2018-06-03

山崎弁栄著『人生の帰趣』(岩波文庫)についての若干の補説


弁栄聖者高弟の田中木叉上人が、
”弁栄聖人(者)一代の御勧化の趣を選び抜かれた”
『弁栄聖人(聖者)遺稿要集 人生の帰趣』

今回の山崎弁栄著『人生の帰趣(岩波文庫)』は、
河波定昌師と若松英輔氏とのご縁に依り発刊に至ったもの。

なお、河波師は、2016年(平成28年)4月3日に遷化され、
本書発刊の平成30年4月は、河波師の三回忌にあたり、

『三回忌 追想記念文集
光明園・園主 河波定昌上人のおもいで』


が、東京都練馬の光明園から発刊され、
若松氏も寄稿されています。


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凡 例
弁栄聖人略伝

【前 編】
第一章 人生の帰趣
第二章 大ミオヤ
第三章 光 明

【後 編】
第四章 安 心
第五章 念仏三昧
第六章 光明生活

和歌/感謝の歌/念仏七覚支

注 解・・・・・・(藤堂俊英)
解 説・・・・・・(若松英輔)
解 題・・・・・・(大南龍昇)
年 譜
山崎弁栄遺稿一覧
主要参考文献
人名索引


 目次等は、こちらへ


跡見花蹊(1840-1926)女史『人生の帰趣』を巡る逸話

或時、
「あんた達、田中先生から戴いた『人生の帰趣』はお読みやしたか
(跡見女史は、上方弁でした)
「いいえ忙しくてまだ拝読していません」
と申し上げますと、
「あんた達、一ぺんにたんと(沢山)読もうとするから、
いつまでもかえって読めんのや、
わたしは毎日十枚(二十ページ)読むことに決めています。

もうこれで二度くり返して、今三度目ですが
何と有難い本ですなあ」

跡見女史が亡くなられた後、御遺品の中にこの本があり、
「手のふれる所には手垢がつき紙がももけていた。」
(熊野好月女史談)


今回発刊された山崎弁栄著『人生の帰趣(岩波文庫)』は、
すんなりと読み進めることは中々容易ではないと思われます。

跡見女子のペースで、全文を読まれるのはなかなか難しいかもしれませんが、
この書と、焦らず、しばらくお付き合いするといった気持ちで、
読み進められることをお勧めいたします。

『弁栄聖人遺稿要集 人生の帰趣』の初版は、
大正十二年の発行であり、
現代人からすると特に文体、更には難解な哲学・思想、仏教用語の内容等からしても、
この書に馴染むには時間を要するように思えるからです。

この書の原書は、『弁栄聖人 遺稿要集』であったため、
弁栄聖者のお写真もあり、
総ルビがふってあり、しかも、文字も大きいのですが、
この文庫版なら、携帯できて、便利です。

この『人生の帰趣(岩波文庫)』を読み進めることが厳しいと思われる方、
あるいは、次に弁栄聖者関連の本をお探しの方には、

○ 田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』
○ 山崎弁栄講述著『宗祖の皮髄』 (通常版現代語訳版)

を、是非お勧めいたします。


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このカバー図版は、
弁栄聖者筆「両手同時運筆書」

(右)
「空海がこころのうちにさく華は
みだより外にしる人はなし」(伝弘法大師)
(左)
「あみだ仏といふより外は津の国の
なにわのこともあしかりぬべし」(法然上人)


他にも、更に口も使い、両手と口との三つ同時運筆書もあり、
米粒名号(米粒に「南無阿弥陀仏」と書かれた)」は特に知られ、
一分間に六十粒程も書かれたという逸話もあります。

弁栄聖者の衆生済度における「善巧方便」。


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 【弁栄聖者(1859年~1920年)】


それでは、
以下、項目別に、若干の補説をさせていただきます。

○ 弁栄聖人略伝

田中木叉上人による弁栄聖者略伝。この略伝の最後の文章、

「仰ぎ惟れば、内証甚深、外用広大、
平等の大悲に動く全分度生の無我の力が、
奉公報恩の無作の精進に顕れ給う師父弁栄聖人の御一生は、
大智大悲の如来光明の如実の反映に在せば、
誰か大慈悲の応現を仰がざらん。
誰か光明の摂化を信ぜざらん。」



「田中木叉先生著の御伝記『弁栄上人伝』がある。
それを読んで一番驚くことは一点の私心もないことである。
尋常一様の私心のなさではない。
人のからだの数多くの細胞が仮に一つの人体を作っているのは、
普通は私心が結び合わせているのである。
弁栄上人の御生涯を見て、
人がこうまで私心を抜いてよく生きて行けたものだと思って驚く」。

(「まえがきー無辺光と人類 岡潔」『弁栄聖者光明体系 無辺光』講談社版 )

思わず唸ってしまうほどの、
真に鋭く、正鵠を射た”弁栄聖者観”!



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若松英輔氏は、
「解 説 ー 愛と霊性の仏教哲学」において、

トマス・アクィナスと対比させ、

「彼は研究する者ではなく、
言葉にならない何かを体現する道を歩き、歩き通した。」

また、
ベルクソンの説く「動的宗教」、「真の神秘家」を、
弁栄聖者の核心と捉え、

「残された言葉は、
彼は近代日本屈指の哲学者であり思想家でもあったことを示しているが、
その一生は、
光によって導かれ、光によって用いられた一個の布教者

だったことを示している。と。

けだし、至言!

なお、「真の神秘家」とは、

「最深の神秘的人間はまた最深の行動的人間である。」
(「神秘主義の形而上学」『吉満義彦全集』第四巻)



【前 編】
○ 第一章 人生の帰趣


「人生の帰趣否人生の目的は ・・・動機から云わば
自己の奥底に伏蔵せる性能を遺憾なく発揮して
真実自我即ち霊我実現的に最善の努力する にあり。」と。

その究極は、
「成仏=無余即無住処涅槃」
にあります。
「往相・還相」の真意

「霊我実現」とは、
”通常の自己実現”即ち「自我(の幸福)実現」とは異なります。

弁栄聖者は、本書に、
「人間界は聖なるこころをやしなう学校でありますぞ」
とご教示されています。

「人間界で聖なるこころをやしなう」ために、
時に、あるいは多くの場合に、
"自分(自我)が望まない形で、それを、受けとめざるをえないことがある"
ということを意味すると思われます。

「霊我実現」とは、
聞きなれない言葉、概念かと思われますが、
ユング心理学でいう処の「自己実現」の概念が参考になるかと思われます。
もちろん、ユング心理学では、”成仏=霊(的人)格の形成”を目指しているわけではありません。

この点に関して、とても興味深い逸話があります。
鈴木大拙氏が、ユング研究所を訪ねて、
「集合的無意識(collective unconsciousness)」について、
「なぜ、 『cosmic unconsciousness』 といわないのか」とユングに言った。
すると、ユングは、
「私は科学者ですから」と、応じたという。
帰り道、大拙氏は、氏の秘書であった岡村美穂子氏に向かって言った。
” He limits himself. ”
若松英輔氏は、
「小さくまとまりおって・・・」と訳されています。
※ 参照:(若松英輔著『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』)

なお、若松英輔氏は、『群像』という月刊誌に、
「たましいを旅するひと──河合隼雄」という論考を連載中です。
興味深くかつ示唆にも富みますので、是非お勧めいたします。


○ 第二章 大ミオヤ

「誤解を恐れずにいえば、霊性という言葉を用いることによって、
ある種の衝撃を与えんとしているかのようでもある。」


と若松氏は「解説」で指摘されています。

同様の衝撃あるいは別種の意図のもと、
「大(おお)ミオヤ」という表記を、
弁栄聖者は用いられているように思われます。


1914年(大正3年)に、
「如来光明会趣意書」という一枚刷りの印刷物が公表されました。
「首唱者 仏陀禅那 弁栄」として署名がされています。

この「新しい光明主義の立教開宗文」の文中には、
「阿弥陀仏」という言葉は一切なく、
そこには、「大御親」なる表記があるのみです。


弁栄聖者は、
「大ミオヤ」を、「(一)独 尊・(二)統 摂(三)帰 趣」として、説明されています。

(一)独 尊

「超在一神的汎神教」

通仏教等で説かれる、
諸仏の中の一仏ではなく、
大宇宙全一の独尊である神(仏)。

したがって、キリスト教等で説かれる「神」、
「大日如来」、「久遠実成の仏」等も、
「大ミオヤ」の同体異名。

この「弁栄聖者の宗教観」においてこそ、
初めて「宗派宗教の枠を超えた」対話が可能となる
と思われます。


「私は経文に依って演繹的に説くのではない。
帰納的に説いておる」

(弁栄聖者の笹本戒浄上人へのご教示)

