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2019-04-30

山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』(編集・解説 金田昭教)

山崎弁栄上人百回忌記念事業の一つとして、
山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』が、
平成31(2019)年4月に刊行されました。

なお、近日中の山崎弁栄上人百回忌事業関連イベントは、


〇「山崎弁栄上人百回忌音楽法要
特別記念講演とシンポジウム」


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日時:5月12日(日)、13時から17:30
場所:神奈川県相模原市光明学園

音楽法要・特別記念講演とシンポジウムは、入場無料
詳細は、こちら。


〇「山崎弁栄上人百回忌記念遺跡参拝ツアー」

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日時:5月13日(月)、7時~16:30


〇「行誡と弁栄展」

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開催期間:5月11日(土)~19日(日)
開館時間:平日は、14時~19時、土日は、10時~17時
場所:東京両国「回向院」
拝観料無料



【山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』】

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◯「現代で、真に和解を生む可能性が残されているのは、
真によってでも、善によってでもなく美によってである。」

(若松英輔著『岡倉天心『茶の本』を読む』)

◯「美の中に、真と善が籠もっているのが、極楽の功徳荘厳である。」
(冨川 茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)


初めに、
約六百頁の労作、山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』を編集された、
金田昭教師にお礼を申し上げます。

今回の大作、山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』のご紹介は、
なかなか容易ではありません。

今まで、弁栄聖者の『遺墨集』といえば、
山本空外編『弁栄上人御遺墨集—六十周年記念— 』が知られていました。

また、弁栄聖者関連の調査資料としても、
価値が高かった書籍として一般に知られていたのが、
〇田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』
〇山本空外編『弁栄上人書簡集』
でした。


今回の山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』は、
一般的な図録の範疇には、とても収まり切らず、
画期的な様々な趣向が凝らされています。

それらの特徴点を列挙し尽くすことは、とても出来ませんが、
幾つかの特徴点を列挙し、その補足説明をいたします。

〇「山崎弁栄上人の墨跡仏画が1000点も掲載されている。」
平成26年1月~31年2月まで、
主として、231ヶ所もの実地調査を基にしたものであること。
おそらく、空前(であり、絶後であって欲しくはない)であろうと思わわれます。
「編集後記」によれば、これでも、
まだ未調査の地域、諸事情によって未調査の寺院等があるといいます。

弁栄聖者の光明主義の教義内容を、
書籍等から学ぶのはなかなか容易なことではありませんが、
今回の多種多様の墨跡仏画を眺め、感じ、
参考として解説を読んでいくことで、
例えば、光明主義の教学上極めて重要かつ難解な用語の一つである、
「超在一神的汎神教」。
これらの光明主義の教義内容も、
墨跡仏画を通して、直感的に、おおよその把握が可能
となるのではとも考えられます。

山崎弁栄『墨跡仏画集』は、
「言葉で説かれていない現代のお経。」
とさえ云い得るかもしれません。

理性と感性を峻別し、理性を偏重する現代の風潮は、
現代社会の偏向に過ぎない
のかもしれません。

また、
山本空外編『弁栄上人御遺墨集—六十周年記念— 』の様な、
いわゆる"弁栄聖者の遺墨仏画の傑作選"ではなく、
多種多様な、敢えて言えば、まことに不遜ながら、
芸術的観点からは決して優れた作品ではないものも掲載されています。
正にその点も、今回の優れた趣向の一つと考えられます。
金田師の「染筆の念い」と「編集後記」に記されていますが、
弁栄聖者の「結縁」の意図を汲み取られてのこと。


〇「多種多様な興味、関心等に応じ得る墨跡仏画集である。」


〇「墨跡仏画には、それぞれ詳細な解説が付されている。」
ここに収録された弁栄聖者の墨跡仏画は、
眺めているだけでも、とてもパワーが感じられますが、
詳細な解説が、それぞれの遺墨に記されており、
「弁栄聖者の染筆の念い」を受け取る上で、
直接的、あるいは、間接的に参考になると思われます。
もちろん、編集者とは違った捉え方も当然ありえます。
唯一無二の正解はないからです。
ここに記されたエピソードには典拠が明示されており、
しかも、その典拠資料が、現在ではほぼ入手不可能な類いのものも多く、
この点からも大変貴重な本。


〇「詳細な資料に基づき作成されている。」
根拠となっている資料等をご覧になれば、
この資料収集とおそらくそのデータ化だけでも、
膨大な労力と時間を要したことは容易に推察されます。


〇「学術的研究書としての価値のある資料でもある。」

実証的文献記録資料としても位置付けられる点。

田中木又著『日本の光(弁栄上人伝)』は、
名著として知られており、
また、山本空外編『弁栄上人書簡集』は、
弁栄聖者、光明主義研究における重要な学術研究書ではありますが、
やはり、その一部であり、
『ミオヤの光』、田中木叉編纂『弁栄聖者光明体系』等も、
あたかも親鳥があちこちで生んだ卵を、
大変な時間と労力をかけて、
全国から木叉上人が収集された弁栄聖者の遺文集
であり、
光明主義、弁栄聖者研究における必読書ではありますが、
その遺文の成立年代が判断し難く、
諸事情により、その人物が明確ではなく、
しかも、ごく簡潔に記されている点がありました。
ところが、
今回は、弁栄聖者御遷化後百年の『墨跡仏画集』であり、
金田師を中心とした調査員方によって、
また、現地の方々の協力等によって詳細が判明しつつあり、
個人名が特定され、今回発表されたことにより、
その方とゆかりのある方はもとより、
田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』 等が、
より身近に読めるようになるのではと思われます。

弁栄聖者の直弟子方、聖者に直接お会いした方々、
その直弟子方にお会いした方々も
ご高齢になっておられる現状等
を勘案しても、
今回の様な趣向の本が、弁栄聖者百回忌の折、出版されたことは、
まことに百回忌記念に相応しく、また時期相応でもあり、真に喜ばしい限りです。

更には、
福田行誡上人渡辺海旭上人の新資料発見などは、
浄土宗及び近代仏教史上における、
弁栄聖者の位置付けを再考する契機
ともなるでしょうし、
また、数々の新資料も記載されていますので、
弁栄聖者、光明主義理解の上からも、益すること大です。


〇「弁栄聖者遺跡巡り(巡礼)の手引書」
この『墨跡仏画集』には、
弁栄聖者関連のエピソードが豊富に記載されています。
その記述の中に、弁栄聖者の遺跡巡り(巡礼)に役立つ情報も含まれています。
この度、東京両国で開催される「行誡と弁栄展」には、
特別記念の御朱印を用意されているようです。


〇「山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』も、一里塚であること。」
空前の大作、労作ではありますが、
これを機縁として、
この『墨跡仏画集』をご覧になった方が、
「今度は、各々のやり方、在り方で、
この『墨跡仏画集』を更に深化、発展させていかれること。」

このことが、編集者である金田師の願いでもありましょう。
更にまた、
新たな弁栄聖者に関する情報等が金田師に寄せられ、
この第二弾が発刊されたら素晴らしいことだと念願いたいします。


