fc2ブログ

2024-02-12

弁栄聖者関連書籍のご紹介(2024年1月末)


2023(令和5)年も、弁栄聖者(光明主義)関連書籍が発刊されました。
入手した情報に基づき、直近に出版されたものから順に、
ごく簡単ではございますが、ご紹介させていただきます。
ご参考になれば幸いです。


20240126-1.jpeg

○『見佛 ―起源と展開― 大南龍昇仏教学論集』
(大南龍昇著, 大南龍昇先生仏教学論集刊行会編集、2023年11月29日発行)
(購入先は、「Amazon」または「光明会」

現代の学術論文集の書名に「見佛」という文言が入っていることに驚きを覚えましたが、
著者が、弁栄聖者とご因縁があり、
「三昧経典」の研究者であり、
しかも、(これが極めて重要と思われますが)念仏の実践者であることを知り、腑に落ちました。

本書の主な構成は、
第一部 念仏・観仏・見仏
第二部 修道論
第三部 近現代の修道論
解説

となっています。

本書に関する学術的な論評に関しては、
善導大師の研究者でもある柴田泰山師の本書解説をお読みください。
解説の中で、柴田師は、次世代における「大乗非仏説」の再検討について指摘されています。
大乗仏教徒にとって、極めて重要な課題だと思われます。

法然上人と弁栄聖者との関係について、
現代の浄土宗乗関連の論文としては、
主として藤本淨彦上人の論文が中心でしたが、
ここに、浄土宗乗の枠には収まり切らない論文集が刊行されたことに謝意を表わしたいと思います。

弁栄聖者の直弟子、笹本戒浄上人は、
「弁栄上人は、宗乗学者としても超一流に在します。」
また、「弁栄上人の読書は、眼光紙背に徹しておられた。」
と讃嘆されています。
本書を読み、初めて、その意味がよく分かった、
と述懐された光明会の古参の方もおられたとのこと。

本書刊行会の事務局・編集統括者の志村念覚師は、筆者の弟子の一人。
本書が、学術論文集としては、比較的安価という印象があり、
本書に込めれた、著者と志村師の熱情を感じます。

志村師の編集後記に、
著者と弁栄聖者との浅からぬ不思議な因縁が読み取れますが、
本書の巻頭文「私の「仏教学と仏道」」に、
弁栄聖者の直弟子、在家の中井常次郎著『乳房のひととせ』に寄せて、
著者ご自身が直接述懐されています。
その文中に、
「咲子夫人は聖者遷化の際、
原酒造四代目原吉郎氏の令室原とみ夫人ととも来迎見仏されたと、
現在の極楽寺の住職籠島浩惠上人の寺庭籠島明子夫人が祖母の咲子夫人から直接伝え聞いたという。」
とありますが、若干補足いたします。
弁栄聖者が新潟県柏崎の極楽寺でご遷化された時、
「二体の菩薩の来迎を感得された際に、妙なる音楽とよい香りがした。」
とのことです。
ただし、不思議な事に、そこには阿弥陀様はおられなかったとのことです。
この点に関しては、光明会のHPに、簡単な記載がありますので、ご覧になってください。

晩年に初歩の仏眼が開かれていたと云われる咲子夫人は、
弁栄聖者ご遷化の後に、
お浄土での弁栄聖者のお姿について有縁の方に問われた際に、
「三昧仏」様を指された、との伝聞があります。
如来様のお世継、即ち、「無余即無住処涅槃」の如来無対光の境位に在しましたわけです。

本書では、学術論文で通常使用される「山崎弁栄」、あるいは、「上人」表記だけではなく、
「弁栄聖者」表記が散見されます。
この点も、本書の特色であると思われます。

本書「祝辞文」を寄せられた一人に、批評家の若松英輔氏の名がありますが、
故河波定昌上人との因縁なしには考えられないと思われます。
本書の著者は、光明園三代目園主を務められました。
光明園初代園主、田中木叉上人の後継者として長年光明園園主を務められた、
故河波定昌上人も、本書の出版を大変喜ばれていると思われます。


20240126-2.jpeg

○『徹照 ー木叉上人の教えと言葉ー 田中木叉上人五十回忌記念文集』
(2022年12月12日発行)
(購入先は、「Amazon」または「光明会」
なお、光明園の「書籍のご紹介」には、まだ掲載されていないようですが、
こちらでも販売していると思われます。

以下、Amazonより転載。

『徹照 ー木叉上人の教えと言葉ー』は、
光明主義を主唱した山崎弁栄の高弟である田中木叉上人の五十回忌を記念して木叉上人の著作を集めた文集です。
【内容】
第一部 蘇る息吹
 第一章 光明へのすすみ
 第二章 田中木叉上人講話
第二部 後世に残せしもの
 第一章 弁栄聖者の面影
 第二章 木叉上人の御教え
第三部 苦しみ多きわれらがために
 第一章 木叉上人の御言葉(ご法話聴書)
 第二章 木叉上人の御歌


田中木叉上人は、弁栄聖者のご伝記、ご遺稿集等を編纂された方ですが、
木叉上人をご存知ない方も、
「木叉上人の御言葉(ご法話聴書)」や「木叉上人の御歌」にふれていただければ、
木叉上人のご境界を直観されるかと思われます。
念仏三昧体験無しには決して説き得ないご法話等のオンパレード集です!
しかも、平易な言葉使いによって。
珠玉の言葉があまりに多く、
特にこれと言って、特定の言葉を挙げることは到底できませんが、
例えば、以下のご法話等。

・「「法蔵菩薩について
批判的学問では、否定する。
浄土宗乗では、肯定する。
光明主義では、必然的事実として認める。」
・「「法蔵菩薩とは応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」
・「報身の「報」とは、「報いる」のことではなく、「こたえる(応答)」のこと。
これ弁栄聖者の卓見である。」
・「乱れざる一心凝りて感性も 理性も眠り光る霊性」

なお、本書は、光明園 宗議員会議委員 花輪智之氏が中心となって編纂されたとのことですが、
「あとがき(編集後記)」に、
木叉上人の高弟、光明園二代園主の河波上人が晩年、
「光明主義の一枚起請文」として推奨された、
『すべてを大ミオヤにお任せ申し上げて常に大ミオヤを念じ、・・・』
(「弁栄聖者のお慈悲のたより」)

笹本戒浄上人のご解説が引用されています。
お念仏を称える際の心持ち、お念仏による心境の変化過程等が、
分かりやすい言葉で、段階的、具体的に、
しかも、念仏三昧体験者でなけれな説き得ない奥深い内容が説かれています。

