笹本戒浄上人と田中木叉上人のお二人は、
弁栄聖者に面談される時、聖者のお部屋に入られず、
次の間で聖者に礼拝され、何も言わずに帰られた。

柴武三氏が、不思議に思い、その理由を戒浄上人にお尋ねになると、

「覚者は、口に出して質問をしなくとも、
相手の質問をちゃんと分かっている。
口に出して質問せねば相手の考えていることが分からぬようでは、
覚者とは言えぬ。」



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【笹本戒浄上人(1874年~1937年)】

笹本戒浄上人も為興上人と同様の質問を、
弁栄聖者にされていますが、それに対し、

「私も観念としては得ておるが、
認識的一切智では釈迦さんに及ばない。この世界で
認識的一切智を得ておられたのは釈迦さんばかりだ」


と、戒浄上人にご教示されたのこと。

(註) 「開・示・悟・入」の「入」の仏眼「三身四智の仏眼」における一切智を、
「観念的一切智」「認識的一切智」の二種に区分。

(註) 「三身四智の仏眼」(観念的一切智、認識的一切智)に定義、説明等については、
( 『笹本戒浄上人全集』 ))をご参照下さい。
 なお、光明主義の「髄」要約版としては、『光明主義玄義ワイド版』が、
比較的入手しやすい値段でもあり、携帯用としてもお勧めです。
ただし、内容は、かなり濃く、高度で、難解かとは思われます。


これらの逸話を補完する、留意すべき、
戒浄上人のご教示を、是非記しておきたく思います。

「仏の完全な大円鏡智は、特別に意志を働かさなくても、
肉眼といつも同一時に活動している。
認識的一切智を実現していられる仏は、
大円鏡智で宇宙の一切を任運自在に感じていられる。」


ただし、「宇宙の一切のこと」と申しても、それは、

「成仏の中心道を直進する上で核心となり急所となるもの、
自行化他の道において尊く価値のあるもの、
一切の衆生を中心道に導く対機説法で有効適切なもの、
お互いの心を明るく清く楽しく豊かにするもの」


「もしも、そのような意義深いもの以外のものまでも
朗々と感じているのであれば、
それは、真実の仏の円満な認識的一切智ではない」
と。
( 『笹本戒浄上人伝』)

更にまた、

「私共凡夫は神変不思議を目のあたり見せられますと驚いて、
その神変不思議に興味を感じ、
仏道修行上最も大切な成仏という事を忘れて仕舞います。
成仏とは涅槃と菩提とを完全円満に成就する事であります。
そしてその為には如来様の御力を信じ、お慕い申して如来様に同化されて
完全円満な霊的人格を成就しなければなりません。
衆生済度の目的は実に其処に向かわせる事にあります。
ですからうかつに相手かまわず神変不思議を見せますと
必ずといってよい程仏道修行の道から脱線して仕舞います。
然し又神変不思議を現ずる必要のあるものには時期を逸せず、
御力を発揮して見せるという事もできなくてはなりません。

弁栄上人様はそのような御心を以って
私共を成仏へとお導き下さいました。


尊くして尊いご教示

ここで、気になっていることがありますので、記載しておきます。

「一国一釈迦」という決まりが仏教にはある。
自ら仏と号し、他から仏と号せしめるのは釈尊だけである。
釈尊以外で認識的一切智を得た仏があったとしても、
自ら仏であるとは名乗らない。
仏教の秩序を護るためである。」

このような趣旨を、戒浄上人が言われたことがあったそうです。


弁栄聖者光明体系『無量光寿』(※)において、
「開・示・悟・入」の「入」の位
「三身四智の仏眼」、(光明主義上の)「無生法忍」における一切智の内容を、

「事の無量光」として、
「一切の無量の事々物々の真理を悟る」

と、弁栄聖者は、自内証から説かれています。
(※ 「聖堂」で購入できますが、
最近、新たに、初版の復刻版が出版されたとのこと。
「一般財団法人 光明会」 または、 「光明園」で、購入可かもしれません。)


