2015-03-23

京都「総本山 知恩院」 法然上人御廟、勢至堂、弁栄聖者のお墓を訪ねて



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京都「総本山 知恩院」のお参りは、やはり、こちら「三門」から。

国宝指定だけあって、趣があります。

「三門」とは、「空門」・「無相門」・「無願門」という、
悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)を意味するとのこと。

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さすがに、浄土宗の総本山、境内はとても広く、
今回の目的地は、最も奥にあります。

ご参拝の際、とても便利な知恩院境内地図

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蛇足ながら、「円光大師」とは、法然上人のこと。

ご興味のある方は、「法然上人の大師号」の解説を是非。

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法然上人のご遺骨をお祀りする「御廟」

知恩院で最も神聖な根本霊地

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この奥が、「御廟」

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勢至堂の傍ら、御廟の崖下にある「紫雲水」
「法然上人ご入滅の時、聖衆が来迎し紫雲が水面に現れ、芳香が漂った」
という言い伝えが残っているようです。

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法然上人の御遺訓、 「一枚起請文」 。

山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』は、
1916年(大正5年)、知恩院夏安居と併修された教学高等講習会にて、
助講として講師を務められた時の講義録。

これは、云わば、「異端審問」としての意味あいが濃厚であったものですが、
かえって、聴講者に、大変な感銘を与え、
講演後早々に、出版の運びとなったもの。

これには、裏話があり、
最初講師の依頼を受けられたのは、笹本戒浄上人でしたが、
「自分より弁栄上人を推薦したい」との戒浄上人の願いにより、
(戒浄上人は、弁栄聖者を「現代の釈尊」と尊崇されていました)
弁栄聖者の講師が実現されましたが、
当時から、宗門内で、弁栄聖者を「異安心」視する雰囲気があり、
「弁栄上人の講師反対」といった一時不穏な空気があったようですが、
「それならば、弁栄上人の話を直接聞いてハッキリさせるべきだ」とのことで、
どうにか実現されたと伝えられています。


詳しくは、光明修養会版の山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』所収の、
〇藤堂恭俊「『宗祖の皮髄』の成立」
〇江島孝導「草稿資料探訪」
をご一読ください。

また、光明修養会(現光明会)版の『宗祖の皮髄』は、
現代風に語訳され、また、上述の解説等と、
笹本戒浄上人が所持された『宗祖の皮髄』のコピーも掲載されています。


なお、知恩院第86世門跡 中村 康隆猊下は、大正大学学長を務められ、
また、大正大学カウンセリング研究所を創立し、初代所長

中学生の頃に、弁栄聖者ご指導の唐沢山別時に参加され、
「このような立派な僧が居られるなら私もそれ迄いやだった僧侶になろうと決心した」
また、「私が今日ありますのは弁栄上人のおかげ」とも。


中村 康隆猊下の先代の知恩院第85世門跡 藤井実応猊下は、
惜しくも弁栄聖者にお逢いできなかったようですが、
笹本戒浄上人のお別時に参加されるなど、光明会との因縁が深かったようです


「正統なる」継承者が、ときに異端者の姿をしてあらわれる。」

とは、若松英輔氏の正に至言


弁栄聖者の独創、卓見は、
永遠に輝く法然上人の「霊的人格内容に着目された」こと、
また、その法然上人の念仏三昧により実現されていた霊的内容顕正のために、
法然上人の「御道詠に着目された」こと、
にあろうかと思われます。

弁栄聖者は、宗内で「異安心」と批判されながらも、
法然上人の霊的人格形成の源泉を、
弥陀への「霊恋」(「霊的憧憬、霊的衝動」)にあると喝破され、
「大乗仏陀釈尊の三昧」、すなわち、「念弥陀三昧」
「観仏三昧」ではなく、「見仏三昧(憶念口称念仏)」を、顕正されました。


「献身的に実践につとめた仏教家」としての、
弁栄聖者の特異性、特徴点について、
中村元氏の興味深く、示唆に富む記述がありますので、
御紹介します。

「かれのいう愛とは慈悲の現代的表現なのである。
「信」を強調する日本の浄土教の中から、
「信」に併立するものとして「慈悲」を強調する
かれのような宗教家の出たことは、驚くべきことである。」

(中村元著『慈悲』)


更に、興味深く、注目すべき着眼点として、
日本の「和歌」の伝統に、日本の哲学的叡智が脈々と受け継がれてきたのでないか
と気づかれていたのが、例えば、 井筒俊彦氏。

「新古今が好きで古今集、新古今集の思想的構造の意味論的研究を
専門にやろうと思ったことさえある(井筒俊彦)」。

(「新古今和歌集」『井筒俊彦入門』)

