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2016-04-17

法然上人の神髄 (現代語訳「山崎弁栄講述 ─『宗祖の皮髄』」 谷慈義 訳・注  河波定昌 監訳)


      20150417.jpg

法然上人の神髄
(現代語訳「山崎弁栄講述 ─『宗祖の皮髄』」
谷慈義 訳・注  河波定昌 監訳)



[目次]
カラー口絵
弁栄聖者肖像(弁栄記念館蔵 井深家旧蔵)
弁栄聖者遺墨 法然(福岡阿弥陀寺蔵)
弁栄聖者遺墨 釈迦坐像(東京・谷家蔵)
弁栄聖者遺墨 涅槃図(東京・谷家蔵)
弁栄聖者遺墨 弥陀三尊来迎図(東京・谷家蔵)

訳者まえがき

序説 講演にあたって
一 この講演の大意
二 題名に関する簡単な説明
三 安心と起行の形式について
四 念仏修行の具体的な方法とその功徳について
五 宗祖・法然上人のご法語と道詠
六 浄土の〝道しるべ〟と〝道中の名所案内〟
七 宗祖の入信とその後の悟りの境地
八 霊的人格の核と種まき

本説
第一 永遠に輝く〈霊的な人格〉としての法然上人
一 総説
二 選択の道詠
〔1〕 「法」と「行」とについて
〔2〕 衆生(生きとし生けるもの)の至誠心について
〔3〕 阿弥陀仏を愛し求めることについて
〔4〕念仏三昧
〔5〕 念仏三昧の成果(功徳の内容)

第二 仏教の教祖・釈迦牟尼仏の〈霊的な人格〉の実質
一 はじめに
二 実質
三 化用人々を導くための働き

山崎弁栄聖者 略年譜
阿弥陀仏の使者としての生涯~編著者あとがきにかえて
訳者追悼にかえて



ここ数年の、若松英輔氏の弁栄聖者への注目、言及、
特に、近著では、
「第1章 光の顕現ー山崎弁栄の霊性」(『霊性の哲学 (角川選書)』)
「解説 岡潔と仏教の叡智――若松英輔」(岡潔著『一葉舟 (角川ソフィア文庫)』 )など、

また、森田真生氏による岡潔博士への言及、講演、関連書物の出版等によって、

近年、弁栄聖者へ関心が高まりつつあり、
弁栄聖者関連の書物が出版されつつあるのは、まことに喜ばしい限りです。


今回は、光明主義を知るための必読書であり入門書としても最適な、
「山崎弁栄講述 ─『宗祖の皮髄』」の、
谷慈義氏によるの現代語訳。

山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』は、1916年(大正5年)の知恩院での講義録ですが、
今回の現代語訳の発刊は、期せずして、
その100年後の2016年(平成28年)

画期的な、弁栄聖者の「十二光の光明体系」は、
内容的に難解の上、文章表現も現代人には難しいものとなっており、
聖者の現代語訳は、遂行しなければならないものであります。

弁栄聖者の著作の現代語訳には、独特の困難さや賛否両論もあろうかとは思いますが、
この難題に取り組まれた谷氏の尊い御意思に、感謝申し上げたいと思います。


「何よりも私たちが記憶にとどめるべきは、自らを『阿弥陀仏の使者』として、
(山崎弁栄聖者が)その生涯を布教に捧げられたことにほかなりません。
卓越した思想家でありながら、聖者は常に民衆に寄り添い、
その立場から遠ざかることはありませんでした。
弁栄聖者はまさに、教学の知識においても修行の実践においても、
さらには衆生の救済という仏道の本源的役割の遂行においても、
そのすべてに超人的な能力を発揮した宗教者だったのです。」


谷慈義氏の「阿弥陀仏の使者としての生涯~訳者あとがきにかえて」に記された氏の弁栄聖者観ですが、
正に至言だと思われます。


誤解無きよう、やはり、記しておきたいことがあります。

弁栄聖者の「阿弥陀仏」観についてです。

谷慈義氏も「阿弥陀仏の使者としての生涯~訳者あとがきにかえて」において、

「聖者は、法然上人の阿弥陀仏観に基づき、
阿弥陀仏を諸仏の中の一仏としてではなく、
諸仏の根本仏であり、いわば宇宙の中心にすえる・・・
という独自のお考えを公表されたのでした。」
と。

