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2012-05-30

「ここまで来たが、ここをどっちに行けばよいかと云う風に、道は尋ねるものである。先ず何よりも一心不乱に念仏三昧をつとめて、それからのことにせよ。」(田中木叉上人への弁栄聖者のご指南)

弁栄聖者に直接ご指導を受けられたお弟子、信者の方々の逸話は、
大変示唆深いものがございます。

弁栄聖者の田中木叉上人への導かれ方は、
笹本戒浄上人とは違っていました。


田中木叉上人が聖者に初めて逢われたのは、
大正7年、34歳、東京芝の多聞室、
まだ、大学を出たての頃。

東大を主席で卒業、天皇陛下から銀時計を下賜、
木叉上人(当時は俗名田中徹)は、学生時代はノートをとったことがなく、
あの谷崎潤一郎が同級生で、
「分からないことは、徹っちゃんに聞け!」
と言われていたほどの秀才中の秀才。

そんな田中徹氏の元へ、
熱血漢、九州の同郷人で友人の大谷仙界上人(当時既に弁栄聖者の弟子)が来られ、
いきなり短刀を目の前に置いて、この手紙を読んでみろと。

その手紙とは、九州の聖人と評判の高かった波多野上人のもので、

「若し勧めても聞き入れない時には
相手を殺して自分も死ぬと云う決心がつかない間は勧めに行ってはならない」

と。

随分、荒々しい逸話ですが、
田中徹氏への期待と氏の相当な強情さも伺える逸話です。

この手紙を読み、本気だと思われ、
そこまで勧めるなら、弁栄聖者に会ってみようと思われたそうです。

聖者の御法話を初めて聴かれた時の田中氏の印象は、

一向にありがたくもなく、

「それ位のことなら既に知っている。
大谷上人に騙され、こんなところに連れて来られた」

と後悔されたそうです。

御法話が終わり、聖者が呼ばれているというので、
お部屋に伺い、田中氏が聖者に質問をしますと、

(弁栄聖者)
「貴方は北海道に行ったことがありますか」

(田中氏)
「いいえ行ったことがありません」

(弁栄聖者)
「それでは其町の郵便局に何々橋を渡って何屋の角を左に、
何屋の角を右に、何々町をつき当たって、
何から何軒目と云う風にきいても、覚えられますか。」

(田中氏)
「いいえ、覚えられません」

(弁栄聖者)
「仏道と云うものはその様なもので、
行った事も無いものが知らぬ国の地理のうわさをして居ても少しも解らない。
そこで先ず歩き出す
そしてどっちに行けばよいかわからぬところに出る、
そして此処からどちらの道を取ればよいのですかと云う様に聞く、
仏道とはそんなもので、
行った事もないお浄土の事を尋ねても解る訳が無いではないか
。」


聖者からの御説法を聞かれた時、

「仏道とは成る程々々そういうものだ」

と田中氏はシンから感じ、念仏をする気になりました。(続く)

参考:藤堂俊章編『田中木叉上人遺文集』 

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2012-05-26

「御説法の詳細は忘れてしまったけれども、慈悲にみちた、温和で、柔和な笹本戒浄上人のお顔を忘れることができない。・・・あのような方が、本当の宗教家ではないかと思う。(中村元)]

「近年、弁栄という坊さんがおったが、これが偉かったで・・・」

と、中村元博士が第一高等学校時のドイツ語教授、
菅虎雄先生が講義の途中に語られたことがあり、

そのことに強く印象付けられ、
中村氏は、聖者の『お慈悲のたより』を読まれたとのこと。

その後、光明会の本を求め、
田中木叉上人のご自宅にも伺われたことがあったそうです。

中村氏が笹本戒浄上人にうかがった御説法。

正面にかけて光り照らされている阿弥陀如来の御絵図を指しながら、

「よく阿弥陀さまを見つめてお念仏を唱えなさい。
阿弥陀さまがお姿を現してくださいますよ」


と、また、

「笹本戒浄上人に、お目にかかったのは、その時、たった一度だけ。
それも御法話を伺った時だけ。
しかし、今なお忘れられぬ感銘を残しているのは、
ことばでは一々表現することのできない御高徳のゆえであろう」