「事の無量光」に関して、
笹本戒浄上人は、以下の様にご教示されています。

「私共人間は肉体を持っているから、
認識的一切智が実現しても、
文字通り十方三世の一切の差別の内容を
悉く詳しく具体的には識別できない。
認識一切智を得た人が、
「前世から現在までに、
どの様な物質文明と精神的文化の社会に生活して、
どの様な経歴の人々と共に活動して、
どの様な経験をしたか。」という内容により、
認識一切智によって、
具体的に詳しく識別出来る差別の現象の内容とその範囲が変化する。
認識一切智によって、
具体的に詳しくその内容を識別出来ない差別の現象については、
其の差別の内容を規定する大ミオヤの差別の法則を了々と認識する。
それで誤解を除くために、
智の代りに法則を意味する知を使って、
認識的一切知と云うのがいいと思います。」

(笹本戒浄上人最晩年における、泉虎一氏へのご教示)


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

弁栄聖者の云われる「大常識」とは、
”「三身四智の仏眼」の境界”における”仏作仏行(認識及び所作)”のこと。

肉眼における頭脳明晰な大学者、あるいは、慧眼を開かれた方の中には、
日常生活(肉眼)における「常識」のあやうさが見受けらることがありますが、
五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)円かに開けておられた
弁栄聖者においては、
全くといってよいほどこの”あやうさ”が見出しがたいです。

”常識(肉眼)”も確りとわきまえられ、
”人情の機微”にも精通され、”世間知”にも長けておられ、
世俗的な観点からも、正に「知・情・意」全面において、
信頼のおける”人徳者”と呼ぶべき御方との心象があります。


ふと、思い出したことがありますので、記します。

弁栄聖者の最晩年に、東京芝増上寺近くの「観智院」 。
その「聖者の家」で、聖者と寝食を共にされた聖者直弟子、
聖者の御遷化後、「真生同盟」を設立された土屋観道上人。
観道上人は、また、「浄土宗大本山百萬遍知恩寺」法主中島観琇上人の弟子でもあり、
ご自身の性格は、 「凡夫見仏論」の著者、観琇上人の方に似ておられていたようです。

『大悲に生きる 観道法話』には、
観道上人の「弁栄上人の思い出」が収録されていますが、
大変有難く、また、とても示唆に富む聖者の逸話が記されています。

その内、弁栄聖者の行状に関する貴重な逸話。

「今でも私の眼にアリアリとその姿が浮かぶのですが、
上人(聖者のこと)がいつも右の人さし指で傷がつく程に額の中心をおさえ、
眼をとじて、「如来様」「大ミオヤ」と云ってお話しになられ、
その日常の御生活の態度にも、全く如来つねにここにいまし、
如来と共に生きていらっしゃったご様子で、
微塵も如来を離れた感じがうかがえませんでした。
常に生ける如来、大宇宙の大人格にふれ、
合掌しておられることが理屈や説明なしに実感として感ぜられ、
まことに尊く有難く拝察されました。」



「「上人は「知識(みちびくひと)は月を指す指です。
月さえ見れば指に要はない。
とかく月を忘れて指に眼をつける、月に目をつけねばなりませぬ」
といって雲上の如来尊像を書いてくださった。」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

大変重要な弁栄聖者のご指南ですが、

一方で、
「法いかに尊くとも伝弘人を得ざれば大法は泯絶せん。」
(「指月録」『笹本戒浄上人全集』下巻)とも。


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【佐々木為興上人(1888年~1955年)】

弁栄聖者の真骨頂は、
大衆を前にして大衆を唸らすというような大演説ではなくて、
膝を交えてじゅんじゅんと説き、膝を進めて熱をこめ、
いつの間にかそのご人格に感化し、薫習される

というところにあった。」(佐々木為興上人談?) 


