2012-06-28
「体は本覚の都に在って、化を百億に分ち、こゝに於いて一切諸仏は即ち本覚の弥陀。弥陀即一切諸仏たるの真理は自ら證(さと)らん」(『弁栄聖者光明体系 無対光』)
前回は、「有余涅槃」を中心にご紹介しました。
今回は、三身四智の仏の境涯である「無住処涅槃」をご紹介します。
「無住処涅槃とは、生死に住せず涅槃に住せず、永恒常住に、
一方には涅槃界に安住して、
また一面には生死界に分身応化して、
衆生済度の事業未だ曽て暫くも懈廃せざるなり、
故に無住処涅槃と云ふ。」(『弁栄聖者光明体系 無対光』)
『仏陀禅那弁栄聖者著 光明主義玄義(ワイド増訂版)』は、
お手頃価格で手に入りますが、
光明主義のエキス中のエキスがまとめられていると思われます。
その文中に、
「私共が無余即無住処涅槃の実在解脱に帰入すると
方便法身をもって自然界に出現して
分身利物の活動をする身となる」
「方便法身は光明主義の厳密な意味では根本仏の分身として、
度すべき衆生の住する世界に出現して
表面的には衆生身として十方三世に活動する諸仏をさす」
「三身四智の仏眼を実現してから此の世を去ると、
無余即無住処涅槃の境涯がまざまざと実現する。
・・・光明主義の厳密な意味での方便法身が
無余即無住処涅槃界に於ける自己自身となる。」
以前ご紹介しました、
「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」
(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)
その深意は、上述のとおり。
今回は、三身四智の仏の境涯である「無住処涅槃」をご紹介します。
「無住処涅槃とは、生死に住せず涅槃に住せず、永恒常住に、
一方には涅槃界に安住して、
また一面には生死界に分身応化して、
衆生済度の事業未だ曽て暫くも懈廃せざるなり、
故に無住処涅槃と云ふ。」(『弁栄聖者光明体系 無対光』)
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「私共が無余即無住処涅槃の実在解脱に帰入すると
方便法身をもって自然界に出現して
分身利物の活動をする身となる」
「方便法身は光明主義の厳密な意味では根本仏の分身として、
度すべき衆生の住する世界に出現して
表面的には衆生身として十方三世に活動する諸仏をさす」
「三身四智の仏眼を実現してから此の世を去ると、
無余即無住処涅槃の境涯がまざまざと実現する。
・・・光明主義の厳密な意味での方便法身が
無余即無住処涅槃界に於ける自己自身となる。」
以前ご紹介しました、
「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」
(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)
その深意は、上述のとおり。
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