「経典に依るのでなく、
御自身の体験せられた如来様の事実から
帰納的に光明主義の教学体系を組織せられた、
という意味である。」
(笹本戒浄上人のご教示)


「御自身の体験せられた如来様の事実」とは、
「三身四智の仏眼」に依るご境界における認識。


「形而上学は形而上的体験の後に来るべきものである」
(井筒俊彦著『神秘哲学』)

この点にこそ、
弁栄教学を学ぶ”素晴らしさ”と”困難さ”があります。


弁栄聖者は、
文献学的に、”大乗非仏説”を認識されていました。

「大乗経典とは、
三昧定中における”永遠の生き通しの”大乗仏陀釈尊による、
出世間の三昧を開かれた聖方への直説法である。」

と、弁栄聖者は喝破
されました。 

極めて重要な大乗経典である、
「如来寿量品第十六」『法華経』の真精神を、
実に的確に指摘なさっているように思われます。

このことは、
「「大乗経典」とは、
歴史的文献学的のみの”教相判釈”は原理上不可能であり、
また、経文上の字義のみによる解釈では、経典の深意が読み取れない」

ということを意味します。


(二)統 摂

「統摂と帰趣ー一切知と一切能」において、
「一切知と一切能の二属性が
一切万物に対して統一摂理し生成帰趣するの性能となる」
と。

この摂理とは、法則の意味ですが、
自然界と心霊界(大宇宙一体の両面)に働いています。

この自然界の法則の発見が、科学上の発見となり、
本来宗教と矛盾するものではありません。
取り扱っている領分が異なるだけです。

「物質がよく諸法則を守って
決して違背しないのは何故であるか。
自然科学はこれに対しても一言も答えられない」(岡潔)


数学者 岡潔氏の言葉ですが、
この”真知”に思いを馳せ続けるのは、
なかなか容易でないように思われます。

また、この「一切知と一切能」は、
大宇宙の生成過程を説明しているもので、
科学が触れないことにしているもの。

”新プラトン主義”「プロティノス」を、
思い浮かべた方もおられるかと思われます。

ここでは、
参考文献を記すに留めます。
○ 山本幹夫(空外)著『哲学體系構成の二途ープロティーノス解釈試論ー』
○ 山本空外著『一者と阿弥陀』
○ 井筒俊彦著『神秘哲学』


前置きが長くなりました。

「一切衆生は 皆 これ吾が子なり」
(『法華経 譬喩品 第三』)



”大ミオヤ”表記の弁栄聖者の深意を推察いたしますと、

先ず、 【 一点目 】は、

”大ミオヤ”と「カタカナ表記」することよって、
”大ミオヤ”という表記に、多義的な含意を持たせうること。


【 二点目 】は、

”大ミオヤ”を”大御親”
と表現する(言葉にする)
ことによって、
私達の意識あるいは無意識裡に、
「仏の子(仏子)」という自覚が、必然的に芽生え
てきます。

また、そこには、”人格的呼応関係”が立ち上がってきます。


【 三点目 】は、

”大ミオヤ”は、御親であるから、
”父母の両性具有”が内包されています。

「荒城の月」の作詞家としても知られる、
土井晩翠氏には、
『雨の降る日は天気が悪い』という著作があります。
その中に、「華厳経と新井奥邃先生」という文章があります。

”新井奥邃(おうすい)”という方は、
若松英輔氏(の本)に教えていただいたのですが、
元仙台藩士で、ロシア正教のニコライ神父との出逢いでキリスト教を学び、
30年近いアメリカ留学後の帰国。
「神を父母神」と捉え、スウェーデンボルグ思想も研究。
まだ詳しく存じませんが、「世に隠れた賢者あり」というに相応しい人物。

※ 参考文献:
○ 工藤正三・コール ダニエル 共編『新井奥邃著作集 全九巻』等。
○ 若松英輔「跋文 地下水脈の巨人 新井奥邃の霊性」
(『奥邃論集成 春風社編集部編』)

○ 那須 理香
「新井奥邃の神学思想における「霊的」概念 鈴木大拙の「霊性」との対比」 


若松氏の著作により、
弁栄聖者の同時代人の思想、当時の時代精神が学べ、
弁栄教学を学ぶにあたり、大変有益な視点をいただき、
とてもありがたく思っています。

なお、土井晩翠氏に関しては、こんな逸話があります。

「土井晩翠先生は図書館で弁栄聖者の伝記を読み、
「これは自分の考えていたのと一緒だ」と信者になった。」
(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』)
と。

晩翠氏は、
笹本戒浄上人の東京本郷の郁文館中学時代の英語の教師であり、
昭和六、七年頃、光明会別時が仙台であった際に、
別時中のお寺に来られ、戒浄上人に挨拶をされたそうです。
なお、ご自身の詩集二冊を戒浄上人に寄贈される際、
「仏教の奥義を伝えたる笹本戒浄上人にこの書を呈す」と。
また、その当時の晩翠氏の日記には、
「田中木叉君のレクチャーに参じて教えを受く」
と記されているとのこと。

晩翠氏の妻、娘はクリスチャンでしたが、
晩翠氏ご自身は、念仏も唱えられていたようです。

更に興味深い逸話がありますので、記します。

昭和7年頃(8年か?)、仙台の光明会の別時に、
晩翠氏がみえられ、
晩翠氏のお嬢様がお亡くなりになる時、
「キリストの来迎に遇われた」
ことを戒浄上人に仰られた際、

「キリスト教でも一心に神様にお祈りすると、
神様に遇えます。
神道でもその通りです」


と上人は仰られたとのことです。
※ このことと関連するものとしては、
「附録 照子の思い出 母 土井八枝」
(『雨の降る日は天気が悪い』)



【 四点目 】は、

”大ミオヤ”とは、”大三親”
”生み”のミオヤ(御親)、
”育て”のミオヤ(御親)、
”教え”のミオヤ(御親)の、
”三親身”、かつ、即一。

「仏の体と相と用とは一体の三面、
本来同時同体の三方に過ぎず。」
(『弁栄聖者光明体系 無量光寿』)


ここで留意すべきは、

「仏教は哲学方面と宗教方面との両面ある学説
を有っておる
故に
客体を説明するに完全であるけれど
宗教と哲学とが混同し易い。」

「もし報身が人格的ならば
法身もまた人格的に観てこそ終始一貫すべし。」


この「三身即一の大ミオヤ」を人格的に仰ぐという点が、
光明主義の仏身観の特長の一つ。

なお、
「阿弥陀仏の本願」の真意を、

「一切の子らをして、
ミオヤの完全の如くに完(まった)からしむる法」、

と定義されています。
※ これは、『聖書』ではなく、弁栄聖者の言葉です。

また、
「ミオヤなる如来の、
衆生(子)に対する思召しは
最幸福にして而して最も高徳な、
福徳円満な身にしてやりたいと云う処にある」と。


「徳を幸福の不可欠な要素」とされているところが、
弁栄聖者の霊(的人)格論の特長です。

そのためには、
霊乳、法乳なる霊養(霊的養分)が不可欠であり、

「(霊的)お育て」が、
光明主義の特長点の一つ。


【 五点目 】は、

”大ミオヤ”との表記によって、
宗派宗教の枠を超えた、
更に云えば、「宗教」さえ超えた、
”諸々の宗教の根元たる地平”での対話の可能性が開かれる
こと。

”阿弥陀仏”という表記ですと、
仏教特に浄土教といった、特定の狭い仏身観と受け取られ易いこと。

弁栄聖者の認識においては、
「法蔵菩薩は、神話にして最高の哲理を示す」
「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」
(どちらも田中木叉上人のご教示)

ということになります。


○ 第三章 光 明

「弁栄聖者御出世の本懐は、この”十二光の開顕”にこそあった」
とさえ云い得るかと思われます。

「空拳を以ていかでか千重の鉄関を打破することを得ん。
この大鉄関を開くの妙鍵は即ち十二光名によりて其体を発悟するにありと。
古来千聖出て名を以て体を獲得すべき径路を示したまへども
いまだ之を開きて十二名を以て諦かに
如来の体・相・用を窺ふべきの真理をのこし給ひしは深意
あり、
後昆をしてこの霊名により広く深く細に微に
如来の聖徳を獲得せよとの聖意ならむ

