2015-09-28

島根県加茂町「財団法人 空外記念館」(毎年10月1日~10月31日 午前10時~午後4時 期間中 休館日なし)

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加茂中駅を出てみると、
ほんとうにこの地に、あの空外上人の記念館があるのだろうか、
と、一瞬躊躇されるかもしれません・・・

JR線 木次線加茂中駅下車、徒歩25~30分程(タクシーで7~8分程)。
(HPでは、徒歩15分と記されています。)

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「財団法人 空外記念館」は、
1989年(平成元年)10月に、島根県加茂町に開館しました。

建物は、
「千年の後に教えを伝えるために千年の風雪に耐える木造の建築をもって
設立され、
所蔵品は、空外上人の所蔵品で、文化財級のお宝物が数多く所蔵され、
二十世紀の正倉院とも評されているようです。

開館期間: 毎年10月1日より10月31日まで(期間中 休館日なし)
開館時間: 午前10時~午後4時
入館料: 500円

1年の内、10月の1ヶ月のみ開館
所蔵品保護のため、とのこと。

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山本空外上人(1902年~2001年、財団法人光明修養会元上首)は、
主として島根県加茂町で隠遁的な念仏生活をされていたこともありましょうか、
世間的にはあまり知られていないと思いますが、
空外上人の業績等を調べていくと、
こんな凄い方が、どうして世間的にほとんど知られていないのか、
世間的な周知度と実績とのギャップの大きさに戸惑うことが多々あります。

空外上人は、徹底した念仏行者にして、語学の天才哲学者、学者でもありました。
また、 空外上人の書は、
空海、慈雲、良寛と同じく自然のいのちが躍動する「心の書」といわれ、
独特の味わいがあり、その書を見る者がそれぞれなりに感得するものがあろうかと思われます。

空外上人を精確に描くことはとてもかないませんが、
「空外先生外伝ー凡人の限界ー」(巨榧山人著『続 不信へのお誘い』)には、
世間的にはほとんど知られざる空外上人の一面が描かれていて、とても興味深いです。

※ この書は品切れですが、「空外先生外伝<凡人の限界>」の全編が、
ありがたいことに、「寺子屋日記」というブログに掲載されています。

そこに登場するのは、空外上人とご縁のあった(以下、敬称略)
湯川秀樹、小林秀雄、魯山人、柳宗悦、井上三綱、加藤唐九郎、荒川豊蔵、中里無庵、
フッサール、ベルグソン、ピカソ、ハルトマン、ヤスパース、ジルソン、ハイデッガー、オッペンハイマー、サルトル。

なお、湯川秀樹博士のお墓は、
知恩院特別墓域内の空外上人のお墓の背面に隣接しています。

空外上人は広島県出身で、現広島大学の教授時、被爆をされましたが、
奇跡的に助かり、後、出家。
また、この旧制広島文理科大学(現広島大学)時には、
あの数学者の岡潔博士も同大学に奉職されていました。

空外上人(俗名山本幹夫)の文学博士の学位論文は、
『哲学體系構成の二途ープロティーノス解釈試論ー』
空外上人が32歳、1935年(昭和10年)に東大より文学博士の学位取得。

当時、読書等のため眼を酷使し過ぎて、失明の危機に瀕しましたが、
数か月間、念仏三昧の生活を送られたところ、
奇跡的に眼病が治癒し、宗教的心境にも悟境の深まりがあったとのこと。

空外上人の関連図書は、こちらで購入できます。

空外上人は、大正10年8月、18歳の時、
弁栄聖者の直弟子で宗乗学者であった藤本浄本上人のご指導により、
念仏三昧を修しある種の宗教体験をえ、
それ以降終生に渡り、念仏生活をおくられました。

空外上人の念仏の特徴は、
「但信口称念佛」の徹底により、「生きられる命の根源=阿弥陀」に参入し、
各人が「各々性」の華を咲かせ、「無二的人間形成」を実現すること、
にあるように思われます。