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【田中木叉(モクシャ)上人(1884年~1974年)】

「人は生涯を通じてお慕い申し上げる方が居られると
とても幸せな一生を送れます」(田中木叉上人談)

※ 木叉上人にとっては、もちろん、弁栄聖者。


丹羽円浄上人が、
弁栄聖者ご在世中に、京都のお別時に参加された時の感想を、
中川順一氏に、ふともらされた言葉。

「聖者を中心にして、お世話される方々が、
”令せずして行われる”」


弁栄聖者の直弟子、信者方は、
聖者の御霊格に自ずと吸い寄せられ
自ずと薫習されるその感化力(霊徳)によって、
「聖者への信」への深まりと相即するかの如く 
各々、「”大ミオヤ様”への信」が自然に育まれてゆかれた

としか思えません。


やはり、「月」も「指」も、共に欠かせないものだと思われます。


弁栄聖者への”憧れ(憧憬)”
この”現身者”への内から突き上がる”憧れ(憧憬)”からこそ、
意識的、潜在的な”模倣”を生じさせる。
この現象にこそ、どの領域分野、特に子弟教育的分野において、
後身の能力を飛躍的に向上させる秘密があり、
その解明のヒントは、大脳神経科学でその機能が詳しく解明されつつある、
「ミラーニューロン」が鍵を握っていると思われます。


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】

「丁度うすくぼかされた玉子の黄味が、
ほんのりとした白味のなかにういているような」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)
と、弁栄聖者のご高弟の木叉上人は、
聖者のありようを絶妙に描写、神筆されておられます。

「朝早く夫人がご用意を整えていると、上人(※ 弁栄聖者)が起きられたので夫人は、
「上人様まだ早ようございます。もう少しおやすみ遊ばせ」
と申しあげると、半分お召し替えのすんでいる上人はすなおに、
「ハイハイ」とまたおやすみになった。

それから三分とたたぬまに、それとは知らぬ主人が
「もうお起き遊ばしては」と申し上げにでると、
また「ハイハイ」といって、今お召したお寝間着を脱いで起きられた。」 
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


何とも”融通無碍な”お人柄と微笑ましくさえ思われますが、

聖者直弟子の大谷仙界上人の義兄、医師の宮川粂次郎氏は、この話を聞かれ、
「その通りのお方でした」と申されて、
眼を真っ赤にして泣かれました

九州光明会誌「めぐみ」の編集に長年携わっておられた中川順一氏は、
この宮川氏のご様子に接し、大変驚かれ、
「聖者に直接お逢いしている方と、私共では感じ方がこんなにも違うものか」
と痛く反省されたそうです。

聖者に関する逸話として、とても印象深く記憶に残っているものの一つですが、
中川氏は、ご自身念仏三昧修養にもご精進し、教学にも精通され、
なおかつ、”念仏三昧の達人”笹本戒浄上人、田中木叉上人、中川察道上人をはじめ、
弁栄聖者の直弟子から直接ご指導を受けられた「聖者孫弟子」、その御方にして然り。
現在は、その聖者の孫弟子すら、お浄土へ往かれています。


弁栄聖者に、
独特の、えも言われぬ
”尊崇性”、”懐かしさ””慕わしさ”、”霊的エロス”さえ、
感じられる方もいらっしゃるかと思いますが、
それは、如来無対光裡、超日月光位に住する弁栄聖者が体現されていた、
「聖きみくに(お浄土)」”帰趣する故郷の霊光、霊徳”なのかもしれません。


法然上人信奉者、法然上人理解には、
『法然上人絵伝』の影響が甚大だと推察されますので、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』をベースに、
弁栄聖者の直弟子方のエピソード他、更に詳細な文献学的調査に基づく史実も加味し、
「弁栄聖者絵伝」、「弁栄聖者行状記」ができれば素晴らしいことだと念願いたします。

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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2017-10-01