当時、異安心視されていた弁栄聖者は、
「法然上人の阿弥陀仏観」を、法然上人の御道詠に求められ、
その卓見『宗祖の皮髄』の特色となっております。


弁栄聖者独自の阿弥陀仏観については、
佐々木有一著『近代の念仏聖者 山崎弁栄』で、
究明されていますので、参考書としてお奨めいたします。


なお、谷氏の修士論文は善導大師に関するものであったと伝え聞いております。

谷氏は、この書が世に出る前、
平成二十七年十二月十五日にご逝去されました。
残念でなりません。

この書の監訳をされた河波定昌氏は、
平成二十八年三月七日に、
「訳者追悼にかえて」を書かれておられますが、

更に、その河波氏も、今月4月3日に、突然、ご遷化されました。

これからの大事な時期に、河波氏も失ったことは、痛恨の極みです。

谷慈義氏と河波定昌氏の遺作となった、
法然上人の神髄 (現代語訳「山崎弁栄講述 ─『宗祖の皮髄』」 谷慈義 訳・注  河波定昌 監訳) を、
精読していきたいと思います。

お二人のご冥福をお祈りいたします。

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2015-03-23

京都「総本山 知恩院」 法然上人御廟、勢至堂、弁栄聖者のお墓を訪ねて



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京都「総本山 知恩院」のお参りは、やはり、こちら「三門」から。

国宝指定だけあって、趣があります。

「三門」とは、「空門」・「無相門」・「無願門」という、
悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)を意味するとのこと。

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さすがに、浄土宗の総本山、境内はとても広く、
今回の目的地は、最も奥にあります。

ご参拝の際、とても便利な知恩院境内地図

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蛇足ながら、「円光大師」とは、法然上人のこと。

ご興味のある方は、「法然上人の大師号」の解説を是非。

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法然上人のご遺骨をお祀りする「御廟」

知恩院で最も神聖な根本霊地

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この奥が、「御廟」

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勢至堂の傍ら、御廟の崖下にある「紫雲水」
「法然上人ご入滅の時、聖衆が来迎し紫雲が水面に現れ、芳香が漂った」
という言い伝えが残っているようです。

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法然上人の御遺訓、 「一枚起請文」 。

山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』は、
1916年(大正5年)、知恩院夏安居と併修された教学高等講習会にて、
助講として講師を務められた時の講義録。

これは、云わば、「異端審問」としての意味あいが濃厚であったものですが、
かえって、聴講者に、大変な感銘を与え、
講演後早々に、出版の運びとなったもの。

これには、裏話があり、
最初講師の依頼を受けられたのは、笹本戒浄上人でしたが、
「自分より弁栄上人を推薦したい」との戒浄上人の願いにより、
(戒浄上人は、弁栄聖者を「現代の釈尊」と尊崇されていました)
弁栄聖者の講師が実現されましたが、
当時から、宗門内で、弁栄聖者を「異安心」視する雰囲気があり、
「弁栄上人の講師反対」といった一時不穏な空気があったようですが、
「それならば、弁栄上人の話を直接聞いてハッキリさせるべきだ」とのことで、
どうにか実現されたと伝えられています。


詳しくは、光明修養会版の山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』所収の、
〇藤堂恭俊「『宗祖の皮髄』の成立」
〇江島孝導「草稿資料探訪」
をご一読ください。

また、光明修養会(現光明会)版の『宗祖の皮髄』は、
現代風に語訳され、また、上述の解説等と、
笹本戒浄上人が所持された『宗祖の皮髄』のコピーも掲載されています。


なお、知恩院第86世門跡 中村 康隆猊下は、大正大学学長を務められ、
また、大正大学カウンセリング研究所を創立し、初代所長

中学生の頃に、弁栄聖者ご指導の唐沢山別時に参加され、
「このような立派な僧が居られるなら私もそれ迄いやだった僧侶になろうと決心した」
また、「私が今日ありますのは弁栄上人のおかげ」とも。


中村 康隆猊下の先代の知恩院第85世門跡 藤井実応猊下は、
惜しくも弁栄聖者にお逢いできなかったようですが、
笹本戒浄上人のお別時に参加されるなど、光明会との因縁が深かったようです