主たる特徴点は以上の点かと思われますが、
信仰実践上等に関することにつきまして、若干補足いたします。

〇「多種多様な仏画、特に三昧仏画があること。」
弁栄聖者のご指南に従い、実際に念仏をする際に戸惑うことの一つは、
「どの三昧仏画を、自分の念持仏として定めたらよいか」
ということかと思われます。
今回の『墨跡仏画集』には、多様な三昧仏画が掲載されており、
しかも、比較的鮮明で大きいので、
各人が念仏し易い、お慕い申し易い三昧仏画を選び、
カラーコピーしての個人活用
が可能な点があります。

実際には、念仏を一人で実践するのはなかなか難しいものだと思われますが、
先ずは、光明主義の概略を知りたいという方には、
山崎弁栄『人生の帰趣』をお勧めします。

また、光明主義の主要な特徴点がまとめられた、
一般に入手可能な本としては、
光明主義を熱心に研究されている在家信者佐々木有一氏の、
佐々木有一著『近代の念仏聖者 山崎弁栄』を、
念仏実践の方法論、念仏による霊育過程等を知りたいという方には、
弁栄聖者の高弟である笹本戒浄上人のご指南等を中心に佐々木氏が考察された、
佐々木有一著『山崎弁栄 弥陀合一の念仏』の本が、
光明主義の奥深さを垣間見ることの出来る書としても、
ご参考になるかと思われます。
なお、
"念仏による霊育過程等"に関する本では、
弁栄聖者が自内証に基づき、
法然上人の霊育過程等を説かれた"稀有の書"
山崎弁栄述『宗祖の皮髄』は、特にお勧め。

また、
阿弥陀如来を大ミオヤ(御親)と云いながら、
どうしてこのような多種多様な御姿があるのだろうか?
という疑問を持たれた方は、
弁栄聖者著『無辺光』の「成所作智」を是非お読みください。
更にまた、
超在一神的汎神教と云いながら、
「描かれている画は、仏教の仏菩薩の姿が主ではないのか?」

「仏教徒が、その瞑想的ヴィジョンにおいて、
キリストやマドンナをみないのはなぜだろう、
とカッバーラー学の権威ゲルショム・ショーレムが問うている。」

(井筒俊彦著『意識と本質』)

と同様の疑問を持たれた方もきっとおられるかと思われます。

「報身仏には本より人格的の御姿在します」の真意とは、
「私共の心念に応じて、目的論的に自由自在に、
隠顕出没する無限の変化極まりない、
※ 無量無数の御姿を持った、
絶対無規定の不識的絶対的精神態
。」


※ 「無量無数の御姿を持った絶対無規定の不識的絶対的精神態」とは、
「無量無数の御姿を顕現される御力を本来お持ちの、
他から規定されず独立自存である本有無作の妙色相好身」
と一応定義できると考えられます。
弁栄聖者の大ミオヤ観の最大にして最高最深
「本有無作の三身即一の仏身論」。

したがって、
大ミオヤは、キリスト教徒にはキリスト教的な心霊差別現象を顕現されますが、
応身仏釈尊を教祖と仰ぐ仏教徒には、
その私共の宗教的信念等によって、
大ミオヤが、インド風、東洋風に、
"釈尊と即一の阿弥陀如来の尊相"を以って、
心霊差別現象を顕現されるのは、
理にも適い、心情的にも受け入れ易い
と思われます。

【参考文献】
『辨榮聖者 光明主義玄談 巻三 笹本戒浄上人述 泉虎一記』
2019年4月8日発行、二千円(送料別)。
一巻~二巻は既刊。四巻まで発行予定。
hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。


後日、この本もご紹介したいと考えています。
光明主義または宗教の"奥義"が説かれた書であるゆえ難解、
かつ、特に、通仏教、浄土宗乗に精通した方には、返って躓きとなりうる書。
また、読解に、文体のなれとある種の技術が必要な書との印象があります。


〇「弁栄聖者の利他行の在り方」

「最深の神秘的人間はまた最深の行動的人間である。」
(「神秘主義の形而上学」『吉満義彦全集』第四巻)


「上人は「知識(みちびくひと)は月を指す指です。
月さえ見れば指に要はない。とかく月を忘れて指に眼をつける、
月に目をつけねばなりませぬ」
といって雲上の如来尊像を書いてくださった。」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

まことに、ご教示の通りです。

一方で、
「法いかに尊くとも伝弘人を得ざれば大法は泯絶せん。」
(「指月録」『笹本戒浄上人全集』下巻)


今回の『墨跡仏画集』に描写された、
弁栄聖者と、直弟子、信者方との交流のエピソードを拝読しますと、
「月を指す指」の果たす役割が、
"伝道家との関係性"が、いかに重要であるか

という点にも気付かされます。

"弁栄教学"については、
最近、関連本が出版され始め、
少しずつ、光明会以外の方にも入手可能となり、
光明主義の教学内容が普及され始めたことは、
真に喜ばしいことですが、
一方で、
"弁栄聖者の利他(度生)の在り方"への言及、関心の高まりは、
これからの重要な課題である様に思われます。

この"弁栄聖者の利他(度生)の在り方"においても、
今回の『墨跡仏画集』は、大変重要な意義があると考えられます。

弁栄聖者、光明主義の教学理解においては、
光明主義関連の出版書籍等以外では、
例えば、 井筒俊彦氏の著作等が、とても参考になると考えられます。
一方、
弁栄聖者の宗教家としての在り方(度生論)に関しては、
神戸大学名誉教授の中井久夫氏の著作
また、医師としての中井氏の在り方が、
とても参考になると考えられます。

中井久夫氏は、
現在ではエッセイスト、詩の翻訳者として、
広く知られているかもしれませんが、
1995年の阪神淡路大震災時の、
"災害時のこころのケア"を主導された中心人物で、
"トラウマ"関係の良書の翻訳等を通じて、
後の災害時の"こころのケア"の基礎を提供された方。

中井久夫氏は、現代知性の中で最も尊敬し、
「中井氏なら、この問題についてどう考えられるのかな?」
と内的対話を繰り返してきた御方。

宗教家としての弁栄聖者の在り方と、
医師としての中井久夫氏の在り方には通底する部分が多い、

と考えてきました。

"臨床医学界における弁栄聖者"
とひそかに尊敬していた時期もありましたが、
後には、周囲が放っておかず、
中井氏の活躍範囲は医学に留まらず、
更に更に人間の諸活動全般に広がっていかれました。


"臨床の天才職人"とも称すべき神田橋條治氏。
氏は、ご自身の仕事を通じて、
「患者の身になる技術(法)」を身に付ける過程で、
六神通(宿命通・天眼通・天耳通・他心通・神足通・ 漏尽通)のうち、
その一部を体得されたと推察される方。
なお、六神通のうち「漏尽通」以外は、
仏道修行以外の他の修行法によっても、
体得可能だと聞いたことがあります。