とも。

時々意外なことに遭遇すると、
「縁の不可思議さ」に想いを馳せることがあります。

中村元博士が、笹本戒浄上人、田中木叉上人に出逢われていたことも、
印象深いそんな逸話の一つ。

さらに、付け加えますと、
中村博士は、周知のとおり、宗教特に仏教に大変造詣の深かった方。

そのような方が、光明主義の教義内容ではなく、
「笹本戒浄上人の御人格」に強く印象を残されていることに、
特に、そのことに焦点をあてられていることに、
私は、興味、関心をひかれました。


その宗教(家)の真偽を量る尺度は、

「教義内容以上に、その修行の結実である人格にある」

と、言われているようにも感じられる逸話です。

参考、 光明会本部聖堂刊『笹本戒浄上人伝』 。

2012-05-20

「いいえ、私どもの理想は阿弥陀仏の報身であります。」(弁栄聖者の笹本戒浄上人への初対面時のご説法)

前回は、

「(弁栄)聖者の皮肉骨髄の髄を承けていられるのは戒浄上人だ。
しかし上人は髄ばかりを説かれる。
もっと応病与薬のご説法をして下さるとよいのだが」


との田中木叉上人の笹本戒浄上人観をご紹介しました。

「応病与薬のご説法」とは、釈尊の「対機説法」であり、
弁栄聖者のお弟子、信者方への御説法は、
まさにそのとおりでありました。

田中木叉上人がよく言われていた「髄ばかりを説かれる」
その「髄」とは、

「見仏所期一点張りの念仏」

のことです。

弁栄聖者の田中木叉上人への導かれ方と、
笹本戒浄上人へのそれとは全く異なっていました。

三身四智の仏眼の豊かな大円鏡智と妙観察智により、
導かれる方それぞれの「阿頼耶識」を見て、
法を説かれていた
ようです。

戒浄上人が弁栄聖者との初対面時に、

「私は、阿弥陀仏の(無相)法身を理想としております」

と申し上げられたところ、

「いいえ、私どもの理想は阿弥陀仏の報身であります。
信仰の対象として報身を仰がなくてはなりません」


と導かれました。

それからは、木像の御本尊の前に座って、
阿弥陀仏の報身を念じるお念仏を唱えるようになりました。

ところが、お念仏を唱えていると、
そんな想いは意識的には全くないのに、

「この木偶の坊!」

という言葉が、口をついて出てきてしまい、
懺悔しまたお念仏を唱える、その繰り返しで、
それを乗り越えるのに、数年を要したと伝えられています。

といいますのも、
戒浄上人は、聖者に出逢われる前に、
禅宗流の念仏により、既に「見性」体験があり、
阿頼耶識が「無相」に縛られ、
「有相」の報身を念じることに相当な抵抗があった
のだと思われます。

戒浄上人の弟子の一人泉虎一氏は、

「(お念仏により)阿頼耶識から掃除しましょう」

とよく言われていたとのことです。

しかし、「易行」と言われている念仏ですが、
実践するとすぐ気付かれると思いますが、
実は、当初の予期ほど「易行」ではないと思われます。

笹本戒浄上人の場合は、
弁栄聖者のご指導にも関わらず、
なかなか「見仏(如来様にお遇いすること)」ができませんでした。

「能礼所礼性空寂 感応道交難思議 故我頂礼無上尊」

「座禅もここまで来なければ駄目である」


と、中国の座禅をよくした居士の言葉を引用して、
弁栄聖者は笹本戒浄上人にご説法されました。

当時、無相法身を所期とする禅宗流の念仏の癖から、
なかなか抜け出せずに苦心されていた戒浄上人でしたが、
聖者のこのご説法により、長年の疑問が晴れたという有名な逸話が残されています。


