2012-01-21

「大日と云い、弥陀と云い、唯一の大御親の異名に過ぎず。」(『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)

この文言を読まれ、平安時代後期に活躍された、
真言宗中興の祖といわれる興教大師覚鑁(かくばん)上人を連想されたかもしれません。


「弥陀は大日の智用、大日は弥陀の理体なり。」(『一期大要秘密集』)

「一切如来は悉く是れ大日なり。
毘盧、弥陀は同体の異名、極楽・密厳は、名、異にして、一処なり。」
(『五輪九字明秘密釈』)


覚鑁(かくばん)上人は、法然上人の少し前に出られています。

難しい教義面以外にも大変興味深い逸話があります。

弁栄聖者は幼少期から、真言密教とのご縁があったようです。

また、真言宗僧侶であった宮本聖慶師が、
病気のため医師から死を宣告され、死後の問題に悩み、弁栄聖者の教えを乞うたところ、
聖者は懇々と御内証のうえから生死の問題を説かれ、半紙に仏画を描き木魚とともに与え、
念仏三昧を聖者の勧められたままに専心念仏修行をしたところ、
健康も回復し、以後聖者に十数年も時折随行されたといいます。

では、なぜ、改宗されなかったのかと疑問に思い、
山本空外上人が宮本師に直接尋ねたところ、


「上人(弁栄聖者のこと)は自分の念仏は「言・浄一致」で、
自分がおがむ阿弥陀仏は真言の大日如来と同一だと仰せられた」


と答えられたといいます。さらに、

「『弁栄聖者光明体系 無辺光』は、
真言宗のある経典が構想上のヒントになった。」


と耳にしたことがあります。(ただし、文献未確認)


聖者は、弘法大師空海のお悟りの深さを賛嘆され、


「空海が心のうちに咲く花は弥陀より外に知る人ぞなし」

「あみだぶといふより外は津の国のなにはのこともあしかりぬべし(法然上人)」


との聖者の両手同時廻書道詠も残っています。


また、ご自身念仏行者で大学者にして、知る人ぞ知る「書の達人」であった山本空外上人も、空海に賛嘆を惜しまず、

「空海の書の前では、その書といつまでも(あるいは数時間だったか)対話ができる。」

と語られたことがあったと記憶に残っています。
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2011-10-21

「仏の体と相と用とは一体の三面、・・・」(弁栄聖者)


「仏の体と相と用とは一体の三面、本来同時同体の三方に過ぎず。」
(『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)


弁栄聖者は大宇宙の真相を三昧直観され、

仏身論として、「無始無終の三身即一の大ミオヤ」と説かれた。

弁栄教学を学ぶ困難さの一つは、
田中木叉上人が苦労し編集された聖者のご遺稿が、
従来どおりの説、真実説が入り混じった書かれ方をされている点です。

これは、弁栄聖者が宗教家であったためだと推察されます。

衆生済度を第一義的に考えた宗教家だったからではないでしょうか。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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