「その人の身になってみるというのが、
実は批評の極意です。」(小林秀雄)

(小林秀雄、岡潔『人間の建設』)

その神田橋氏をして、

「中井久夫先生はウルトラマンである。」

と感嘆せしめています。
(文藝別冊『中井久夫 精神医学のことばと作法』
(『中井久夫著作集 第Ⅱ期 精神医学の経験』パンフレット/『「本」を遊ぶ』収録))

一見、ふざけた様な、"神田橋節"のきいた表現ですが、
極めて的確で、深い洞察に満ちた"中井久夫観"と推察いたします。

中井久夫氏の精神医学臨床の真髄を、
正確に理解され、かつ、伝達可能な言葉で表現ができ、
しかも、自身が同様の臨床レベルにおられる治療者は、
神田橋條治氏をおいて他に見出し難いのではと思われます。

その神田橋氏が、
中井久夫氏を評して、いわく、

・「光の国からぼくらのために、ぼくらの世界に来てくれた、
超常的現象なのではないかと空想してしまう。」


・「まず博覧強記風の知識の奔流に圧倒される。
だが、そうした物知り的な知識の物量は
中井先生の知の世界の本質ではないことがわかる。」


・「・・・そのようにして提示される新たな視点・新たな視界が、
先生の知の光である。
ぼくらに眩しさとめまいの超常感覚を起こさせる高次情報である。」


・「・・・四次元の構造がいつも見えている超常視覚
というのがあるのではないかと空想してしまう。」


・「知の光や感性の冴えがウルトラマンの特徴ではない。
そうした能力を駆動しているありよう、
「仁」と「義」を中心に置いたありようが、
ウルトラマンの特徴であり、
ぼくらが「ぼくのウルトラマンだ」と
心を寄せ声援をおくるゆえんである。」


・「だが、そのありようゆえ、
ウルトラマンは限界まで力を出し尽くしてしまう。
・・・しばしばカラー・タイマーが点滅する痛々しさが、
声援を切ないものとする。」


・「「ウルトラマン!もういいから、
早く、光の国に帰って、エネルギーをもらって、
またぼくらのところにかえってきて」とこころの中で叫ぶ。」


まさに、
弁栄聖者が体得された、法身と報身の「四大智慧」の内、
"報身"の四大智慧と相即した"法身"の四大智慧の、
すなわち、自然界に働く「大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智」
体得者、実践者としての特性(徳性)を、
中井久夫氏に見る思いがいたします。

また、
中井久夫氏の治療理論は、体系化され難いと言われています。
この点も、弁栄聖者、光明主義教学の特徴を彷彿とさせます。

中井氏は、現在、八十五歳で、
既に臨床の実践からは身を引いておられますが、
古来から敬愛の情を込めて云われる"名医"とは、
正に、この様な方を指すのではないでしょうか。

「教養とは、生活秩序に関する精錬された生きた智慧。」
とは、小林秀雄氏の言葉。


中井久夫氏と同様の感触を抱かせる人物として、
作家の司馬遼太郎氏が想定されます。

お二人に共通した最大の特徴点は、
"人間通"ともいうべき深い人間洞察に基づく、
その在り様
かと思われますが、
弁栄聖者の直弟子の中では、
田中木叉上人が思い起こされます。

臨床心理の領域においては、
大正大学カウンセリング研究所特別顧問、
"臨床心理界の中井久夫"とも称すべき村瀬嘉代子氏。
医師の様な守りが少ない分、
とても"肌理細やかな行動の人"

村瀬氏は、
ご自身の心理臨床を、"統合的心理療法"と定義されています。

中井久夫氏とも通底すると思われる点を列挙しますと、

・「理論と実践、かつ、生き方が高次の次元で一致。」
・「智に即した慈悲の実践者。」
・「教条的な理論からではなく、現実を重視する臨床姿勢。
つまり、"事"から"理"を導く帰納的思考の重視。」
・「患者、クライエントの症状、問題行動の中に、
建設的な意味を読み取り、それを活用しようとする姿勢。」
・「真の意味でのリアリスト。
現実の真(深)相を透徹する眼力、臨床眼を持つ。
特に中井氏の場合は、透徹した観察眼に基づく、
精神現象、身体現象、出来事等の
年表、グラフ、表、図等の緻密な作成、比較等によって、
布置、共時的現象を可視化させ、
その意味を読み取り、
柔軟に、創意工夫、発想・着想する姿勢。」
・「人として誠実にして、謙虚。
人間にはどうしても避け難い増上慢・卑下慢という、
治療者、セラピストのナルシシズムが極めて希薄な稀有な存在。」


既にお気付きの様に、
弁栄聖者ともかなり重なり合う特性(徳性)。

更に、もう一点付け加えるとすれば、

中井久夫氏、村瀬嘉代子氏とも、
料理が上手である
という点が挙げられるかと思われます。

弁栄聖者の最晩年に約一年あまり随行され、
聖者の御法話記録等を残された、
中井常次郎氏の書名は、『乳房のひととせ』

若松英輔氏は、
イエスの最後の晩餐、ミサにおける葡萄酒とパンと、
料理研究家の辰巳芳子氏の活動に着目されています。

ちなみに、中井常次郎氏と中井久夫氏とは、
何らかの関係がありはしないかと。。。

中井氏の専門書はかなりの量ですが、
中井氏が患者さんに出された手紙、ハガキ等は、
その量を上回るとさえ言われています。

弁栄聖者の『お慈悲のたより』を彷彿とさせますが、
何よりも驚くのが、
患者さんが、伸びやかで萎縮していない(星野弘談)という点です。
治療者⇔患者関係に不可避的に伴う“不平等性“への、
意識的無意識的な配慮
をされているのでしょう。
また、興味深いことに、
往診先(村瀬氏の場合は訪問先)で、
その家のペットがなつく
ことです。
中井氏が、真の法身平等性智の体得者、体現者と表現した所以です。
なお、弁栄聖者の場合は、ねずみ、子犬、猿、蛇などでした。

ここ数年の間に、"中井久夫入門書"が、出版されています。
〇『中井久夫の臨床作法』
〇文藝別冊『中井久夫 精神医学のことばと作法』
中井久夫氏をまだご存じない方で興味関心を持たれた方は、
ご覧になってみてください。


なお、
大正大学学長を務められ、
また、大正大学カウンセリング研究所を創立、初代所長でもあられた、
知恩院第86世門跡 中村 康隆上人が育ったお寺は、
静岡県静岡市清水区の「實相寺」

中学生の時に、祖母に連れられ、弁栄聖者ご指導の唐沢山別時に参加され、
「生意気盛りの私は、当時の社会風潮のまま、
坊主など葬式法事屋にはなりたくないと思っていたのであるが、
・・・暗中かすかな蝋燭のあかりに、
上人が後光に包まれている様を感見し、
生涯私も念仏専修の僧になろうと決心したことであった。」

(参照:山崎弁栄『墨跡仏画集』の293頁)