この井筒氏の大変興味深い発言に注目されているのが、
やはり、若松英輔氏です。

法然上人のお弟子には、新古今に関わる方もおられたことは、
よく知られた事実。

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「自性は十方法界を包めども
中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。
真空に偏せず妙有に執せず、
中道に在て円かに照らす智慧の光と慈愛の熱とありて、
真善微妙の霊天地に神を栖し遊ばすは、
是れ大乗仏陀釈迦の三昧、又我宗祖の入神の処なりとす。」

( 山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』 )



田中木叉上人は前半部分の、

「自性は十方法界を包めども
中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。」


「仰ぐもあり」の「も」は、要らないですね。
と言われたことがあったそうです。

さり気ない御指摘ですが、
さすがに田中木叉上人と深く感銘を受けましたので、
是非、このご指摘を、ここに記して置きたいと思います。

笹本戒浄上人は、
『笹本戒浄上人全集』などを拝読いたしますと、
『宗祖の皮髄』の記述のままに記されている箇所と、
やはり、「も」を抜かして記述されている箇所があります。

前半部分は、念仏三昧による「霊験の種々なる方面」を列挙、
「自性は十方法界を包めども
中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。」

が、列挙の最後で、列挙の一つに過ぎない単なる「も」ではなく、
これこそが、大乗仏陀釈尊、法然上人の三昧の内容


また、後半部分の、
「真空に偏せず妙有に執せず、
中道に在て円かに照らす智慧の光と慈愛の熱とありて、
真善微妙の霊天地に神を栖し遊ばす」

は、前半部分と同内容であり、言い換えの表現であるため、
前半部分の最後の「も」は必要ない、ということになります。

こう云うことだと、推察されます。

また、『宗祖の皮髄』には、「教祖霊的人格の実質」として、
大乗仏陀釈尊の三昧の内実を、
弁栄聖者が晩年特に強調された『無量寿経』の「三相五徳」に依って、説かれています。

ここに、釈尊→法然上人→弁栄聖者へと、
脈々と一貫して流れる「念弥陀(見仏)三昧」の伝統、大乗仏教の真髄をみる思いがします。


禅の悟りの一部でもある「空」に囚われ
そこから脱することに苦心惨憺されておられた笹本戒浄上人。
弁栄聖者が上人のお寺(慶運寺)においでになり、
上人が所持されていた『宗祖の皮髄」巻頭の聖者自画自賛の「親縁の図」の裏面に、
記された御教示。

「ある禅納云く、仏本来我方寸の中に在り。
何ぞ西方十万億の彼岸に求めんや。
今は日く、浄門の意は他仏を念じて自仏を作る
所念いよいよ高遠なれば、能念の心したがって高遠。
一心に仏を念ずれば即ち是の心仏を作る。
もし三昧を得れぱ是の心是れ仏。」

念仏者乃心本尊波六十万十万億ノ奥行之堂

ワ カ ミ ホ ト ケ ノ シ ゙ ヒ ノオモ イ ル ヒ ノ カ タ ニ ウ ツ ロ ヘ テ
我美保止計農慈悲乃面入留日乃加多仁映津呂辺天
テ ル ミ ス ガ タ ヲ オ モ ホ ヘ ハ レイカンキワマリナカリケリ
照留美須賀太乎思保辺婆霊感極里奈加利鳧


「「或ル禅柄」とは六祖慧能師を申されたる事聖者より承はり候ひき」
と、記しておられたとのこと。

聖堂版の弁栄聖者『宗祖の皮髄』は、こちら


なお、「浄門の意は他仏を念じて自仏を作る」

ここで言う「浄土門」とは、
浄土宗真宗等を指すのではなく、
大宗教家としての釈尊の真精神の純粋円満な浄土門・宗教を意味する
とのこと。

「禅」もまた、
禅浄(又は聖浄)二門で教祖釈尊のみ教えの
哲学的方面と宗教的方面を代表されたので、
単なる禅宗を指すのではない、とのこと。

したがって、「是心作仏、是心是仏」も従来の浄土教の立場からではなく、
弁栄聖者真正の真精神より見なければならない

とは、笹本戒浄上人の御教示

(参考文献:弁栄聖者著『光明主義玄義(ワイド増訂版)』


「他仏を念じて自仏を作る」

「念じて」「縁じて」と同義と捉えれば、
「念仏」こそ、正に、「縁起の理法」に依る行法であることは、自明。

蛇足ながら、
ここで言う「念仏」も、伝統的な意味での「念仏」を包超しています。


勢至堂の右横側を通り弁栄聖者のお墓へ

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弁栄聖者のお墓へは、光明会有志による道標があります。

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斜め右前方上の方、階段を結構登った高台にあります。

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弁栄聖者のお墓が、
知恩院、法然上人の御廟近く、勢至堂の裏側のお墓にあることは、
真に相応しく思われました。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

