2012-02-27

「山崎弁栄と井筒俊彦」

前回の記事では、
若松英輔氏の渾身作『井筒俊彦 叡智の哲学』及び
記念誌図録「山崎弁栄ー近代はなぜ「霊性」を必要としたのか」『山崎弁栄展 宗教の彼方、新たなる地平』
における若松氏の指摘、

「山崎弁栄と井筒俊彦(イブン・アラビー)との高次の類似点」

をご紹介しました。

今回は、創作メモ(覚書)的な内容となりますこと、ご了承願います。


弁栄聖者と井筒俊彦氏には現実的な直接の関係はなかったと思いますが、
思想的には、大変興味深い類似点があるように思われます。

井筒氏の主著が『意識と本質』であるとは、
衆目の一致したところだと思いますが、
もちろん、昭和24年発行の『神秘哲学 ギリシアの部』(2010年復刻版)
も必読書。

井筒氏は生涯、プロティノスに関心を持ち続けたようですが、
弁栄聖者に捧げられた書、
山本空外著『哲学体系構成の二途 -プローティーノス解釈試論-』は、
昭和11年に出版されています。

大変興味深いことに、
空外上人はその後、『一者と阿弥陀』を書かれています。


空外上人は確か7~8ヶ語を自由に話せた語学の天才であり、
大学者でありましたが、
何よりも生涯念仏に徹っせられた念仏行者であり、書の達人でもありました。

井筒氏もまた、空外上人を上回り、数十ヶ国語を話せたと噂される
超超人的な語学の大天才でした。

やはり、この語学の才は比較思想の研究上必須要件ではないかと思います。

また、弁栄聖者は、浄土系以外の仏教の祖師方の中では、
弘法大師空海を殊のほか尊敬されていたと思われますが、
空外上人はまた空海の書に賛辞を惜しみませんでした。

井筒氏は「言語哲学」の観点から空海に並々ならぬ関心を寄せていました。


また、井筒俊彦氏はロシア文学の愛好者でありました。
ドストエフスキー文学といえば、ロシア正教と切り離せませんが、
弁栄聖者とロシア正教との関係は、
今後の新たな研究テーマとなると思われます。

聖者のご伝記は、田中木叉著『日本の光』が知られていますが、
藤堂恭俊著『弁栄聖者』も存在し、
そこには、聖者とロシア正教との接点が暗示されています。

今後の重要な研究テーマ、

正教会の特徴である「イコン」、「聖霊論」と
弁栄聖者の「三昧仏」様、「報身仏(霊応身)」との関連。


世界三大宗教の一つであるイスラム教と弁栄教学との関連は、
今まで注目されてきませんでした。

若松英輔氏の指摘、
弁栄教学とイスラム神秘主義者イブン・アラビーの「存在一性論」」の類似点、
その比較研究も今後注目すべき点です。

「イブン・アラビーは「世界をあらしめる神」の働きが、
等しくあまねく存在することから、
それを「慈愛の息吹き」と呼んでいる。
・・・井筒が展開するのは、慈愛の現象学に他ならない。」

と。(若松英輔著『井筒俊彦 叡智の哲学』)


弁栄聖者は、阿弥陀如来を「大ミオヤ(大御親)」と呼ばれ、
聖者の「大ミオヤ」への信仰の在り方は、

「霊恋・霊的エロス」

とさえ表現しうる熱烈なものでもありますが、

この信仰の在り様は、
従来の伝統的な仏教にはあまり見受けられないもので、
むしろ、西欧の神秘主義者に類似点を見出しうるものなのかもしれません。

弁栄聖者とキリスト教と関連については、
空外上人、河波昌氏が、
クザーヌス、エックハルトなどとの類似点を指摘しています。

弁栄聖者創作の『如来光明礼拝儀』の内容及び形式は、
キリスト教との出遭いなくしては考えられません。
( 『如来光明礼拝儀』については、
河波昌著『如来光明礼拝儀講座』に詳述されています)

聖者が開国を迎える幕末にご生誕され、
20世紀初頭を迎える日本においてご布教された因縁、
大ミオヤの御計らいを思わずにはいられません。

井筒俊彦氏から連想される弁栄聖者の特徴点はまだまだあるのですが、
弁栄聖者の真の理解者は、伝統的仏教系以外から出るのかもしれない、
若松英輔氏の出現は、そんなことを連想させるものです。