清水区の「實相寺」とは、
慧月夫人が、弁栄聖者のご指導を受けられ、
聖者から頂かれた三昧仏様をじかに畳の上に置いて、
それを眺めながら念仏をしていたお寺。

その時の、聖者の慧月夫人へのご指導内容とは、

「御絵像を何時も何時も放さず持って居て
間がな隙がな慈悲の御顔を拝んで
お念仏を絶やさぬ様になさい。
尊い如来様のお姿だからと云って
仏壇に仕舞い込んで仕舞ったりしては
返って勿体ないことになります。
喩え畳の上にじかに置いても、
何時も身近に持って居て拝んで居る様になさいませ。」


この慧月夫人の弁栄聖者のご教示を聞かれた笹本戒浄上人が、
「これはもう実に三昧証入の大達人にして初めてなし得る
慈悲の籠った見事な御済度である」
と感嘆されたという逸話はよく知られています。

また、弁栄聖者と大正大学との因縁は深く、
現大正大学の前身である浄土宗本校の設立は、
弁栄聖者の勧進による貢献が大きいです。


最後に一点、是非付け加えておきたいことがあります。

2011年3月の東日本大震災以降注目されつつある、
東北大学の岡部健医師の念願であった、
「臨床宗教師」に関することです。

医師である岡部氏の往診先の看取り時における、
「お迎え現象」の体験が基になっているようです。

浄土宗史上、災害時の救助活動の実践者としては、
「布施の行者」颯田本真尼が知られています。
(参照:『墨跡仏画集』の340頁)

「臨床宗教師」の理解について、
詳細な内実を存じ上げませんので、
誤解等があればお許し頂きたいのですが、
『墨跡仏画集』に描写されている数々の、
宗教家としての弁栄聖者の在り方が、
重要な"モデル"となりうる
と考えています。


「人間は悲しいことに出会ったとき、
悲しみをともに分かってくれる人がそばにいないと
本当に悲しむことができないものである。」(土居健郎)



〇 「超在一神的汎神教」に基づく仏神観であること。
→ 最高最深の三身四智の仏眼に基づき、
宗派宗教の現出する根源における仏神観であるため、
宗派宗教の特徴を真に生かし得ること。

〇「自他不二の在り様(自覚)に基づく活動」であること。
→ "自他不二性"の自覚無しには、他者の援助等はできないと考えられるため。
ただし、"自他不二性"とは、理想的な援助者の在り様である。
との絶えざる自己内省的自覚を伴いつつ。

〇 「援助者自身が深い宗教性と繋がっていること。」
→ 災害時の援助で配慮すべき重要事項の一つは、
援助者の無力感と被援助者に対する罪悪感よる、
援助者の心身が被る傷への配慮。

援助者の心身の健康性の維持のためには、
援助者自身が心身のエネルギーの供給を受けていることが大前提。
つまり、援助者には援助(者)が不可欠であること。
弁栄聖者にとっては、「大ミオヤ」からの心身魂霊性への「霊養」。

〇 「人力に依る救済ではなく、被援助者自身の宗教性を活性化させる点」
→ 弁栄聖者が伝道上、最重要視されたのは、
各人が、「大ミオヤ(如来)」と直接に結び付くための「お使い」
であるとの自覚でした。

〇「一人一人に個別に寄り添う忍耐強い在り様」
現代の‘’効率性、有用性偏重”の風潮から最も縁遠い活動ゆえ。
専門性が必要とされるのは、この専門技術ゆえかと推察されます。

〇 「現世と来世」、現当二世を見通す眼力が求められること。
→ 宗派宗教の教義等に基づく「来世観」ではなく、実体験に基づく深い確信に基づくものであること。
ただし、宗派宗教に基づく、個別性、特殊性には自覚的抑制的に。


あまりにも高過ぎる理想と映った方も多いかと思われます。
確かにその通りかと思われますが、
弁栄聖者の様な“理想像を具体的に思い描いてみること”も、
大切な事かと考えます。


この『墨跡仏画集』が、
様々な連想を刺激しますので、
記事がだいぶ長くなってしまいました。

編集者の金田昭教師は、
弁栄聖者、光明主義の資料の収集等、
田中木叉上人、吉松喜久造氏をはじめ先達からの
バトンを引き継ぐ役割を果たされ続けておられるようです。

今回の大作、山崎弁栄『百回忌記念 墨跡仏画集』のご紹介を終えるにあたり、
金田師が最後に記された言葉で結ばせていただきます。

「大恩師父仏陀禅那弁栄聖者百回忌上酬慈恩」
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2016-06-12

「(子育て)呑龍上人」御出家寺「林西寺」(埼玉県越谷市平方)&御誕生地「圓福寺」(埼玉県春日部市一ノ割)

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子育て呑龍上人として知られる呑龍上人の御出家寺、
埼玉県越谷市平方にある「林西寺」

格式と歴史のあるお寺。

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「呑龍上人供養墓石」があります。

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「林西寺」を訪れたのは、
弁栄聖者を九州の久留米善導寺に招かれた、累誉(広安真随)上人の住職寺であり、
しかも、かの呑龍上人にゆかりのお寺でもあったためです。

累誉(広安真随)上人は、 第二十七世の「林西寺」住職。

此処「林西寺」住職期に、弁栄聖者との御交流があったとのこと。

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埼玉県春日部市一ノ割「圓福寺」 は、呑龍上人のお誕生地。

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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2015-11-04

『近代の念仏聖者 山崎弁栄』(佐々木有一著 春秋社)を読む(その1)

  
『近代の念仏聖者 山崎弁栄』(佐々木有一著 春秋社)

目次
序 章 信仰の皮肉と骨髄
第一章 光明主義と山崎弁栄
第二章 光明主義の七不思議
第三章 大ミオヤの発見
第四章 四大智慧の真実
第五章 無礙の恩寵
総 結 光明主義の正法・像法を期す

   20151103.jpg

本書の内容のご紹介に入る前に、
幾つか気づいた点に触れておきたいと思います。


1点目は、弁栄聖者の写真について。

通常見慣れている聖者の写真の何点かは、
最晩年の円熟された御姿の写真ですが、

カバーの写真は、大正2年(1913年)54歳
本の中の写真は、明治41年(1908年)49歳のもので、
まだ若く、しかも、正面像ではありません

弁栄聖者40歳代後半から50歳代前半の時期は、
光明主義の黎明期ともいえる時期で、
この写真が、正面像ではなく、横または斜めに視線が向いているのは、
聖者が光明主義の将来を思惟されておられるようでもあり、

著者である佐々木有一氏が、これらの写真を、意識的に選ばれたというよりも、

「わたしどもは光明主義の遠い未来から眺めて
初期光明主義の時代にあると覚悟する責任があります。
尖兵として後代への使命を背負っています。」

と「総 結 光明主義の正法・像法を期す」に、
御齢70歳代後半とは思えない気概と気骨が示されておられるように、
意図せずに、佐々木氏の無意識が選ばれたという気がしています。


