2015-02-23
弁栄聖者の御生誕地、千葉県鷲野谷周辺の、柏「龍泉院」、大正期 我孫子「白樺派」
2月は、弁栄聖者の御誕生月ですので、
前回は、「聖者御生誕地、千葉県柏市鷲野谷周辺の風景」を記事にしました。
現地に行ってみて初めて分かることが、
やはり、あるような気がしてきています。
今回は、
曹洞宗「龍泉院」と、大正期の我孫子「白樺派」について、
記事にしたいと思います。


弁栄聖者の菩提寺、鷲野谷の医王寺から数㎞程にある、
曹洞宗「龍泉院」。


禅宗のお寺ですので、坐禅堂があり、
月例参禅会を行っているようです。

弁栄聖者の御生誕地の鷲野谷から数kmほどの距離にあるとはいえ、
何故、浄土宗ではない曹洞宗「龍泉院」に、
弁栄聖者にゆかりの「菩提樹」などがあるのかと云えば、
聖者の御生母の実家がこのお寺と縁があるようなのです。
弁栄聖者御在世中の御布教の在り様、御霊格が偲ばれます。


場所は、「手賀沼」を挟んで、鷲野谷と反対側にあった、
大正期の我孫子「白樺派」について。

当時は、橋などはなく、
渡し舟で往来されていたと思われます。
鷲野谷等の沼南地域と我孫子が、どれほど文化交流があったかは、
まだ十分詳細な調査をしたわけではありません。
ただ、弁栄聖者の御生誕地、鷲野谷周辺を訪れるごとに、
「郷土、土地が育む思想」
なるのものに、関心が芽生えてきました。
また、 若松英輔氏の著作等に導かれ、
柳宗悦氏の宗教哲学者といった側面にも関心を寄せていった時期とも重なりました。
更に、HPなどで調べてみると、
光明会とは直接関係のない、
我孫子の郷土史研究家、村上智雅子氏の
弁栄聖者の実地調査、研究なども、注目されます。
また、村上智雅子氏とも時に活動を共にされているらしい、
岩城里江子氏のアコーディオン演奏活動も興味深いです。

白樺派といえば、志賀直哉氏、武者小路実篤氏がよく知られていますが、
柳宗悦氏も重要な役割を演じています。
ちなみに、京都の弁栄聖者の在家の直弟子、中井常次郎氏のご紹介により、
武者小路実篤氏は、弁栄聖者とお会いすることになっていたらしいのですが、
予定が合わず、とうとう、お会いすることができなかったようです。
また、『銀の匙』で知られている中勘助氏も、白樺派に関連しています。

柳宗悦氏を、大正期の我孫子に招いたのは、
柳氏の叔父であった、嘉納治五郎氏でした。
嘉納治五郎氏とは、言わずと知れた「柔道の父」。

志賀直哉旧居跡のすぐ近くに、
「白樺文学館」があります。

大正期の我孫子白樺派で云えば、
弁栄聖者との関連で、
特に、柳宗悦氏の宗教思想等との関係に、興味があります。
柳宗悦氏は、ご案内のように、
浄土思想では、時宗の一遍上人に関する『南無阿弥陀仏』なる著作もあります。
また、柳宗悦氏が、我孫子に住んでいた時期は、
1914(大正3年)~1921(大正10)年まで。
弁栄聖者の最晩年と重なり、
聖者と柳氏との関係が、とても気になるところです。
現在では、まだ、この程度の情報のご提供です。


気になっている方がいらっしゃるかもしれませんので、
弁栄聖者創設の千葉松戸の「心光教会」は、
現在のJR松戸駅近くの伊勢丹の裏側辺りにあったようですが、
残念ながら、現在はないようです。
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