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2015-04-13

若松英輔著『霊性の哲学』(角川選書)を読む。



       霊性の哲学


若松英輔著『霊性の哲学』(角川選書)は、
2014年3月8日に逝かれた、
若松氏の師、井上洋治神父に捧げられています。

「本論で師を語らなかったのは、
その影響全編を貫くものだったからである。」


更に、若松氏は、師である井上洋治神父を評して、

誤解をおそれずにいえば、
自らの信仰がどのように深まるかは、
彼にはさほど重大な関心事ではなかったように思われる。

彼が見つめていたのは目の前で苦しむひとであり、
また、彼が思い及ばないところで苦しんでいる人々に、
いかにイエスの言葉を伝え得るか、だった。
どのようにしたら二千年以上前に、異境で語られたイエスのコトバを、
日本人の霊性に響くかたちで今によみがえらせることができるのか、
それがー究極的にはそれだけがー宗教者としての彼の問題だった。


自らが不完全であることを真に認めること
それが霊性の目覚めである
ことを師の生涯は物語っている。」

と、本書の「おわりに」に記されています。

また、「詩と哲学と宗教が同根である」と。

「宗教の「宗」は「超越」という意味です。
超越から人間に直接下される何か、それが宗教です。
それは、・・・「原宗教」ともいうべき、宗派を超えた何かです。
宗派ではなく、霊性の世界です。」

若松英輔氏の一貫した「霊性観」であり、
本書を貫く「霊性の哲学」

以上は、
若松英輔氏の「霊性論」を学ぶ際、重要な観点かと思われます。


本書は、以下の章からなっています。

第1章 光の顕現ー山崎弁栄の霊性
第2章 大智と大悲ー霊性の人、鈴木大拙
第3章 平和と美の形而上学ー柳宗悦の悲願
第4章 文学者と哲学者と聖者ー吉満義彦の生涯
第5章 コトバの形而上学ー詩人哲学者・井筒俊彦の起源
第6章 光と憤怒と情愛ー谺雄二の詩学

講演が基になっていますが、
「いわゆる講演録ではない。話した内容は原形をとどめないほどに加筆がされている。
・・・この本は「書き下ろしの講演録」である。」

若松英輔氏の愛読者なら、
ここにも小林秀雄氏の影響を見出すかもしれません。


若松英輔著『霊性の哲学』(角川選書)を、
主として、山崎弁栄聖者と関連させてご紹介したいと思います。


若松英輔著『霊性の哲学』は、
第一章が、「光の顕現ー山崎弁栄の霊性」となっています。

弁栄聖者に学び、信奉する者にとっては、
「正当な評価」であるとは思いつつ、いささか驚きでもありました。

と云いますのも、
本書の出版元の「KADOKAWAオフィシャルサイト」には、
「山崎弁栄」の名は、省略され、
「人間存在の霊的な衝動を探求した、
鈴木大拙、柳宗悦、井筒俊彦、山崎弁栄らの言葉を読みなおす」
と、本書の帯に、四番目に紹介され、
本書の裏表紙に、ようやく、章順通りに「霊性論の先駆者、山崎弁栄」と紹介されているからです。

amazonでも、本書の初期紹介の際には、
「山崎弁栄」の名はなかったと記憶しています。

そのような現代の出版事情、
そして、日本における霊性論の伝統において、
「山崎弁栄」の知名度からしても、
『日本的霊性』の著者である鈴木大拙氏を第一章にしてもおかしくないと思われるところ、
若松英輔氏が「山崎弁栄」を本書の第一章に取りあげられたことに、
本書の『霊性の哲学』」にかける若松氏の決意と意気込みを感じました。

若松氏は、「第4章 文学者と哲学者と聖者ー吉満義彦の生涯」において、
「日本における「霊性論」が鈴木大拙氏に始まる」というのは誤りであり、
その先駆者として、
鈴木大拙→吉満義彦→内村鑑三→山崎弁栄
と系譜をさかのぼりうることを指摘されています。

若松氏が弁栄聖者を知ったのは、十代の終わり、
数学者岡潔氏の随筆であったとのこと。

数学者岡潔氏の研究者としては、
高瀬正仁氏が知られております。

最近、独立数学者 森田真生氏が、
岡潔氏へ強い関心を持たれているようです。
特に、岡氏が深い共鳴を以って敬愛された、
「道元→芭蕉→漱石」の系譜及び「情緒」への深い洞察を示されていますが、
岡潔氏に決定的ともいえる影響を与えた弁栄聖者への言及が、
不思議なことに、今のところ、ほとんど見受けられません。

ところで、
若松英輔氏が一般書で、弁栄聖者に言及された初めは、
2011年5月に発刊の氏の衝撃的力作である処女作『井筒俊彦 叡知の哲学』
「第十章 叡知の哲学」においてであったと記憶しています。