2点目は、著者である佐々木有一氏の経歴についてです。

佐々木氏は、かつて経済界で活躍された元ビジネスマンである在家。
現役退職後の66歳の頃に、
弁栄聖者を信奉された数学者の岡潔博士の本を通して、
聖者とのご縁をいただかれたこと。

佐々木氏は、田中木叉上人にご縁の深い、
東京練馬の光明園の園主であり、
また「一般財団法人 光明会」上首でもあられる河波昌先生並びに、
東洋大学学長であられる竹村牧男先生の学恩を被られているとはいえ、
基本的には独学であり、
光明主義にご縁をいただかれてから、本書の出版まで、十数年足らずであり、
本書の執筆を思い立たれた頃は、まだ十年に満たない頃かと思われます。

第二章 光明主義の七不思議 に掲載の(光明体系図)は、
2010年の作成で、今から5年前、
著者には、この頃既に、光明体系の概念図が出来上がっています。

著者の篤き求道心熱き学求精神には、敬服いたします。

著者が、在家で、
光明会の歴史に詳しくないこと(光明会の内部事情から自由でありえたこと)、
更に、経済界(ビジネス)界で活躍された経歴をお持ちであること。

も、本書の成立に好条件であったようにも思われます。

本書で著者は、光明会内での暗黙の「タブー」にも果敢に挑んでおられます。


3点目は、本書の形式、文体等についてです。

本書は、「純粋な」学術書といった類の書というよりも、
著者が尊崇する弁栄聖者の「光明体系」を研究され続けている者が、
そこから得られた知見を、共に学ぼうとする者に、

「ここの箇所、こんな読み方はできませんか。
また、こんな風に読むと、こんな風に理解すると、
弁栄聖者の言わんとすることの理解が深まると思うのですが。」

と語りかけてくるような書であり、

求道者佐々木有一氏の現時点の途上での知見であり、
もちろん完成形ではなく
これからも更に、佐々木氏の理解が深まっていかれるような気配が感じられます。

また、佐々木氏は、一人でも多くの方に、
弁栄聖者の御遺稿集そのものに直接触れてほしいと祈願されており、
本書は、聖者のテキストとしても利用できるように、
聖者の本からの引用が数多くあります。

これほどまでに、「弁栄聖者の教学上における髄」を抽出された
そのご労苦と求道心、そして、菩薩行に頭が下がります。


4点目は、本の構成についてです。

本書の目次をみると、

序 章 信仰の皮肉と骨髄
第一章 光明主義と山崎弁栄
第二章 光明主義の七不思議
第三章 大ミオヤの発見
第四章 四大智慧の真実
第五章 無礙の恩寵
総 結 光明主義の正法・像法を期す

となっていますが、

第四章 四大智慧の真実 には、
実に、本書の4割強、220頁程があてられています。

この第四章は、
「弁栄聖者光明体系」の中でも難解の書としてつとに知られ、
「敬して遠ざけられる傾向」があるようにも見受けられる『無辺光』に、
果敢に挑んでおられます。

先ず、その勇気と決意に、敬服いたします。

この第四章を読まれれば、
『無辺光』の精髄を読まれたことになる、
と言っても過言ではないほどの密度の濃い内容となっています。


5点目は、佐々木氏が「日課念仏の傍ら光明主義教学の研究」をされていることについて

本書を読まれた方は、著者の論理的な理詰めさに、目を見張るかもしれませんが、
著者が、日課念仏をされていることは、決して忘れてはならないと思います。

一見理詰めな理解を支えているのは、
日課念仏による功徳「如来智慧光」による恩寵でもあると思われます。


だいぶ長くなりましたので、
本書の内容のご紹介は、次回としたいと思います。

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2014-09-15

『ミオヤの光(縮刷版全四巻)弁栄聖者御遺稿』(PDFファイル版、岐阜光明会作成)

『ミオヤの光(縮刷版全四巻)弁栄聖者御遺稿』(PDFファイル版、岐阜光明会作成)は、
「岐阜光明会」のHPの項目の一つ「ミオヤの光」に掲載されています。

『ミオヤの光 弁栄聖者御遺稿(縮刷版)第1巻』
大正8年11月(第壱巻第壱号)~大正13年11月(無碍の巻)

『ミオヤの光 弁栄聖者御遺稿(縮刷版)第2巻』
大正13年12月(十二因縁の巻)~昭和3年2月(涅槃の巻)

『ミオヤの光 弁栄聖者御遺稿(縮刷版)第3巻』
昭和3年3月(清浄光の巻)~昭和6年8月(寿経の巻)

『ミオヤの光 弁栄聖者御遺稿(縮刷版)第4巻』
昭和6年9月(大型聖歌集の巻)~昭和9年12月(不断光の巻)

「ミオヤの光 項目索引(五十音順)」

『ミオヤの光』は、『弁栄聖者光明体系』の元となったもので、
大変貴重な資料ですが、入手はほとんど不可能。

国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で、
現物の一部、『ミオヤの光 : 山崎弁栄聖人御遺文. 摂化の巻』が、ご覧になれる程度です。

岐阜光明会の『ミオヤの光』のPDFファイルの一般公開は、
「弁栄教学研究」と言う意味からも、画期的なことであり、
しかも、大変な労作、
深謝いたします。

さて、『ミオヤの光』について、若干の補足説明をいたします。

『ミオヤの光』原本は、
弁栄聖者御在世中に松戸光明会から、光明会機関誌として発行された部分で、
大正8年11月~大正9年11月迄、
縮刷版第1巻1頁~第1巻62頁に収録。

弁栄聖者御遷化の後、御遺稿集として松戸光明会から発行された部分は、
大正9年12月~大正10年4月迄、
縮刷版第1巻第63頁~第1巻95頁に収録。

その後、田中木叉上人が御遺稿集として発行された部分は、
大正10年5月~昭和9年12月迄、
縮刷版第1巻第119頁~第4巻399頁に収録。

弁栄聖者の御遺稿ではないもの(例えば松戸発行分、大谷上人関係等)も、
一部含まれています。

参考文献:
『付録 辨栄聖者御遺稿 ミオヤの光 〔縮刷版〕 = 小項目索引 = 』の、
「ミオヤの光 辨栄聖者御遺稿 (縮刷版全四巻)」の解説による。

なお、「ミオヤの光 項目索引(五十音順)」は、
『ミオヤの光(縮刷版全四巻)辨栄聖者御遺稿』が、
平成元年12月に、弁栄聖者七十回忌追恩のために復刻。
田中木叉上人の御子息である田中成氏により、
『ミオヤの光』全182冊6,984頁を、
全四巻、合計1,854頁に縮刷し、発刊
された後、
笹本戒浄上人、芦屋聖堂の杉田善孝上人を特に尊崇されるグループの若手の方々、
故横内博英氏をはじめ多くの方の尽力によるもの。