またある時、戒浄上人が弁栄聖者の後ろでお念仏をしている時、

「自分はお念仏に適していないかも知れない。
禅に戻ろうか」


との想いが内心起こったその瞬間に、

聖者が後ろを振り返られ、

「宗旨を変えてはいけません」

と釘を刺されました。

後年、戒浄上人は御説法中、

「弁栄上人のお陰で、ありがたいことに、
この業っつくばりの私が・・・」

と涙ながらに声を詰まらせたことがあったとのことです。

大ミオヤ、三身即一の本有無作の報身の光明に依らねば、
成仏が出来ない、それが如来の法則である


からのようです。

弁栄聖者のご指導によって、
笹本浄上人は仏眼まで開かれ、大菩薩となられました

弁栄聖者が笹本戒浄上人に口伝されたところによりますと、

仏眼にも段階があり、
三身四智の仏眼、その究極が認識的一切智であり、
それが釈尊のお悟りの境涯である
とのことです。

戒浄上人は、

「弁栄上人は、正に、現代の釈尊に存します」

と、聖者の衆生済度の御力、如来認識の深さ、御霊格を尊崇され、
また、戒浄上人の「偏依弁栄」は徹底しておられ、
聖者には無私であられました。


笹本戒浄上人により、
弁栄聖者の「髄」が伝わっていることは、
大変ありがたいことです。

2012-05-17

「木叉先生はよく「(弁栄)聖者の皮肉骨髄の髄を承けていられるのは戒浄上人だ。しかし上人は髄ばかりを説かれる。もっと応病与薬のご説法をして下さるとよいのだが」と昭和三十年代終わり頃までよく仰言った。」(「戒浄上人と田中木叉先生」『「笹本戒浄上人伝」笹本戒浄上人全集 別巻』)

弁栄聖者の光明体系を自力で学ぶのは、
大変困難であると思われます。

聖者直弟子の中では、笹本戒浄上人と田中木叉上人に関しては、
まとまった本も残されており、
聖者理解のためには、このお二人の御指南は欠かせません。

光明会本部聖堂からは、
二祖笹本戒浄上人に関する本として、
『笹本戒浄上人全集 全四巻』、『弁栄聖者 光明主義注解』

財団法人 光明修養会からは、
『弁栄聖者光明体系』の編者、田中木叉上人に関する本として、
『田中木叉上人御法話聴書』(重住茂記編、冨川茂記編)二冊
絶版本として、藤堂俊章編著『田中木叉上人遺文集』、

があります。

お二人とも、仏眼が開けておられた方で、しかも学者でもあられたので、
通常の説法とは「次元が異なる」ことは即座に実感されると思います。

田中木叉上人に関する本でも驚くに十分な内容ですが、
笹本戒浄上人に関する本は、
弁栄聖者から戒浄上人への口授口伝を、
戒浄上人のお弟子の一人泉虎一氏が記録されたもので、
驚嘆すべき内容が、さらに満載です。

私は「一切経」を読んでいないので、
断言はできませんが、
おそらく、どの経典にも記されていない内容、
今までのどの宗教家も書き記されていない内容、
奇跡的な書かと。

したがって、最終的には、
この本に記されている内容を信じるか否か、
となってくると思われます。

神仏観について、釈尊の覚りの内容、成仏の真相に関心のある方は、
是非、これらの本にあたってみてください。

2012-05-12

「光明主義は忠実にさえ研究すれば、学問の上からだけでも信じられるが、それには相当な学問が要る。」(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