世間文化大に発達せり。宗教のみは独り開発せざるの理あらむや。
ここに於て如来ひそかにこの愚昧なる小弟子をえらみて、
之を開くべきの宝鑰を授与し給へるなり。

故に撰ばれたる小弟子自ら不敏を顧みず
十二光によりて如来の霊徳を密かに開くの命を奉ず。
自ら感謝措くことを知らざるなり。
宇宙の真理は悉く十二光によりて示せり。」
(『弁栄聖者光明体系 お慈悲のたより 上巻』)

「十二光」をひらけば「一切経」とも云われるため、
甚深なる内容を汲み取ることは、なかなか容易なことではありません。

補足として、一点。
一見些細な点と思われるかもしれませんが、
「無対光」と「炎王光」を、
前者を積極的方面、後者を消極的方面と、
一対の両側面として定義されている点、
弁栄聖者の認識の甚深さを物語っておられるように感じます。


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【弁栄聖者(1859年~1920年)】


【後 編】
第四章 安 心


実は、この「第四章 安心」と「第五章 念仏三昧」と「第六章 光明生活」は、
相即、相関関係にあります。
一部重複した内容になっているのもそのためです。

更に云えば、
前篇の「第一章 人生の帰趣」、「第二章 大ミオヤ」、「第三章 光明」も、
後編とも、また各々の章の内容とも相互に関連し合っており、
本来は、独立して単独に論じることが出来ない内容のものです。

(1)仰信 (2)解信 (3)証信とは、
(1)仰信→(2)解信→(3)証信との直線的に進むものではなく、
相互円環的関係にあり、
信仰を誘導する要は、(1)仰信にあるとさえ思われます。

”大ミオヤ”の真相を徹底的に知り尽くすことは出来ず、
「無知の知」の自覚こそ「仰信」の本質
と思われるからです。

「人として意識は必要なれども、
超人間界上の事には寧ろ碍(さわり)をする。」


「第五章 念仏三昧」の文中に、
「霊界の消息は理性を以て窺うことを許さず。」と。


「安心」における肝は、
解脱の要あると共に解脱の能あり。」
この一見相異なる両者を、いかに深く信じられるかにあると思われます。

そのことは、
上述した意味での”大ミオヤ(御親)”として、いかに深く信じられるかということと、
相即関係にあります。

「宗教の中心真髄は感情なり。」

として、この「安心」の項目に、
弁栄聖者は「信」⇔「愛」の相互連環を説かれています。

「彼は実に美なり愛なり。
彼等が霊性はこれを愛慕して益々高遠に導かる。
彼は最も遠きに在て而も最も邇(ちか)くして、
常に我等を向上せしむ。
彼を葵心(きしん)し愛慕するは
奥底の霊性より衝動する力なり。
霊性が如来を愛するは
同性相吸引する自然の勢力(ちから)なり。
他人より「彼を忘るる勿れ」と命ぜられて初めて動く力に非ず。
自分忘れんと欲するも能わざる霊的の衝動なり。
それが如来を葵傾して慕わしさ恋しさの禁じ難き情なり。」


弁栄聖者の面目躍如!

中村元博士は、
「献身的に実践につとめた仏教家」としての、
弁栄聖者の特異性、特徴点
について、

「かれのいう愛とは慈悲の現代的表現なのである。
「信」を強調する日本の浄土教の中から、
「信」に併立するものとして「慈悲」を強調する
かれのような宗教家の出たことは、驚くべきことである。」
(中村元著『慈悲』)


弁栄聖者には、
”霊的エロス”ともいうべき雰囲気、香りが漂っている
ように感じられます。
他の高僧方には滅多に感じられない類いのものです。

「丁度うすくぼかされた玉子の黄味が、
ほんのりとした白味のなかにういているような」
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

と、弁栄聖者の在り様を、
木叉上人は、絶妙に描写、神筆されています。

”うつくしき方”「”大ミオヤの使者”弁栄聖者」

「人としての品格の美しさ」、
「理想的な人間像」、「憧れ」を抱かせながらも、
どこか、とても「懐かしく」、「親(慕)わしい」
・・・

どのような世の中であっても、
どのような境涯であろうとも、
「理想」、「憧れ」は、人間形成上不可欠だと思います。


○ 第五章 念仏三昧

「他仏を念じて自仏を作る」(弁栄聖者)
弁栄聖者の宗教観は、この一言に尽きます。

「起行の用心」
この点を特に強調し、修行論の要とした
ことが、
光明主義の特長点の一つ。

「三身即一の”大ミオヤ”」とは、
「広義の報身」、
即ち、「大宇宙全体の絶対中心としての超在一神的汎神」。

本より独立自存する大宇宙全一の絶対的現象態で、
自然界と心霊界全体の根本仏。」

この仏身論から必然的に導き出されたのが「起行の用心」
という点こそが、
極めて重要な、要中の要、核心中の核心になります。

次の「第六章 光明生活」中の文章になりますが、

「真実に宇宙間唯一無二の霊的人格現に対しては
我らは愛念せざるを得ぬ。
宇宙全体の大霊より表現したる人格表現なれば
その所現の身の大小に拘らず絶対の表現なり。
この霊的表現の弥陀より外に絶対的に帰命信愛するものなし。」
と。

ここで、次の様な疑問が生じるかもしれません。

「仏教徒が、その瞑想的ヴィジョンにおいて、
キリストやマドンナをみないのはなぜだろう、
とカッバーラー学の権威ゲルショム・ショーレムが問うている。
・・・そういえば、逆に、キリスト教徒の瞑想意識の中に、
真言マンダラの諸尊、如来や菩薩の姿が
絶えて現れてくることがないのはなぜだろう、
と問うこともできよう。」

(井筒俊彦著『意識と本質』)

その応えは、
「成所作智」(弁栄聖者著『無辺光』)に記されています。

「霊験の種々なる方面」においてうかがえるように、
”悟り、神仏の認識面においては、浅深がある”
という差別(しゃべつ)面があるという観点も、
忘れてはならない重要な点であると思われます。

弁栄聖者ほど悟りが深く、
その深い悟りの実体験の内容を、言語化できる方は稀有かと思いますが、
三昧入神という点に関しては、
近代においては、ラーマクリシュナの存在を、
念頭に浮べる方もおられるかもしれません。

今回改めて、
若松英輔著『岡倉天心『茶の本』を読む(岩波現代文庫)』を再読して、
大変に興味深く、示唆に富み、有益な本であることを再認識しました。

岡倉天心氏と柳宗悦氏は、
美の霊性」を生きたという観点。

「真、善」ではなく、
「美」からの観点が、とても示唆的でした。

ちなみに、弁栄聖者の仏身論の特長点の一つが、
「絶対理性(りしょう)と絶対感性(かんせい)を同位同体」と捉え、
通仏教の認識、即ち、
「感性が絶対理性に従属、規定されている」
とする仏身観を転換させた点
にあります。

浄土とは、如来四大智慧が顕現し「真善美が一体」。

「第三章 岡倉天心と東洋思想
一 霊性の宇宙ー岡倉天心と山崎弁栄」


ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、
内村鑑三氏、鈴木大拙氏、井筒俊彦氏の論考もとても刺激的。

美術芸術方面に関心のある方には、
岐阜県長良川画廊併設の、
若松英輔館長「山崎弁栄記念館」があります。


「茶」に関して思い出したのですが、

本書の出版に関わられた河波(定)昌師に、
『真 茶 -茶道における人間形成-』
という茶道に関するエッセー風の本があります。

こちらも、今回、再読しました。

藤吉慈海氏にも、この書が捧げられていますが、
藤吉氏とは、「禅浄双修」を提唱された、
西田幾多郎門下の久松真一氏の弟子。

河波師は、田中木叉上人の弟子筋にあたる方ですが、
河波師は、『般舟三昧経』に基づく、
「真正面に如来様存します」という「起行の用心」で、
終始一貫念仏され、
「禅の起源は念仏にあり」との不動の信念をお持ちでした。

弁栄聖者にあっては、自内証上、実地体験済みの事実でした。


河波師の本の特長としては、
「知的好奇心が刺激され、知的教養面からも得るものが多く、
かつ、信仰上にも益することが多い」

という、教養と霊養にも益する珍しい類の本が多いように思われます。

この書は、比較的薄く、茶を巡るエッセー風の読みやすい本ではありますが、
「河波師の学識と念仏体験の深さ」がひしひしと伝わってくる好著で、
念仏における「起行の用心」にも益する本でもあります。