佐々木為興上人の弁栄聖者との邂逅を巡って・・・


弁栄聖者の最晩年に聖者に邂逅され、聖者のご遷化まで随行された佐々木為興上人だけありまして、
為興上人の聖者の逸話には、とても有益で示唆に富み、かつ興味深いものが多いです。

今回は、前回、前々回に引き続き、為興上人の弁栄聖者の想い出と、
”弁栄聖者の法然上人観”を中心に記します。

○ 広島県広島市中区白鳥「心行寺 第十五代住職」佐々木為興上人と弁栄聖者

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ここ心行寺は、熊野宗純上人が弁栄聖者に初めて値遇されたところ。
熊野上人は、当時浄土宗布教界の第一人者と言われ、
笹本戒浄上人のあと、全国光明会連合会の二代目総監

更に、このお寺で、後、信州松本光明会の生み育ての親、
多田助一郎氏の妹が聖者に遇われ、大変感激され、
弁栄聖者に是非会われるよう、兄である助一郎氏に強く勧められたご縁により、
信州上諏訪「正願寺」で、聖者と結縁されました。

風光明媚な信州鉢伏山での別時(現在閉鎖)の開催、継続は、
多田助一郎氏のご尽力による賜物でした。
藤本浄本上人も導師としてご教化にあたられました。
また、そこには、浄本上人と椎尾弁匡博士の石碑も建っています。


”ご縁”の不思議さ、有難さを、大切さを感じます。


○ 広島県二廿市市「潮音寺」 第34世住職 佐々木為興上人と弁栄聖者

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「潮音寺」は、弁栄聖者が「念仏三十七道品」を講説されたお寺。

「念仏三十七道品」の内容は、詳しくは、
弁栄聖者光明体系の『難思光・無称光・超日月光』に記されています。
なお、この御遺稿の発行は昭和39年で、佐々木為興上人ご西化後であり、
『佐々木為興上人遺文集 藤堂俊章編』には、
為興上人の「念仏三十七道品」に関するご法話が収録されています。


(注) 書籍のご購入は、「光明会本部聖堂」で販売されています。
「岐阜光明会」のHPには、PDF化されアップされています。
更には、『弁栄聖者の光明体系』等が、PDF化されています。

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この「念仏三十七道品」関連のご法話でのことであったと記憶していますが、

「弁栄聖者は、”分かったようで、分からん”という説かれ方をされている。
これは、達人ならではの文章です。」

といった趣旨を、杉田善孝上人がご教示されたことがありました。

当時、”禅の悟りマニュアル”といった類の本が出回ったことがあったそうです。

聖者のこの独特の説かれ方は、
一つには、この類の”あんちょこ(虎の巻)”防止といったご配慮から。

”冷暖自知”故に、言葉では説き尽せず
実際の霊育過程は、個々区々であり、定まった道はなく
霊幾過程に関する固定観念(先入観)を植え付けないため
といったご配慮によるほか、
 ”全く分からん”では、”我この道を行く”といった気概が削がれ
また、あまりに巧みに説かれていると、
頭で分かったつもりになってしまい、
真の奥義に到達する前に修行が停滞することを未然に防ぐ
といったご配慮もあったかと推察いたします。

ただし、成仏への霊育過程には、道標(みちしるべ)は不可欠で、
未知の領域へ踏み入む場合には先達の導きが欠かせず、
「徒手空拳」は、甚だ難行苦行であり、効果も少なく、
時に、危険さえ伴う
と思われます。


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【佐々木為興上人(1888年~1955年) 世寿67歳】
法名:「安蓮社正僧正禅誉上人法阿実禅為興大和尚」


話は変わりますが、
佐々木為興上人に弁栄聖者へのご縁をつけられた恩人大谷仙界上人と共に、
聖者に随行され始めたのは、大正8年7月からのこと。
聖者の御遷化は、大正9年12月

聖光(鎮西)上人が法然上人に邂逅されたのが、
法然上人が65歳、聖光(鎮西)上人36歳
聖光(鎮西)上人は6年間、法然上人のもとで生活を共にされます。
法然上人が66歳で”三昧発得”され、
それからも宗教体験が深まり、円熟期を迎えられた時期にあたります。

