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2012-04-21

「大霊に体あれば必ず用あり法身は先にして報身は後にありと云うべからず」(弁栄聖者御遺文『大霊の光』)

仏教で説く「三身論」をご存じの方は、
疑問をもたれたと思います。

法身は、無始無終で、大日如来。
報身は、有始無終で、法蔵菩薩。
応身は、有始無終で、釈尊。


これが、従来の仏教における「三身論」の説であると思います。

「吾人は此三身は本来一体の三面にして不可離の関係を以て居れば通じて大ミオヤとして仰で居る」。

と弁栄聖者は明言されています。

つまり、
「大ミオヤは、三身即一、無始無終に在します。」

聖者は、「阿弥陀仏」を「大ミオヤ」と表現されました。

五存七欠十二訳として知られる『大無量寿経』。
その有名な法蔵菩薩の第十八願に、念仏による救済の保証が説かれています。

浄土三部経の中で、成立が最も遅いとされる『観無量寿経』において、
初めて、「南無阿弥陀仏」という聖名に結晶します。


弁栄教学を学ぶ難しさは、
御遺稿の中に、相矛盾する箇所があること、
従来の表現と同じでありながら、意味内容が異なること、
がある点です。

聖者の高弟の一人笹本戒浄上人は、この点は徹底しておられ、
聖者の御遺稿の中から、方便説と真実説を見抜く目を持たないといけない、
と強く主張されていたようです。

弁栄聖者が「阿弥陀仏」を「大ミオヤ」と表現されたのは、
今後のグローバル化、いやそれ以上に宇宙的な視点に立った、
大きな意味があるように思われます。

聖者が、

「念仏(仏を念じる)の他に成仏(仏と成る)の道なし」

「浄門の意は、他仏を念じて自仏を作る」

と言われる時、
それは、排他的なものでは決してなく、
聖者が「南無阿弥陀仏」と表現される時、
この聖名に、全宗教が包摂されているからだと思います。

私は、弁栄聖者の御説によって、
教学的に納得でき、安心してお念仏が称えられるようになりました。


蛇足かもしれませんが、
弁栄教学を学ぶ際に知っておかれるとお役に立つと思われることの一つ、

弁栄聖者の「漢字の振り仮名に注意を払うこと」

が挙げられると思います。

「大霊に体あれば必ず用あり
法身は先にして報身は後にありと云うべからず」
(弁栄聖者御遺文『大霊の光』)


においては、「用」は仏教では「ゆう」と読みますので、
これはそういうものとして覚えるだけですが、
「大霊」には、「みおや」と振り仮名をふっておられます。

聖者の独創的な「振り仮名」へ注意を払うこと、
知っておかれるときっとお役に立つと思われます。
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syou_en

Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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