2017-05-28

山口県大島「西蓮寺 第十九世住職」 全国光明会連合上首 藤本浄本上人と弁栄聖者とのご邂逅 


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大正8年10月
西蓮寺 第十九世住職 藤本浄本上人は、
山口県周防大島の御自坊に、
弁栄聖者を迎えられ、
初老記念法会(当時40歳、42歳とも)を開催されました。

当時、藤本浄本上人は、宗乗学者として名を成していましたが、
僧侶としての在り方に大変悩まれていました。

椎尾弁匡博士、中島観秀師など、
その当時、浄土宗内で周知の御方を招かれ御法話を聞かれていましたが、
どうしてもしっくりいかず、
新潟県長岡 法蔵寺の浅井法順上人から、
かねてから噂を耳にされており、弁栄聖者の御法話を聴聞する勝縁に恵まれました。

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田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』
にも記されていますが、

山陽本線大畠駅のプラットホームで、
浄本上人は、弁栄聖者をお待ちしていました。

浄本上人は、聖者と面識はなかったのですが、
汽車から降りてこられた一人の僧侶をご覧になり、
この方が弁栄聖者だとすぐにわかったといいます。

その聖僧の御身より霊気を放ち涼しい、いきいきとした光が、
御身の周囲一間四方に輝いてまし居ました
からでした。

此の聖者の放ちたまう光明を拝するや、
覚えず低頭合掌恭礼し念仏せずには居られず、
其の霊気に触れてより恍惚として酔うよう
になりました。

この浄本上人の逸話は、光明会内ではよく知れているようですが、
この時の状況について、
杉田善孝上人の大変示唆深いご教示があり、
その要旨は以下のとおりです。

「当時、浄本上人は厳密な意味における三昧心は得ておられなかったが、
内的感覚としての心の眼は開けておられた
心の眼開けた人にとっては、聖者はただの平凡僧でなく、
光明赫灼として拝むことができました。
この時の光明は聖者の業光であり、
いわゆるオーラで、(心光ではなく)色光
キリスト教で描かれる金冠、後光などは、宗教美術家の想像の産物ではなく、
心の眼開ければ、業光を拝むことができます


浄本上人は、聖者に相見以前に既に、
『凝(じ)っと自然を見ていると自然と一つに融け合う気分になる』
という所までいっていたが、
これは三昧の準備的入門の前段階に相当するもので、
浄本上人が聖者に初対面の時、直ちに業光を拝まれたのはそのためです。」

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(藤本浄本上人 1879年~1971年往生 世寿 92歳)


知恩院門主 故 山下現有上人に初対面の時、
同門主 故 藤井実応上人も山下上人の業光を拝された
と浄本上人は語られています。

山下現有上人が知恩院門主で在られた時と記憶していますが、
弁栄聖者は、知恩院勢至堂での高等講習会の講師として、
あの「宗祖の皮髄」を御講義されました。

当時、高僧として知られていた山下現有上人もまた、
見仏しておられていたようですので、
弁栄聖者の御境涯に御共鳴されていたと思われます。

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↑ 弁栄聖者が西蓮寺に招かれた、大正8年当時、
島へは、連絡船で渡られました。

↓ 対岸からの船着き場の眺め。

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大島大橋が建設されたのは、
弁栄聖者のご遷化後、およそ60年後の1976年(昭和51年)。

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たまたま、晴れ、曇り、雨の天気模様を経験しましたが、
特に晴れ間の景色は、
風光明媚と形容すべき素晴らしいものでした。

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連絡船を待つ間の、
藤本浄本上人と弁栄聖者との会話も、とても示唆に富んでいます。

浄本上人「極楽はきれいでしょうね」
弁栄聖者「ハイ、きれいです。」

風光明媚な景色をご覧になりながら、

浄本上人「あそこらは極楽に見えるんでしょうね」
弁栄聖者「いえ、やはり島に見えます。」

蛇足で申し訳ございませんが、

聖者は、”比喩として”「極楽はきれいです」と言われたのではありません。

五眼の内、
肉眼で、自然界の風光明媚な景色を、
仏眼で、心霊界の麗しい極楽をご覧になっておられていたのです。

この風光明媚な景色をご覧になりながら、
浄本上人が弁栄聖者に、「極楽」と喩えられて表現されたのは、
わかるような気がします。

この地を訪れ、この素晴らしい景色に見とれあかず眺め、
この場所をはなれがたかったことが思い出されます。

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後に、光明修養会の上首を長年務められ、
”徹底した念仏行者、宗教哲学者、語学・書の達人”
でもあられた山本空外上人が、
人生にいきずまり、救いを求め、藤本浄本上人の元を訪れ、
念仏によって救われたのが、此処、周防大島の西蓮寺。
大正10年夏、
山本幹夫師(空外上人の俗名)18歳、浄本上人42歳の時でした。

まことに惜しいことに、
空外上人は、弁栄聖者にお逢いすることができませんでした。
しかし、このことは、
今後の光明会、光明主義の発展、展開にとって、
また、光明会、光明主義の在り方、それらの特徴を再考するにあたり、
”如来様の御計らい”という深意があるような気がしてなりません。

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弁栄聖者の直弟子には、
お上人方によってそれぞれに特徴があるように思われます。

藤本浄本上人は、
浄土宗勧学に叙任せられる程の宗乗学者でもありました。

浄本上人の聖者観は、生涯一貫して、

「法然上人の御教え(本願念仏)を現代に生かされた御教え(光明摂化による現当二世の光明生活の重視)を説かれた聖」

であったかと思われます。

浄本上人は、全国光明会連合の上首を長年務められましたので、
必然的に、浄土宗と光明主義との関係への言及が少なからずあり、
浄本上人のご著書を紐解くことは光明主義研究にとって不可欠だと思われます。

浄土宗勧学に叙任されるほどの宗乗学者であられた浄本上人が、
弁栄聖者を終生尊崇されたのが、

”念仏による霊化の結晶”ともいうべき”聖者の御霊格”

であられたという点は、

「安心起行(只信口称念仏)重視派」、
「起行の用心(憶念口称念仏)・見仏重視派」
の如何を問わず、

光明会(光明主義)に縁のある者にとって、
傾聴すべき、常に立ち返るべき基点
であるように思われます。

「見仏の要は、一切身意を仏化するにあり。」(弁栄聖者)

”弁栄聖者(光明主義)の神髄”はこの点に尽きる
といっても過言ではないように思われます。

誤解を恐れずに表現しますと、

「見仏とは、
”目的にして手段、手段にして目的”
”目的即手段、手段即目的”」


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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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