2016-05-22

明治四十五年、筑後善導寺ご滞在中。弁栄聖者の高山彦九郎に寄せる想い・・・


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福岡県久留米市寺町にある、

「真言宗 光明山 遍照院」

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「寛政三奇人」の一人、

幕末の志士へ影響を与えた、
高山彦九郎の墓があることでも知られています。

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弁栄聖者は、善導寺でのご滞在中、
しばらく経っても、真摯に法を求める法類に巡り会えずに、
仏画等を画きながら過ごされていました。

この頃の消息に、

「さてこの頃はわが専修念仏の流れの水の源なる鎮西筑紫の善導寺の内仏道場にありて、
日本続蔵経のあるあり、これを開き読みて、
かたわら聖影をうつしなどして日を送り、
ちょうど北海の浜に釣をたれて
武王ちょう魚をまつヂイさんと同じようなもの
である。」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


ある者の誘いによって、
遍照院の高山彦九郎の墓参りをされました。

高山彦九郎は、天皇に対する篤き忠誠心。

一方、弁栄聖者は、
法然上人の真意、「大ミオヤ」様への篤き恋慕の情。

「同じ境遇に心は通う手向けの称名、
彦九郎の墓前に黙念合掌して、
下げた上人の頭はなかなかあがらない。」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)



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京都市三条大橋東詰(三条京阪)には、
「京都御所望拝の姿」の高山彦九郎の銅像があります。

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筑後善導寺で数か月が経った7月に、
偶然の用事で訪れた、
筑前若松善念寺住職の「筑紫の聖人」波多野諦道上人が、
弁栄聖者にご邂逅。

いっぺんで、聖者の篤き信奉者となられました。


縁とは、真に不思議なもの。

「筑後の聖者」と云われた中川察道上人は、
この時期、善導寺で、弁栄聖者にお会いになっているのですが、
いまだ機縁熟さず、熱心な聖者の篤き信奉者となるには、
その後、数年の時間が必要でした。


なお、遍照院は、その庭園も知られています。

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2016-05-08

明治四十五年四月、弁栄聖者の初九州入り~筑後善導寺貫主、広安真随僧正がご招待。


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筑後善導寺は、九州における浄土宗の大本山。


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善導寺の大門

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しばらく、歩きますと、善導寺の三門(山門)

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法然上人の直弟子、
 「浄土宗の第ニ祖」の聖光(しょうこう)上人が開山。

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鎮西(ちんぜい)上人、弁長(べんちょう)上人とも呼ばれています。


 ↓ 鎮西(聖光)上人の御廟。

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筑後善導寺でも、
明治四十五年三月法然上人七百回忌の御遠忌が盛大に行われました。

当時の善導寺貫主は、善導寺第五十九世広安真随僧正。

明治四十五年四月に、
広安真随僧正は、自坊の善導寺に、
弁栄聖者を招待されました。

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※ 明治末期から昭和初期頃の久留米駅舎。

弁栄聖者は、
筑後善導寺の最寄駅、久留米駅で汽車を降りられ、
まごまごしておられたところ、

「善導寺へおいでになりますか」
と声をかけられたのが、中川弘道上人でした。

この時の不思議なご縁もあり、中川弘道上人は、後に、
大谷仙界上人とともに、九州光明会の中心となられた方

なお、弁栄聖者の九州とのご縁は、
後の光明主義発展の基盤となる、
光明主義伝道上、極めて重要な意義があったと思われます。

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↑ 現在の久留米駅は、当時のおもかげを全く感じさせない、かなりお洒落な雰囲気。



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広安真随僧正(累誉上人)(1848~1922)のお墓は、
鎮西(聖光)上人の御廟の裏側にあります。

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広安僧正と弁栄聖者との御因縁は、
聖者が筑波山で三昧発得後
埼玉県吉川の小庵、宗円寺で一切経を拝読中、
芝増上寺の福田行誡和上の、
ご自身に来謁するようにとの伝言を伝えるための使者で、
その時以来、聖者の非凡を見抜かれ、帰依されておられた方。

かくの如き因縁がありました。

弁栄聖者は筑後善導寺で、
その後、いく十日間にわたり

「仏画を有縁の地にとどめ、将来数百年の後まで仏教をとどむる因縁にもあいなり申すべく」

との思召で、丹念に仏画を画かれておられていました。

「花は、散って青葉となった。
二ヵ月の閑居はたったがまだ、真実求法のものには出会われない。」

数か月後の七月まで待つ必要がありました。


なお、
御廟の裏側へは、通り抜けできませんので、
 ↓ 南門の左わきからお参りします。

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 ↓ 徳川家供養塔

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開基八百年記念の「念死念仏」の揮毫は、
善導寺第六十五世藤堂俊章上人によるもの。

藤堂俊章上人は、
『田中木叉上人御遺文集』の編者。
弁栄聖者五十回忌記念の御伝記『弁栄聖者』の著者の藤堂恭俊博士は、
俊章上人の御兄弟。

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参考文献は、 田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』。


この一連の記事には馴染まないかとも思われましたが、
やはり、アップしておきたい写真があります。

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御廟裏側のお墓には、
九州光明会、いや、光明会に多大な御貢献をされた
吉松喜久造氏とその奥様である千勢子氏のお墓があります。


吉祥寺は、浄土宗第二祖鎮西(聖光)上人の御生誕の地。

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また、吉祥寺は、「藤の名所」としても知られています。

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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