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2017-07-31

広島県広島市中区白鳥「心行寺 第十五代住職」佐々木為興上人と弁栄聖者

広島市中区白鳥九軒町にある「心行寺」

最晩年の弁栄聖者にご随行された佐々木為興上人のお寺。

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お寺に入ると、正面の樹木が目に入ります。

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被爆樹木 ソテツ。

昭和20年8月6日、広島への原爆投下により、お寺は全壊とのこと。

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↑ 歴代上人のお墓。
  
此処には、佐々木為興上人のお墓はありませんでした。

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為興上人のお墓は、
佐々木家の一員として埋葬されていました。

為興上人のお墓は、
広島県の廿日市市「潮音寺」にもあり、
失礼ながら、そちらの方が、為興上人のお墓参りにうかがったという記憶に残るかもしれません。

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【佐々木為興上人(1888年~1955年)】

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先に、弁栄聖者に随行されていた大谷仙界上人のお導きによって、
佐々木為興上人は、聖者との勝縁をいただかれました。

大正5年6月、知恩院での高等講習会において、
奇しくも、大谷仙界上人と同じ電車に乗り合せ、更に、起居も共にされました。
後に法友となる仙界上人との不思議な出逢いでした。

同年12月、仙界上人のお寺である九州の長安寺で5日間、
佐々木為興上人は布教を担当することになりました。

ところが、為興上人は、
仙界上人の本尊様に対する態度に言い知れぬ尊さを感じられ
布教に来た自分自身が反って教えられるような、導かれるような有様で、
5日間を過ごされたとのこと。

勤行形式に奇異な念をいだかれ、問うと、
仙界上人は、待ってましたとばかりに、
弁栄聖者と光明主義について話し出されました。

弁栄聖者は「古い頭の頑固な旧式の学者で、かわった奇僧」だとの偏見は打ち砕かれ、
後に、仙界上人のご紹介によって、聖者との勝縁に恵まれ、
仙界上人と共に聖者に随行される身となられました。

「(大谷仙界)上人の法談を聴いて居る間に、幾度も無我の境地に入り、
肉眼は開き乍ら、眼中何物も障るもの無く、襖なく、室なく、広大無辺の天地開け、
その直前に尊き聖像の彷彿たるを拝しては、法談を中止して貰って、
思わず合掌念仏することが幾度もあった。」

(『佐々木為興上人遺文集  藤堂俊章編』)

大谷仙界上人は、実に、為興上人を更生させた大恩人でした。

特に、弁栄聖者の最晩年に聖者の直弟子になられたお上人方、在家の方々のことを思い巡らせますと、
『法華経』「従地湧出品第十五」で説かれる、

「釈尊が本門の御教えを説かれ始めた時、地中から湧出して来た菩薩達」
を彷彿とさせます。


為興上人は、最晩年の聖者に随行されていたので、
弁栄聖者随行録には大変示唆に富むものが多いです。

その一つ。

東京の芝増上寺近くの多聞室でのこと。

多聞室では、聖者の食事の用意がありましたが、
食事は質素(大豆の煮たものばかり)で美味くなく、
しかも、毎日続く、というものでありました。

まだ、30歳程の若い為興上人が、その食事に嫌気がさしていた時のこと。

(弁栄聖者)
「あなたはこのおかづおいしくありませんか。」
(為興上人)
「えゝその一寸」
(弁栄聖者)
「あなたはまだ舌に五妙感が開けていませんねー。
その五妙感が開けますと何とも言えぬ味いがあります。」

又大豆ほど安くて滋養になるものはありません」

と仰せられたので、何とも返す言葉がなかった。
(『佐々木為興上人遺文集 藤堂俊章編』)

念仏の功徳により、「五妙境界」が自ずと開かれ、
「道徳的行為」が、自然と行えるようになること。


が、弁栄聖者のご教示からうかがわれることはありがたいことです。

ちなみに、従来の浄土教系では、
「戒律」ということが全面的に説かれることはないようですが、
明恵上人の批判とは逆に、
法然上人においても、念仏の功徳により、
自ずと「戒体発得」されておられました。

(注)『往生要集』には「五妙境界楽」として説かれ、お浄土における風光。

西田幾多郎氏は、
遺稿となった「場所的論理と宗教的世界観」の中で、

「真の絶対的受動からは、真の絶対的能動が出て来なければならない。」
と記しています。 

田中木叉上人によりますと、
弁栄聖者はご在世中、「他力」とはあまり言われなかったようです。

西田流に表現すれば、
「自力となって働き出さない他力は、真の他力とはいえない。」
という深意があったのではないかと推察いたします。


また、微笑ましい聖者の逸話としては、
為興上人のご子息に対して、
「念仏を唱えたら、ご褒美にお菓子を差し上げられていた。」
といったこともあったようです。


最後に、為興上人に関して、とても印象深い逸話を一つ。

為興上人は、大変魅力的なご法話をされ、聴衆を魅了されたお上人であったようですが、
為興上人の御法話を聞かれたことがあった老婦人に、その時の様子を聞かれた方がおりました。

「どういうお話しでしたか?」
「いつも同じ話しをなさいました。」
「同じ話しですか!?」
「それが、お話しをまた聞きたいと皆が集まるのです。」
「それは一体どんなお話しでしたか?」
「それが、念仏を申さずにはおられんようになるお話しでした。」

これは、為興上人が御遷化されてから、四半世紀後の想い出話とのことです。

この逸話だけからでも、
為興上人が「単なるご法話が巧かったというお上人ではなかった」
ことがハッキリとうかがわれるかと思われます。

通常、同じ話しを何度も聴いていると、
聴く方に飽きが生じ、集中力が低下し、思考が停止するか、散漫になるものです。
また、話す方も、それらを予期し、未然に防ぐ為に、同じ話しはなるべく避けようとするものです。

しかし、大切なことは、そう多くあるものではなく、
やはり、「大切なことは、繰り返し話すべき」ものだと思います。

為興上人は、
「同じ話しを繰り返しされながら、なおかつ、聴衆に興味を持たせ続けさせることがおできになった。」

このことは、
為興上人がお念仏の内で如来様に霊化され、
”歓喜光”と”清浄光”を、特に強くいただかれていたからではないかと推察いたします。

「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根哉(かな)」

為興上人が好んでよく引用された、芭蕉の句とのこと。

この芭蕉の句は、清浄光による感覚の霊化
つまり、”新鮮さの湧出”作用のことですが、

為興上人のご風貌から、
”歓喜光”により霊化された、”光のどけき春の日”のような、
”あたたかで朗らか””どこかほんわかとし安心感を抱かせる”
ような御人格、雰囲気も大きかったように思われます。
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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