最後に、木叉上人のお歌を引用いたします。

「石窟(がんだら)に一生さゝげ野に朽ちて
仏きざむにわが名刻まず」



20240126-3.jpeg

○『杦田善孝上人選集 第一巻』
(2022年11月発行、杦田善孝上人選集刊行委員会)
(購入先は、「Amazon」「方丈堂出版」「紀伊國屋書店」等)

第一章 光明会
第二章 光明会本部聖堂
第三章 『光明』巻頭言
第四章 『光明』編集後記

(注)今回の選集においては、杉田の「杉」が「杦」と表記。

光明主義、光明会の歴史を知るためには、光明会本部聖堂の存在抜きには考えられません。
ところが、そのアクセスがこれまで困難であった印象があります。
杉田善孝上人のご著書としては、初出版かと思われますが、
本書によって、その道が開かれた思いがし、本書刊行に謝意を表わします。

弁栄教学は難解な点があり、
そのアプローチは多岐に渡り、
・浄土宗乗的アプローチ、
・弁栄聖者のご遺稿等研究によるアプローチ、
・直弟子方による説法等を通じるアプローチ、
・比較思想的なアプローチ、
等々があると思われますが、
光明会本部聖堂は、
弁栄聖者直弟子の笹本戒浄上人のご教示を聖者の真髄として重視し、
特に、念仏における「起行の用心」を最重要視。
その方針のためか、光明会の歴史上、内部的軋轢も生じてきた様です。
仮にそのことを批判するとしても、
そのための大前提として、
その主張を聞こうとする態度、
その主旨を理解しようとする態度、
会話をしようとする姿勢が不可欠だと思われます。

光明主義の理解、今後の継承のためにも、
本書が必読の書となると思われます。

硬質かつ高質、難解な内容が含まれている本ですが、
ご一読をお勧めいたします。


20230126-4.jpeg

○笹本戒浄上人 礼拝儀講話 抄』
(2023年7月26発行、相模原如来光明会編)

弁栄聖者直弟子の笹本戒浄上人による、
光明主義聖典「如来光明礼拝儀」解説のご講話を中心に編集されたもの。

戒浄上人の直弟子、杉田善孝上人は、
「達人は分かり易い言葉で、深い真理を解き得る。」
といった趣旨を感慨深げによく口にされていた様です。

本書は、正にその典型かと思われます。

更に、本書には、《付録その二》として、
「認識的一切智と観念的一切智」などの、
戒浄上人の弁栄聖者直受の奥義内容の解説も掲載されているのも、
現時点での本書出版の意義があると思われます。

携帯用にも便利な、光明主義必読書の一冊。


20230126-6.jpeg

○「The story about Bennei Shōnin」
(2023.4.8 sagamihara nyorai kōumyō society)
絵本『弁栄様のおはなし』の英語版

20230126-5.jpeg

○絵本『弁栄様のおはなし』の上装版
(2023年4月8日発行、相模原如来光明会編)

なお、上記三冊の本は、現在ネット販売はしていないようですが、
光明主義、弁栄聖者関連の書籍販売等をされている、
「ミオヤのひかり社」に問い合わせいただくと、
何らかの手がかりが得られるかもしれません。
ご参考まで。
スポンサーサイト



2023-10-12

弁栄聖者と縁の、小黒法蔵(鹿蔵)と山口玄洞両居士


20231007-2.jpeg

光明念佛 小黒法蔵(鹿蔵)居士(1888 -1967)

現在光明会にご縁のある方でも、
小黒(おぐろ)法蔵(鹿蔵)居士をご存じの方は、少ないかもしれません。
弁栄聖者からのご依頼により、
伝統ある唐沢山別時の世話人を長年務められた方。

下記は、金田昭教師による、詳細な調査等に基づく、記念すべき画期的な弁栄聖者の遺墨集。
小黒居士に関する記載がある数少ない貴重な資料。(373頁参照)

『百回忌記念墨跡仏画集 山崎弁栄』
Amazon、または、一般財団法人 光明会で購入可)

20231007-3.jpeg


20231007-1.jpeg

徳川家と縁の深い、文京区小石川にある傳通院

浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山。
聖冏上人は、五重相伝の確立者。
なお、聖冏教学に関しては、関連書籍が極めて少なく、
その中にあって、
【63号】2019年(平成31)3月31日、聖冏上人六百年遠忌特集号は、貴重な文献。

傳通院は、江戸期の十八檀林の上席でもありました。

明治期を代表する傑僧、福田行誡上人とも縁の深いお寺。
なお、行誡上人は、いち早く、青年期の弁栄聖者の非凡性を見抜かれたお方。
行誡上人と弁栄聖者との浅からぬご縁に関しても、
『百回忌記念墨跡仏画集 山崎弁栄』
Amazon、または、一般財団法人 光明会で購入可)
に記載(特に、20頁、301頁)があり、
おそらく、浄土宗関係に精通された方におかれても、
文献学的にも大変貴重な資料だと思われます。


20231007-5.jpeg

【傳通院歴代上人のお墓】


小黒氏のお墓は、歴代上人墓所入口の手前を入った先にあります。

20231007-6.jpeg

写真では、陽射しの関係で、
「法蔵」の「蔵」の文字が、陰に入って隠されてわかりませんね。

お墓の建立は、昭和十三年四月八日となっています。
小黒氏が逝去されたのは昭和四十二年ですので、
年代的には違和感を覚えますが、
墓標にその謎を解く鍵がありそうです。

20231007-4.jpeg

墓標中央には、大慈父 佛陀禅那辨榮聖人
右には、善導佛 笹本戒淨上人
左には、地藏佛 山口玄洞居士

大慈父、善導佛、地藏佛と刻まれており、
小黒氏の御三方に込められた想いに、合掌。

御三方の御遷化が、
弁栄聖者は、大正九年十二月四日、
笹本戒浄上人は、昭和十二年七月二十六日、
山口玄洞居士は、昭和十二年一月九日
と刻まれています。

おそらく、昭和十三年四月八日建立とは、
戒浄上人と玄洞居士が遷化された翌年に追恩、
四月八日は、釈尊の御生誕日、
との想いからの建立と推察されます。

小黒氏に関して、是非記しておきたい逸話があります。
杉田善孝上人のご法話の取意となります。

小黒居士が、出世間の三昧である慧眼、法眼の初歩と、
世間の三昧である天眼も開けており、
歓喜の内に念仏精進をされていた頃のこと。

ある時、念仏三昧中に、
「雨が降りぬかるみの中、
泥まみれになって、喜々として遊んでいる赤子。
その赤子のオムツはきたなく汚れていました。
その赤子を見た時、それは自分だと気付かれました。」