数学者の岡潔博士は、
弁栄聖者の『無辺光』無差別智の権威書として、
推奨してやみませんでした。

岡潔博士は、日本が誇る世界的な天才的数学者と言われていますが、
その数学上の発見に念仏修行が大いに役立っていたことは、
あまり知られていないかもしれません。

冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』に、
興味深い御法話録が残っています。

「岡潔先生が唐沢山に来て、
「報恩念仏に来た。念仏を頂いてから、ハッと思い付いて、
〇〇題、解いて、文化勲章を貰った。」と。」



「数学上の発見と念仏に一体どのような関係があるのか?」

と疑問を持たれた方も多いかと思われます。

弁栄聖者は『無辺光』において、
如来光明の働き、作用を、
「法身」の四大智慧「報身」の四大智慧の両方面に分けて、
説かれています。

宗教といえば、一般的には、救済面(「報身」の四大智慧)に、
焦点があてられてきたと思います。

聖者は、「法身」の四大智慧、
つまり、自然界に働く如来光明も同時に説かれました。


自然科学者でもある数学者岡潔博士は、
四大智慧(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)のうち、
特に、「平等性智」の重要性を強調されました。

重要な知的認識力である「自明性」、「実在感」がわかるのも、
この「平等性智」の働きによるからです。

岡潔博士の本を読んでいますと、
博士の取り組まれていた「数学」とは、
私たちの常識的な数学とは、どうも違うようで、

「法身の理法」を明らめようとされていたように思えてなりません。

その認識力を高めるためには、
如来の光明、特に「法身の平等性智」の智力が欠かせません。

数学上の発見に、念仏の功徳による智力の深化が役立つのは、
このためかと思われます。

岡潔博士の随筆が大変魅力的なのは、
この「四大智慧」が根底にあるからだと思います。

岡潔博士の「法身の平等性智」への鋭く深い洞察は、
次の指摘にも発揮されているように思われます。

平易な言葉で表現されていますが、内容は理解し易いでしょうか?

「平等性智」の智力を量る試金石、命題の一つ。

「物質が各々の法則を守って決して背かないのは何故であるか。
自然科学はこれに対しても少しも説明しようとしない。
かように物質的自然の中を調べてわかるものは、
物質現象の一部分に止まるのである。」
(岡潔「まえがきー無辺光と人類」『弁栄聖者光明体系 無辺光』講談社版)

2012-05-08

「神は、その中心が遍在し、その円周がない円である。」(ユング)

精神分析学の開祖フロイトと並び称されるユング。

東洋思想、神秘主義にも造詣が深く、
エラノス会議の中心メンバーでもありました。

ユングのこの言葉は、あるいは、ある神秘主義者の言葉かもしれませんが、
この神の定義ほど、「神の形式面」を簡潔にして的を射た定義はないと思われます。

弁聖聖者の信仰の一貫した中心真髄は、

如来の遍在性故に、時空を超越し、

「如来が今現に真正面に在します」


との信念でした。

善導大師は、

「仏身円満無背相(仏身円満にして無背の相なり)
十方来人皆対面(十方より来る人、皆対面す)」(「般舟讃」)


との金言を残されています。

また、河波昌氏は、 「山崎弁栄上人ーその生涯と宗教芸術ー」において、

西田幾多郎の最晩年の最重要概念「無限円」に着目されています。

無限円とは円周ないし直径が無限であるところの円。したがって、

無限円では至る処に中心が存在することになります。

極めて興味深く、深淵な思想です。

『弁栄聖者光明体系 無辺光』の「大円鏡智」等に詳述されています。

2012-05-05

「菩薩は宇宙解脱を我が解脱とす。」(『弁栄聖者光明体系 炎王光 清浄光 歓喜光 智慧光 不断光』)

「菩薩は大我を我とす、宇宙を身とす。」
(『弁栄聖者光明体系 炎王光 清浄光 歓喜光 智慧光 不断光』)

「菩薩は宇宙解脱を我が解脱とす。」
の次に、この文が続いています。

『法華経 譬喩品 第三』で説かれる、

「一切衆生は 皆 これ吾が子なり」

この想いが実感となるためには、
大我に眼覚め、大宇宙を我身としなければ、原理的に不可能であり、
この大我の眼覚めが不可欠の前提となります。

私達に理解し易い近似的なものは、「親子の情」かと思われます。

この情の根底には、おそらく生物学的な基盤がありますので、
人間においては、縁が薄くなるにしたがって、
情が薄くなる、つまり、薄情になってしまう傾向は避け難い。
これを克服するには、道徳的教育や、意志的努力では、
原理的に不可能です。

