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2012-01-29

山崎弁栄『宗祖の皮髄』

晩年に三昧発得された法然上人のお悟りの内容を、法然上人のお歌から論じた異色の書。

弁栄聖者のご講話録、『宗祖の皮髄』

是非本で読んでいただきたいですが、

ありがたいことに、下記のHPでも一部読むことができます。

山崎弁栄 『宗祖の皮髄』 「序説 玄談」

山崎弁栄 『宗祖の皮髄』 本説 前半 

~あつし@草莽 日記より
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2012-01-28

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。・・・」(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)

「法華壽量品に明す所の釈迦の内面此弥陀無量光壽に外ならず。
名に迷ふて真理を失うなかれ。
若し此の理に於て疑ふ如き妄信者は論ずるに足らざるのみ。
又大乗非仏説の如きは今の所論にあらず。」
(弁栄聖者『ミオヤの光 光明の巻』)



『法華経如来壽量品第十六』は、『法華経』の中でも最も重要といわれています。

ここにも、弁栄聖者の仏身論の独自性がうかがえます。

弁栄聖者を論述した書としては、
田中木叉著『日本の光』
〇藤堂恭俊著『弁栄聖者』
紀野一義著『名僧列伝(四)一遍・蓮如・元政・辨榮聖者』
脇本平也、河波昌共著 『浄土仏教の思想 14-清沢満之・山崎弁栄』
数学者岡潔著「科学と仏教」」「辨榮上人伝」(『一葉舟』所収)等

などがありますが、
現在のところ、品切れ、絶版など、遺憾ながら手に入りにくい状況があります。

この書の中では、紀野一義氏の書が弁栄聖者の信奉者のものではなく、
聖者の御遺稿の中でも難解の書とされる『無辺光』を中心に、
紀野氏の理解に基づき論述されています。

その中で目に留まった箇所は、

「辨榮聖者の信心は、一から十まで法華経に基づいておるのですよ」

との弁栄聖者の信奉者でもある山本空外上人の言葉です。

空外上人は、ご自身念仏行者でしかも大学者でありました。

空外上人ご在世中に、この点の真意をお尋ねすることができなかったのですが、
この発言は、慎重に受け止めなければならないと思います。

しかし、とても刺激的な発言であるとも私には思われました。

と言いますのも、弁栄教学を研究していくと、
『法華経』のありがたさが、実によく分かってくるという実感があるのです。

まず、弁栄聖者の仏身論。

聖者は、阿弥陀仏(無量寿無量光仏)を、無始無終の三身即一の「大ミオヤ」と捉えておられます。

日蓮宗の僧侶に「弁栄上人の御教えは、日蓮宗の教えとよく合うのでいっそ改宗してはいかがか。」
といわれ、弁栄聖者は、にこにこ微笑まれていたという興味深い逸話も伝えられています。

また、「大ミオヤ」という表現は、

「一切衆生は 皆 これ吾が子なり」(『法華経 譬喩品 第三』)

とぴったりときます。

弁栄聖者は、弥陀の本願の深意を、

「南無智慧光佛
 
 如来智慧の光明に  我等が無明は照らされて
 佛の智見を開示して 如来の真理悟入(まことさとら)るれ」
(弁栄聖者『如来光明礼拝儀』)


衆生に「仏智見を開示悟入」せしめ、
大ミオヤのお世嗣ぎとなさしめんとするところにあると。

『法華経 方便品 第二』の精神そのものです。

さらに、注目すべき事実は、

弁栄聖者作の『如来光明礼拝儀』は終生にわたり改変がなされたといわれていますが、

『如来光明礼拝儀』は、
浄土教系の聖典とされる『無量寿経』の「如来光明歎徳章」を中心に作成されていますが、
初期の『礼拝儀』には、『法華経壽量品』が並説されていたといいます。
脇本平也、河波昌共著 『浄土仏教の思想 14-清沢満之・山崎弁栄』河波昌著『如来光明主義礼拝儀講座』