小黒居士は、如来様の尊いお示しを感じ、
深く懺悔されたとのことです。

光明主義では、一往の三昧発得を七覚支の定覚支
より厳密には、念覚支としています。
親様の霊化により、法眼、慧眼が段々とお育て頂く、
七覚支の喜覚支、軽安覚支の境界では、
退転の怖れなきに非ず
、とされています。
その最大の障碍は、慢心
「仏眼を得れば、ひとまずほっとしてよい。」
とは、弁栄聖者のご教示。
定覚支において、初歩の仏眼(自受用の境界)が開かれ、
増上慢の慢の根を取って頂ける。
それゆえ、定覚支を不退転位とされています。
ただし、「ひとまず」には留意が必要で、
仏眼においても親様の霊育により
初歩の仏眼から、釈尊が実現しておられた認識的一切智まで、
極まりなく深まっていくとされています。

なお、小黒居士は、号を「法蔵」とされておりました。
そこには、居士の願が込められていたと推察されます。
浄土教における願といえば、法蔵菩薩の四十八願ですが、
弁栄教学的では、「法蔵菩薩は、方便法身たる応身仏」とされています。
「「法蔵菩薩は応身」とお説きになったのは、弁栄聖者だけである。」
(冨川茂筆記『田中木叉上人御法話聴書』141頁)
とは、田中木叉上人のご教示。

「法蔵」との号は、
親様のお世継ぎである「如来無対光裡の諸仏」、
その分身利物極み無き境界への願であったと推察されます。

また、『百回忌記念墨跡仏画集 山崎弁栄』 の292頁には、
大正9年11月15日長岡市で撮られた写真が掲載されていますが、
この写真が、弁栄聖者ご生前の最後の写真と伝えられています。
小黒居士も写っていますが、雰囲気に違和感を覚えます、特に、眼が。
如来様を観見中であったとの伝聞もあります。


○【山口玄洞居士】は、
広島県尾道出身で、大阪で財を成した著名な財界人で、
「大正・昭和初期の寄付王」としてご存じの方もおられると思いますが、
弁栄聖者とのご縁によって、
念仏三昧に精進されたお方であった事をご存じの方は少ないかもしれません。

玄洞居士は、宗教的信条から、
「由緒正しい寺であること」
「景勝の地にあること」
「住職の人品が優れていること」
等を条件として、寄付をされたとのことです。

玄洞居士は、念仏精進中に「修羅の世界の業」に大変悩まされた事があったそうです。
ある時期、睡眠薬を常時されていたことがあったようですが、
そのことと関係しているのかもしれません。
しかし、ついに、念仏三昧精進の功徳により、慧眼法眼も開かれたとのことです。
玄洞居士の寄付行為は、
売名行為、節税対策などではもちろん決してなく、
慈善事業でさえなかったのではないかと推察されます。
想像を絶する多額の寄付は、
その業が浄化された報恩、感謝の念の表れだったのかもしれません。

山口玄洞居士が、ある時、
光明会に多額の寄付の申し出をされた際、
「光明会は、今はその時ではない。
(分不相応の多額の寄付は)障りとなる。」
と、
当時、全国光明会初代総監であった笹本戒浄上人が、きっぱりと断られました。
光明会関係者の中には、その辞退を惜しむ声もあった様ですが、
玄洞居士は、とても驚くとともに、大変感銘を受けられたそうです。

山口玄洞居士による「光明会ゆかり」の寺院等の寄付先は、
・京都知恩院
・京都百万遍智恩寺
・京都黒谷公安院
・京都古知谷阿弥陀寺
・京都光明会
・富山県伏木光明会

京都古知谷別時は、
残念ながら、現在は光明会の別時が絶えてしまっていますが、
山口玄洞居士が積極的に開催されていたとのこと。

玄洞居士とのご縁により、同じく念仏三昧に精進された方に、
【藤井善助居士】がおられます。
関西で著名な政財界人で、浄土真宗東本願寺の総代を務めておられたとのことです。
関西地域の著名な財界人等が多数出席するお祝いの会の席で、
今までに出会った事のない「神々しい相好で、歓喜に満ち溢れている」姿が目にとまり、
その方、山口玄洞居士に話しかけられた事が、光明主義とのご縁。
善助居士は、光明会の財団法人認可のためにご尽力された御方。
藤井善助氏といえば、京都の有鄰館が有名ですが、
伝記には、有鄰館前での光明会別時念仏会の記念写真の他、
藤本浄本、佐々木為興、中川察道各上人方はじめ、
恒村、中井氏と思しき記念写真も掲載されています。

寄付、布施に関連して弁栄聖者の逸話をご紹介します。
ご主人が亡くなってから、何故か不幸が続く家がありました。
何人もの拝み屋さんに頼んでも、一向に不幸がおさまらず、
悩みに悩み、ご住職に相談されたところ、弁栄聖者を紹介されました。
多額な財を成していたにも関わらず、寄付なるものを渋る家でありました。
弁栄聖者は、財を成した因果の道理を、
如来法身のお恵みから始め、
自分以外のものからのお陰によってもいること、
如来様による浄化(霊化)の道理を順々と説かれ、
公共の為に、「分相応の寄付」する様に促されました。
その事があって、徐々に不幸がおさまっていったとのことです。

ただし、
ここで留意していただきたい点は、
弁栄聖者が、光明会への直接の布施、寄付を強要されていない点と、
「分相応」という点
です。

布施波羅蜜は、我執からの解放に深意があると思われます。

なお、
山口玄洞居士及び藤井善助居士の参考文献は、
国立国会図書館のデジタルコレクション、ネットで閲覧可能ですので、是非ご活用ください。

【山口玄洞居士関係】(一部)
○『山口玄八十年史』
○『仰景帖』
○『稱禪院略傳』
「山口玄洞の軌跡をたどる」(岡村敬二)

【藤井善助居士関係】(一部)
○『藤井善助傳』
○『藤井善助傳(續篇)』

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2023-09-26

『弁栄聖者 光明主義玄談 全四巻』(笹本戒浄上人述 泉虎一記)に関する若干の補足



『光明主義玄談』(全四巻)