弁栄聖者と佐々木為興上人の関係も、まさに聖者の円熟期。
為興上人には、その当時十分に咀嚼できなかった部分もきっとあったと思われます。
しかし、為興上人の弁栄聖者随行録は、この上なく貴重な資料。

今回の記事の主題の一つ、
「弁榮聖者の法然上人観」は、
聖者の講述書である『宗祖の皮髄』においてかなりの程度うかがい知ることができます。
※ 『宗祖の皮髄』は、現在入手可能なものとして、
主に「一般財団法人 光明会」と「光明会本部聖堂」から販売されているものと、
『法然上人の神髄 (現代語訳「山崎弁栄講述 ──『宗祖の皮髄』」) 谷慈義訳 河波定昌 (監修) があります。
「一般財団法人 光明会」のものは、
初版本(笹本戒浄上人の御本)のコピー藤堂恭俊博士による解説の他、
藤堂俊英氏の註記、江島孝導氏の資料探訪記等の記載もあり、研究資料としても有益だと思われます。


聖者は、『宗祖の皮髄』において、法然上人の崇高なご霊格に着目され、

「宗祖の法語には、心行の様を示したまえども、
起行の用心については深く沙汰したまわず。」
と明言され、

法然上人のご霊格(自内証、ご境界)の形成上不可欠な要因を、
「起行の用心にあり」
と喝破され、
法然上人の自内証の真髄と起行の用心の内実を、
伝統的な浄土宗乗の定説である『選択集』と『一枚起請文』には置かず、
法然上人の『ご道詠』と『三昧発得記』にある
着眼しておられます。

弁栄聖者が浄土宗から”異安心(異端者)”扱いされたのは、
この聖者の”法然上人観”にあったと思われます。

『宗祖の皮髄』は、光明主義上とても重要な書であり、
「弁栄聖者なきあと、光明主義は、この書を基にして教義を理解していく」、
といった話し合いがもたれたほどのものです。

ところが、この『宗祖の皮髄』のご講述においては、
法然上人のご道詠十首の内、7首を講演され、
残りの3首は他日に期せれらました。

この点は、この『宗祖の皮髄』の書を通し、”弁栄聖者の法然上人観”を考察する際には、
十分留意すべきかと思われます。

この点に関連することとして、
最晩年の聖者に随行された青年(のち弁護士)の柴武三氏へのご教示は、
とても示唆に富むと思われますので、記しておきたいと思います。


○(『宗祖の皮髄』京都の一音社発行の本を、弁栄聖者が柴武三氏に下された時に添えられた一言)
「これは知恩院で僧侶の方々に説いた話をまとめたものですが、
この話は宗祖(法然上人)の御真意のあるところを少しでも明かそうとして、
宗祖が光明主義であらせられた処を述べたものであります。
しかし、これで光明主義が充分説き明かされたと云うのではないけれども、
その一端を知るには役立つと思いますから、参考のためにお読みなさい。」

○ 「宗祖(法然上人)の御真意(宗祖が実修され実地体験されながら、お説きになっていない処)を顕彰しようと思って、
皆さんにその証拠ともなるべき文献を示そうとして随分捜しましたが、
方便済度の御言葉のみ多く御真意のある処がなかなか見当らないで、ほんとうに苦労致しました。」(弁栄聖者談)



この『宗祖の皮髄』の初版本は、大正5年12月

聖者の時代から、法然上人に関する文献学上の研究も相当進んでいると思われますが、

特に注目すべきは、
大正6年に京都醍醐寺三宝院の宝蔵で発見された、
醍醐本「法然上人伝記」所収の『三昧発得記』。
翌大正7年に、望月信亨博士が論文に発表され、
法然研究の第一級の資料となったもの。