衆生には、「自他弁別本能」(岡潔) があり、
この本能、無明は、原理的に自力では克服不能だからです。

弁栄聖者はご生前、戒を強く求めませんでした。
それよりも先ず念仏を勧められました。

戒とは、念仏の中から自然と規定せられていくものだからです。

大宇宙の理に規っておられたわけです。

光明主義の信奉者であり、世界的な数学者であった岡潔博士は、

「衆生が仏となるには、
単細胞が人間に進化した時間のおよそ2倍ほどかかる。」


との弁栄聖者の御言葉を引用されていました。

この「2倍」とは、字義通り、数学上の2倍という意味ではなく、
それくらいの質的差があるという意味であると思われますが、
それにしても、気が遠くなるほどの差です。

「成仏は難し、往生は易し。」

と言われますが、
もちろん、往生も決して易くはありませんが、
成仏との比較上では、そうなるかと思れます。

弁栄聖者の高弟、笹本戒浄上人、田中木叉上人も、
にわかには信じ難いくらい凄いことをおっしゃられていました。

「衆生済度を、この地球上の衆生のみと考えるのは、狭過ぎる。
度すべき衆生は、この地球上の衆生のみではない。」


と。

現代の宇宙科学の最新の知見では、
大宇宙には、生物が生成可能な天体が無数にある、
と以前テレビ番組で見て、不思議な感に打たれました。


「絶対無比の妙境は、便わち諸仏の住所にて、
無住涅槃に在まして、常恒度生は自然なり」(「無対光」)

「然るときは即ち体は本覚の都に在って化を百億に分ち、
ここに於いて一切諸仏は即ち本覚の弥陀。
弥陀即ち一切諸仏たるの真理は自ら証らん。」(『如来光明歎徳章要解』)


私共が、根本仏の分身として、
方便法身をもって自然界に出現して分身利物の活動をする身となる。
 


「成仏」という言葉は、安易に使われ過ぎているように思われます。

弁栄聖者において、開顕された「成仏」の真実内容を、
現時点の私は、まだ信じているという段階であり、
実感するには程遠い境涯です。

ただ、衆生の進化の道程、方向性は、
この方向性であるとの直観があります。

2012-05-03

「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

弁栄聖者のこの御説は、仏教、特に、浄土教の知識がある方には、
驚くべき説だと思われます。

周知のごとく、

「法蔵菩薩は、阿弥陀仏の因位の菩薩」

として、『無量寿経』に説かれています。

田中木叉上人は、弁栄聖者と出会われる前から、
相当な博識であられました。

したがいまして、「法蔵菩薩」解釈に相当苦しまれたようで、

「釈尊を通して見るのが新約である。」 (冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)

との弁栄聖者のお言葉が大変ありがたかったと語られています。

釈尊といえば、応身仏であります。

木叉上人と比べるのも大変おこがましいことですが、
私でさえ、『無量寿経』で説かれる「法蔵菩薩」解釈は受け入れ難いものでした。

弁栄聖者の真実説に出会うまでは、
『法華経如来壽量品第十六』で説かれる「久遠実成の仏」の方が、
正しく、深い教義だと思われ、煩悶した時期がありました。

しばらく後に、

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。
名に迷ふて真理を失うなかれ。
若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)


との聖者の自内証から得た驚嘆すべき知見に接し、歓喜し安堵しました。

さらに、

「絶対大霊界には重々無尽の霊徳具備して
其の内容は真善微妙にして有らゆる万善万美の極致である。
其の中心本尊の神尊は一切真理の本源一大霊力の原動にして
因果の法則より成立したものに非ず。・・・
矢張り本有無作の報身と信ぜざるをえぬ。」
(『弁栄聖者光明体系 難思光 無称光 超日月光』)