『弁栄聖者 光明主義玄談 全四巻』(笹本戒浄上人述 泉虎一記)の目次及び小見出しを先月公開しました。

・『巻一』は、平成三十年九月発行
・『巻二』は、平成三十一年一月発行
・『巻三』は、平成三十一月四月発行
・『巻四』は、令和元年七月発行

発行編纂者代表、平澤伸一氏。
hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。

目次及び小見出しをご覧になっただけでも、
本書『玄談』が「奥義書」であり、
甚深微妙な内容が語られているらしいことが察知されたかと思います。
泉氏の独特の発言形式に捉われずに、
本書の甚深微妙な内容に触れて頂くことを念願しております。

今回の公開は、長年躊躇していました。
それでも今回公開に踏み切りましたのは、
弁栄聖者がご遷化されてから、百年が経過し、
「弁栄聖者の現存」を実感することが益々難しくなってきており、
弁栄聖者が光明主義をご提唱された意義を、
改めて確認しておく必要性を痛感したからです。

本書『玄談』を読むにあたり、
頭の片隅に入れておいて頂きたい事があります。

泉虎一氏のご講話は、
別時念仏とは独立しており、
「私の話しは、時間のある時に考えて下さい。
お念仏をする時には、難しい事を考えずに、
素直に、親様をお慕い申してお念仏して下さい。」

とのスタンスでなされていたという事実です。

泉虎一氏の切願は、
「弁栄聖者から恩師笹本戒浄上人へ口伝された、
釈尊、弁栄聖者の真精神を後世に伝え、記録に残す。」

この一点にこそあったと思われます。
それゆえ、また、泉氏の気質ゆえか、
誤解、反発を招くことが予想される表現内容も含まれています。

また、将来を期待されながら惜しくも戦死された、
戒浄上人のご子息である浄光師への返答として、
現在、将来の諸仏、諸菩薩のためにも。

「浄光師への返答」について補足します。
「どうも親父が泉さんに特別な指導をしているらしい。」
と浄光師は感じ、同時に、不満も感じていた様です。
「浄土宗乗に関しては、自分の方が泉さんよりもよく知っている。」
と父親である戒浄上人に不満を漏らされたところ、
上人は、浄光師を叱られ、
「泉から浄土宗乗と光明主義の厳密な違いを聞く様に。」
と諭されました。
肉の身の親子関係と法の継承には、厳格な因縁があるのかもしれません。

急いで補足しますが、
もちろん、弁栄聖者は法然上人を否定されているのではありません。
法然上人の真精神と伝統的な浄土宗乗を峻別し、
聖者が三昧直観された、法然上人の真精神を顕正
せんとされたのです。
更に付言すれば、
弁栄聖者が法然上人の真精神を顕正されたのは、
法然上人が浄土宗の宗祖であるからではありません。
善導大師に関しても同様です。
法然上人の真精神が、釈尊の真精神と合致されている為であり、
原(源)点は、あくまでも釈尊の真精神にこそあります。
この点は、本書『玄談』にも明記されており、
弁栄聖者、光明主義における重要な「善導大師、法然上人観」です。
この事は、『玄談』に一貫して通底しており、
『玄談』に醸し出されている特有の雰囲気の主要因でもあると推察されます。

ある方が、泉氏の大変高度で難解なご講話を聴かれ、
「光明主義の念仏を正しく実践するために、
光明主義中心道の起行の用心を厳守する他に、
この様な難しい教義(仏身論等)を理解する必要があるのですか。」
といった趣旨の質問をされたところ、
「私のお話と配布プリントは、
起行の用心の内容を正しくしていただくためのものです。」
と泉氏は厳とお応えになったとのことです。

「弁栄上人のご遺稿には、方便説と真実説が混在しているので、
真実説だけを残すようにしてはどうですか。」
との(きっと多くの方が思われるであろう)問いに対し、
弁栄上人のご遺稿は、そのまま残す様に
三世通達の三身四智の弁栄上人が心を込めてご遺稿を書かれている。
念仏をしつつ、そのご遺稿を拝読していけば、
真実説と方便説を判別出来る様になるはずで、
その簡択(けんちゃく)眼を得ることが大切である。」
との主旨を、笹本戒浄上人は仰っられたとの事。

「三世通達の三身四智の聖者」である方の方便説である点と、
(「光明主義中心道の起行の用心」に依る信念口称の)念仏を確りと相続しつつ、
この二点は、留意すべき点かと思われます。

ただし、一方で、泉虎一氏が懸念されていた事があります。
本書『玄談』全体の形式に違和感を覚えられた方もおられたと思いますが、
『巻四』(令和元年七月発行)には、
目次に「笹本戒浄上人の以心伝心によるご教示」とあります。
「以心伝心」
日常の会話でも、無意識的に相手に伝わるものはあると思います。
泉氏は、弁栄聖者の真実説、
御遺稿には書かれておらず、弁栄聖者から笹本上人への口伝、
その内容を「以心伝心」で笹本上人からご教示頂きたいと強く願われて
いました。
泉氏が言われる「以心伝心」とは、
笹本戒浄上人の仏眼、しかも相当深い仏眼によるものです。
にわかには信じ難い事かもしれませんが、
特に、仏眼に依る不可思議の力量は、常識を遥かに超えています。
したがって、
笹本上人の甚深なる仏眼に依る働きかけを直に受けず、経験体験していない者が、
弁栄聖者の御遺稿の方便説と真実説を判別する「簡択」眼を持つ事は当然不可能ではないとはいえ、
相当な困難を伴うことを懸念されての、この本書『玄談』なのです。

やはり、取り上げておかなければならない最重要事項の一つに、
「直線道」と「曲線道」の表現と内容があります。
この表現に、困惑、反感を覚えられた方も多いと思われます。

「木叉先生はよく
「(弁栄)聖者の皮肉骨髄の髄を承けていられるのは戒浄上人だ。
しかし上人は髄ばかりを説かれる。
もっと応病与薬のご説法をして下さるとよいのだが」
と昭和三十年代終わり頃までよく仰言った。」

(「戒浄上人と田中木叉先生」『「笹本戒浄上人伝」笹本戒浄上人全集 別巻』)

更に、田中木叉上人は、
「直線道は脱線道である。」とご批判されたことがあった様です。

「直線道」と「曲線道」という表現は、特段に注意が必要であり、
この表現の真意を理解することが不可欠となります。
この点は、大変誤解が生じ易い点であり、最重要の留意点だと思われます。