この本の「六 茶道とキリスト教ー西欧キリスト教修道院における体験からー」

は、茶道の所作を見た修道僧達が、
「あなたの行じている所作は、実にミサそのものだ」
と口々に叫んだといいます。

その体験から、利休とキリシタンとの関係に考察が進んでいきます。

「起行の用心」に関しては、
「点化」(P・ナトルプ)について触れています。

この書に興味のある方は、
河波定昌師が前園主であった、光明園で入手できるかもしれません。

「起行の用心」の観点からも、
非常に有益な秀逸論文
と思われるのが、

「第一章 ニコラウス・クザーヌスの神秘主義
ーVisio Dei の諸相をめぐる比較思想論的論究ー」

(河波昌著『東西宗教哲学論攷』)


ところで、
岡倉天心氏とも交友の深かったタゴールについては、
弁栄聖者のこんな逸話があります。

大谷仙界上人と佐々木為興上人が聖者に随行中のこと、
「上人様、貴方は今此の世界で胸襟を披いて会いたい人がございますか」
と仙界上人がお尋ねになると、聖者は、
「そうね、会って話してみたいと思うのはタゴールだけだね」と。
それで、為興上人が、
「タゴールのどこが特長あるのですか」
と問われると、
「タゴールはすべてを人格的に見ている。あれがよい。」
と、聖者は言われた。

※ タゴールは、1861年~1941年
 弁栄聖者は、1859年~1920年
 この会話は、1918~1920年頃のこと。  
 ちなみに、岡倉天心は、1863~1913年。

弁栄聖者の着眼点の一端が、うかがえる逸話です。

なお、横山大観氏が、弁栄聖者の指導を受けられた
との噂も一部にあるようですが、
その真相は、現時点では確認できておりません。


※ 「啓示」の諸相に関心のある方には、
○ 『無辺光』
○ 『清浄光・歓喜光・智慧光・不断光』
○ 『啓示の恩寵』(「智慧光 巻下(開示悟入)」)
○ 柴武三著「開示悟入」(光明会 近畿支部 佐野氏再刊)
○ 井筒俊彦著『イスラーム哲学の原像』
をお勧めします。


第六章 光明生活

九州の波多野諦道上人は、大谷仙界上人に、

「不断光の権化たる」弁栄聖者のご随行への
慰労と激励のお手紙を出されています。
(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)

弁栄聖者の修行内容、行状をご覧になり、
「自力、聖道門的だ」と思われる方も多いかと思われます。

哲学者の西田幾多郎氏は、
遺稿となった「場所的論理と宗教的世界観」の中で、

「真の絶対的受動からは、
真の絶対的能動が出て来なければならない。」

と記しています。 

田中木叉上人によりますと、
弁栄聖者はご在世中、
「他力」ということを、ほとんど言われなかった
そうです。

「人仏牟尼は一向(ひたすら)に 本仏弥陀を憶念し
本仏弥陀の霊徳は 牟尼の身意に顕現す
入我我入は神秘にて 三密正に冥合し
甚深不思議の感応は 是れ斯教の秘奥なり」

※ 「斯教」とは、真言密教ではなく、光明主義

と、弁栄聖者は、「仏々相念の讃」に詠われています。

また、
『如来光明礼拝儀』には、

「教主世尊が六根常に清らかに
光顔(みかお)永(とこ)しなへに麗はしく在ししは
内霊応に充給ひければなり」
と。

なお、
この「内霊応に充(みち)」とは、
「三身四智の仏眼における自受用三昧」の境界。

つまり、
「仏陀禅那」、即ち、 「不離仏 値遇仏」。

この『礼拝儀』の要中の要、核心中の核心である
「如来光明 歎徳章」
の一節がある「『無量寿経』は、
教祖釈尊が大宗教家として宗教の真面目を顕示されし
経典である。」


と弁栄聖者は喝破され、大変重視されました。


「光明生活」とは、
「念仏三昧」、つまり、
「三身即一の”大ミオヤ”」即ち「広義の報身」
を離れては、原理的に不可能
です。

したがって、
「光明生活」にも浅深、段階があり、
”大ミオヤ”による霊化の程度に相関します。

弁栄聖者は、実地体験上の事実から、
「念仏三十七道品」を説かれました。

詳しくは、『難思光・無称光・超日月光』をお読みください。

「弁栄聖者は、
”分かったようで(分かって)、分からん”
という説かれ方をされている。
これは、達人ならではの文章です。」


といった趣旨を、杉田善孝上人がご教示されたことがありました。


霊育(修行)過程は、大筋の経過過程は規定されていますが、
実際上は、種々の因縁等により、各人区々
でもあるからでもあり、
また、各人が各々に実地体験して証する道程でもあるからです。


弁栄聖者の念仏観の精髄は、
「如来光明摂化主義」
つまり、消極的な「救我(くが)の念仏」を内包した、
積極的に”如来の霊育を被り、無限向上を目指す”
「度我(どが)の念仏」
です。

弁栄聖者は、
本章の「心霊生活の衣食住」において、
「心霊の衣食住は如来と共に在る事を得れば自ら具備して居る」と。

「霊にも営養分が要用である。」とされ、

「仏法の味を愛楽し禅三昧を食とす」。

若松英輔著『イエス伝』において、
カトリックのミサ(「パン」と「葡萄酒」を食す)の秘義を語られています。


「聖意の現れを祈る」
弁栄聖者の「光明生活」の真意。

何故なら、
「人生の帰趣」
即ち、大宇宙の究極目的が、
一切衆生の「成仏=無余即無住処涅槃」にこそあるからです。

往相・還相。

「念仏にいさみある人は無辺のさとりを開くべき人なり」(法然上人)

「明恵上人が、弁栄聖者にお逢いしていたら」
との想いが募ります。


○ 和歌

「月をみて月に心のすむときは月こそおのがすがたなるらめ」
「あみだ仏(ぶ)をおもふ心のますかゞみかぎりなきまで照りわたるかな」
「ふところの中とも知らで眠り子は生死の夢にうなされにける」
「白露をとめおく夜には女郎花(おみなえし)ひとしほ色の添ひまさるらむ」
「奥ふかき心にのみと思ひしに庭の花さへさとりひらきつ」
「あみだぶにとはにてらさるこゝろにはわれていふものゝ影もとゞめず」


「新古今が好きで
古今集、新古今集の思想的構造の意味論的研究を
専門にやろうと思ったことさえある」。

とは、井筒俊彦氏の発言であり、

「和歌における思想的構造の意味論的研究、
この分野は、今にちも未だ黎明期である。」

と若松氏は、解説されています。

なお、山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』は、
現代においても画期的な”法然上人観”です。
弁栄聖者の自内証の上から、
法然上人の御歌十歌をもとに、
法然上人の皮と髄を説こうとされたものですが、
この講話は、七歌の解釈で終わっています。

この書に現れた”法然上人観”ですら、
あと三歌の解釈が残されています。
此の点にも留意すべきかと思わます。

『日本的霊性』の鈴木大拙氏、
その精神を継承した井筒俊彦氏の両氏が、
弁栄聖者と出逢われていれば
と惜しまれます。


○ 感謝の歌

感謝と懺悔は相即すると思います。
懺悔と自己反省とは、本来、似て非なるもので、
懺悔は、光(光明)に照らされて初めて実感されるもので、
したがって、感謝と懺悔とは、光(光明)内での一対の両面真情


○ 「念仏七覚支」

念仏三昧の体験上にける、大ミオヤによる霊育過程(段階)
また、そこには悟り(霊的認識上、霊的働き)の浅深あり。

悟り、あるいは、霊的認識のそれぞれの境界に通達・精通し、
ここまで言語化した者は、人類史上、稀有なことだと思われます。

なお、「定覚支」が初歩の仏眼の境界で、
「仏眼が得られたら、まずほっとしてよい。」
と弁栄聖者は言われました。

「初歩の仏眼」とは、
慧眼と法眼が一致融合した「自受用」の境界
「慢の根」が絶たれ、「信不退」、「行不退」となるため。
また、感覚面に於ける「心霊的自由」を相当程度得た境界


ただし、「尽(すべ)ての障礙(さわり)が除かれる」とは、
「一切の身意が仏化=如来化される」ことですが、
厳密には、「成仏の境界=三身四智の仏眼、
しかも、認識的一切智の境界」において
とのこと。

(ここで留意すべきは、
この仏化には身(体)も含まれている点です。
この身(体)には、”意識の要”でもある大脳等の霊化も含まれています。)