また、侍者を顧て、突然、弁栄聖者が、

「『無量寿経』にも迹門と本門があります。「歎徳章」のところが本門です。」

と『日本の光』に掲載されていますが、明らかに『法華経』を意識されたご発言です。

侍者とは、『日本の光』作成者の聖者の高弟の一人田中木叉上人。


ただし、弁栄教学と『法華経』との類似点は、

空外上人が言われるように、
聖者の光明体系が『法華経』に基づいて体系づけられているというものではなく、

弁栄聖者の深々なる自内証のうちから体系づけられており、
最重要の大乗経典の一つである『法華経』の世界とも、
期せずして(あるいは必然的に)合致していた、
という理解の方が真相に近い気がしています。

聖者は、いわゆる「大乗非仏説」についても明確な見解をお持ちでした。

「飲んで効く薬ならば何でもよい。自分も大乗非仏説と思う」

「大乗経典とは、三昧定中における大乗仏陀釈尊による直説法である」


と。


諸説あるようですが、
『法華経』、『無量寿経』とも釈尊没後五~六百年後の成立といわれています。


なお、弁栄教学と『法華経』との関係については、
「仏本尊」と「法本尊」の関係を論じないと十分ではないですが、
今後のテーマとしたいと思います。(参考『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)


2012-01-22

「弁栄聖者と明恵(みょうえ)上人」

弁栄聖者が川べりを歩かれていた時、
急に立ち止まり、念仏をされたことがあったそうです。

侍者がその理由を聞くと、
「水底に死体がある」と言われた。

村人の話しによると、水死体が上がらず困っていたので、
半信半疑でその場所を探したところ、
水死体が見つかったという。

そのことを聖者にお伝えすると、「そうですか。」
と特に気にされていないご様子であったといいます。

明恵上人といえば、華厳宗中興の祖にして、
法然上人批判の書『摧邪輪』を著し、
また『夢記』を生涯に渡り記された「清僧」としても知られています。

その明恵上人に似たような印象的な逸話があります。

生涯禅定修行に精進された明恵上人には、不思議な力が備わっていたようです。
いわゆる「超」能力といった現象です。

そんな上人を、人々が「権者」と言っていると弟子たちが伝えると、

明恵上人は、慨嘆して次のように言ったと伝えられています。

「あら拙(つたな)の者共の云ひ事や。・・・
我は加様に成らんと思う事は努々(ゆめゆめ)無けれども、
法の如く行ずる事の年積るままに、自然と知れずして具足せられたる也。
汝どもが水の欲しければ水を汲みて飲み、
火にあたりたければ火のそばへよるも同じ事也」。

この明恵上人の逸話は、とてもありがたい。

私はこの基準を、真の宗教家と似非宗教家の判釈に採用しています。

また、ある時、釈迦大師の御前で夢想観を修していた明恵上人に、

「虚空カガヤクコトカギリナシ、ソノ光明ノ中二、
大聖マナアタリ現ジタマフ、歓喜勝計スベカラズ」と。

「皆に説法などできるのも、あの文殊顕現を見たおかげである」
と、晩年このことについて弟子たちに語ったといいます。

なぜ「見る」ことがそれほど重要なのかと、不思議に思われるかもしれません。

弁栄聖者は「見仏三昧」を生涯強調されましたが、

三昧定中における「見仏」においては、
「見る」ことが、五感でいう視覚のみにとどまらず、
「妙色相好身と智慧が不二」であるゆえに、
「身意を仏化する」ためだと憶測されます。

また、明恵上人は臨終の間際に、
「我、戒ヲ護ル中ヨリ来ル」と告げられたといいます。

明恵上人が批判した法然上人は、
実は晩年に三昧発得され、明恵上人同様「生涯不犯の清僧」でもありました。

法然上人にとっては、「戒ヲ護ルコト」が念仏三昧の中で、自ずと成就されていた。
弁栄聖者のご生涯を振り返り、そうとしか私には考えられません。

弁栄聖者と明恵上人の共通点として上述の他に、
華厳との因縁の深さ、釈尊への関心の強さにもあるように思われます。

※ 明恵上人に関心のある方には、河合隼雄著『明恵 夢を生きる』をお勧めします。

2012-01-21

「大日と云い、弥陀と云い、唯一の大御親の異名に過ぎず。」(『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)