更に、裏話を付け加えますと、
ご案内のとおり、『ミオヤの光』の発行は、大正末期~昭和初期。

田中木叉上人は、
これらを元に、『弁栄聖者御遺稿集』として、本にしようと計画されていたようですが、
戦災で、焼失してしまわれたとのこと。

それを助けられたのが、
学生時代から田中木叉上人に大変お世話になっておられた、
九州福岡の吉松喜久造氏でした。
吉松氏は、手元に集めて冊子にしてあった『ミオヤの光』全編を、
木叉上人に差し上げられたそうです。

吉松喜久造氏に関しては、
謝意を表すため、いつか詳しく記事にしたいと思っていますが、
歴代光明会の方々の中でも特に著名な方で、
全国の主だった図書館等にも、弁栄聖者関連の御著書等を寄贈された方。
図書館で、「寄贈 吉松喜久造」という名前をご覧になった方もいらっしゃるかと思います。


さて、『弁栄聖者の御遺稿集』について、
若干の解説が必要かと思われます。

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』には、
弁栄聖者の御遺稿集である『弁栄聖者光明体系』に関する貴重な記述があります。

「ご遷化後、
ミオヤのひかり社にて全国よりやっと拾い集めたご文章のいく千ページは、
皆かくして、あひるのように産みっぱなしになった光るご文章
であった。」

この収集、編者が、笹本戒浄上人のご推薦による、田中木叉上人であり、
戒浄上人ともご相談のうえ、編纂されたとのこと。

つまり、弁栄聖者御在世中は、聖者御自身の著書はごく僅かであり、
弁栄聖者畢生の十二光体系の全貌」を知る者はいなかった、
ということになるかと思います。

田中木叉上人の御功績には、感謝しても感謝し尽くせません。


最後になりますが、
岐阜光明会の『ミオヤの光(縮刷版全四巻)弁栄聖者御遺稿』(PDFファイル版、岐阜光明会作成)作成及び一般公開に、
重ねて、深謝いたします。
 

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2013-10-16

10/15のツイートまとめ

syou_en

「一般財団法人 山崎弁栄記念館」ホームページ開設のお知らせhttp://t.co/uh5PTiZmqi
10-15 23:33

2013-09-28

「この教団は如来という唯一の大御親を信じ、その慈悲と智恵との心的光明を獲得し、精神的に現世を通じて永遠の光明に入るの教団なり。」(『光明会趣意書(大正3年、56歳 一枚刷頒布)』首唱者 仏陀禅那 弁栄)

「 光明会趣意書 

この教団は如来という唯一の大御親を信じ、
その慈悲と智恵との心的光明を獲得し、
精神的に現世を通じて永遠の光明に入るの教団なり。


その大御親とは宇宙唯一の霊体にて、心霊界の大日輪なり。

明治天皇の

『朝な夕な御親の神に祈るなり我が国民を守り給えと』
『目に見えぬ神のこころに通うこそ人の心の誠なりけれ』

との御製は、畏くもそのご消息と拝し奉らる。
また孔子が天道と呼び給いし、同じく唯一の大御親の別号に外ならずと信ず。

凡そ一切の人類はその大御親の分子たる仏性は具すれども、
大御親の慈悲と智恵との光明によらざれば、霊性を顕彰すること能わず。


この永遠不滅の霊活なる大御親の実在と、
その真理なることを実証し給う教祖釈迦牟尼仏は、
ことに明かにその大光明に接触するの道というべき八万四千の法を説き給えり。
この大光明を八万の方面にわたりて教え給いしは、
あたかも太陽の光は一なれども照らさるるものは無量なるがごとし。

されば吾人が仏陀の教えに信頼して信念功をなす時は、
必ず霊的光明に感触して、無明の夜あけて光明界中の人となりぬべし。
しかしてこの光明中の人となれば、
おのづから大御親の聖寵により清き心のみ子となるがゆえに、
相互に真実親愛の情をもってあい待するに至るべし。
人たるもの、この天地間に生を受け万物の霊長たり、
此光明を獲得せずして可ならんや。


かつて聞けり、世の進化の順序はたとえば人の道を歩行するに両脚の互いに運びて進むがごとしと。
人の精神の働きを内外両面に分てば、教育、政治等のすべて外部に向って働くべき方面と、
また宗教、家庭、道徳等の内部に向ってつとむべき方面とあり。

顧うに今やわが国民は外部の文明は長足の進歩をもって発達し、今日の隆盛を見るに至れり。
これよりは宗教および道徳等の方面において大いに進むべき時期到来せり。
長らく眠りおりし国民の内的霊性が、覚醒せざるべからざる暁は近けり。


宗教は人類の内的生活を高尚にし、また正善にし、
かつ幸福を感ぜしむるものなり。


ここにおいて吾人は時期相応の信仰的団体を結び、ともに教理を研究し、
また信念を修養して、互にあい提携し真理の大御親の聖意にかなう清き同胞として、
光明に裡に生活し、
現在を通じて精神的に永遠の浄界に進行するを目的とせん。


願わくはわが敬愛なる清き同胞衆生よ、吾人は相互に弟たり、兄たり、
ともにたずさえて大御親の光明の大道を進まんことを望むものなり。

ここに教団を結びその目的を達せんと欲する所以なり。

  首唱者 仏陀禅那 弁栄 

※ 参考文献:田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』


1914年(大正3年)、56歳時、弁栄聖者の「光明会」創設の宣言文。

ちなみに、来年、2014年は、
聖者が、光明主義が世に理解されると言われた
ちょうど、100年後

これ以前、明治36年には、千葉松戸に「心光教会」を創設しています。

時代的にも、弁栄聖者とキリスト教との関係は、今後の重要テーマかと思われます。
ちなみに、聖者は、あの新島襄に会われています。

さて、『光明会趣意書』ですが、

私が最も関心を惹かれる点は、
この文中には、「阿弥陀仏」なる言葉がなく、
「大御親(おおみおや)」という表現になっている点です。

「弁栄教学」を学んでいきますと、
「大ミオヤ」なる言葉の含蓄の甚深さに驚かされます。

伝統的な「阿弥陀仏」の概念を遥かに超え、
そればかりか、宗派宗教の神仏観さえ超えている
ようにさえ思われます。


弁栄聖者が三昧直観された「大ミオヤ」の真相を、

「仏身論」においては、

「大ミオヤ」「超在一神的汎神」として捉えられ、
諸仏諸菩薩の一仏ではなく、
諸仏諸菩薩をそれらたらしめる
無始無終の三身即一の根本仏と捉えておられます。

「法身、報身、応身の三身」が、「即一」、かつ、「本有無作」、「無始無終」、と。

また、「大ミオヤ」における現世からの救済を説かれるとともに、
道徳を成立せしめる、霊的人格ともいうべき「霊格の形成」という積極的側面、
更には、「智慧の開発、展開」も、説かれています。

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2013-07-14

07/13のツイートまとめ

syou_en

「山崎弁栄記念館」設立(理事長河波昌、館長若松英輔、事務局長良川画廊内岡田晋) http://t.co/VuZguIlZvV
07-13 11:44

2012-12-31

「年頭法語」(弁栄聖者より田中木叉上人が賜りたる御慈悲のたより)