空外上人ほど、学・行兼備徹底した念仏行者は、実に稀だと思われます。

ただ、何の因縁か、まことに惜しいことに、
空外上人は、弁栄聖者に直接お逢いできませんでした


以下私見ですが、空外上人
念仏実践の精神は、別府信空上人に、
書(芸術)の精神は、川本剛空氏に、
哲学的・学問的精神は、河波昌博士
(「空外記念館 前理事長」、「一般財団法人 光明会」上首、
「一般財団法人 山崎弁栄記念館」 理事長)に、

それぞれ、主として継承されておられるように思われます。


学・行・徳兼備徹底した、念仏行者にして宗教家
であられた弁栄聖者の後に、
空外上人が出現された意義を考察する際、極めて重要な役割を担っておられる、

哲学的・学問的精神を、空外上人から継承し、
弁栄聖者の念仏精神を、田中木叉上人から継承されておられると推察される、
東京練馬「光明園」河波昌園主。

世間的にはあまり知られていないようで、実に惜しいことですが、
弁栄聖者と空外上人両人について研究する際、とりわけ注目すべき御方かと思われます。

河波昌博士の念仏観、思想の特徴と「学・行の深さ」の片鱗を知るには、
次の書も、お薦めです。

○『あなたの心はなくなりて 念仏の深まり ー空外上人を偲んでー  河波定昌博士 講義録』 (龍 飛水編 無二会)
○『如来様ばかりと成り候  念仏の極まり ー空外上人を偲んでー  河波定昌博士 講義録』 (龍 飛水編 無二会)


「無二会」の龍 飛水氏の編書には、いつもながら、そのセンスに敬服いたします。


最後に、繰り返しになりますが、

「空外記念館」の開館は、
毎年10月1日~10月31日まで 午前10時~午後4時

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2015-09-14

弁栄聖者の柴武三氏へのご教化、聖者の逸話の数々

前回は、柴武三氏と弁栄聖者との出会いを巡って、記事にしました。


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【弁栄聖者光明主義御垂示】が、
弁栄聖者の遺弟、柴武三氏の御遺志によって、
念仏修養の聖地、長野県上諏訪の唐沢山阿弥陀寺本堂隣りの岩壁に、
昭和53年8月に刻まれました。

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「唯絶対無限光寿即ち弥陀の聖名を崇め聖意を仰ぎ帰し奉りて
意に至尊をのみ憶念し口に聖名を称え身に聖意の実現に行動すべし
一念弥陀なれば一念の仏 念々弥陀なれば念々の仏
仏を念ずる外仏に成る道ぞなし
三世諸仏は念弥陀三昧に依って正覚を成ずと「南無」  仏陀禅那


なお、ほぼ同様の文言が、
「念佛(意・口・身)」 (『弁栄聖者光明体系 難思光 無称光 超日月光』)に記されています。

「真理の終局に帰趣すれば仏界に入るなり。
仏界に帰するは真理なる故に自然なり。法然なり。故に易往といふ。
・・・」


ただし、この最初の箇所は、岩の大きさの関係で、略されています。

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柴武三氏は、
弁栄聖者一代の御教え(光明主義)の真髄が、この御垂示に尽くされている
との強い自覚のうえ、
聖者御遷化後、半世紀が過ぎようとしていた当時(昭和50年前後)、
聖者の御教えの核心が歴史に埋もれないようにとの使命感から、
自費出版により、幾冊かの貴重な本を書き遺されました。

前回も弁栄聖者のと柴武三氏との貴重な逸話を幾つかご紹介しましたが、
是非ご紹介したい貴重な、逸話及び聖者の柴氏への直説法がまだ幾つかあります。

柴氏のお念仏による体験、弁栄聖者の御遺稿集の熟読体験、
笹本戒浄上人及びその直弟子達、田中木叉上人のご指導、ご教化、影響等により、
柴氏の阿頼耶識に植え付けられた弁栄聖者の直説法(御教え)が、
半世紀(50年)近く経って、蘇ってきて、再整理された記憶、想い出
といった印象があります。


【戒律編】

柴武三氏:「私は酒が好きですが、お酒を飲んでは佛戒を犯すことになるのですか。」
弁栄聖者:「お酒が飲めるのも貴方にそれだけ福分があるのです。
ですから好きなら飲んでもよろしうございますよ。
しかし、お念佛を確かり申しておりますと柴さん段々と頂けなくなりますよ。」


