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2012-05-05

「菩薩は宇宙解脱を我が解脱とす。」(『弁栄聖者光明体系 炎王光 清浄光 歓喜光 智慧光 不断光』)

「菩薩は大我を我とす、宇宙を身とす。」
(『弁栄聖者光明体系 炎王光 清浄光 歓喜光 智慧光 不断光』)

「菩薩は宇宙解脱を我が解脱とす。」
の次に、この文が続いています。

『法華経 譬喩品 第三』で説かれる、

「一切衆生は 皆 これ吾が子なり」

この想いが実感となるためには、
大我に眼覚め、大宇宙を我身としなければ、原理的に不可能であり、
この大我の眼覚めが不可欠の前提となります。

私達に理解し易い近似的なものは、「親子の情」かと思われます。

この情の根底には、おそらく生物学的な基盤がありますので、
人間においては、縁が薄くなるにしたがって、
情が薄くなる、つまり、薄情になってしまう傾向は避け難い。
これを克服するには、道徳的教育や、意志的努力では、
原理的に不可能です。

衆生には、「自他弁別本能」(岡潔) があり、
この本能、無明は、原理的に自力では克服不能だからです。

弁栄聖者はご生前、戒を強く求めませんでした。
それよりも先ず念仏を勧められました。

戒とは、念仏の中から自然と規定せられていくものだからです。

大宇宙の理に規っておられたわけです。

光明主義の信奉者であり、世界的な数学者であった岡潔博士は、

「衆生が仏となるには、
単細胞が人間に進化した時間のおよそ2倍ほどかかる。」


との弁栄聖者の御言葉を引用されていました。

この「2倍」とは、字義通り、数学上の2倍という意味ではなく、
それくらいの質的差があるという意味であると思われますが、
それにしても、気が遠くなるほどの差です。

「成仏は難し、往生は易し。」

と言われますが、
もちろん、往生も決して易くはありませんが、
成仏との比較上では、そうなるかと思れます。

弁栄聖者の高弟、笹本戒浄上人、田中木叉上人も、
にわかには信じ難いくらい凄いことをおっしゃられていました。

「衆生済度を、この地球上の衆生のみと考えるのは、狭過ぎる。
度すべき衆生は、この地球上の衆生のみではない。」


と。

現代の宇宙科学の最新の知見では、
大宇宙には、生物が生成可能な天体が無数にある、
と以前テレビ番組で見て、不思議な感に打たれました。


「絶対無比の妙境は、便わち諸仏の住所にて、
無住涅槃に在まして、常恒度生は自然なり」(「無対光」)

「然るときは即ち体は本覚の都に在って化を百億に分ち、
ここに於いて一切諸仏は即ち本覚の弥陀。
弥陀即ち一切諸仏たるの真理は自ら証らん。」(『如来光明歎徳章要解』)


私共が、根本仏の分身として、
方便法身をもって自然界に出現して分身利物の活動をする身となる。
 


「成仏」という言葉は、安易に使われ過ぎているように思われます。

弁栄聖者において、開顕された「成仏」の真実内容を、
現時点の私は、まだ信じているという段階であり、
実感するには程遠い境涯です。

ただ、衆生の進化の道程、方向性は、
この方向性であるとの直観があります。
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syou_en

Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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