 「大いなるミオヤは十劫正覚の暁より、
可愛き子を待ち詫び玉ふとは仮にちかきを示せしものゝ、
実には久遠劫の往昔より今時の今日に至るまで、
可憐き子の面の見たさまた子を思う親の心の知らせたさに
番々出世の仏たちを御使はしなされて、
苦心慇懃に子らに諭して、
ミオヤの大悲の御手に渡し玉はんとせし久遠劫来の思念がかゝり、
大悲召喚の御声に預かりし田中道士の、
至心信楽の心を注ぎて慕はしき吾が大ミオヤ
ナムアミダ仏と呼ぶ声を、
毫も遠からぬ道士の前に在ます大ミオヤ
さぞかぎりなき歓びを以て之に報答しますらんと信じられて候。

 道士よ、御名を呼べば現に聞玉ひ、
敬礼すればアナタは観そなはし玉ひ、
意に念ずれば、アナタは知り玉ひ、
こなたより憶念し奉れば、アナタは幾倍か深く憶念しくださるゝ
との導師の指導にして誤りなからば、
今現に念仏三昧を修しぬるに、
ミオヤの慈顔に接することを得られぬことゝとかくな思い玉いそ。
また今現に大慈悲の懐ろの裡に在ることをもゆめな疑ひ玉ひそ。

 此肉体に於いても分娩せられてまだ幾日の間は
母の懐に抱かれて居ながら
懐かしき母の容を見ることができぬことにて候。

 しからばいかにせば吾母の容を見ることを得るに至らんとならば、
啼く声に哺ませらるゝ乳を呑む外にはぐくまるゝみち之なきことにて候。

念々弥陀の恩寵に育まれ、声々大悲の霊養を被る。
十萬億土遥かなりと愁ふること勿れ、法眼開く処に弥陀現前す。

今宵は大晦日の夜である。
世人多くは債鬼をのがるゝに苦しみて居り、
道士は無始以来の債を除いて、
久遠劫来の親に逢ひたさに泣いている。

道士よ、今宵は無始以来迷ひじまいの大晦日にして明くれば、
本覚の無量寿にして無量光なる元旦に候へば、
萬歳を以て未だ足れりとせず、無量寿のみ名を称へて、
道士の聖なる元旦を祝し上げ候。」


(注)表記は、『こぼるるみひかり 菅野眞定上人追恩集』の巻末掲載の、
「御慈悲のたより 辨栄聖者」に拠り、
段落の形式は、読み易さを考慮し、若干変更しました。

(参考文献:弁栄聖者著『お慈悲のたより』 、田中木叉編『日本の光(弁栄上人伝)』 、
藤堂俊章編『田中木叉上人遺文集』、『こぼるるみひかり 菅野眞定上人追恩集』)

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2012-09-08

「我がみほとけの慈悲の面 朝日の方に映ろにて 照るみすがたを想ほへば 霊感極りなかりけり」(「孝明皇帝の霊夢に就いて」『弁栄聖者光明体系 不断光附仏法物語』)


芦屋の光明会本部聖堂発行版『如来光明礼拝儀』には、

「我がみほとけの慈悲の面
 朝日の方に映ろひて
 照るみすがたを想ほえば
 霊感極りなかりけり」


と、「憶念の歌」として掲載されています。

弁栄聖者のご遺稿集を読まれる時に、留意すべき点があります。

編集された本、または、版により表記が異なることがある点です。

今回引用のお歌では、「映ろにて」と「想ほへば」の二箇所です。

「想ほへば」と「想ほえば」は、特に問題はないように思いますが、
「映ろにて」と「映ろひて」は、いかがでしょうか。
私は、「映ろひて」のことだと捉えていますが、
弁栄聖者は、聖者のご生誕地(下総国)の訛りをお使いになっている箇所もあるようで、
この点、注意を要します。

と言いますのも、聖者のご遺稿集には、漢字にルビがふられていまして、
そのルビのふられ方に、聖者の思想、想いが込められていることがあるからです。
同じ言葉に聖者独特の意味が込められていることがあるのです。

常識的に、この言葉はこう読むべきだろうと思い、
聖者のご遺稿集を理解したと思い込んでいると、
とんでもない誤解をしていた、ということも時にあるのです。

さて、前置きが長くなりました。

「我がみほとけの慈悲の面
 朝日の方に映ろにて
 照るみすがたを想ほへば
 霊感極りなかりけり」


この御歌は、「孝明皇帝の霊夢に就いて」『弁栄聖者光明体系 不断光附仏法物語』の文中にあります。

続けて、

「凭(か)く心の宮殿に如来を本尊として信念する時は
 尊とく辱(かたじ)けなさを感ず。
 斯く如来と離れざる親密の因縁の宗教を中心真髄と為す。
 有(あら)ゆる霊の力は是より発動す。是が道徳の原動力である。」


と、弁栄聖者の自内証の上から、
光明主義上、弁栄教学の上からも、極めて重要な解説を加えておられます。

「真の生きた宗教には、道徳を根底から規定する働きがある」

と明言されているのです。

聖者は『宗祖の皮髄』において、
長年の念仏三昧により自ずと成就されていった、
法然上人の豊かな霊格形成を見事に説き明かされています。

田中木叉上人は、

「道徳は救いの条件にあらず、その結果なり」

『田中木叉上人御法話聴書』において、端的にご指摘されています。

この御歌の前の自内証の吐露も極めて重要ですので、引用します。

「後二十四の時に東京駒込の吉祥寺学林に於いて
卍山上人の五教章の聴講に列なりし時
田端の東覚寺に寄宿して吉祥寺に通う往復にも
口に称名を唱え意(こころ)に専ら弥陀の聖容を想ひ
専ら神(こころ)を凝しけるに
一旦蕩念(とうねん)として曠廓(こうかく)極まりなきを覚え、
其時に弥陀の霊相を感じ、慈悲の眸(まなじり)丹花の唇等、
其の霊容を想ふ時身心融液にして不思議なるを感ず、
其後は常に念に随て現ず。」


この御歌を巡る自内証の吐露のこの箇所だけを拝読しても、
弁栄聖者の御悟りの深さを直観できる気がいたしますが、
更に、笹本戒浄上人の解説が素晴らしいのです。

(参考文献:仏陀禅那弁栄聖者著『光明主義玄義(ワイド増訂版)』)

「一旦蕩念(とうねん)として曠廓(こうかく)極まりなきを覚え、
其時に弥陀の霊相を感じ、慈悲の眸(まなじり)丹花の唇等、
其の霊容を想ふ時身心融液にして不思議なるを感ず、」


この箇所は、戒浄上人によりますと、
厳密には仏眼の一歩手前、「法眼が満位」になった境涯

出世間の三昧の眼(心霊界を認識する機能)には、
「慧眼・法眼・仏眼」がある
と言われています。

私は、「慧眼」・「法眼」の順番にかつて疑問をいだいていた時期があり、
「法眼」・「慧眼」の順番の方が適切なのだと考えていたのですが、
それは誤りでした。

「大ミオヤ」による霊育過程は、過去の因縁により、
「法眼」が先に開ける者、「慧眼」が先に開ける者がいるようですが、
仏眼が開けるためには、
必ず、「慧眼」が先に満位になり、次に「法眼」が満位になるという過程を辿り、
「慧眼と法眼」が「即の状態になった境涯」が「仏眼」
である。