この文言を読まれ、平安時代後期に活躍された、
真言宗中興の祖といわれる興教大師覚鑁(かくばん)上人を連想されたかもしれません。


「弥陀は大日の智用、大日は弥陀の理体なり。」(『一期大要秘密集』)

「一切如来は悉く是れ大日なり。
毘盧、弥陀は同体の異名、極楽・密厳は、名、異にして、一処なり。」
(『五輪九字明秘密釈』)


覚鑁(かくばん)上人は、法然上人の少し前に出られています。

難しい教義面以外にも大変興味深い逸話があります。

弁栄聖者は幼少期から、真言密教とのご縁があったようです。

また、真言宗僧侶であった宮本聖慶師が、
病気のため医師から死を宣告され、死後の問題に悩み、弁栄聖者の教えを乞うたところ、
聖者は懇々と御内証のうえから生死の問題を説かれ、半紙に仏画を描き木魚とともに与え、
念仏三昧を聖者の勧められたままに専心念仏修行をしたところ、
健康も回復し、以後聖者に十数年も時折随行されたといいます。

では、なぜ、改宗されなかったのかと疑問に思い、
山本空外上人が宮本師に直接尋ねたところ、


「上人(弁栄聖者のこと)は自分の念仏は「言・浄一致」で、
自分がおがむ阿弥陀仏は真言の大日如来と同一だと仰せられた」


と答えられたといいます。さらに、

「『弁栄聖者光明体系 無辺光』は、
真言宗のある経典が構想上のヒントになった。」


と耳にしたことがあります。(ただし、文献未確認)


聖者は、弘法大師空海のお悟りの深さを賛嘆され、


「空海が心のうちに咲く花は弥陀より外に知る人ぞなし」

「あみだぶといふより外は津の国のなにはのこともあしかりぬべし(法然上人)」


との聖者の両手同時廻書道詠も残っています。


また、ご自身念仏行者で大学者にして、知る人ぞ知る「書の達人」であった山本空外上人も、空海に賛嘆を惜しまず、

「空海の書の前では、その書といつまでも(あるいは数時間だったか)対話ができる。」

と語られたことがあったと記憶に残っています。

2012-01-18

「・・・煩悩と信仰もそんなものです」。(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

「栗のイガも中実が熟してくればひとりでに割れてくる。剃刀をもった子供にはこれをとりあげようとするとかえって危ない。良い玩具を与えると剃刀は離してしまう。煩悩と信仰もそんなものです」。(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)


「 身体、心、潜在意識、仏性が一致して働き出す処を南無阿弥陀仏というんですよ。浅く考えちゃいけませんぜ(田中木叉上人)」。

特に注目すべきは、木叉(もくしゃ)上人が身体、生理面への作用を前面に出し、強調されている点です。

弁栄聖者は、驚くべきことに明治・大正期に、
念仏による清浄光の働きを中心に、
光明による自律神経、ホルモンへの影響など、
現代の心身医学の先駆的なことを体験的に記されています。

この種の念仏の功徳は枚挙にいとまがないのですが、
ここに大変興味深い逸話があります。

九州光明会に菅野真定上人という方がおられました。

指が黄色くなるほど喫っていた煙草をぷっつりやめられたといいます。
知り合いがいぶかしがり、理由を尋ねると、

「念仏中、何ともいえぬ芳香が口中に満ちて、それから煙草が喫えなくなってしまった。
如来様がとりあげて下さったのでしょう。」

と答えられたといいます。

この話を聞かれた田中木叉上人は、

「ああ、それは如来様の清浄光を頂かれたのですね」

と喜んで下さったといいます。


また、弁栄聖者最晩年にご縁をいただかれ、随行された柴武三氏(後弁護士)が、
「念仏修行とお酒」との関係について聖者にお聞きしたところ、

「お酒を飲んでわるいということはありません。
ただ、お念仏をしているとだんだんとお酒が飲めなくなりますよ。」

といった内容を答えられたといいます。


この二つの話は極めて重要な点を示唆していると思われます。

「戒律とは、絶対他力の然らしむる内発的な力(自力)である」

という点です。

念仏とは、決して観念的なものではなく、
「身体、心、身の上、潜在意識、霊性」に現実的に働き、作用する。

2012-01-15

『弁栄聖者道詠集』(電子書籍版)