【修行編】

○ 弁栄聖者御在世中
「念佛は憶念口称」で、
その上いつもいつもやかましく申し渡されましたことは、
「身に彌陀の行動を実現すること」
を力強く強調なされた。

○ 見佛論に関しても既にその当時から盛んに議論されていましたが、
弁栄聖者は別に判決を下すようなことは決してなさいませんでした

笹本戒浄上人が見佛見佛とあまりにやかましく強調されるので、
弁栄聖者に非難がましく訴えられた方へ、

弁栄聖者:「ハイ、見佛をやかましく強調なさる御方が一人でもおって下さるのは国の宝です。」

○ 柴武三氏:「将来修業がもっと進めば成佛のためには、お上人のように途中で法界観門を修さねばならないでしょうか。」
弁栄聖者:「いいえそんなことはありません。見佛所期の念佛三昧だけで成佛できます。」

○ 弁栄聖者:「柴さん、あれは渋柿ですがね、ああやって日光でほしてありますと、甘いほし柿になりますね。」
柴武三氏:「その話はもうわかっております」
と繰り返し繰り返し、柴氏に同じ話をされましたので、柴氏はむっとされました。


【教義編】

○現在の如来光明礼拝儀の無対光の讃礼文の『摂化せられし終局には』は、
かつて『摂化せられし人は皆』となっていたが、誤解を起こさぬように、弁栄聖者が文言を訂正された。

○(宗祖の皮髄』京都の一音社発行の本を、弁栄聖者が柴武三氏に下された時に添えられた一言)
「これは知恩院で僧侶の方々に説いた話をまとめたものですが、
この話は宗祖(法然上人)の御真意のあるところを少しでも明かそうとして、
宗祖が光明主義であらせられた処を述べたものであります。
しかし、これで光明主義が充分説き明かされたと云うのではないけれども、
その一端を知るには役立つと思います
から、参考のためにお読みなさい。」

○弁栄聖者:「宗祖(法然上人)の御真意(宗祖が実修され実地体験されながら、お説きになっていない処)を顕彰しようと思って、
皆さんにその証拠ともなるべき文献を示そうとして随分お捜ししましたが、
方便済度の御言葉のみ多く御真意のある処がなかなか見当らないで、ほんとうに苦労致しました。」

○弁栄聖者から柴武三氏へ
「一切経を、和訳ではなく、漢文のまま読みなさい。
読書百篇、必ず分かる。不明な点は、念佛して如来様に教えてもらいなさい
私を頼り過ぎるので、私がいない方がいい。」


【弁栄聖者の俤】

○柴武三氏:「御上人様、Aさんの意見とBさんの意見は違がうではございませんか。
それをどうして両方共承認なさるのですか。」
弁栄聖者:「ハア。Aさんにはアレでよくて、Bさんにはこれでよいのです。」

弁栄聖者の御教えの解釈を巡って
柴武三氏と京都帝国大学工学部講師の中井常次郎氏が議論をしていたが、
お互い自分の解釈の正しさを主張し譲らず、その結着を弁栄聖者に仰がれた時のこと。

弁栄聖者は机の上の茶碗の中のお茶を呑み干して、二人の前に差出され、
「エーこの茶碗をコー出せば裏の糸底の方でしょう、エー、こう出せば上の方ですね、
同じ話を同じ人から伺っても糸底の方を差出した方はほんの少ししかいただけませんね。
上の方を御出しになった方は沢山いただきなさいますね。
同じ御話を伺ってもその受ける人に依って大変な差が生じます
同じ器を差出していただくのに、
糸底の方でいただかないようにせねばいけませんね。」
と仰言ってホホホとお笑いになりました。

結局、その時の議論の結着はつかず、
二人はお互に、君は糸底ばかり差出しているから十二分に聖者の御真意をいただくのが少ないのだと、
笑って引き下がったことがありました。

○「産気づいた妊婦が、弁栄聖者の米粒名号を呑んだ後、
しばらくしてから生まれてきた赤ちゃんが、聖者の米粒名号を握って生まれてきた。」
何とも不可解な現象ですが、このような事実が結構あったようです。