聖者は生前、「光明主義が理解されるには、あと百年はかかる」

と言われていたようですが、

弁栄聖者ご遷化後百年、2020年まで、あと8年。
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2012-02-23

「その人物を時代が忘れていたなら、私たちは思い出さなくてはならない。その人とは、山崎弁栄である。」(若松英輔『井筒俊彦 叡智の哲学』)

「むしろ、井筒と共鳴するのは、山崎弁栄である。」

と若松英輔氏は、「第十章 叡智の哲学」( 『井筒俊彦 叡智の哲学』 )で指摘しています。


若松氏は、以前から、越知保夫、小林秀雄、須賀敦子などの評論を、
『三田文学』に発表し、注目されてきた評論家。

また、企業家であり、クリスチャンでもあります。

若松氏は、昨年、『井筒俊彦 叡智の哲学』を出版し一躍注目を集め、
さらに、東日本大震災に対し「死者論」の観点から、
注目すべき発言をし続けています。


この著書が出版される前、平成22年10月31日に、
岐阜で開催された「山崎弁栄展」の記念シンポジウムで、
若松氏は、河波昌氏と対談を行っています。

また、記念誌図録『山崎弁栄展 宗教の彼方、新たなる地平』に、
若松氏は「山崎弁栄ー近代はなぜ「霊性」を必要としたのか」
との論考を寄稿しています。

「霊性」といえば、鈴木大拙を思い起こす人がほとんどだと思いますが、
大拙の先人として、若松氏は弁栄聖者を評して、

「「霊」、「霊性」あるいは聖性と
それに連環する言葉が論じられる頻度も深さにおいても、
霊の実相を高次な論理によって展開する透徹した実践者としても、
山崎弁栄は日本思想史においても類例をみない」。

また、

「二人の思想あるいは彼らが見た存在の光景は、
類似というにはあまりに高次な一致を指し示している。
山崎弁栄の「万有生起論」は井筒俊彦が強く影響を受けた
イブンアラビーの「存在一性論」を思わせる」。

とも。

私はこの論考を読み、とうとうこのような方が現われたか、
ととても嬉しかったことを思い出します。

弁栄聖者とキリスト神秘主義の関係については、
河波昌氏が指摘していますが、
自身カトリック信者でもある若松氏は、
イスラム神秘主義との観点から聖者に迫っています。

若松氏が山崎弁栄研究に入っていった契機は、
日本人の思想家への関心にあったことは勿論のこと、

私には、「神秘道者」井筒俊彦氏には若松氏が見出せなかったもの、
宗教家としての在り方、永遠のキリストの現存を、
弁栄聖者に見出したからではなかった、
と憶測しています。

ちなみに、若松氏の師である井上洋治氏は、
遠藤周作氏の親友として知られていますが、
法然上人にイエスの姿を見出した方でもあります。

若松英輔氏によって、弁栄聖者とイスラム神秘主義との関連が指摘、
実に興味深い、新たなテーマだと思われます。


近い将来、若松氏は「山崎弁栄論」をきっと書かれると思われますが、
若松氏がかつて語られた注目すべき発言をここに記しておきます。

ネット上を調べても、不思議とその貴重な発言がどこにも見出せなかった。


「もし井筒俊彦が生前、山崎弁栄を知っていたなら、
おそらくイスラム(神秘主義の研究)には行かなかったであろう。」

2012-02-20

弁栄聖者のご生誕日(2月20日)