この木叉上人のご批判は、
衆生個々人における霊育過程の千差万別性、
また、弁栄聖者の衆生済度の在り方、
衆生の阿頼耶識の千差万別性に相応した方便智、対機説法の在り方からのご批判であり、
衆生側の霊育過程、衆生度生の在り方に関しては「直線道」はありえません。
「直線道」の真意、焦点は、この点にはないと思われます。
まずこの点の認識の共有が不可欠となるかと。

「光明主義は、富士の山。
富嶽万峰に聳えて中心高く、世尊の真諦を此処に現わし、
裾は広く、一切を救って群萌あます処なし。」

田中木叉上人の光明主義観であり、
弁栄聖者のご教化の在り様を示されていると拝察されます。

弁栄聖者の最晩年に随行され、
聖者のご遷化後に笹本戒浄上人のご指導を受けられた、
弁護士の柴武三氏は、
聖者の衆生済度の在り方に関しては、
田中木叉上人の仰る通りであったと全面肯定されています。
柴氏は、戒浄上人、木叉上人の両上人を大変尊崇されていました。
戒浄上人が昭和十二年に、木叉上人が昭和四十九年に遷化され、
柴氏は、昭和五十二年に逝去されました。
両上人の遷化後の弁栄聖者がご提唱された光明主義の伝承を、
柴氏は晩年、大変懸念されていた様です。

「直線道」と「曲線道」という表現による誤解は、主として、
修道実践における心の用い方である「起行の用心」と、
衆生の霊育過程と衆生済度における在り方、
この両者の観点の相違に基づくもの
と思われます。

繰り返しになりますが、
光明主義中心道の「起行の用心」とは、
弁栄聖者の真精神である仏身論から必然的に導き出されたものであり、
したがって、その「起行の用心」と仏身論は不可分で、表裏の関係にあるという点にあります。

笹本戒浄上人が仰られた「直線道」という表現に対して、
弁栄聖者は、真意をよく表現しているとお認めになっておられます。
成仏の暁まで「信念の変更を要しない」という意味での「直線道」の真意です。
究極の仏身論から必然的に導き出された「起行の用心」であるゆえです。
後世の私達は、その真意を確りと受け取らねばならないと自戒しております。
「直線道」との表現は、誤解等を招く事が懸念されるためでしょうか、
「直線道」とは本質内容が同じである「中心道」という表現も用いられています。

実は厳密には、成仏に直結した「起行の用心」に関しては、
「直線道」に対する「曲線道」はありません。

一般に、「直線道」と「曲線道」の相違は、「到達点への遅早の相違」を含意しています。
問題は、「曲線道」でも結局は到達可能なのか、にあります。
論理的には、「起行の用心」に関しては、「直線道」に直結した信念しか到達出来ません。
「曲線道」の延長線上には道がなく到達出来ないため、
必然的に、早晩、その「曲線道」の信念の変更を要する事になります。
その先は、唯この道あるのみの絶対道である「中心道」あるのみです。
一見排他的、独善的とも受け取られかねない表現ですが、
極めて重要ですので、大変くどいですが繰り返します。

光明主義中心道(「直線道」)の「起行の用心」が、
究極の仏身論と不可分の関係にあり、
したがって、必然的に導き出された「起行の用心」である
ためです。

ただし、ここに乗り越えるべき最大の障壁が存在します。
本書『玄談』の内容を受け入れる困難さは、
弁栄聖者が三昧直観された釈尊の真精神、善導大師、法然上人の真精神が、
仏教経論、善導法然両上人のご著書等には記載されていない
点にあり、
それ故、光明主義中心道の修道論上、「偏依弁栄」が必然的に求められ、
そこに自身の信仰を賭けられるか否かにかかっています。
大乗経論が、文献学的には、釈尊ご在世中の直説ではない
そこに自身の信仰を賭けられるか否か、と同様に。

最後に、是非記しておきたい事があります。

本書『玄談』を再読しつつ、一方で、深まる思いがあります。
是非添えておきたい笹本戒浄上人の「ご訓戒」です。

「田中先生が大変苦労されて弁栄上人の御遺稿を全国から収拾され編集し出版して下さった。
その田中先生へのご恩を決して忘れてはならない。」


本年、2023年は、光明主義の大恩人のお一人でもある、
田中木叉上人の五十回忌です。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2023-08-17

『弁栄聖者 光明主義玄談 巻四』(笹本戒浄上人述 泉虎一記)の目次等


『光明主義玄談』(全四巻)

・『巻一』は、平成三十年九月発行
・『巻二』は、平成三十一年一月発行
・『巻三』は、平成三十一月四月発行
・『巻四』は、令和元年七月発行

本書『玄談』の発行は、弁栄聖者百回忌とも重なっています。

発行編纂者代表、平澤伸一氏。
hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。


弁栄聖者御写真(20230811)
【弁栄聖者(1859ー1920)】


笹本戒浄上人御写真(20230811)
【笹本戒浄上人(1874ー1937)】


『弁栄聖者 光明主義玄談 巻四』
(笹本戒浄上人述 泉虎一記)の目次及び小見出し


第二部 笹本上人の御教えの覚書より

【〇一】成仏の直線道としての見仏について
•アラヤ識の奥底から
•性質境遇のいかんに関せず初発心から成仏の直線道を進むべき理由
【〇二】布教要義研究会におけるみ教えについて
•『西宗要』の見仏三昧論を拠り所にしたのは対機説法
•「安心起行の形式」は「起行の用心」があってはじめて完全に機能する
【〇三】修行の途中で信念の変更を要しない
真実円満な他力易行道の念仏

•二つの絶対必要条件
•「偏依弁栄」でなければ直線道は歩めない
【〇四】弁栄上人の方便対機のご説法について
•自ら記さず語らずその真意を他に意識させる仏眼の実力
【〇五】観念法門並びに西宗要に説かれた見仏論について
•一番いい見仏の道に導くための一時的な方便の教え
【〇六】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(1)

•(一)統一的主体、真実の自己と主客、自他の相対的認識について
•(ニ)相分、見分、自証分、証自証分の四分について
【〇七】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (2)

•(三)絶対理性と絶対感性について
【〇八】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (3)

•(四)心霊差別の現象と自然差別の現象の区別について
【〇九】笹本上人との問答より
•光明主義は対機の方便説ではない
•浅く低いものは捨て弁栄上人の厳重な真精神を選び取る
【一〇】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (4)

•(五)絶対理性、絶対感性とその間接的発現である相対的理性、相対的感性について
•(六)法身の中心である絶対の報身は、大宇宙の一切の内容を本来完全に自己に有して能動的に自発する根本仏に在しますが故に、一切の衆生を如来化する三身即一の心本尊である
【一一】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(5)