○笹本戒浄上人と田中木叉上人のお二人は、
弁栄聖者に面談される時、聖者のお部屋に入られず、
次の間で聖者に礼拝され、何も言わずに帰られた。
不思議に思い、その理由を戒浄上人にお尋ねになると、
戒浄上人:「覚者は、口に出して質問をしなくとも、相手の質問をちゃんと分かっている。
口に出して質問せねば相手の考えていることが分からぬようでは、覚者とは言えぬ。」


○10月半ば過ぎ頃、11月には試験の結果が出る頃でもあり、
東京に行こうと荷物をまとめていた時、
弁栄聖者から二人宛(柴武三氏と高橋猪久次氏)にハガキが届きました。そのハガキに、
「さびしくば御名をとなえてなぐさめよ 唐沢山の秋の夕暮」。
試験に落ちたと分かり、東京行きを取り止めました。
その後、少ししてから、弁栄聖者が上諏訪の正願寺に来られ、
東京へ行かないでよかったと二人で語り合ったそうです。

○「聖人と性について」
おそらく多くの方が興味・関心がありながら、実際に確かめるのには躊躇しがちなテーマの一つ。
弁栄聖者は、修行の邪魔になるので、男性のそれを切り取ってしまった、との噂があったそうです。
柴氏はそのことを是非確かめてみたいと思いたち、策を巡らして、とうとう確認されました。
柴武三氏は、聖者のそれが、思春期前の子供程度であったので、
その事実をストレートに聖者に申し上げますと、
弁栄聖者:「私のは、排尿のためだけなので、これでいいのです。
あなた方は、子孫を残す必要から、それ相応の大きさのものを如来様からいただいているのです。」
と仰言いました。
柴武三氏のやんちゃぶりここに極まれり、といったところでしょうが、
しかし、とても貴重な記録が柴武三氏によって、歴史上に残されたと思います。

○高橋猪久次氏:「お上人様、昨年のままの下駄をはいておられますが、
少しも歯がすり減っていません。どこかで歯を入れ替えたのですか。」
弁栄聖者:「いいえ、忙しいのでそのようなことをする暇はありません。」
高橋氏:「でも少しも歯がすり減っていませんが。」
聖者:「私は何時も如来様に抱かれて居りますから。」
高橋氏はその下駄を聖者から頂かれたのですが、
惜しいことに、戦災で焼けてしまったそうです。

○柴武三氏が弁栄聖者に、聖者の確りとした厚い本はありませんかとお尋ねになった時、
印刷所に校正を頼んでいる本があると言い残され、聖者は御遷化されてしまったので、
そのことを田中木叉上人にお伝えし、探し回ったところ見つかり、出版に至りました。
それが、『人生の帰趣』とのこと。

○弁栄聖者は、前から数か月ほど暇をつくって少し纏まった著述をしたいと仰言っていました。
柴武三氏:「何頁くらいの本になるのですか。」
弁栄聖者:「四百頁ぐらいの本が四冊程です。
無辺光の四大智慧に関するものを書きたい。それを読みなさい。」
これが、弁栄聖者の柴氏との最後の言葉となりました。


後、柴武三氏は弁護士に、高橋猪久次氏は検事になりました。
お二人の職業選択は、弁栄聖者のアドヴァイスによるものとのこと。 

【柴武三氏の著作】
○ 『光明主義概要)』(昭和50年2月発行)
○ 『辨榮聖者の御教えの御話集(上巻)』(昭和50年7月発行)
○ 『辨榮聖者の御垂示と三昧』の念佛 附 禅と念佛について』(昭和51年2月発行)
○ 『辨榮聖者の彌陀の啓示「開」「示」「悟」「入」』(昭和51年8月発行)
○ 『名体不離について』(昭和52年7月発行)
○ 『光明主義六大特徴 無明編』(昭和53年8月発行)

※ これらの遺弟 柴武三氏の自費出版の本は、全て、
恩師慈父 弁栄聖者、笹本戒浄上人と田中木叉先生に捧げられています。

 『辨榮聖者の御垂示と三昧』の念佛 附 禅と念佛について』(昭和51年2月発行)と、
 『辨榮聖者の彌陀の啓示「開」「示」「悟」「入」』(昭和51年8月発行)は、
 京都の佐野成昭氏が再版されているとのこと。
 (照会先は、一般財団法人 光明会で、教えていただけるかと思います。)

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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