○ 注 解・・・・・・(藤堂俊英)

悟られた方は、その時代に発達した文化に即して、説かれるようですので、
現代から見ると学説的に疑義が生じることがあるかもしれません。
また、
聖者の三昧認識直観は、三身四智による仏眼のご境界からのものではありますが、
説かれたものは、方便説と真実説が混在しています。

このことは、弁栄聖者の御遺稿を拝読する場合に留意すべきことであります。

更に、聖者は、通仏教の言葉を使いながら
全く違う意味を付与されていることがあります。

例えば、特に「報身(ほうしん)」、「四大智慧」、「無余即無住処涅槃」、「開示悟入」などは、
聖者独自の解釈。


○ 解 説・・・・・・(若松英輔)

「もう一点、霊性の一語をめぐって記憶してよいのは、
それが鈴木大拙の『日本的霊性』(一九四四)が登場する
はるか以前に弁栄によって、
体系だった思想のなかで用いられていた事実である。」


霊性論を巡って参考になる文献としては、
○ 若松英輔著『霊性の哲学』
○ 若松英輔著『岡倉天心『茶の本』を読む(岩波現代文庫)』
○ 若松英輔著『内村鑑三 悲しみの使徒』
○ 安藤礼二氏の論考、「大拙(第一回~第八回)」『群像』
ただし、安藤氏の論考は、何故か、「山崎弁栄」には一切触れていません。

また、「弁栄聖者とキリスト教との関係について」の若松氏の指摘。

田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』によりますと、
弁栄聖者は、新島襄氏と京都で会見し、会話を交わされ、
「キリスト教が年少者を教化されている意義を高く評価
されています。
弁栄聖者は、1859年~1920年
新島襄氏は、1843年~1890年
ですので、聖者が30歳頃までには、二人は会っていることになります。

「五種正行」は、
弁栄聖者の解釈では、「心霊を養う糧」と捉えており、
「信心喚起の為ばかりで無く心霊を養う糧となれば
終身捨る事は出来ぬ。
否自ら好んで止(とどまる)ることは出来ぬ様になる。」
と。

例えば、「読誦正行」は、
若松英輔氏が、
(両人は、「聖人」ではなかったが「聖者」であった”神秘家”)、
”神なき神秘家”(ヴァレリー)
小林秀雄氏と井筒俊彦氏等から継承された、
「読む秘儀」にも関わることでもあります。
※ ”神秘家”とは、
釈尊、イエス・キリストや法然上人、弁栄聖者のような「聖人」ばかりとは限りません。
若松氏の関心の中心は現在、
むしろ我々の内にも発掘し磨き得る「聖者」にあるように思われます。

なお、
五種正行には、
先ず初めに「礼拝正行」を置き、
自己の傲慢等を挫き霊感を祈り、
最後に、「讃嘆供養正行」。

「あみだ仏(ぶ)とたふたきかたをおもほえばおもふこゝぞいやたふとけれ」
(弁栄聖者)

○ 解 題・・・・・・(大南龍昇)

『人生の帰趣』は、柴武三氏の記憶によりますと、
「弁栄聖者がご生前に頼んでいた原稿があることを、
柴氏が聖者からお聞きし、そのことを田中木叉上人にお伝えし、
木叉上人がその印刷所を発見され、出版となった経緯がある」
のことです。

『弥陀教義』と『(三相)五徳論』については、
前者の『弥陀教義』は、
恒村夏山氏発行の雑誌に聖者が原稿を書かれていたもので、
四大智慧の「平等性智」で絶筆。
聖者三十三回忌の記念に刊行されました。
 
後者は、
聖者が、鈴木憲栄上人に、
自作の「(三相)五徳論」の清書を頼まれていたもの
があったとのこと。

弁栄聖者は、最晩年、
柴武三氏に、「”四大智慧”のまとまった本を書きたい」と漏らされ、
鈴木憲栄上人には、自作の「(三相)五徳論」の清書を依頼。

弁栄聖者の最晩年の御境界、真意を推察する上で、
この二つの逸話は、とても重要
であると思われます。

なお、大南師は、
「山崎弁栄は、・・・浄土宗門人としての生涯を送った。」
と記され、そのように弁栄聖者を捉えている方もおられますが、
この捉え方には、更なる検証が必要かと思われます。


○ 年 譜

「弁栄聖者は来たるべき太平洋文化時代にさきがけて
太平洋に面する千葉県に縁起されたのだ」
(田中木叉上人)



○ 山崎弁栄遺稿一覧

『弁栄聖者御遺稿集』「十二光体系」が揃っているのは、
兵庫県芦屋の「聖堂本部」。
書籍は、こちら。
PDFは、こちら。
聖者関連の書物の一部が、販売されているのは、
「一般財団法人 光明会」


○ 主要参考文献
特に、下記の書等。
○ 田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』
○ 山本空外編『弁栄上人書簡集』
○ 仏陀禅那弁栄聖者著『光明主義玄義(ワイド増訂版)』 (書籍版PDF版)
○ 「光明主義の特長 杉田善孝上人」
○ 『笹本戒浄上人全集』等
○ 『光明主義注解』

○ 『田中木叉上人遺文集』
○ 『 田中木叉上人 御法話聴書』(冨川茂筆記/重住茂筆記)
○ 河波定昌師の各種書籍等
○ 山本空外上人の書籍等
○ 佐々木有一著『念仏の聖者 山崎弁栄』

最後に、触れておきたいことがあります。

弁栄聖者の御遺稿集及び弁栄聖者の情報等が、
インターネット、書籍等を通して入手しやすくなったこと
は、
真に喜ばしいことです。

一方、
その情報へのアクセス性の良さ、その迅速性と、
「弁栄教学」の理解のスピードとその深度が正比例するか
といえば、

身読には、「時熟」が、
更に云えば、「霊育、お導き」が、
どうしても不可欠であるようにも思えます。


したがいまして、
この度発行された山崎弁栄著『人生の帰趣(岩波文庫)』のような古典とは、
長期的な時間感覚をもって
弁栄聖者の文章、そこに潜む聖者の声に触れていただければ
と願っております。

長々とした拙文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
ほんのさわり程度の補説ですが、
多少なりともご参考になる点があれば、幸いです。

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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2018-04-21

山崎弁栄著『人生の帰趣』(岩波文庫)の刊行!


山崎弁栄著『人生の帰趣』(岩波文庫)が、
この度、刊行されました。

201804211

201804212

201804213

凡 例
弁栄聖人略伝

【前 編】
第一章 人生の帰趣
第二章 大ミオヤ
第三章 光 明

【後 編】
第四章 安 心
第五章 念仏三昧
第六章 光明生活

和歌/感謝の歌/念仏七覚支

注 解・・・・・・(藤堂俊英)
解 説・・・・・・(若松英輔)
解 題・・・・・・(大南龍昇)
年 譜
山崎弁栄遺稿一覧
主要参考文献
人名索引

目次等は、こちらへ


今回は、この書の内容等には深入りせず、
この書との縁に依り、
弁栄聖者、光明主義に興味を持たれた方へ、
御参考として、以下のとおり、ご案内をさせていただきたく思います。

○田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』

○弁栄聖者講述『宗祖の皮髄』
弁栄聖者最晩年の法然上人観。
「批評とは、図らずも、評者の境涯を露呈する。」
そのことをまざまざと語る奇書
弁栄聖者でなければ語り得ぬ、最晩年の法然上人のご境涯。
「註記」は、今回出版書の註解者の藤堂俊英、
「『宗祖の皮髄』の成立」を藤堂恭俊、
「草稿史料探訪及び初版本写真紹介」を江島孝導、
「弁栄聖者のご光跡」を荻野円戒の各師が担当。


○法然上人の神髄 (現代語訳「山崎弁栄講述 ──『宗祖の皮髄』」)。

○「弁栄上人伝」(岡潔著『一葉舟』 (角川ソフィア文庫) )

○「まえがきー無辺光と人類 岡潔」(弁栄聖者光明体系『無辺光』講談社版)

○「弁栄聖者(」紀野一義『名僧列伝 四』)

○『弁栄聖者 御遺稿集』

○「浄土仏教の思想 (第14巻) 清沢満之・山崎弁栄」
脇本 平也 (著), 河波 昌 (著)