今日、2月20日は、弁栄聖者のご生誕日。

聖者のご伝記 『日本の光(弁栄上人伝)』 の著者である田中木叉上人は、
聖者が1859年に、この地日本に生まれた因縁について、
考察されています。

東西文化の交流地として、当時の日本ほど発達した地はなかった、と。

聖者ご生誕時期は、まさに日本の開国、西洋文明化と軌を一にしています。

自然科学の基本思想である唯物論、キリスト教との出会い。

このような時代だからこそ、大ミオヤがこの地日本に弁栄聖者を使わされた、
としか私には思えません。


河波昌氏は、共著 『浄土仏教の思想 14-清沢満之・山崎弁栄』 において、

弁栄聖者の思想的発展過程を、

第一相 法然浄土教の近代的再興
第二相 宗派(祖師)仏教から釈尊仏教へ 
第三相 普遍主義としての光明主義の確立

として、論述されています。


キリスト教神秘主義にも造詣の深い河波氏は、
弁栄教学におけるキリスト教神秘主義との共通点を指摘されています。


知る人ぞ知る書の達人でもあられた山本空外上人の学位論文は、

『哲学體系構成の二途ープロティーノス解釈試論ー』

でありました。

また、空外上人こそ、ニコラウス・クザーヌスの日本への紹介者。


私は、弁栄教学研究においては、学際的研究が不可欠で、
特に仏教以外からのアプローチも有効だと考えています。

最近では、キリスト教以外からのアプローチといった、
新たな動向があります。

2012-02-17

「邪智世間智、盲智分別智、眞智無差別智。」(「岡潔先生遺稿集 第 7 集 48.岡先生の言葉」『数学者 岡潔文庫』)

   
数学者岡潔氏が愛好した言葉として、
「岡潔先生遺稿集 第 7 集 48.岡先生の言葉」(『数学者 岡潔文庫』) に、
西野利雄氏が記しています。


ご自身の数学上の発見から、
「無差別智」の不可思議さに想いを凝らし続けた岡氏。


その「無差別智」の最も権威ある本として推薦されたのが、
『弁栄聖者光明体系 無辺光』でした。


2012-02-16

「三身即一、本有無作の報身全体と合一した境界が一切の宗教の中心真髄、一切の学問の核心であります。」(笹本戒浄上人)

光明主義で説かれる「開示悟入」の入の位、

「無生法忍の境界が、
一切の宗教の中心真髄、一切の学問の核心である。」


と言われています。

また、

無生法忍における真理認識を、
自然科学的真理の認識の基礎認識、根本認識とする。


この立場に立てば今後いかように自然科学が発達しても、
光明主義によって科学を統一総合することができます。
自然科学のみならず一切の学問、芸術等に就いても同様なことが言えます」と。

以上、 『笹本戒浄上人全集 中巻』 より引用。


弁栄聖者の甚深なる三昧直観による大宇宙の真相の開顕により、
宗教とは、救済的側面のみならず、
真理認識といった認識面での「正見」獲得
といった側面もあることがわかります。


数学者の岡潔氏が、弁栄聖者を「現代の釈尊」とこよなく尊崇されたのは、
聖者の全分度生の「無私の在り方」のみならず、
自然科学の前提条件、その根源を深く正確に直観されていた、
その実力においても驚嘆されたからだと思われます。

特に智慧の側面において、
岡氏は生前、 『弁栄聖者光明体系 無辺光』 を薦められていました。

2012-02-12

「認識的一切智と観念的一切智の相違について」(弁栄聖者から笹本戒浄上人へのご教示)

前回の記事で、釈尊と弁栄聖者のお悟りの相違として、

「認識的一切智」「観念的一切智」について、

弁栄聖者がもらされたご境涯について、
佐々木為興上人と笹本戒浄上人に語られた逸話をご紹介しました。

この点は極めて稀少な内容なので、若干の補足をしたいと思います。

弁栄聖者は「仏は何でも分かっている」と仰られたとのことですが、
ここに注意すべき点があり、
聖者の高弟戒浄上人が実に懇切丁寧な解説をされていますので、
書き記しておきたいと思います。

「仏の完全な大円鏡智は、特別に意志を働かさなくても、
肉眼といつも同一時に活動している。
認識的一切智を実現していられる仏は
大円鏡智で宇宙の一切を任運自在に感じていられる。」


ただし、「宇宙の一切のこと」と申しても、それは、

「成仏の中心道を直進する上で核心となり急所となるもの、
自行化他の道において尊く価値のあるもの、
一切の衆生を中心道に導く対機説法で有効適切なもの、
お互いの心を明るく清く楽しく豊かにするもの」。