ということなので、「慧眼・法眼・仏眼」の順番が正しいらしいのです。

第二点目は、

「其後は常に念に随て現ず。」の箇所です。

この「心霊的自由を得る」のは、正しく「仏眼の境涯」で、

弁栄聖者は、

「仏眼は自受用にて自ら現じ自ら感ず。能感と所感と自己にあり。」

と、 「成所作智」『弁栄聖者光明体系 無辺光』において、仏眼の解説として記されています。

弁栄教学上、特に、「戒律」の捉え方としても、
極めて重要な箇所ですので、
長くなりましたが、解説いたしました。

何らかのご参考になれば、幸甚です。

2012-08-18

弁栄聖者が三身四智の仏眼により三昧直観された、大ミオヤの御姿(霊相)の真相について


前回は、「弁栄聖者が描かれた「三昧仏様(お絵像)」の特徴である、

「雲上半身」の意義について、記事にしました。

今回は、聖者が描かれた三昧仏様が「一定の御姿(定相)ではない」

ことと、光明主義の特徴である「お別時」の際の留意点について、
考察してみたいと思います。

お別時では、その場所によって、
お掛けしてある弁栄聖者が描かれた三昧仏様が異なることが多く、
自分が日頃念じている三昧仏様(念持仏)と違う場合が多いのです。

三昧仏様が、「一定の御姿(定相)ではない」こと。

この点については、疑問をいだかれる方が自然かと思われます。

この点の解明のためには、
弁栄聖者が三身四智の仏眼により三昧直観された、

「大ミオヤ(如来)の仏身論」を理解することが不可欠です。

私達には一つの定相しか持ちえないため、

「大ミオヤが「絶対的現象態」であって、
無量の定相を、一即一切の状態で持ち給い、
衆生の信念に相応した人格的相を衆生の心想中に発現する
円満な大霊力を持っていられる。

或はキリスト教的、或は回教的な人格的神の相を発現して、
衆生をそれぞれの道に従って済度して下さる。」

この三昧中に拝する本尊の差別の相は
「主観的客体である」と弁栄聖者はおっしゃった。」
(『光明主義玄義(ワイド増訂版)』光明会本部聖堂出版)


この大ミオヤの真相を想像することが容易でない事情によるものかと思われます。

したがって、
この大ミオヤの御姿(霊相)の真相から、

三昧仏様が、「一定の御姿(定相)ではない」

ことがかえって、

心霊差別現象を規定する大ミオヤの理法に適っている

ことになり、各自が定めた三昧仏様でよいことになります。


ここまでご説明すれば蛇足かと思われますが、

大ミオヤの御姿(霊相)もまた、「無相即有相」である。

と戒浄上人はご指摘されましたが、

相「無し」とは、深甚なる大ミオヤの御姿(霊相)の真相をご指摘されたもので、
従来から言われてきた、無相法身の相無の意味でない、
このことは、弁栄教学上、聖者が三昧直観された仏身論上、極めて重要だ思います。

弁栄聖者がご指導された光明主義念仏、

三昧仏(如来)様を愛慕する「憶念口称念仏」の形式

を、笹本戒浄上人が「直線道」と名付けられたのは、
この深甚なる「大ミオヤの仏身論」に基づくゆえです。

「三昧仏様(念持仏)を一定せよ」

笹本戒浄上人が特に強調された、このご指南。

そのため、芦屋聖堂系の方々はこのことを厳格に遵守されており、
お別時の際に、ご自身の携帯用の「三昧仏様(念持仏)」を持参し、
お祀りしてある三昧仏様ではなく、ご自身のその三昧仏様を念じています。

最初、その姿を見た時、違和感を覚えましたが、
『起行の用心 笹本戒浄上人全集1』などを読み、
また、お念仏するうちに、その意義が分ってきました。

ただ、未だ違和感を完全には払拭しきれずにいたのですが、
杉田善孝上人が解決して下さいました。

「お祀りしてある如来様の上に念持仏様の聖容を憶い浮かべ、
ナムアミダブ、ナムアミダブとお念仏していると、
弁栄聖者がお描き下さったどんな三昧仏様も
全部自分の念持仏様の聖容となって下さる。」


「三昧仏様を一定せよ」には、このような深意があったのです。

これは、実体験者でないと決して言い得ないご指摘だと、
深い感銘を覚え、杉田上人への信を深めた大切な一話でした。

(参考文献:『杉田善孝上人 唐沢山別時御法話 ー弁栄聖者のみ教え 第一編』)

弁栄聖者が描かれた「三昧仏様(お絵像)」の特徴について、

「聖者が描かれた「三昧仏様のお顔」は、左右が非対称に描かれている」

と杉田上人がご指摘されたことがありました。

「人間の顔は、左右非対称であるので、
そのようにお描きになっていらっしゃるのである。
左右対称だと返って人間には不自然さを感じてしまう。」


確かに、どんなに美形の男、女でも、
じっくりと観察すると、決して左右対称にはなっていないことに気づきました。

弁栄聖者畏るべし、です。

また、杉田上人は、「お慕い申し易い三昧仏様を択ぶこと」についても、

「お念仏していると、自分の憶念し易い如来様が決まるというふうにちゃんとならして頂く」

とも。

この点について、笹本戒浄上人の三昧仏様について、大変興味深い逸話があります。

弁栄聖者が戒浄上人に描かれた三昧仏様は、
大変慈悲深いお優しい感じですが、

戒浄上人が、最初、その御姿を拝された時、

「もったいないが、御口元が気に入らないな」と内心思われたそうですが、

間髪を入れず、聖者は、

「その御口元のところから有難くなります」

と言われたそうです。 能見寿作著『光明主義入門講座』

聖者が田中木叉上人に描かれた三昧仏様は、とても厳しい感じがいたします。
( 「光明園のHP」に掲載されています。右側の三昧仏様です。)

弁栄聖者は「その人に最も適した」三昧仏様を描かれましたので、
聖者御遷化後の私達は念仏をしながら、
「自分に適した」聖者が描かれた三昧仏様にお遭いするための努力が必要になります。

最後に、木叉上人のご提案を記しておきたいと思います。

「将来は、如来様に心が集中しやすいように、
光線の具合や飾り付けを研究する人が出てほしい。」
(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)


「存さざる所なき如来様が御絵像の所に、
御絵像に即して、御絵像でない生きた如来様が、
物質的御絵像に即していらっしゃる。」
(『杉田善孝上人 唐沢山別時御法話 ー弁栄聖者のみ教え 第一編』)


偶像崇拝に陥らず、正しく三昧証入するためにも、
そのための雰囲気、環境作りも、大変重要であると思われます。
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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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