○河波定昌著『如来さまのおつかいー弁栄上人の生涯と光明主義』

○「河波定昌」師の講演録

○「光明主義の特徴(杉田善孝上人)」

○『辨榮聖者光明主義注解』
辨榮聖者光明主義注解刊行委員会編  光明会本部教学部, 2002.2


弁栄聖者→笹本戒浄上人→泉虎一氏による光明主義の註解書。
弁栄聖者の御遺稿集には、聖者の皮髄が説かれています。
どれも聖者の御意思によるものですが、
この書は、かなり読みずらく、難解でもありますが、

「通仏教とは異なる”弁栄教学”」を知ることができますが、
「口伝書」とのこと。
今後の「比較宗教学的研究等」がまたれます。

○佐々木有一著「近代の念仏聖者 山崎弁栄」
佐々木氏は、今回の『人生の帰趣』の校正等に関わられた方。
この書によって、弁栄聖者の光明主義の特徴点、
特に難解な「無辺光」の特徴点の概要が掴めると思われます。

○「光の顕現 山崎弁栄の霊性」(若松英輔著『霊性の哲学』)


○「山崎弁栄記念館」(館長 若松英輔氏)
岐阜県岐阜市の「長良川画廊」(岡田晋氏)の1階。
『山崎弁栄展図録』

○山崎弁栄「人生の帰趣」を読む。
6回連続講演第4回。(講師、若松英輔(批評家))

○「空外記念館」


○「一般財団法人 光明会」

○「宗教法人 光明園」
初代園主は、田中木叉上人、
二代目は、河波定昌師、三代目の現園主は、大南龍昇師。


○「光明会本部聖堂」
杉田善孝上人主管

○「岐阜光明会」のホームページ

○「観智院」
東京芝増上寺近く、
弁栄聖者との縁が深い「真生同盟」。
「光明会」とは別団体。


○「為先会」
今回の『人生の帰趣』出版に際し、資料の提供者である、
金田師は、浄土宗の僧侶で、
「念仏会」を定期的に主催されている「為先会」の中心人物の一人。
また、「山崎弁栄上人百回忌」に向けて、
精力的に聖者の資料収集をされている方。


○山本空外著『弁栄聖者の人格と宗教』

○山本空外編『弁栄上人書簡集』
空外上人による、弁栄聖者の文献学的、学術的研究書


○藤堂恭俊著『弁栄聖者』

○藤本浄彦「光明摂化論1 その生成論と摂取論-善導・法然・聖光から近代浄土仏教者へ-」
平成29年6月13日から3日間、
山口県大島郡周防大島町東屋代の浄土宗西蓮寺で開催の、
一般財団法人光明会主催の教学研修会の聴講記録。

○中村眞人「山崎弁栄の光明主義と伝統的仏教の現代的展開
ー宗教社会学的観点からー」

(東京女子大学紀要「論集」第68巻第1号、2017年、P1〜26)


○「山崎弁栄文庫」(「ひたち屋書店」)
「山崎弁栄文庫」の運営者は、
今回の『人生の帰趣』の校正事務担当者の一人、志村氏。
弁栄聖者の顕彰、広報等に務められている方。

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2018-04-09

大阪府茨木市東福井「如来光明会」創始者”熊野好月”女史と”弁栄聖者”


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阪急バス「福井宮の前」停留所下車8分。
茨木ICからは車で約5分。

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大阪府茨木市東福井にある、
「浄土宗 如来光明寺」。

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如来光明寺沿革
明治、大正の時代に活躍された浄土宗の高僧、
山崎辨栄聖者(1859~1920;佛陀禅那辨栄と號す)
の主唱された『光明主義』の念仏道場として、
熊野好月大禅尼(1896~1975
;東京跡見女学校・京都第二高等女学校教官
山口県古熊善生寺内室)の発願のもと、
辻田忠兵衛居士(1892~1978;旧春日村村長)の土地の寄進、
久保利夫農学博士(1869~2002;国立奈良女子大学教授・日本菊花協会会長)等の協力を得て、
昭和39年3月16日、吹田市山田の地に在家信者による、
宗教法人『如来光明会』が設立されました。

昭和43年、吹田の地が万博用地として買収されたため、
茨木市福井の当地に移転。
昭和50年法人設立十周年記念として現在の本堂が再建された。
平成6年、眞崎善照師(浄土宗教師)が代表役員に就任し、霊園『光明聖苑』を開設。
平成27年、3月18日、浄土宗に帰属し、『如来光明寺』と成りました。
辨栄聖者筆『親縁の図』『二十五菩薩来迎図』等を所蔵。

以上、「浄土宗 如来光明寺」HPより転載。

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藤本浄本上人の筆。

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向かって左から、

辻田忠兵衛居士
山崎辨栄聖者
熊野好月尼
久保利夫農学博士


の墓石。

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↑ 【弁栄聖者のお墓】

弁栄聖者を「現代の釈尊」と仰がれておられた、
中川弘道上人とのご縁によって、
好月女史は、弁栄聖者にお逢いできました。

弁栄聖者五十回忌の際に結成された全国婦人部。

弁栄聖者は、
信仰教育上におけるご婦人の役割を大変重要視されていたようです。

その初代会長が、好月女史。
二代目が、足利千枝女史。

また、好月女史は、
岡潔博士の妻、みち氏のよき相談相手でもあったようです。

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弁栄聖者の最晩年に随行された熊野好月女史には、
幾つかの著作がありますが、
聖者の御教化の在り方、聖者の御霊格
をうかがい知るのに欠かすことのできない貴重な逸話が記されています。

示唆に富む逸話を幾つかご紹介したいと思います。

○ 「「南無阿弥陀仏」と申す言葉は
あまりに世人に嘲けりの感や縁起の悪いもののように思い込まれておりまして
非常に伝導のさわりになります。
同じ言葉で新時代に適した、
かわった唱え方をお考えになったらいかが
と思います」と申しますと、
お上人様はお笑いになってやがて
「やはり南無阿弥陀仏ですね」と只一言仰せられました。」

○ 「其日々の事を夜かへりみて、懺悔すべし。
しかし、三昧に入る念仏の時には、そんな事は考えず
只如来のお相好(すがた)、御面影を思うべし、
煩悩が起これば只如来様と相談すべし」


○ 「栗のいがでも初めは実を育てるために必要なもので
中の実が熟して来ればひとりでにのぞかれる。
私達も中身が熟せぬうちは煩悩も必要なのである。
稚ない子供が危ない刃物などを持って遊んでいる時、
あぶないと無理に取り上げようとすると
かえって渡すまいとにぎりこむから尚危ない、
他のよいものを示すと持っていたものは自然に捨てて
新しいよいものを手に取るように、
大ミオヤの御育てによってよりよいものを見つけ、戴く、
煩悩の必要がなくなって来る事が大切である。」


○ 「芽ばえたばかりの杉の苗は、
一朝にして天を摩する大木とはならない。
それをはやくのばそうとあせって引きぬくような事をしてはいけない」


○  「自分は如来様という月を指さす指である、
世の人は兎角、指に心をうばわれて肝心の月を見ようとしない」
とお釈迦様もなげいておられる


○ 「救われた嬉しさに伝道者を無暗に有難かって、
肝心の大ミオヤ様をおろそかにする人は必ず失望する時がくる」と。


○ 「世間の人は水の上を歩いたとか、
お酒にかえたとか、手にふれて病気をなおしたとか、
こういう事を大へんな奇蹟として驚く
それは大した事ではない、
それよりも悪の心を善心に立かえらせる。
これ程大きな奇蹟は外にない。」

と常々仰っていらっしゃいました。

○ 「お上人様を特別のお方、不思議なお方と見られておるようでした。
又実際、常人のなし得ない事も何でもないもののように仕てしまわれます。
時々は両手に筆をもち同時に異なった歌を書かれたり、
お米ひと粒に般若心経一巻を書かれたり、

それは人を驚かせる為でなく、
如来様のお慈悲を知らせたさに、
口でいうだけではよりつかないので
何とかしてとのやるせない心から方便としてお用いになった。」

と、好月女史は、『さえらぬ光に遇いて』に記されています。


「宗教家は奇蹟を現わさなくてはつまりません。
釈尊のお弟子でも多くの人が釈尊の教理に服して入道したのではなく、
釈尊の奇蹟に驚嘆してお弟子になっております」。

また「予言ができるとか、病気がなおるとか、
そんな奇蹟がなんの価値がありましょう。
凡夫が仏になる。
これほど大きい奇蹟がまたとありましょう」。


と、 田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』に、
併記されています。
この併記に、木叉上人の慧眼を感じます。