『弁栄聖者道詠集』の電子書籍版が、「近代デジタルライブラリー 国会図書館」http://t.co/c6VOJufEでご覧になれます。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2012-01-15

『弁栄聖者光明大系無辺光』(電子書籍版)

『弁栄聖者光明大系無辺光』の電子書籍版が、「近代デジタルライブラリー 国会図書館」http://t.co/c6VOJufEでご覧になれます。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2012-01-14

「乱れざる一心凝りて感性も 理性も眠り光る霊性」(田中木叉上人)

「乱れざる一心凝りて感性も 理性も眠り光る霊性」(田中木叉上人『じひの華つみうた』)


数学者岡潔博士は、講談社版『無辺光』の「まえがきー無辺光と人生」に、

「仏道の修行は五感を閉じてせよ」

との釈尊のご指南を紹介しています。


また、法然上人は、

『一枚起請文』に「知者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」

と記されています。

ここでご紹介した釈尊、法然上人は言うに及ばず、
聖者のご遺稿を編集された高弟の一人田中木叉上人(1884~1974)も、
「私の頭脳には五万冊の本が蔵せられている」と述べられたことがあったといいます。
河波定昌「まえがき」『田中木叉上人 御法話聴書 冨川茂 筆記』
「天皇陛下より銀時計を下賜された」東大文学部首席卒業の秀才中の秀才でした。

弁栄聖者は『宗祖の皮髄』の中で、
「智慧の法然房」と言われた法然上人でさえ、、
その真価は、三昧発得後の霊的人格にこそあるとご指摘されています。

「知者のふるまいをせず・・・」とはそんな法然上人の御言葉です。


ではなぜ、「一心凝る」、「ただ一向に」、でなければならないのでしょうか?

釈尊が指し示された月(心霊界、お浄土)とは、
感性、理性、つまり、肉眼で認識できる自然界とは次元が異なり、
肉眼では原理的に認識不可能であり、
そこには飛躍を要する超越的な境界であるからだと思います。

私が思い出すのは江戸時代に紀州に出られた徳本行者です。

「徳本行者のお悟りは、深くして深かった」

とは、弁栄聖者の徳本行者観です。

徳本行者は「学の人」ではなかったようですが、
その念仏修行は凄まじく、その念仏の功積もり、
そのご内証から発っせられる御言葉は、
経典の内容と不思議と符合していたと伝えられています。

浄土真宗には「妙好人」と言われる方が出られますが、

お浄土の悟り、救いが、
感性、理性的次元の事象ではなく、如来様から賜りしものである、
この事実を伝えていることの証左であると思われます。

もちろん、弁栄聖者にご指導を受けられた在家者の中にも、
他宗の中で指導的立場にある者が、
思わず襟を正すお悟りを得た方もおられたようです。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2012-01-12

弁栄聖者関連書籍購入先等

弁栄聖者関連書籍は、以下のところで購入できます。


〇 光明会本部聖堂
   〒659-0011 兵庫県芦屋市六麓荘町20−20
   電話 0797-22−4901 FAX 0797-32-2140

  ← 光明会の組織的な本部という意味合いとはどうも違うようです。
    聖者関連図書が最も充実しており、聖者の重要な書がほとんど揃っています。
    弁栄教学研究上不可欠な笹本戒浄上人関連書籍を販売している唯一の機関。
    戒浄上人のお弟子方の中心地。 
    岡潔博士とご縁の深かった杉田善孝上人は、惜しくも二年前にご逝去。


〇 財団法人 光明修養会「出版物紹介」
  〒873-0401 大分県国東市武蔵町池ノ内1708 蓮華寺内
  電話 0978−64−8231 FAX 0978−64−8232 
  受付 午前10時~午後4時まで 
  e-mail:renge@bronze.ocn.ne.jp