もしも、そのような意義深いもの以外のものまでも朗々と感じているのであれば、
それは、真実の仏の円満な認識的一切智ではない、と。

以上、 『笹本戒浄上人伝』 からの引用。

実に尊くして尊いご教示と深く感じ入っております。

弁栄聖者の場合は、認識的一切智の一歩手前、観念的一切智の状態にあって、
全分度生のご生涯であられました。

私たちには奇蹟としか思えない聖者の力量を、
時に、大脳生理学的に解釈しようとする傾向が見受けられますが、
三昧の真相を、大脳の働きのみで解釈するのは限界があると思われます。

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』で記されているもののほかに、
にわかには信じがたい聖者のご実力の片鱗を記したいと思います。

念仏修行がうまくいかず、
その苦悩のためにまさに自らの命を絶とうとした有縁のご婦人がいました。

その時、弁栄聖者はその時、上州高崎におられましたが、
如来様によりその危機を知らされ、
そのご夫人の前に現れ、

「仏憶いの光明を、胸に仏を種とせよ」
と七遍繰り返しご教示され、
その方を救われたことがあったとのことです。

これは、仏眼の大円鏡智と妙観察智による分身利物の働きといわれています。

このことは、数学者岡潔氏も著書で引用されていたと思います。

また、紀州の徳本行者にも似た逸話があるとのことです。

千手千眼観音、『法華経 観世音菩薩普門品第二十五』で説かれる三十三身などは、
空想上の夢物語では決してなく、
念弥陀三昧に入っておられる観音様(観音様のお頭には弥陀が在します)の、
分身利物の御働きということで理解できると思います。

ちなみに、このご婦人とは、越後柏崎の極楽寺の奥様、籠島咲子夫人のことで、
この極楽寺とは、そう、あの弁栄聖者のご入滅の地です。

咲子夫人と弁栄聖者とは心霊界での御因縁が甚だ深く、
聖者は、咲子夫人を「いもうと さきこ」と呼ばれておられたとのこと。
このあたりの消息は、山本空外上人が書き記されています。

咲子夫人は、聖者ご入滅後、仏眼を開かれ、
咲子夫人の逸話にもありがたい逸話が残されており、
後日ご紹介したいと思っています。

弁栄聖者の高弟の一人田中木叉上人も、
聖者ご入滅後に仏眼を開かれた方ですが、
木叉上人にご縁の深かった九州久留米の信者吉松喜久造氏が
記されている木叉上人の逸話が大変ありがたい。

木叉上人は晩年まで、
一日二~三時間の念仏三昧を念仏道場で継続されておられ、
朝の念仏三昧の後、
全国の有縁の信者に葉書き、手紙による便りを送られていたとのことです。

そのお慈悲のたよりで、

「私共が悩み、心痛しておりますと実に適切な時機に、適切な御言葉で警告されたり、
解決法を御示しになりました」。

以上、藤堂俊章編『田中木叉上人遺文集』(残念ながら現在品切れ中)。


笹本戒浄上人による弁栄聖者の御教示(御内証)は大変貴重であり、
ありがたいことに、
杉田善孝上人、泉虎一氏、能見寿作氏など戒浄上人のお弟子方によって、
『笹本戒浄上人全集 上・中・下巻』、『笹本戒浄上人伝』、
『弁栄聖者 光明主義注解』、 『真実の自己』 など、文章として残されています。

ただし、現在のところ、神戸芦屋にある光明会本部聖堂のみで入手可能です。

2012-02-11

「仏とは自覚ある大常識者です。」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

佐々木為興上人といって、
弁栄聖者の晩年に聖者によくご随行された高弟がおられました。

聖者の高弟の一人大谷仙界上人とのご縁によって、聖者に出逢われた方です。


聖者にご随行中不思議に思われることがきっと多かったのでしょう。

「聖者はどんなことでもお分かりになるのですね」

と為興上人が聖者に聞かれたところ、

「何でも分かります。大体仏とは自覚ある大常識者です」

と言って聖者がお笑いになられたとのことです。


また、ある時、

聖者は何でもよく分かっておられる筈なのに、
よく本を読まれていたのを不思議に思われ、

「聖者は三昧発得していらっしゃって何でも分かっていられるから、
本など読まれなくてもよいでしょうに」

と為興上人がお尋ねになったところ、

「いや、それはいけぬ。やはり本を読まぬといけぬ」と言われたので、

「どういう訳ですか」と重ねて尋ねられると、

「それは、お念仏していれば大宇宙の事柄が一切分かるようになる。
分かるけれどそれは観念的に分かるのだ。
書物を読むと書物に書いてある事柄と自分の観念として得ている事とぴったりと合う。
認識にしようとする思うと本を読まねばならぬ。
本を読む事によって認識となるのだ