弁栄聖者の奇蹟に対する、この両面からの捉え方は、
実に的確かつ重要なご指摘だと思われます。


熊野好月女史が、弁栄聖者にご随行の汽車の中でのこと。

「歳は八十位の老爺。
眼が見えぬらしく、ただれつぶれ、
手の甲など鶏の脚のような色で見るも気味の悪い汚いなり。」

弁栄上人をはじめ私達が色々と世話をしていると、
乗客の一人がソッと女史に、

「あの人は梅毒の第三期で伝染するから気をつけなさい」とささやいた。

好月女史は、気が気ではなく、そのことを告げても、
弁栄上人は尚平気で何くれとなく世話をやいておられた。

その世話をやいてくれたことに対する謝意を込めて、
その老爺は、懐から餡パンを取出して、
その汚い手でわしづかみしたパンを弁栄上人と私達に差し上げた。

((注)時期は、大正時代のこと、
弁栄聖者には当時の医学的知識もおありになったようですが、
感染経路等について現在のように解明なされておらず、
ペニシリン普及前のこと。)

その老爺の側に座っておられた上人は、
相変わらず何の屈託もなさそうに小さいいびきをかいて寝ておられたが、

私は、そのパンの処理に、ほとほと困り果て、
とうとう、蟻や魚の餌食になって呉れるように念じつつ、
洗面所の窓から、投げてしまった。

明け方近くになって、

例の老爺も起き、懐から紙袋の口を開いて例のパンを取出して食べ始めた時、

それをご覧になっていた弁栄上人は、
どこにしまっておられたのか、
昨夜貰ったパンをいとも敏速にそっと彼の懐にある紙袋の中に入れられた。

もちろん、眼の見えぬ彼は何も知らずパンをムシャムシャと食べていた。

そのさりげない所作を見られていた好月女史は、
中井常次郎氏から、あなたも早くと厳しく急かされ、
自分の行為を大変恥じ、後悔の念で、涙ぐんでいたところ、
お上人はあたたかな慈顔にえみをうかべて御覧になって只、

「時機を待つのですね。」
と、一と言やわらかに仰っしゃいました。

後年、好月女史は、この時のことを回想され、

「パンはおじいさんの心もきずつけず、袋にかえったのが一番生きるのです。
お上人様はふれる事もふれるものも大事も些事も、
丁度水が流れるように任運無作に事をさばかれ、
そのものは自由に生かされ、いのちを吹きこまれ、
何一つの無駄もありません。

事毎にねばりつき考えぬいた挙句が人をきずつけ物を殺し勝ちであります」と。


↓ 【熊野好月尼のお墓】

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← 【辻田忠兵衛居士の墓】
→ 【久保利夫農学博士の墓】



↓ 周囲は、のどかな田園風景が広がっています。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

2018-03-21

愛媛県松山市「浄福寺」における「弁栄聖者」の御教示&「学信上人」&「ロシア兵墓地」


愛媛県松山市の「浄福寺」、 「大林寺」の大嶋玄瑞上人と、
垣本都夫人と笹本戒浄上人関連記事を記しました。

まだ補足しておきたいことがありますので、
今回は、それらを記しておきたいと思います。


【浄福寺】

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この浄福寺での弁栄聖者の鈴木憲栄上人へのご教示は、
大変貴重なものですので、
それらを含めて是非記しておきたいと思います。

以下、
鈴木憲栄上人著『ミオヤとのめぐり会い』に依ります。

○ある時、突然聖者が、鈴木憲栄青年へ、

「如来様は、あの太陽よりも明るいですね。」

「如来様のお頭の紺青(みどり)の美わしいのを拝すると、
お敬いの心が起こりますねえ。
眉間の白毫相、月のお眉、すずしいお目を拝すると、
清らかな心持ちとなります。
み鼻、そして、燃ゆるようなお唇を拝しますと、
身も心も溶けてゆくようです。
おからだには美しい文(あや)があってそれが透徹っています。」

※ 「聖きみくに」には、
「烏瑟(うしつ)の綠(みどり)は天(そら)にこい」と記されていますが、
「こい」は聖者の方言で、「こえ」の方がよろしいのでしょうね。
聖きみくにを突きぬけた、如来様の無見頂相のこと。」
(これは、杉田善孝上人の貴重なご教示。)

このことと関連したものとして、
冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』には、
次の2点が記されています。

◇「「烏瑟(うしつ)」とは、如来様の御頭の髪である。これが天よりも高い。」
◇「如来様の本当のお姿は、釈尊のように成仏しないと拝めない。
池に映った月が霊応身であり、それに対して本当のお姿を真身という。」


○「如来様のお顔の丈だけでも一丈ばかりありましょうかね」

恍惚として聖者のお話を伺っていた憲栄青年の心に、

「聖者が今仰せられている、如来様のみすがたというのは、
幻のようにおみえになっておられるのではなかろうか。」
との疑念がふと起こった時、間髪を入れず、

「幻覚ではありませんよ。
この世のすがたがみえておって、そこに、如来様が拝めているならば、
それは幻覚といえないこともないでしょう。
しかし、如来様が拝めている時は、
この世界のすがたが見えていない」


と、突然、聖者は仰せられました。

田中木叉上人は、

「乱れざる一心凝りて
感性も理性も眠り 光る霊性」

と、『じひの華つみうた』に、詠っておられます。

○憲栄青年は、聖者に随行され、
「三昧状態」と「三昧発得」とを明確に区別すべきと気づかれ、
「三昧発得」とは、
一時的な、瞬間的な「三昧状態」のことではなく、
常時不断、自由自在な境地のことである、と。

これは、非常に重要な指摘だと思われます。

○「今になって思いますと、
如来様を拝まなければ(見仏すること)ならぬということはありません。
たとえ見仏することが出来なくとも、
如来様のお慈悲が喜べて、有難く念仏することが出来ればよろしい」

と、弁栄聖者が突然、憲栄青年に仰られた。

聖者ご指導の元、一生懸命念仏に励んでいても、なかなか見仏できず、
劣等意識を持ち始めていた時のこと、
憲栄青年は、この聖者のお話はとてもありがたく、
救われたような気持ちになられたそうです。

一方、
聖者は身近の者には、
常に「見仏を所期とせよ」
と仰られていたそうです。

弁栄聖者の最晩年に随行された鈴木憲栄上人は、
弁栄聖者の想い出として、
晩年に、両方を併記されています。

この点に、留意すべきかと思われます。


【田中木叉上人・弁栄聖者・笹本戒浄上人のお墓】

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以前は、松山市の他の箇所にあったようですが、
こちらに移されたようです。

また、戒浄上人を尊崇され、同上人とも因縁の深かった垣本都夫人の分骨は、
戒浄上人のお墓に埋葬されたとのこと。


【長建寺】

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佐々木為興上人のご自坊、
広島県二廿市市の「潮音寺」には、
学信上人のお墓がありましたが、
ここ「長建寺」で、学信上人のお墓に出会い、
何か、学信上人との不思議なご縁を感じました。

また、同市「大林寺」の第十四代住職は、
伊予奇談伝説の「墓で生まれた学信和尚」。

【十五世 学信上人のお墓】

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【ロシア兵墓地】

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ロシア兵捕虜は、松山では概ね厚遇であったようです。

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弁栄聖者の御晩年には、
日露戦争などもありましたが、
聖者は、浄土宗内の組織的な関わりを始め、
政治的な事柄からは、生涯に渡り、距離を置かれていたように思われます。

「宗教と政治、組織との関わり」は、永遠の課題
と云い得るほどの難題の一つではありますが、
浄土宗内では、
椎尾弁匡上人の社会運動「共生運動」が起こりました。

ある時、信者の方が、
「弁栄上人のような御方こそ、政治家になっていただきたい。」
と懇願された際に、

「私は、もっと大きな仕事をしていますから。」
とお応えになっておられます。

弁栄聖者のご真意を推し量ることは困難ですが、

「念仏三昧に依り「大ミオヤの四大智慧」を蒙り、
「三身四智の仏眼を体得」してこそ、初めて、
政治の根幹をなす「八正道」を実行することが、可能となる。」


との弁栄聖者の御信念であったとご拝察いたします。

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2018-02-13

「念仏の択法は主義上の重大問題ですから、壁に向かって一人言云ってでも、曲げてはなりません。」(笹本戒浄上人の垣本都夫人へのご教示)


