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2012-03-15

稀有な書、『田中木叉上人御法話聴書』

@Hikari_edit さんが、『田中木叉上人御法話聴書』の内容をつぶやかれています。
とてもありがたい。

田中木叉上人の御法話の特徴は、
ご自身の深いお悟り(仏眼のご境涯)と博識に基づく、
生活から遊離しない実践的な内容がその大きな特徴だと思います。


「サンゲ(懺悔)とは後悔する事ではない。
誤っていることに気が付く事です。
急には改まらない。
それでよい、とは言えぬが、それしか出来ない。
気が付いただけで、人から大分好かれる。」(『田中木叉上人御法話聴書』 )


「「あれでは困ったものだ」と言われている事が、
ちっとも気付かぬ。気付いても直らない。
気付いて、お念仏しておれば、きっと直る。」(『田中木叉上人御法話聴書』)


仏教では、懺悔(サンゲ)を説きますが、
なかなか真の懺悔は、その気持ちが心底生じるものではないと思います。

なぜなら、懺悔が起こることと如来の光明に照らされていることとは、
表裏の関係にあるからです。

したがって、「懺悔即感謝、感謝即懺悔」が真相なのだと思われます。

木叉上人が、
「サンゲ(懺悔)とは後悔する事ではない。」
と言われていることは意味深長で、
懺悔には、「凡夫に安住する」または、「卑下慢」に陥る誘惑があるように思います。

「増上慢」は、誰の眼にも付きやすいですが、
「卑下慢」にも気を付けねばならないと思います。

この点に関して、
木叉上人のご説法に示唆に富むものがありますのでご紹介します。

「自分のようなものは・・・」と後悔ばかりしているご婦人に対し、
「あなたは、自分ではどうしようもないその自分を、
どうして如来様にお任せし、お頼りしようとしないのか。
自分をあてにしてるからではありませんか」と。

また、ある時、

「私のようなものは、とても・・・というのは、
如来様に対する不遜な態度である。
私の、凡夫の信念がどうというんですかね。
如来様の光明を反射するんですよ。」

木叉上人は、目を私ではなく、
如来様に向けるようにいつも注意されていたようです。


「増上慢」、「卑下慢」どちらの「慢」にも共通しているのは、
自己への自惚れだと思います。



「作仏度生」については、項を改めて記したいと思っています。

弁栄聖者は、ご自身の体験から、

「部分度生は菩薩、全分度生はこれ仏」。

と明言されています。

「作仏即度生」は、
光明主義でいう超日月光位において初めて可能となるといわれています。


それまでは、努力が足りないのではなく、
「原理的に不可能」ということです。

したがって、早くそれが実現できるように、
「大ミオヤを憶念し、霊養を蒙る」ことを、最優先します。

「南無超日月光仏

智悲の日月(ひつき)の照す下(もと)
光の中に生活(くら)す身は
聖意(みむね)を己が意(こころ)とし
三業四威儀(さんごうしいぎ)に行為(つとむ)なり」
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syou_en

Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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