  全国にある光明会の組織的とりまとめのようなところといった位置づけでしょうか。
  光明主義関連図書が手に入ります。
  弁栄教学研究上不可欠な田中木叉上人のご法話集が二冊最近出版されました。  


〇 宗教法人 光明園「書籍のご案内」  
  〒176-0012 東京都練馬区豊玉北4-12-12
  電話 03-3991-5808 FAX 03-3991-5942

  東京練馬区豊玉にある念仏道場。
  僧侶在家宗派を問わず、念仏に関心のある方に開かれているようです。
  田中木叉上人にご縁が深いようです。
  現在の財団法人光明修養会上首河波定昌(1930〜)上人が園主。
  東西思想、キリスト神秘主義にも造詣が深く、ニコラウス・クザーヌスの研究者。
  弁栄教学の学究的研究者にして念仏行者。
  念仏と禅との関連論文、著作等があり、
  念仏に対する先入観、偏見が覆ると思います。お勧めいたします。
  論文を読んだ時、世に隠れた賢人あり、と強く思いました。


〇 空外記念館「図書販売」
  お申込みは 空外記念館事務局まで
  電話 0854-49-7605 FAX 0854-49-7524
  Mail:info@kugai-kinenkan.com

  書の達人であり大学者でもあった山本空外上人(1902〜2001)の記念館。
  空外上人関連図書も販売。
  特に、『梵本般若心経(和訳・漢訳)』は、
  語学の達人でもあった空外上人の書及び翻訳で、
  念仏行者でもあった空外上人ならではの逸品。
  しかも、かなりお得な価格だと思います。
  一般の翻訳と若干しかも大切な箇所が違います。


〇 仏教書専門店「東陽堂書店」
  所在地 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-1
  TEL: 03-3291-0078(代)FAX: 03-3291-0780
  E-mail:touyoudou-0078.takabayashi@nifty.ne.jp
  営業時間 10:00-18:00 定休日 日曜・祝祭日

  世界一を誇る古本屋街の神田神保町にあり、  
  比較的良心価格で弁栄聖者の古本を販売されていたかと記憶します。
  理由はよくわからないのですが、
  古書店としては異例の、弁栄聖者の関連書籍の品揃えでした。
  目印は、三省堂神田本店だったかと思います。

2012-01-10

【書評】山崎弁栄 「人生の帰趣」

「これほど壮大な体系と、圧倒的な神秘体験に裏付けられた本は、めったにないと思われます。
そして、これほどの本なのに、今日めったに読まれず、忘れられている本も。
著者の山崎弁栄は、明治時代に西欧哲学を踏まえた上で、浄土教の近代化と刷新に努めた天才的な人物。
ただし、清沢満之と比較しても、その知名度は今日一般的にはあまり高いとは言えないだろう。
とてももったいない。
浄土教に限らず、仏教全般や宗教全般に興味のある人に、ぜひともオススメの一冊である。」

山崎弁栄 「人生の帰趣」 - あつし@草莽 日記 (id:elkoravolo)

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2012-01-09

「教主(おしえぬし)世尊が六根常に清らかに光顔(みかお)永(とこ)しなえに・・・」(弁栄聖者) 

「教主(おしえぬし)世尊が六根常に清らかに光顔(みかお)永(とこ)しなえに麗わしく在(いま)ししは 内霊応(うちれいおう)に充(みち)給いければなり」(弁栄聖者『如来光明礼拝儀』の一部)


「内霊応(うちれいおう)に充(みち)」とは、
弁栄聖者が三昧直観された「仏々相念の讃」で説かれた境涯であると思われます。

「人仏牟尼は一向(ひたすら)に 本仏弥陀を憶念し
 本仏弥陀の霊徳は 牟尼の身意に顕現す
 入我我入は神秘にて 三密正に冥合し
 甚深不思議の感応は 是れ斯教の秘奥なり」

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2012-01-04

「月影の・・・(法然上人)」

「月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ(法然上人)」


「すむ」に深意あり、と弁栄聖者は注意を促された。

聖者の高弟の一人田中木叉上人は、「すむ」に掛けられた深意を、
「霊応身が心に住む」→「心が澄む」→「成仏へと済」んでいくと解釈された。

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山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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