「正統なる」継承者が、ときに異端者の姿をしてあらわれる。」

とは、若松英輔氏の正に至言


弁栄聖者の独創、卓見は、
永遠に輝く法然上人の「霊的人格内容に着目された」こと、
また、その法然上人の念仏三昧により実現されていた霊的内容顕正のために、
法然上人の「御道詠に着目された」こと、
にあろうかと思われます。

弁栄聖者は、宗内で「異安心」と批判されながらも、
法然上人の霊的人格形成の源泉を、
弥陀への「霊恋」(「霊的憧憬、霊的衝動」)にあると喝破され、
「大乗仏陀釈尊の三昧」、すなわち、「念弥陀三昧」
「観仏三昧」ではなく、「見仏三昧(憶念口称念仏)」を、顕正されました。


「献身的に実践につとめた仏教家」としての、
弁栄聖者の特異性、特徴点について、
中村元氏の興味深く、示唆に富む記述がありますので、
御紹介します。

「かれのいう愛とは慈悲の現代的表現なのである。
「信」を強調する日本の浄土教の中から、
「信」に併立するものとして「慈悲」を強調する
かれのような宗教家の出たことは、驚くべきことである。」

(中村元著『慈悲』)


更に、興味深く、注目すべき着眼点として、
日本の「和歌」の伝統に、日本の哲学的叡智が脈々と受け継がれてきたのでないか
と気づかれていたのが、例えば、 井筒俊彦氏。

「新古今が好きで古今集、新古今集の思想的構造の意味論的研究を
専門にやろうと思ったことさえある(井筒俊彦)」。

(「新古今和歌集」『井筒俊彦入門』)

この井筒氏の大変興味深い発言に注目されているのが、
やはり、若松英輔氏です。

法然上人のお弟子には、新古今に関わる方もおられたことは、
よく知られた事実。

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「自性は十方法界を包めども
中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。
真空に偏せず妙有に執せず、
中道に在て円かに照らす智慧の光と慈愛の熱とありて、
真善微妙の霊天地に神を栖し遊ばすは、
是れ大乗仏陀釈迦の三昧、又我宗祖の入神の処なりとす。」

( 山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』 )



田中木叉上人は前半部分の、

「自性は十方法界を包めども
中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。」


「仰ぐもあり」の「も」は、要らないですね。
と言われたことがあったそうです。

さり気ない御指摘ですが、
さすがに田中木叉上人と深く感銘を受けましたので、
是非、このご指摘を、ここに記して置きたいと思います。

笹本戒浄上人は、
『笹本戒浄上人全集』などを拝読いたしますと、
『宗祖の皮髄』の記述のままに記されている箇所と、
やはり、「も」を抜かして記述されている箇所があります。

前半部分は、念仏三昧による「霊験の種々なる方面」を列挙、
「自性は十方法界を包めども
中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。」

が、列挙の最後で、列挙の一つに過ぎない単なる「も」ではなく、
これこそが、大乗仏陀釈尊、法然上人の三昧の内容


また、後半部分の、
「真空に偏せず妙有に執せず、
中道に在て円かに照らす智慧の光と慈愛の熱とありて、
真善微妙の霊天地に神を栖し遊ばす」

は、前半部分と同内容であり、言い換えの表現であるため、
前半部分の最後の「も」は必要ない、ということになります。

こう云うことだと、推察されます。

また、『宗祖の皮髄』には、「教祖霊的人格の実質」として、
大乗仏陀釈尊の三昧の内実を、
弁栄聖者が晩年特に強調された『無量寿経』の「三相五徳」に依って、説かれています。

ここに、釈尊→法然上人→弁栄聖者へと、
脈々と一貫して流れる「念弥陀(見仏)三昧」の伝統、大乗仏教の真髄をみる思いがします。


禅の悟りの一部でもある「空」に囚われ
そこから脱することに苦心惨憺されておられた笹本戒浄上人。
弁栄聖者が上人のお寺(慶運寺)においでになり、
上人が所持されていた『宗祖の皮髄」巻頭の聖者自画自賛の「親縁の図」の裏面に、
記された御教示。