•(七)法身の中心である三身即一の広義の報身仏との合一について(その一)
【一二】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (6)

•(八)法身の中心である三身即一の広義の報身仏との合一について(そのニ)
•(九)法身の中心である絶対の報身の自性清浄涅槃界について
【一三】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (7)

•(十)有余、無余、無住処の三涅槃について
•(十一)自然現象と心霊現象の円融無碍について
【番外編】笹本上人のご教示について(講演要旨)
•本末を転倒せず絶対中心の報身を正しく仰ぐのが根本
【一四】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (8)

•(十二)至尊は円満充足して欠くる所なきが故に変易なし
【一五】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (9)

•(十三)法身の中心である広義の報身仏の自性清浄涅槃界について
【一六】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (10)

•(十四)弁栄上人の見仏三昧発得の偈について
【一七】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (11)

•(十四)弁栄上人の見仏三昧発得の偈について(続き)
【一八】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (12)

•(十五)法身の中心である絶対自身で因果のない報身仏について
【一九】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (13)

•(十六)法身の中心である絶対自身で因果のない報身仏の本質について
【二〇】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(14)

•(十七)絶対の報身の依自起性について
•(十八)自然現象と心霊現象の現象態としての本質的転換について
【二一】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(15)

•(十九)空 無相 無願の三昧と一即一切の王三昧について
【二二】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (16)

•(二十)将来の光明主義について(その一)
【二三】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (17)

•(二十)将来の光明主義について(そのニ)
【二四】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (18)

•(二十一)法身の中心である絶対の報身の最高最深の本質
【二五】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (19)

•(二十ニ)絶対の報身を徹底的に慕い申す念仏
【二六】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(20)

•(二十三)絶対の報身の最高真実の王本願の見仏
【二七】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (21)

•(二十四)光明主義の見仏
•絶対の報身の絶対的現象態において完全円満に融合している二面
•絶対の報身の核心に直結する是の心仏を作る光明主義の見仏
•絶対の報身即真実の自己の自発的顕現たる大宇宙の一切が不生
【二八】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(22)

•(二十五)光明主義の根本仏
【二九】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (23)

•(二十六)光明主義の念仏
【三〇】自然科学、特に数学に関するご教示
•慧眼法眼仏眼で直観する時間空間
•「純粋数学の自由」は肉の心に規定されていることを知らない
•三身四智の仏眼によって直観される数•空間•時間
【三一】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(24)

•(二十七)光明主義の見仏を実現するための必要条件
【三二】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(25)

•(二十八)択法覚支のお歌について(昭和十二年の御教えの要約)
【三三】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(26)

•(二十九)絶対の報身の真実在について
【三四】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (27)

•(三十)絶対の報身の独尊統摂帰趣について
•(三十一)進徳の祈願について
【三五】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (28)

•(三十二)光明主義における自然法爾の念仏
【三六】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (29)

•(三十三)『宗祖の皮髄』について
【三七】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(30)

•(三十四)『宗祖の皮髄』における釈尊出世の本懐の見仏と釈尊の五つの霊徳について
【三八】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(31)

•(三十五)方便のご説法について
【三九】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (32)

•(三十六)表号的擬人観について
【四〇】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (33)

•(三十七)法身の中心である報身は絶対界の中心なる独尊、全法界の中心、宇宙最高の座に在します
【四一】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(34)

•(三十八)釈尊即弁栄上人の三昧について
•(三十九)如来の目的、聖意の目的、本願力について
【四二】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別 (35)

•(四十)如来様の事実の通りの念仏
【四三】純粋な光明主義と
従来の聖道、浄土の体系との区別(36)

•(四十一)三常、三種常住について
•(四十二)光明主義における念劫融即について

第三部「覚書」以後

【一】笹本戒浄上人の以心伝心によるご教示 (1)
【二】笹本戒浄上人の以心伝心によるご教示 (2)
【三】笹本戒浄上人の以心伝心によるご教示 (3)
【四】笹本戒浄上人の以心伝心によるご教示 (4)
【五】笹本戒浄上人の以心伝心によるご教示 (5)
【六】笹本上人の晩年の御教えの覚書より (1)
•(一)光明主義における平等即差別、真空即妙有、理性と感性の融合統一について
•(二)光明主義の見仏について
•(三)念仏の心本尊は主観的客観の絶対の報身仏に在します
【七】笹本上人の晩年の御教えの覚書より (2)
•(四)本地仏、根本仏について
【八】笹本上人の御教えの最重要点
•絶対自身で因果のない報身
•体大法身を根本仏とする立場
•絶対の報身を円満な真実の根本仏として仰ぐ
•絶対の報身の成仏の法則
•主客未分の真相を絶対の報身の妙色相好身の常住不変無差別平等の面にみる
•心霊と自然の各現象の根本的相違および無明が発現する真相の認識
•衆生の信念に報いる意味での報身
•弁栄上人が方便説を遺された真意を認識すべし
【九】大ミオヤの真実について

※【〇一】から【四三】は、昭和五十一年一月から昭和五十九年七月、
【一】から【九】は、昭和五十九年十月から平成元年二月に発表。
ただし、小見出しは、編集部で設けたもの


【付録一】質問に答えて
【付録二】笹本上人の最初と最後の御教示
【付録三】『笹本戒浄上人偲び草』から
私の信仰が復活するまで

一 信仰揺籃時代
二 信仰暗黒時代
三 真我の追求
四 浄土信仰への復帰
五 信仰復活の二大恩人
結語

如是我聞 ー 泉居士を含む直弟子数名による戒浄上人法語の記録

【付録四】光明主義の主要特徴
『笹本戒浄上人伝』編集部監修 杉田善孝

あとがき


・『巻一』は、平成三十年九月発行
・『巻二』は、平成三十一年一月発行
・『巻三』は、平成三十一月四月発行
・『巻四』は、令和元年七月発行

発行編纂者代表、平澤伸一氏。
hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2023-08-15

『弁栄聖者 光明主義玄談 巻三』(笹本戒浄上人述 泉虎一記)の目次等


『光明主義玄談』(全四巻)

・『巻一』は、平成三十年九月発行
・『巻二』は、平成三十一年一月発行
・『巻三』は、平成三十一月四月発行
・『巻四』は、令和元年七月発行

本書『玄談』の発行は、弁栄聖者百回忌とも重なっています。

発行編纂者代表、平澤伸一氏。
hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。


弁栄聖者御写真(20230811)
【弁栄聖者(1859ー1920)】


笹本戒浄上人御写真(20230811)
【笹本戒浄上人(1874ー1937)】


『弁栄聖者 光明主義玄談 巻三』
(笹本戒浄上人述 泉虎一記)の目次及び小見出し


第一部「如是我聞」 笹本上人の御教えより(Ⅲ)