2015-03-08

弁栄聖者の東京遊学時代にゆかりのお寺巡り


今回の記事は、主として、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に依っています。

今回記事にするにあたり、
弁栄聖者の東京遊学時代にゆかりのお寺を巡り、
それらを整理しながら、見えてきたことがあります。

徳川家康は、念仏行者でありましたので、
江戸時代は、浄土宗と徳川家との関係が深く、
浄土宗の養成機関としては、「関東十八檀林」が知られており、
浄土宗以外でも、「檀林」のような養成機関があって、
現在そこを訪づれても、往時の雰囲気を感じとることができます。

弁栄聖者の宗派宗教を包超した宗教体験の深さ、広さは、
聖者の宗教的資質に依る(釈尊への憧憬が強かった)とは思われますが、
江戸時代から明治時代の仏教各宗派の養成機関の在り方も、
影響しているようにも思われました。

弁栄教学の宗教哲学的基盤には、華厳哲学があるように思われます。
弁栄聖者の宗教体験においても、また、然り。

弁栄教学の理解には、弁栄聖者光明体系『無量光寿』『無辺光』が必読書かと思われますが、

現在、井筒俊彦全集が発刊されており、
最近発刊の『井筒俊彦著作集第9巻 コスモスとアンチコスモス  1985年-1989年』
所収の「事事無礙・理理無礙―存在解体のあと」は、とても参考になると思われます。


また、現代の各宗派宗教の養成機関の在り方、
関東大震災といった自然災害、第二次世界大戦といった人災、
災害の影響、時の経過による風化といったものにも、想いをいたしました。


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明治十二年十一月以来、
千葉県小金東漸寺での弁栄聖者の御修行の様子を大谷大康老師はご覧になり、

「もはや我が膝下に止むべきではないと思い、
すみやかに帝都一流の学者の門をたたいてこの法器を磨かせんとて、
明治十四年正月から、上京させることになった。」

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』

この当時から、

「仏法は学解にあらず、三昧実証にあり」

と、弁栄聖者の「常の方針」は一貫されておられました。

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東京遊学時の寄宿先は、
浄土宗の芝増上寺、時宗の浅草日輪寺、真言宗の田端東覚寺


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東京芝の増上寺(浄土宗)で、
傳通院主、大谷了胤老師から、
『往生論註』、『唯識論述記』、『倶舎論』その他を聴講されました。

大谷良胤氏は、
「ロシア大司教ニコライに請われるままに仏典の講義を行った。」
(藤堂恭俊『弁栄聖者』)

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関東十八檀林の一つ、増上寺とも縁の深い小石川傳通院
こちらも徳川家と大変縁の深いお寺。

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浄土宗第七祖了誉聖冏(しょうげい)上人が開山。

聖冏上人当時の浄土宗は、「寓宗」、「附庸宗」などと呼ばれ、
未だ独立した宗として認められてはいなかったようです。
その状況を嘆かれた聖冏上人は、
宗義の相承に五重相伝の法を定め、伝法制度を確立し、
現在の浄土宗の基礎を築いた、と云われています。

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浄土宗の芝増上寺の次の寄宿先、 時宗の浅草日輪寺

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時宗檀林、浅草日輪寺は、
浅草ビューホテルの隣り。

浅草日輪寺(時宗)では、
卍山(かずやま)実弁老師から、『原人論』、『起信論』等の講義を聴講し、
次第に『首楞厳経』等をきわめられました。

浅草と云えば、
弁栄聖者が東京留錫の時、一室を本拠とされた浅草誓願寺
戦災で焼失。

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時宗の浅草日輪寺の次の寄宿先、真言宗の田端東覚寺から数百mほどの距離にある、
東京田端真言宗の与楽寺

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ここ田端、真言宗の与楽寺で、
弁栄聖者は、密教を学ばれた、
と伝えられています。