「ある禅納云く、仏本来我方寸の中に在り。
何ぞ西方十万億の彼岸に求めんや。
今は日く、浄門の意は他仏を念じて自仏を作る
所念いよいよ高遠なれば、能念の心したがって高遠。
一心に仏を念ずれば即ち是の心仏を作る。
もし三昧を得れぱ是の心是れ仏。」

念仏者乃心本尊波六十万十万億ノ奥行之堂

ワ カ ミ ホ ト ケ ノ シ ゙ ヒ ノオモ イ ル ヒ ノ カ タ ニ ウ ツ ロ ヘ テ
我美保止計農慈悲乃面入留日乃加多仁映津呂辺天
テ ル ミ ス ガ タ ヲ オ モ ホ ヘ ハ レイカンキワマリナカリケリ
照留美須賀太乎思保辺婆霊感極里奈加利鳧


「「或ル禅柄」とは六祖慧能師を申されたる事聖者より承はり候ひき」
と、記しておられたとのこと。

聖堂版の弁栄聖者『宗祖の皮髄』は、こちら


なお、「浄門の意は他仏を念じて自仏を作る」

ここで言う「浄土門」とは、
浄土宗真宗等を指すのではなく、
大宗教家としての釈尊の真精神の純粋円満な浄土門・宗教を意味する
とのこと。

「禅」もまた、
禅浄(又は聖浄)二門で教祖釈尊のみ教えの
哲学的方面と宗教的方面を代表されたので、
単なる禅宗を指すのではない、とのこと。

したがって、「是心作仏、是心是仏」も従来の浄土教の立場からではなく、
弁栄聖者真正の真精神より見なければならない

とは、笹本戒浄上人の御教示

(参考文献:弁栄聖者著『光明主義玄義(ワイド増訂版)』


「他仏を念じて自仏を作る」

「念じて」「縁じて」と同義と捉えれば、
「念仏」こそ、正に、「縁起の理法」に依る行法であることは、自明。

蛇足ながら、
ここで言う「念仏」も、伝統的な意味での「念仏」を包超しています。


勢至堂の右横側を通り弁栄聖者のお墓へ

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弁栄聖者のお墓へは、光明会有志による道標があります。

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斜め右前方上の方、階段を結構登った高台にあります。

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弁栄聖者のお墓が、
知恩院、法然上人の御廟近く、勢至堂の裏側のお墓にあることは、
真に相応しく思われました。

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2012-01-29

山崎弁栄『宗祖の皮髄』

晩年に三昧発得された法然上人のお悟りの内容を、法然上人のお歌から論じた異色の書。

弁栄聖者のご講話録、『宗祖の皮髄』

是非本で読んでいただきたいですが、

ありがたいことに、下記のHPでも一部読むことができます。

山崎弁栄 『宗祖の皮髄』 「序説 玄談」

山崎弁栄 『宗祖の皮髄』 本説 前半 

~あつし@草莽 日記より

2011-11-16

「真空に偏せず妙有に執せず、中道に在て・・・」(弁栄聖者)

「自性は十方法界を包めども中心に厳臨し玉ふ霊的人格の威神と慈愛とを仰ぐもあり。
真空に偏せず妙有に執せず、中道に在て円かに照らす智慧の光と慈愛の熱とありて、真善微妙の霊天地に神を栖し遊ばすは、
是れ大乗仏陀釈迦の三昧、又我宗祖の入神の処なりとす。」

山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』



弁栄聖者が、釈尊、最晩年の法然上人の御境涯を述べられた極めて重要な箇所です。

意外に思われる方が多いと思いますが、
念仏から、禅で言われる見性体験(慧眼による境涯)も現出してきます。

これは、仏教史の展開から言えば、
念仏と禅が別々というのはそもそも認識違いで、
もともと念仏から禅が生じてきた。

と文献的にも究明され、論文を書かれているのは、
弁栄聖者の信奉者でもある河波昌氏(1930~)です。

興味深いことに河波氏は、大学院では京大の西谷啓治氏に師事されています。
京大哲学科と言えば、言わずもがな、「西田哲学」のメッカ。
西田哲学と禅との深い関係は周知のこと。


参考文献 河波昌著『浄土仏教思想論』 

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2011-10-09

「浄門の意は、・・・」(弁栄聖者)

「浄門の意は、佗仏を念じて自仏を作る」(弁栄聖者『宗祖の皮髄』口絵裏)

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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