前回記事にしましたが、
笹本戒浄上人のご薫陶を受けられた垣本都夫人。

戒浄上人と垣本夫人に関わる逸話において、
主義上欠かすことのできない極めて重要なエピソードがあります。

以下、『笹本戒浄上人伝』によります。

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【笹本戒浄上人(64歳) 昭和12年3月 松山大林寺】

垣本夫人が某教授と「念仏択法」について議論となり、
随分と苦労されていた折、
昭和12年、笹本戒浄上人御来松時、
無問自説に、

「念仏の択法は主義上の重大問題ですから、
幾ら迫害を受けましても、又誰も聞いてくれる者がありませんでも、
壁に向かって一人言云ってでも、主義上の大切な問題
です。
曲げてはなりません。
若し此の点を妥協するなら雑草の如き宗教の数多き中に
光明主義として態々説き出す必要はありません。」
と厳然として仰せられました。

戒浄上人の堅固な護法精神を象徴する逸話です。

また、
(橋本徳冏氏)
 「浄土宗内では、まだ光明主義は異安心であるとか、
見仏は異安心だ、などという人もありますが・・・」

(戒浄上人)
 「そのようでございますな。
しかし、それは卑怯というものです。
浄土宗はすべからず法廷を開くべきです。
そのとき私は法廷に立ちます。
その結果、光明主義・見仏がいけないというなら、
あなた方こそ法然上人の真精神を壊すものだ、
あなた方こそ浄土宗を出ていらっしゃい、と申します。」

と、断固お答えになった。

弁栄聖者の直弟子の中で、
「念仏の択法」すなわち「起行の用心」について、
笹本戒浄上人ほどこの点を強調されたお方はなかったと思われます。


戒浄上人ご遷化の7年程前の、
昭和5年1月に、
宗乗の統一を計る前に協議をとの意図で、
浄土宗務所主催の「布教要義研究会」(「信仰会議」)が開催されました。
会議の詳細について明らかにはされなかったようです。

主だった出席者を記します(敬称略)と、
桑門秀我、望月信亨、矢吹慶輝、岩井智海、渡辺海旭、
笹本戒浄、藤本浄本、熊野宗純、土屋観道、
椎尾弁匡。


出席者からみても、
浄土宗務局からの「光明主義」、「真生主義」と「共生会」の検証、
といった意味合いが濃厚であったようで、
「昭和の大原談義」とも評されていたようです。

この会議について、
「宗務当局はよいことを言ってくれた。」
と戒浄上人は言われたそうですが、
また同時に、
「ひょっとすると今回私は
お寺から出て行かなければならなくなるかもしれません」

と慶運寺総代宅へ行かれ、ご挨拶をされたそうです。


『教学週報』掲載の会議の「申合せ事項」のうち、

「宗乗闡明の根本精神としては宗祖を中心とし
教化の基準を一枚起請文に置くこと」


との項目があり、そのことについて、
戒浄上人は、大谷仙界上人宛の書簡で、

「この申合せ事項」の内に、公表せざる申合せがあり、
それは、
「布教の基準を一枚起請文となすこと、
但しその説明は自由たるべき事
との但し書があったとのことです。

この但し書は、
光明会側での同志討ちを避け、
光明会側の意志の統一をはかられた
とのことです。
(註 当時光明会内では、藤本浄本上人の”安心往生派”
笹本戒浄上人の”見仏成仏派”との軋轢があったようです。)

なお、
主務所側の渡辺海旭博士の対応について、
「大変度量の大きい方だ」と戒浄上人はほめれておられたようです。

また、望月信亨博士は、
「笹本先生は悟りにおいて当代の第一人者だ」
と側近の教え子に洩らされた。(岸覚勇氏談)

ただし、
これにて一件落着といったはずはなく、

後に、
岩井智海大僧正は、ご在任中、
光明会総監であった笹本戒浄上人に、
「質ねたい儀があるから祖山にくるように」との呼び出しがあり、
その時、浄土宗全書第十巻(第二祖鎮西上人の著作所収)を持参され、
その典拠を指摘しながら光明主義の説明をされた。
その時特に何も申されず、そのまま対面は終わったとのこと。

かくて、
浄土宗当局の光明主義に対する態度は明確にされないまま、
現在に至っている
ようです。

以上、 「信仰会議について」『笹本戒浄上人伝』より。


「見仏」を巡る批判、議論は、
弁栄聖者の御在世中、御遷化後も、
浄土宗内は云うに及ばず光明会内でも、
現在に至っても統一されていない最大の懸案事項かと思われます。

「念仏の択法は主義上の重大問題ですから、
幾ら迫害を受けましても、又誰も聞いてくれる者がありませんでも、
壁に向かって一人言云ってでも、主義上の大切な問題
です。
曲げてはなりません。」

”偏狭な堅い信念”とも受け取られかねない、この笹本戒浄上人の堅い信念
この妥協を許さぬ信念はどこから来るのか、その由来を考えてみる必要があるかと思われます。

それは、弁栄聖者がご唱導された見仏観は、
「三身四智の仏眼」を体得され、
それを歴史上、外部に漏らされた聖者のご内証による、
大宇宙の真相、すなわち、超在一神的汎神に基づく仏身観に依るものであったことに由来すると推察されます。

すなわち、
弁栄聖者の修道論である見仏論は、
仏身論から必然的に導かれたものである故に、
笹本戒浄上人は、その真精神を「直線道」と名づけらたと推察されます。

ただし、ここで留意すべき点があり、
「直線道」とは、主として修道論におけるものであり、
「度生論」におけるものでは必ずしもない。
この区別は峻別すべきであると思われます。

また、
この両面が自然に行え得るのは、
三身四智の仏眼を体得された弁栄聖者のような、
「大ミオヤのお世継ぎ」の境界においてである点です。


弁栄聖者が三昧直観された、
大宇宙の真相、すなわち、超在一神的汎神たる仏身観とは、
通仏教の無始無終の無相「法身」に規定された、
相対的な有始無終の「報身」ではなく、
「報身」無始無終であり、
大宇宙全一の絶対的現象態(妙身相好身本より在します)
三身即一の本有無作(無始無終)の内的目的論的報身を「大ミオヤ」
如来観を定義し直しされました。

なお、笹本戒浄上人に依りますと、
この仏身観は、三身四智の仏眼の境界において、
初めて認識可能となる大宇宙の真相
であるとのことです。

弁栄聖者独自の「見仏論」ご首唱の真意
笹本戒浄上人の「直線道」の深意は、
上述の光明主義独自の仏身論解釈、理解を経て、
初めて認識可能となるものと思われます。

また、修道論上、極めて重要なことは、
大宇宙全一の絶対無規定、絶対的現象態たる「報身」が、
大宇宙の絶対中心であるという点です。

この中心とは、場所的、重心的な中心という意味ではなく、
機能的中心という意味であり、
修道論上は、各自の「真正面」となります。

河波昌(定)東洋大学名誉教授、元光明会上首、元光明園園主は、
西田幾多郎博士の思想を引用され、

「無限円においては、至る処が中心である。」

という認識を大変気に入られたようで、ご法話、論文等にもよく引用されました。

なお、この言葉は、
中世のフランシスコ会修道士のボナヴェントゥラのもの。


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【田中木叉(モクシャ)上人(1884年~1974年)】

最後に、
弁栄聖者三十三回忌(昭和27 1952年)における、
田中木叉上人のご法話の抜粋(大意)を記します。

「光明主義は、聖浄二門を納め統一したみ教えであって
浄土宗の内に光明主義があるのではなく、
光明主義の内に、
浄土宗あり、真宗あり、禅宗あり、真言宗あり、
またキリスト教あり、マホメット教がある。

従ってバイブルによって光明主義を説くこともできれば、
真宗の教えによって光明主義を説くことできる。

弁栄聖者は実に破邪顕正ではなく、破邪なき顕正であった。
一切のものにそれではいけないこれが正しい、
というように破邪をおやりにならず、
常に一切を生かされた。
一宗を建てられた方々は、たいてい法難に会っておられるが、
聖者は法難にお会いにならなかった。
法難にも会わないようなものは、本物ではないが、
また、法難に会うようではまだ円満とはいえない。
聖者は実に円満具足のお方で、
破邪なき顕正で在したればこそ、
法難等にもお会いにならなかった
のである。

光明主義は、万教を摂し統一したみ教えであり、
万教に通ずるみ教えであるから、
一切あるがままにおいて
その教えに従って光明主義の教えを説くことができるのである。

またこれらの意味において
浄土宗その他の宗団に所属しない光明主義の教会及び
これらを包括する包括団体ができよう
し、
またこれができたとしても、別の分派ができたと思って驚いてはいけない。
また、対立してはならない。
同じように円満に手をつないでゆかねばならないのである。」

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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