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2013-06-16

「大体「見仏三昧」というのが生意気の言葉です。」(冨川茂筆記 『田中木叉上人 御法話聴書』)(注)田中木叉上人とは、『弁栄聖者光明体系』の編纂に、御生涯を捧げられた方。


冨川茂氏と重住茂氏筆記『田中木叉上人 御法話聴書』は、
まさに奇書で、こんな本をよくぞ残して下さったと、
感謝にたえません。

ところが、この御法話集には、時々ドキッとする言葉に出遭います。

今回ご紹介する御法話も、そんな言葉の一つです。

「見仏三昧」とは、
弁栄聖者がこの顕正のために、この世にお生まれになった、
と言っても過言ではないほどの最重要事です。

したがいまして、この木叉上人の言葉を字義どおりに受け取りますと、
手痛い火傷を負う危険があるように思われます。

しかしまた同時に、極めて重要なご指南ともなっているようにも思われます。

「見仏」という言葉に、抵抗を覚える方、
また、「仏を見る」ことが果してそんなに重要なことなのか、
と疑問を覚える方、ピンとこない方がいらっしゃるのは、むしろ、当然かと思われます。

「見仏」の「見」とは、別の表現では、「遇」と表現され、「値遇仏」と。

現代の私達の生活は、視覚優位となっていますので、
「見」という言葉から直ぐに、視覚系の事柄を連想する傾向があると思われます。

ところが、「見仏」とは、視覚系の仏を「見る」ことだけに限定されず、
五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)及び意識をも包超する事象です。

まず、この認識が大切かと思います。

次に、「仏眼を開かれた」田中木叉上人が、

「見仏三昧」という表現をそもそも「生意気の言葉」です。

と言われた真意の解明です。

ここでも、「見仏」という表現に注意する必要があります。

「見る」とは、「私」がある「対象」を「見る」こと。

この私達の肉眼による常識が、誤解を生ぜしめるそもそもの元凶なのです。

ドイツ神秘主義を代表するマイスターエックハルトは、

「私が神を見る眼は、神が私を見る眼と同じである」

と言っているようです。

「見仏というからおかしい。
お遇い申す(値遇仏)その親様が、アナタの方から現れて下さる。」


この田中木叉上人の御法話は、さりげない表現ですが、
仏教、いや、宗教上、極めて重要なご指摘かと思われます。

弁栄聖者は、『般舟三昧経』をことのほか、最重要視されました。

「仏の威神力を持ち、仏の三昧力を持ち、本功徳力を持つ。
この三事を用うるが故に仏を見ることを得。」
と。

ここで、重要なことは、

私の「空」化が、前提となっており、
「三昧」の成就「見仏」不可分の事象であり、
それらが、仏(神)の働きに依っている、という点です。

「見仏三昧」を、私の行に拠って、私が三昧を開くと捉えていたとしたら、
それは、曲解も甚だしく、
田中木叉上人が痛烈に批判されたとおり、
そもそも「生意気」な態度そのもの。

「見仏」は、五眼での法眼と仏眼に依り認識可能と言われていますが、
法眼では、法界の真相の全面認識は不可能
如来からの「他受用」の状態で、
しかも、「慢心の元」が断たれていない状態

法眼と言われる極めて高い境涯にも、「退転の危険」があるというのです。

弁栄聖者、笹本戒浄上人、田中木叉上人など、仏眼を体得さた仏、大菩薩は、

体験上から、「見仏三昧」の深浅を詳らかに認識され、正確に判釈され、

「見仏三昧」に依る終局目的である「霊格の形成」を目指されました。

「「聖意(みむね)の現われを祈る」これが弁栄聖者が特に教えて下され、
我々が挙々服膺(けんけんふくよう)しなければいかん事である。」
(冨川茂筆記 『田中木叉上人 御法話聴書』)



最後に、一言。

「指方立相」は、凡夫へのご指南と言われてきていますが、
弁栄聖者ご指南の「三昧仏様」を拝む「念仏三昧」を、
従来どおりに理解すると、誤ります。

「念仏三昧」とは、凡夫、声聞、縁覚、菩薩、仏を問わず、
成仏に不可欠な修行法
というのが、
弁栄聖者が認識された法界の真相

その根拠は、仏身論に依ります

弁栄聖者は、三身四智の仏眼の御境涯から、
「成仏の在り方」を、次のように詠われています。

「人仏牟尼は一向(ひたすら)に 本仏弥陀を憶念し
 本仏弥陀の霊徳は 牟尼の身意に顕現す
 入我我入は神秘にて 三密正に冥合し
 甚深不思議の感応は 是れ斯教の秘奥なり」
(弁栄聖者「仏々相念の讃」の一部)
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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