なお、この醍醐本「法然上人伝記」こは、
「悪人正機説」が親鸞聖人の師法然上人のお言葉であることが明記されていることでも画期的な発見であったはずのもの。

ただし、この法然上人の「三昧発得」の記録は、
法然上人66歳から74歳までの9年間のみ
法然上人のご遷化は、80歳


「法然上人は三昧発得の聖者だが、
『三昧発得記』に現われている其の位は、上品中生の位だ。」
(弁栄聖者の佐々木為興上人へのご教示)



弁栄聖者は、藤本浄本上人に、
「光明主義は善導法然の真意を現したものである」とご教示され、
浄本上人は、
「内証の円満し給へる(弁栄)上人は、
定めて三昧境中に、高祖や宗祖に直参して仰せられたことと思います」

とご述懐されています。
なお、藤本浄本上人は、浄土宗の勧学

笹本戒浄上人は、
「善導法然の真意」を、
「(文字としては明記されていない)善導大師法然上人の最晩年、三身四智の仏眼のご境界(自内証、認識)」と。

法然上人の「三昧発得記」に記録されていない75歳からご遷化の80歳までの文献学上の発見が待ち望まれます。

なお、『御臨終日記』には、
「この十余年、常に極楽や仏菩薩の姿を拝してきた」
と法然上人は、今まで秘しておられたご内証の一端をお弟子方に語られました。


なお、藤本浄彦氏(浄土宗総合研究所長、佛教大学名誉教授、西蓮寺住職)は、
藤本浄本上人の孫にあたる御方ですが、
法然上人の『逆修説法』・『三昧発得記』の重要性に着目され、
浄土宗乗の伝統、文献学的見地にも十分配慮され、
法然上人の念仏は、あくまでも「往生のための行業」であると注意喚起をされながらも、
法然上人の念仏三昧発得体験(自内証)を、
”口称念仏の継続”による、不求自得の三昧発得の聖境
と捉えられ、
伝統的な浄土宗乗上踏み込んだ”法然上人観”をご提示されています。
【参照】 藤本浄彦著『法然浄土宗学論究』平楽寺書店

特に、法然上人、浄土宗にご縁、ご関心のある方には、是非、ご一読をお勧めいたします。


ところで、
弁栄聖者の読書態度、その在り様に関し、
「眼光紙背に徹しておられた」と笹本戒浄上人はご述懐、ご感嘆されています。

ある時、戒浄上人が、
『大原談義聞書鈔』について、
古来真偽問題が種々論じられているようですが、
と弁栄聖者に申し上げられたところ、

「聖法然でなければ言うことのできない御言葉が載っている。」
と、文献学上の真偽そのものには直接にはお触れにならずにお答えになったとのことです。


また、弁栄聖者の御遺稿集としてあまり知られていないご著書に、
『啓示の恩寵 阿弥陀経』(弁栄聖者光明体系 智慧光 巻下(開示悟入))という本があります。
戦後間もなく物資の不足している時代に、
田中木叉上人が大変ご苦労され出版されたもので、
紙質が粗悪なため、原書の保存状態がよくなかった本でしたが、
(以前、図書館で手に取った時に、保存状態からこの原書は貸出禁止にした方がよいとさえ思いました)
平成24年12月に、聖堂から補正版が出版されました。

この書について、田中木叉上人は、
「『阿弥陀経』の真理を、お釈迦様以来始めて、弁栄聖者により言われた真理がある。
他の菩薩が教えて下さらなった真理が、弁栄聖者により始めて喝破された」と。

(『田中木叉上人御法話聴書』 冨川 茂 筆記)

なお、このことを裏付ける弁栄聖者のお言葉があります。
「上人 「われはじき六十歳になる。早く三部経を訳さねばならない。
三種に分類して直訳、新訳、新新訳として各信者に分たねばならない。
それには山居して着手するつもりだ。」
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』