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時宗の浅草日輪寺の次の寄宿先、
田端真言宗の東覚寺

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広瀬堅信氏。

弁栄聖者の御生家の近く、 真言宗豊山派「善竜寺」 。
聖者が御幼少年期に、仏画などを教わったお寺。
そこで教えて下った方が、広瀬堅信氏。

「後、東京田端の東覚寺に住し、又真言宗一派の管長となられ、一生親交があった。」

と、田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に記されています。

田端東覚寺寄宿の頃の、弁栄聖者の御修行の在り様、御境界の一端。

「愚衲、昔、二十三歳ばかりの時にもっぱら念仏三昧を修しぬ
身はせわしなく、事に従うも意こころは暫らくも弥陀を捨てず、
道歩めども道あるを覚えず、路傍に人あれども人あるを知らず、
三千界中、唯だ心眼の前に仏あるのみ。」


三千界中、唯だ心眼の前に仏あるのみ

この極めて重要な箇所を、

「三千界中、心眼の前に唯だ仏あるのみ」

笹本戒浄上人は、「唯だ」の位置をわざわざかえて、
弁栄聖者の念仏三昧における意識の強調点

「念弥陀三昧」

を、明確にされておられます。


「予、かつて華厳の法界観門に由って、一心法界三昧を修す。
行住坐臥つねに観心止まず。
ある時は行くに天地万物の一切の現象は悉く
一心法界の中に隠没し、宇宙を尽くして唯一大観念のみなるを観ず。
また一日道灌山に座禅して文殊般若をよみ,
心如虚空無所在の文に至って、
心虚空界に周遍して、内に非ず、外に非ず、中間に非ず、法界一相に真理を会してのち、
心常に法界に一にせるは是平生の心念とはなれり
之すなわち宗教の信仰に所謂、光明遍照中の自己なり
大円鏡中の自己なりと信ず。」

弁栄聖者は、寄宿先でも学友との議論には加わらず
「ひとり眼を仏書にさらしつつも心を三昧に凝らして念仏する方が主」であり、
信解行証の道程をひたすら歩まれたため、
学友からは、愚鈍の者とみられることもあったようです。


この頃、既に、弁栄聖者は、華厳の「法界観」を成就

真空に偏することなく

「本堂ができた、本尊様を迎えねばならぬ」

と、なお一層念仏三昧精進に専念されました。

「本堂ができた」とは、大ミオヤとの形式における致一
「本尊を迎える」とは、大ミオヤの内容との融即

形式と内容相まって、成仏

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東京駒込の曹洞宗の旃檀林吉祥寺

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関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」(現、駒澤大学の前身)。

駒込吉祥寺学林で、卍山(かずやま)老師の『華厳五教章』を聴講されました。


田端の東覚寺から、駒込の吉祥寺までは、徒歩で、およそ半里(2km)ほど。

「後二十四の時東京駒込の吉祥寺学林に於いて
卍山上人の五教章の聴講に列なりし時
田端の東覚寺に寄宿して吉祥寺に通う往復にも
口に称名を唱え意(こころ)に専ら弥陀の聖容を想ひ専ら神(こころ)を凝しけるに
一旦蕩念(とうねん)として曠廓(こうかく)極まりなきを覚え、
其時に弥陀の霊相を感じ、慈悲の眸(まなじり)丹花の唇等、
其の霊容を想ふ時身心融液にして不思議なるを感ず、
其後は常に念に随て現ず。」

「一旦蕩念(とうねん)として曠廓(こうかく)極まりなきを覚え、
其時に弥陀の霊相を感じ、慈悲の眸(まなじり)丹花の唇等、
其の霊容を想ふ時身心融液にして不思議なるを感ず、」


笹本戒浄上人の御教示によりますと、
弁栄聖者のこの御境界は、厳密には仏眼の一歩手前
「慧眼が円満に開け」、ついで、「法眼も円満に開け」たことによって実現できた御境界と。

「常に念に随て現ず。」

この心霊的自由を得た境界が、
「自受用にて自ら現じ自ら感ず。能感と所感と自己にある」仏眼の境界
(弁栄聖者光明体系「成所作智」『無辺光』)

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第二次世界大戦で、そのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵のみが往時を彷彿とさせます。

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東京遊学は、僅か2年足らず。

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明治15年7月、東京遊学後、実家には戻らず、
医王寺の薬師堂で、
21日間の御修行により、激修に堪えることを確認の後、
霊地、筑波山へ。

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霊地、筑波山での御修行により、念仏三昧発得

「弥陀身心遍法界 衆生念仏仏還念
一心専念能所亡 果満覚王独了々」
(筑波山上における弁栄聖者の三昧発得偈)


この時の、大宇宙を貫く大ミオヤを、

「念仏者の心本尊は六十万十万億の奥行きの堂」(弁栄聖者)

とも詠われています。

この後の弁栄聖者の仏作仏行の基盤となる宗教体験となり、
更なる大ミオヤの霊育を受けられていかれました。

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山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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