「その人物を時代が忘れていたなら、私たちは想い出さなくてはならない。
その人とは、山崎弁栄である。」


「「光明主義」を説く山崎弁栄の教学は、
イブン・アラビーの存在一性論、
あるいはスフラワルディーの光の神秘哲学とも接点を持つ。」

「・・・むしろ、井筒と共鳴するのは、山崎弁栄である。」

これらの文章に接した時の驚きと感動は忘れられません。


若松英輔著『霊性の哲学』(角川選書)
「第1章 光の顕現ー山崎弁栄の霊性」は、
弁栄聖者創設の「光明学園相模原高校」における講演が基になっています。

若松氏は、カトリックの信仰者でありながら、
何故、仏教者の弁栄聖者に強い関心を持たれているのか。

また、本書において、何故に、
「光の顕現ー山崎弁栄の霊性」を、第一章にされたのか。

「山崎弁栄の霊性」を考える際の「キーワード」を、
井筒俊彦氏と吉満義彦氏に見出すことができます。

即ち、

「形而上学は形而上的体験の後に来るべきものである」
(井筒俊彦著『神秘哲学』)

「されば最深の神秘的人間はまた最深の行動的人間である。」
(「神秘主義の形而上学」『吉満義彦全集』第四巻)

吉満氏の「最深の神秘的人間」の典型は、師の岩下壮一氏で、
岩下氏は、静岡県御殿場市にあるハンセン病の療養施設神山復生病院の院長を長く務めた人物。

ただし、ここで留意すべき重要なことは、
若松英輔氏は、「行動」を、いわゆる「社会(貢献)活動」には限定していないことです。

若松氏の考える極めて重要な「行動」には、
「読む」という行為があります。

「「読む」という行為は実に奥深いものです。
現代人が感じているよりもずっと多層的な、
また多次元的な出来事のように思われます」


「何かが分かるということは常に、
私たちのどこかで何かが変わるということ」
とも。 


「山崎弁栄の霊性」を考える際の「キーワード」として、
井筒俊彦氏と吉満義彦氏の重要な言葉を紹介しましたが、
更に、西田幾多郎氏の言葉も、とても示唆に富んでいます。

「真の絶対的受動からは、真の絶対的能動が出て来なければならない。」
(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集 Ⅲ』)

弁栄教学とキリスト教との関係については、
本書でも紹介されています河波昌氏の著作にも随所で論じられていますが、

若松氏の弁栄聖者とキリスト教との関係の指摘も、とても示唆に富んでいます。

「仏教の源流を掘っていき、
原宗教ともいうべき地平でイエスの言葉にそのまま出会っている
誤解を恐れずにいえば、
イエスの原義が、そのまま流れているようにすら感じられます。」


「原宗教ともいうべき地平」

弁栄聖者が深三昧定中に直観された、
大宇宙の真相、「宗派宗教を包超した宗教の根源」である、
「超在一神的汎神教」の境界。


なお、「第1章 光の顕現ー山崎弁栄の霊性」に関して、
訂正したい箇所があります。

P24の最後から二行目は、おそらく、
「岐阜県のある寺院」→「愛知県のある寺院」。


今回は立ち入った紹介はできませんでしたが、

〇弁栄聖者における「母性的霊性論」。
〇「美と霊性」及び平和論。
〇「理性と感情」に関する考察。
〇現代社会の諸問題に対する宗教の働き。

など、極めて重要な観点がこの書にあります。


「自己が完全たり得ない者であるという自覚があるところにだけ対話は生まれます。
対話は説得ではありません。
対話とは自己と他者の間に真理の糸口を見出そうとする営みです。」


若松氏が提唱される真の対話、「彼方での対話」
肝に銘じたいと思います。


最後に、付け加えておきたいことがあります。

これまでの若松英輔氏の「霊性論」は、
「聖者」に顕現された「霊性」の系譜が主となっているように思われます。

「ここでの「聖者」は、完全無欠、静謐無垢の人間ではない。
・・・聖者とは、世界が聖なる実在であることを表現した人間の謂いである。
「聖者」は「聖人」と同義ではない。
・・・しかし、「聖者」は「聖人」に定められた宗教的枠組みを突破しつつ出現する。」

(「聖者論ー越知保夫と小林秀雄ー」若松英輔著『神秘の夜の旅』)

ただし、若松氏が本書で論じている者のうち、
「山崎弁栄」は、釈尊、イエスを彷彿とさせる、
”霊的能力と霊格を兼ね備えた”「生涯を布教に捧げた実践的な宗教者」
「聖者」であり、「聖人」でもありました。

「霊性」にも限りない深まりがあることが、
弁栄聖者の御生涯を調べていくと、実によく分かってきます。


若松氏は、現在、『文学界』に小林秀雄論である、
「美しい花 小林秀雄」を連載中です。

「聖者」としての小林秀雄氏を描き出す、
出色の「小林秀雄論」となると思われます。

晩年の小林秀雄氏が敬愛された岡潔氏も、
この意味での「聖者」でありました。
ちなみに、小林氏の命日は、奇しくも岡潔氏と同日、岡氏没後の五年後。

若松氏は、『中央公論』における「イエス伝」の連載を終えたばかりです。
いづれ、若松氏は、単著として「山崎弁栄伝」も刊行されるでしょう。

若松英輔氏と霊性の系譜が極近いと思われる、
批評家の安藤礼二氏が最近、
ライフワークの集大成ともいうべき『折口信夫』を刊行されました。

若松英輔氏による、
「聖者論と聖人論」でもある『イエス伝』、『山崎弁栄伝』の刊行を、切に望みます。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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