また、柴武三氏へは、
「聖者は、前から数か月ほど暇をつくって少し纏まった著述をしたいと仰言っていました。
柴武三氏:「何頁くらいの本になるのですか。」
弁栄聖者:「四百頁ぐらいの本が四冊程です。
無辺光の四大智慧に関するものを書きたい。それを読みなさい。」
これが、弁栄聖者の柴武三氏との最後の言葉となったようです。

※ ご参考までに、岐阜光明会のHPには、
『無辺光』の項目には、田中木叉上人編纂の弁栄聖者の御遺稿のものと、
それを基にした、昭和44年(1969年)発行の講談社版
数学者岡潔博士の「まえがき  無辺光と人類」もPDF化されています。


弁栄聖者一切経を読破されたのは、二十代の半ば頃でしたが、
それは、聖者が筑波山で三昧発得された後であったことに留意する必要があります。
※ 笹本戒浄上人によりますと、
その当時の三昧発得のご境界は、
仏眼でも、「開・示・悟・入」の悟の中程度とのこと。
釈尊のご境界は、入の位、三身四智の仏眼
その究極である認識的一切智
※ 仏眼にも深浅あり

「私は聖典に依て演繹的に説くのでない、帰納的に説いている」
とは、聖者の戒浄上人へのご教示。

弁栄聖者の「一切経読破」とは、正に”心(身)読”というべきもので、
自内証の自己検証、確認作業といった意味合いもあったかと推察されます。


少し横道に逸れますが、
弁栄聖者は、何故か、弘法大師空海を彷彿とさせます。

空海の二十代の修行期間は謎に包まれ、
また、恵果阿闍梨と空海との邂逅の有様(短期間での真言密教の奥義直伝)は、
伝説に包まれている部分があるとはいえ、
若かりし空海が真言密教の奥義を、”既に会得”していればこそだと思えるからです。


大変長くなり申し訳ございませんが、
最後に、ご参考として、記しておきたいことがあります。

弁栄聖者の「五種正行」の御解釈について。

「五種正行」 「行トハ霊的生活の糧」について  

一 読誦正行 「経ハ教祖自カラノ所験、心霊界二誘導」
二 観察正行 「瞑想観念シテ霊的理性ヲ開発ス」
三 礼拝正行 「身口意共二献ゲテ仏力ヲ被ル」
四 称名行   「通ジテ生仏合一、別シテ三義(請求・感謝・咨嗟」
五 讃嘆供養正行
  「(イ)讃嘆 仏徳ヲ讃美シテ如来中ニ逍遥ス」
  「(ロ)供養 我が身ヲ献ゲテ奉仕スルヲ第一ノ供養トス


伝統的浄土宗乗では、
四 称名を正定行とし、
他の、一 読誦正行、二 観察正行、三 礼拝正行、五 讃嘆供養正行を、
前三後一は助業で、正定行の称名念仏を助ける業と捉えていますが、
    
「そうみてはいけない。
此れは何れも正行である。正しき糧である、正しき行である
・・・正行だから、何れを修しても往生できる
だから この助業は、念仏の助業ではない
往生の助業である。往生を助ける業だと解さねばならぬ
善導大師の御著述をよく見れば、確かに此の事が分る。」
『佐々木為興上人遺文集  藤堂俊章編』


次のことも、是非とも記しておきたいと思います。

「橋本徳冏氏が、笹本上人よりうけたまわった話によると、
笹本上人は常に言っておられた。
「弁栄聖者は法然上人の皮も髄もあらわして下さった。」

(『田中木叉上人御法話聴書』 冨川 茂 筆記)

「光明主義は法然浄土宗(法然上人の真精神、髄)。
法然浄土宗と伝統宗乗の浄土宗とを混同してはならない。」(田中木叉上人)

また、
「浄土宗と光明主義とを、同じものあるいは違うものと捉えるのは、間違いである。
”連続の非連続、非連続の連続”、”伝統即創造、創造即伝統”と捉えるべきである。」

(平成28年ご西化 河波定昌 元光明会上首、元光明園園主)

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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