【一二七】広義の報身とその依自起性について(1)
•自然界と心霊界の全面の絶対中心に在します広義の報身仏
•大宇宙の一切は広義の報身仏の自発的能動的の依自起性
【一二八】広義の報身とその依自起性について(2)
•内外相互作用する依他起性の現象
•絶対無規定の能動的依自起性の現象
•本体だけでなく差別の現象も広義報身の依自起性
•本体法身の依自起性だけ認める従来の聖道浄土の体系の限界
【一二九】広義の報身とその依自起性について(3)
•大ミオヤの三身は依自起性
•自然心霊一切の現象は本体法身の依自起性と見る従来説
•最高最深の事実を拠り所とした御教えに則る修道論
•自受用の王三昧を得たミオヤのお世嗣の境界
【一三〇】広義の報身とその依自起性について(4)
•報身仏と人間との相互作用は報身仏ご自身の内力の作用
【一三一】 広義の報身とその依自起性について(5)
•報身仏の御姿とお浄土の様相は真善美の極致の顕現
•法身の中心たる報身は自然界心霊界の全現象の中心にして絶対無規定円成実性
【一三二】広義の報身とその依自起性について(6)
•著述等に残る善導法然の体系は最晩年の真精神からみると過渡的なもの
•信念の変更を要しないで認識的一切智を実現するには絶対の報身を専念せよ
【一三三】二種法身と弁栄上人の対機説法について
•選び捨てるべき方便対機説
•真実にして円満な報身観
【一三四】 広義の報身とその依自起性について (7)
•絶対者•自己原因•自己規定•自己運動•内的目的論•自己目的
•「大宇宙は広義報身の依自起性」が意味するところ
•外的目的論と内的目的論
【一三五】光明主義における
正しい三昧と雑念の三昧について (1)

•厳密な三昧正受は三身四智の仏眼
•絶対中心の報身の核心と私共の中心を直結せよ
【一三六】 光明主義における
正しい三味と雑念の三昧について (2)

•出世間の三昧にも正邪の別あり、正しい起行の用心が重要
•慧眼法眼等にも人間の理屈、想像が混入
•三昧はその正邪、深浅、完全不完全について吟味を要す
•「見仏二義」の恣意的解釈によって狭義見仏を軽んじるは不可
【一三七】光明主義における
正しい三味と雑念の三味について (3)

•自己の霊性を殺すのが最大の罪である
•直線道以外は一種の未来主義
【一三八】光明主義における
正しい三味と雑念の三昧について (4)

•応身仏釈尊の成道は別格
•通常の菩薩は試行錯誤の回り道を経由
•弁栄上人のアーラヤ識は択法覚支の頃から絶対中心の報身と直結
【一三九】方便の御教えについて (24)
•新しい酒を古い器に
【一四〇】光明主義における
正しい三味と雑念の三味について (5)

•衆生済度の活動はどのように大菩薩の心相中に展開するか
•笹本上人無問自説のご回答
•認識的一切智について
•健全な一切智は「価値の高いもの」に向かってのみ発動する
•弁栄上人が初めて立てられた正しい三昧と雑念の三昧の区別
•『正法眼蔵』について
【一四一】光明主義における
正しい三味と雑念の三昧について (6)

•消極的解脱から積極的解脱へ
•悟の仏眼では本体法身の最深の面とはなお合一できず
弁栄上人の「法身より出て法身に還る」は三身四智の境界からの表現
【一四二】光明主義における
正しい三味と雑念の三昧について (7)

•本体法身を最高最深の拠り所とする従来の立場
•本体法身よりも差別の現象の方を重んずる諸体系
•無分別智、無差別智にも深浅あり。光明主義の最深の立場
【一四三】光明主義における
正しい三味と雑念の三味について (8)

•大ミオヤの体相用が絶対同時に絶対的根源的真実在
•如来無対光の境界は三大を統一し三身を致一しながら、一切の境界に超絶
【一四四】光明主義における
正しい三昧と雑念の三昧について (9)

•大霊は右の手を以て種を蒔くのと絶対同時に左の手を以て摂取
•生産門の三大と摂取門の三徳は一切の現象に内在即超越する性相で実在
•円満な宗教客体は「円満に其真義を説明する能はず」について
•直線道では目的実現の形式と実現した目的の内容が内的目的論的に一致
【一四五】十二光仏讃礼について
•十二光仏を讃礼するときの心の用い方
•絶対中心である広義の報身仏の体大、相大、用大
【一四六】「一切衆生は法身より出て法身に還る」について
•「一切衆生は法身より出て法身に還る」 の真実義
【一四七】自然界と心霊界の絶対中心に在します
広い意味の報身仏について

•「報身は法身の中心、法身の粋である」の玄義
【一四八】将来の科学技術の革命について
•肉の心の機能の限界を正しく打破する方向は
【一四九】弁栄上人の新しい酒を
古い革袋に入れた形の対機説法について

•真精神に導くための方便として従来の他力念仏も説く
【一五〇】本よりこの大宇宙は
広義の報身仏の無住処涅槃界である

•広義の報身仏の内的目的論的な分身利物の活動として見る酬因感果説
•名体不離の名号は形式、慈悲の聖容は絶対的内容
【一五一】弁栄上人の真精神と三味発得の過程について
•弁栄上人の修行目的と三昧発得の過程
•弁栄上人の布教方針
【一五二】弁栄上人のご説法に関するご教示
•ご遺稿の中から真精神の一番いい御教えだけを選び取るべし
•ミイラ取りがミイラにならぬよう選び捨てるものは潔く捨てる
【一五三】弁栄上人の玉石混交のご説法について
•玉石混交の説法は私共自身の精進努力によって選択眼を養わせるため
•「直線道の見仏」と銘打っても対機説法あり
【一五四】如来光明礼拝儀、特に十二光仏讃礼について
•「十二光仏讃礼」は絶対の十二光が完全に融合した絶対境を各方面から拝するもの
•如来光明歎徳章と十二光仏讃礼を厳密な光明主義の立場から拝するように
•絶対の報身は十二光の全面において独尊統摂帰趣の根本仏
【一五五】光明主義の広義の報身仏と
弁栄上人の真精神について