と聖者はお答えになられました。

またある時、

「どうして本を読むのがそんなに早いのでしょうか」とお尋ねになると、

「こんな事を言うとおかしいが、
私の心の通りに書いてあるようで早い。
事新しいことが書いてあるとは思わぬ。
丁度自分の手紙を読むようだ


と聖者は仰言ったとのこと。

以上、藤堂俊章編『佐々木為興上人遺文集』による引用です。


釈尊と弁栄聖者とのお悟りの深さの相違を、

「私も観念としては得ておるが認識的一切智では釈迦さんに及ばない。
この世界で認識的一切智を得ておられたのは釈迦さんばかりだ」と。

笹本戒浄上人が弁栄聖者から口伝として承ったこととして伝えられています。
『笹本戒浄上人全集 中巻』


五眼(肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼)のうちの仏眼。

「無生法忍」とは、その仏眼でも最深の境涯で、
この境涯まで達した方は歴史上ごくわずかであるといわれていますが、

この最深の「無生法忍」においても、さらにその深まりがあり、

「認識的一切智」と「観念的一切智」がその内容とのことです。

なお、弁栄聖者は最晩年には、「認識的一切智」の一歩手前まで、
報身大ミオヤの霊的お育てをいただかれていらっしゃったとのことです。


釈尊が認識的一切智のご境涯であられたということは、
おそらく、どの経典にも記されていないと思われますので、
弁栄聖者が三昧直観されたこととして、
後世のために記しておきたいと思います。

2012-02-10

「自然数の一を知るためには、無生法忍(むしょうほうにん)を得なければならない。(笹本戒浄上人)」(「独創とは何か」『岡潔 日本の心』)

「数学は一とは何かを全く知らないのである。」(岡潔)


評論家小林秀雄氏との対談『人間の建設』で再び注目され始めた数学者岡潔氏。

新聞に掲載された岡氏の随筆(のちに『春宵十話』として出版)を、
小林氏が強い関心を持ったことが対談のきっかけであったといいます。

対談の中でも光明主義について若干ふれていますが、
「数学的発見と念仏修行との関係」に興味を持ちました。

「無生法忍とは大自然(物心両面の自然)の理法を悟る
という悟りの位」( 「独創とは何か」『岡潔 日本の心』


であると岡氏は解説しています。

笹本戒浄上人の弟子杉田善孝上人は、

「無生忍では認識できなかった相対・絶対の現象面の差別の理法、
その差別の理法と平等法身の理法とが総合統一調和している
甚深微妙の状態を直観」。

「相対・絶対両界の根本仏としての報身の
いっさいの理法と合一した境界である」


と光明主義二祖戒浄上人はいわれたといいます。(岡潔『情緒と創造』「無差別智の世界 杉田善孝」)

なお、この境界は仏眼でも最も深い境界であり、
ここまで到達された方は、釈尊の他にはほとんどいないといわれています。

なお、この境界については、『弁栄聖者光明体系 無量光寿』に、
「理の無量光」→「事の無量光」として書き記されています。

数学と仏教、一見相反することのように思われますが、
この偏見は全くの誤解で、
「無生法忍」の境界を想定すれば理解し易いと思います。

一般に宗教とは、救済的側面、または、精神修養の次元で捉えられがちですが、
それらを含みさらに「智慧面の開発」という点にも力点を置かれた、
その点が、弁栄教学の特徴点の一つだと思います。

岡氏は念仏修行により境地が深まったことが、
数学上の発見に役に立ったと明言されています。

岡氏は、肉眼のみに拠る現代の誤った風潮を正すためにも、
『弁栄聖者光明体系 無辺光』の復刊を念願し、実現されました。

また、現代に蔓延する「小我」の末路を憂慮され、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』を薦められていました。