と、報身の真実説「本有無作の報身」を開顕されています。

ここで、疑問をいだかれた方がいらっしゃるかと思います。

「それでは、『無量寿経』で説かれる法蔵菩薩とは、いわゆる仏教説話の類で、
空想上の創作に過ぎないのか?」

と。

この疑問に対しては、
これ以上簡潔にして、的を射た言葉が見当たりませんので、
河波昌氏の論文からの引用をもって、
その疑問へのお答えとしたいと思います。

「法蔵菩薩神話は、釈尊の正覚が宇宙の根源的な真如力として
単なる神話的なカテゴリーを突破して
しかも不可避的にその神話的表象において
直接にわれわれに語りかけるところのものに他ならない。」
(河波昌著「法蔵菩薩神話をめぐって」『大乗仏教思想論攷』)

2012-05-01

「衆生は魂を乗せた泥舟みたいなものだ。・・・時を待て。」(新潟県柏崎極楽寺、故籠島咲子夫人への如来様(霊応身)のご説法)


杉田善孝上人のご法話の中で、
弁栄聖者にご指導を受け、三昧をいただかれた方々の想い出話がありました。

どのお話もありがたかったのですが、
その中でも特に印象深く、有難かった一つが、
新潟県柏崎、極楽寺の故籠島咲子夫人の逸話。

極楽寺とは、弁栄聖者御入滅の地、
咲子夫人は、弁栄聖者と心霊界でのご縁の深かった方として知られており、
後に仏眼を開かれた方。

「本堂以外であっても、如来様を忘れているようであってはいけない。
いつも如来様から心を離れぬようにして、この世のお勤めをせよ。」


との弁栄聖者からのお念仏のご指南のもと、
咲子夫人は、お念仏に励んでいらっしゃったとのことでした。

その当時、咲子夫人は、「初歩の法眼の境界」でいらっしゃったため、
ある時、夫人が日頃から可愛がっていた女中さんが、
夫人の意に反した行いをされたことがあり、
可愛さ余って憎さ百倍とでもいうのでしょうか、
怒りのままに女中さんを激しく叱りつけられたことがあったそうです。

しばらくして、如来様から心が離れ、修羅の鬼の心になっていたことに気づかれ、
すぐにご本堂に行って、如来様の御前で、一心に懺悔をされました。

すると、朗らかな世界が開け、
三昧定中に如来様が御現れ下さり、咲子夫人にご説法をされました。

「衆生と如来との間には一本の河が流れている。
その流れは、衆生の四つの煩悩ゆえに、豪流、濁流である。
衆生は魂を乗せた泥舟みたいなものだ。
仏の在しますかの国にたどり着きたいと思って、
かいを漕ぐが、河の流れがきついためになかなか岸にたどり着けない。
普通の者は、かかる豪流の上に泥舟を乗せたまま、
泥舟なるがゆえに、とけて沈んでしまう。地獄、餓鬼、畜生に落ちてしまう。
だから、一心にかいを漕ぐがよい。
そうすると、泥舟であっても、如来の岸に近づいてくる。
如来はこのとおり手を伸ばして衆生の手を取り、
如来の岸に迎え取らんとしている。
衆生も手を伸ばして救われようとしている。
しかし、もう少しのところで如来の手に届かぬ。
そんなものだ。時を待て。」


と、如来様(霊応身)が咲子夫人をお慰めになったことがあったそうです。


お不動様は、憤怒の姿。

三悪道の心を起こしてばかりいると、
それが習慣となり、死後、三悪道に落ちてしまう。
そうならないようにするためのお慈悲の現れ。

その証拠に、よく見ますと、
不動明王の片方の目は、優しく慈悲深い目をされています。

私たちの慈悲心から離れた怒り、私憤とは、まったく質、内容が違うわけです。

光明主義では、
不動明王とは、如来炎王光の御光による、
不動明王としての御姿としての顕現であると捉えています。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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