ちなみに、岡氏が弁栄聖者を知るきっかけとなったのは、
岡氏の親類の働きかけが縁で、
終戦がきっかけとなりましたが、

弁栄聖者の高弟の一人田中木叉上人との出逢いも、
忘れてはならないと思います。

木叉上人「私にだまされてください。」
岡潔氏「だまされましょう。」

岡氏が念仏へと踏み切られた印象に残る逸話が残っています。

岡潔氏の数学上の発見、思想を理解するためには、
弁栄聖者、光明主義の念仏理解が不可欠です。


※ 岡潔氏関連の主な参考文献等としては以下のとおりです。

「岡潔』関連書籍
「岡潔文庫」
〇高瀬正仁氏の緻密な岡潔研究の著作、
『岡潔―数学の詩人』『評伝 岡潔―星の章』『評伝 岡潔―花の章』
「日々のつれづれ」(高瀬氏のブログ、岡潔氏関連の記事は興味深い)
岡潔の研究者・横山賢二氏の関連記事
帯金充利『天上の歌―岡潔の生涯』
河波昌「岡潔と光明主義ーその数学と宗教」『形相と空』


なお、岡潔氏は、晩年、憂国の士といった相貌を色濃くされましたが、
平成24年2月18日に、
『日本民族の危機―葦牙よ萌えあがれ!』出版記念の講演、
情報交換会が開催される
ようです。


2012-02-07

「如来様は主観的客体に在(ましま)す」(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

三身即一の大ミオヤ(如来様)は、無始無終に、
衆生の信念に関わらず、在します。

ただ、大ミオヤが顕現する際には、衆生の心想中に顕現。
衆生の信念が縁となり、大ミオヤが顕現される。

「如来是法界身、入一切衆生心想中」(『観無量寿経』)

「弥陀身心遍法界、影現衆生心想中」(善導大師)

衆生の成仏にとって大ミオヤの縁が不可欠なように、
大ミオヤも衆生を必要としている。

といえるのかもしれないと最近考えています。


弁栄聖者はご存世中、信者達に「三昧仏」と名づけた多様な御絵像を描かれました。

「三昧仏」様に関しては、別項目として論ずべき重要なことですが、
ここでは、

「お慕い申し上げ易い三昧仏様」を選ぶことが、
憶念口称念仏→見仏三昧→成仏上、とても重要なことである。


この点だけを述べておくにとどめます。

弁栄聖者が描かれた「三昧仏」様には様々な御姿があり、
更に、密教、キリスト教などにまで範囲を広げれば、
いったいどれが本当の(!)仏様、神様の御姿なのだろうと、
謎が深まるばかりでした。

本来、仏、神に姿などなく、
人間が念ずるから、あのように顕れるのかもしれない、とも。

私は、「神仏の顕現」という事象に関しては、
不思議と疑問を持ったことはなく、
ただ、その「顕現の在り方」に疑問を抱き続けてきました。

次に記述することは、まだ、信じている段階なのですが、
やはりこれが法界の真相なのかもしれない、
という予感が深まりつつあります。

「私共人間は相対的現象態で、
・・・一つの定相しか持つことができぬ。
併し、報身大ミオヤは絶対的現象態であって、
隠顕出没自由自在な無量の定相を、
一即一切の状態で持ち給う

そして衆生の信念に相応した人格的相を衆生の心想中に発現する
円満な大霊力を持っていられる。
或はキリスト教的、或は回教的な人格的神の相を発現して、
衆生をそれぞれの道に従って済度して下さる。
このように、三昧中に拝する本尊の差別の相は
「主観的客体である」
と弁栄聖者はおっしゃった。」
(『光明主義玄義(ワイド増訂版)』光明会本部聖堂出版

この説明により、私の定めた「三昧仏」様でよいことがわかります。

私の念持仏、「三昧仏」様を念じているその私の心想中に、
その「三昧仏」様に即して報身大ミオヤが霊応身を発現される。

また、その「霊応身」は報身大ミオヤの霊的お育てによって、
相対的に変化しながら、限りなく深まっていくといいます。

なお、
「報身大ミオヤが絶対的現象態であって、
隠顕出没自由自在な無量の定相を、
一即一切の状態で持ち給う」


ことが、大ミオヤの心霊差別現象を規定する法則が確りと認識されるのは、
自受用の境涯である仏眼、しかも、相当深い仏眼によってである、
といわれています。


弁栄聖者の高弟の一人田中木叉上人は、

「これからお浄土は、四大智慧で説かないといけない」

とご説法されたといいます。

なお、「四大智慧」については、
『弁栄聖者光明体系 無辺光』に詳述されています。

2012-02-04

「能礼所礼性空寂 感応道交難思議 故我頂礼無上尊」

「座禅もここまで来なければ駄目である」と、

中国の座禅をよくした居士の言葉を引用して、
弁栄聖者は高弟の笹本戒浄上人にご説法されました。

当時、無相法身を所期とする禅宗流の念仏の癖から、
なかなか抜け出せずに苦心されていた戒浄上人でしたが、

聖者のこのご説法により、長年の疑問が晴れたという有名な逸話です。

また、「是が非でも永遠の生命を得たい。大我に目覚めたい」と、
念じながら念仏をしていた信者の内心を見抜かれたのか、

「永遠の生命も得てみますと何でもありませんよ」

と戒浄上人は言われたことがあったそうです。

人類の究極的願望とは、「不老不死」であろうかと思います。

もちろん、この「不老不死」とは肉体に関することであり、
「永遠の生命、大我の目覚め」は霊性上のことでありその相違はありますが、

その人類の究極的願望すら、究極的終局ではないと。

究極的終局である「憶念→見仏→成仏」の如来無対光の境涯


「絶対無比の妙境は、便わち諸仏の住所にて、
無住涅槃に在まして、常恒度生は自然なり」(弁栄聖者)


に至るためには、

「佗仏を念じて自仏を作る」(弁栄聖者『宗祖の皮髄』口絵裏)

以外にはない。

との聖者のご指南を戒浄上人は念頭においてのことと推察いたします。


また、これは、仏眼を頂かれていた笹本戒浄上人が明言されていたようですが、


「慧眼満位になると自ずと法眼が開ける。

禅でここまで行けるのは、例えば白隠禅師などの宗教的天才中の天才に限られる」と。

霊相等を否定してもそれが自ずと顕現してくるのは、
その現象が「魔」などでは決してなく、
それが、心霊差別現象を規定している大ミオヤの法則であるからとのこと。

仏眼を頂かれた方達の認識は一致しており、


慧眼と法眼とは、背面相翻の状態であり、

「仏眼は慧眼と法眼とを統一し双照す。」
(「成所作智」 『弁栄聖者光明体系 無辺光』


禅と念仏の関係については、「自力対他力」で長年論じられてきましたが、

大変興味深いことに、東大名誉教授故玉城康四郎氏は、

釈尊の悟りの原形を、


「ダンマ(法)が主体者たる業熟体に顕わになる」。

と指摘されています。

また、達磨大師は晩年、「南無と唱え合唱」されていたとも。

私達凡夫は自力修行が困難なので他力に拠らざるをえない、
というのが一般的な見解かと思いますが、
これは認識が間違っていると思います。


「悟りの構造上、絶対他力以外にありえない。
法界の真相が然るゆえに」と。


玉城康四郎氏の指摘は、とても腑に落ちます。

道元禅師を尊敬され、弁栄聖者を私淑された数学者の岡潔氏は、

「自性に目覚めることができるのは、
実は、如来平等性智に不識的に照らされているからだ」と。

弁栄聖者は、

「内因空にして外縁空を観ずるも、空を縁ずるにあらずや」と。
(『弁栄聖者光明体系 難思光・無称光・超日月光』)


私は、永年、今でも、煩悩、業について考え続けています。


「衆生無始の無明より 惑と業苦の極なきも
 大炎王の光にて すべての障り除こりぬ」


「炎王光」(『如来光明礼拝儀』)において、弁栄聖者は詠まれています。

これが真相だろうという気がしています。


「禅は念仏の中から必然的に生じてきた」。

この指摘は、一般に流布している常識とは大いに異なり、
意外に思われる方も多いと思いますが、

念仏行者であり、学者でもある河波昌氏は、学術的にも究明されています。

『浄土仏教思想論』等参照
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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