•本有無作の報身が根本仏である真相に至る二段階
•善導法然の最終の真精神については弁栄上人も詳しく明記されず
【一五六】本有無作の報身仏の三縁の慈悲
•「三縁の慈悲」は入の位の仏眼による真精神のご教示
•弁栄上人が証入された境界とその直線道のみ教え
【一五七】 絶対自身で因果のない広義の報身仏の
自己運動による依自起性について

•根源的現象態それ自身の自己運動による依自起性としての十界
•自然現象と心霊現象の発現の仕方の相違
【一五八】絶対自身の報身仏の自受用身について
•日蓮聖人の卓見
•光明主義では報身仏の無限の変化の面において不易で常に同一である真相を認識
•法身の粋にして最深の内容である報身自受用身のご活動
【一五九】法身の中心である三身即一本有無作の
内的目的論的報身仏について

•本体の法身でなくその中心の報身が超在一神的汎神の絶対者
【一六〇】法身の中心である絶対の報身に関するご教示の要略
•絶対の報身においては理感二性が共に絶対能動的
•大宇宙は絶対中心の報身の無住処涅槃界
•絶対中心の一に心を正しく直結するのが直線道
【一六一】真空即妙有、無即有の中道
•真空即妙有の中道の王三昧
【一六二】法身の粋である内的目的論的広義の報身の核心に
私共の心を正しく注ぐ一即一切の王三昧、
法身の中心である絶対の報身、
大宇宙の絶対中心の一に即する一即一切の王三昧

•光明主義の王三昧
•常に真実のもの、価値あるもの、事物の核心に心を注ぐように
•対機説法に込められた真精神を正しく選び取ること
【一六三】弁栄上人の光明主義より見た従来の教え (1)
•光明主義は釈尊の認識的一切智の境界を拠り所とする完全帰納
•善導大師の過渡的暫定的説法と最晩年の真精神
【一六四】弁栄上人の光明主義より見た従来の教え (2)
•光明主義の立場から唯識説、四分を正しく見直す
•衆生の信念に相応しながら衆生の念を離れた妙色相好身と絶対的識が実在
【一六五】弁栄上人の光明主義より見た従来の教え (3)
•光明主義の遮情門と表徳門の立場
•従来のあらゆる体系は悟の位の仏眼則ち光明主義の無生忍を出ない
•弁栄上人の豊かな三身四智の仏眼による認識内容
【一六六】光明主義の仏身論(法身の中心について)
•本体の法身ではなく法身の中心である絶対的現象態の報身が根本仏
•仏身論のコペルニクス的転回
【一六七】光明主義の見仏論 (1)
•「慈悲の聖容は絶対の表現」の解釈
【一六八】光明主義の見仏論 (2)
•光明主義念仏の生命である憶念の内容に関する注意点
【一六九】弁栄上人の光明主義より見た従来の教え (4)
•従来の報身論から方便説を捨て、伏せられた真実を選び取る
•名号に偏するは不可
【一七〇】弁栄上人の光明主義より見た従来の教え (5)
•相と用は一体の異方面/法蔵比丘の解釈
•三身四智の仏眼による光明主義の立場から従来の体系を見る
【一七一】弁栄上人の光明主義より見た従来の教え (6)
•弁栄上人の報身論を酬因感果の報身論と混同すべからず
【一七二】光明主義の見仏論(3)
•中心の広義報身が第一位、全体の体大法身は第二位の仏身
•意識の表面とアラヤ識を一致させるには苦心努力を要す
•心想中にほのかに感ぜられる正しい念がますます深くなるように
【一七三】光明主義の原点
•完全帰納的な三昧直観が光明主義の原点
•原始経典至上主義の欠陥
【一七四】光明主義の原点(再説)
•弁栄上人の三昧直観は三身四智の仏眼による
•心に感じられる正しい念が霊化された終局が認識的一切智
【一七五】光明主義の見仏論 (4)
•体大法身を最高位とする従来の立場と光明主義の峻別
•華厳の「初発心時便成正覚」について
【一七六】光明主義の見仏論Ⅱ (1)
•宗教的客体は客観的真実在でありながら「主観的客体」
•修行途中で仏身論と念仏論の変更が不要
【一七七】光明主義の見仏論II (2)
•光明主義の無生忍•理の無量光と無生法忍•事の無量光
•善導大師、法然上人、徳本行者の真精神
•釈尊の真精神である念仏の生命•見仏の核心
【一七八】光明主義の見仏論II (3)
•超在一神的汎神の根本仏の差別即平等、平等即差別
【一七九】広義の見仏について
•狭義見仏と広義見仏の峻別
【一八〇】絶対中心を専念する念仏
•表面の意識活動とアラヤ識を正しく一致させて絶対中心を専念せよ
【一八一】遊女の見仏に関する弁栄上人の御教え
•直線道の修行成就は行者の境遇の如何を問わない
•所念いよいよ高遠なれば能念の心随って高遠
【一八二】昭和九年三月の問答
•アラヤ識に色がついたままでは宝の山に入りながら宝が取れぬ
•弁栄上人の真精神の発表は笹本亡きあと泉さんに託します
•完全帰納的な三昧体験が根底
•なぜ自分の直接経験でない弁栄上人の三昧体験を念仏指導の拠り所とするか
•弁栄上人の対機説法は三世通達の最適のもの
•原始経典の空•無の教えに縛られる研究者は今後も出る
【一八三】阿弥の目的にかなはざるものは悉く悪なり
•絶対中心に直結しない道は悉く捨てよ
【一八四】阿弥の目的にかなはざるものは悉く悪なり(再説)
•無上菩提の過程を妨げるものを悪と見る/標準は変更すること有るべし
【一八五】弁栄上人の真精神について (5)
•自受用の仏眼による最高の実在論と一番いい見仏の道
•十二光讃礼は、十二の光明が統一融合しておる絶対の報身の核心を讃礼
【一八六】釈尊、弁栄上人が実現しておられた
三身四智の仏眼について

•大ミオヤの御心に正しくかなった三昧ばかりが発現するように
【一八七】釈尊が実現しておられた円満な仏眼、
認識的一切智に関する弁栄上人の御教え

•認識的一切智の境界と要注意点

※【一二七】から【一八七】、昭和四十年六月から昭和五十年八月に発表。
ただし、小見出しは、編集部で設けたもの



・『巻一』は、平成三十年九月発行
・『巻二』は、平成三十一年一月発行
・『巻三』は、平成三十一月四月発行
・『巻四』は、令和元年七月発行

発行編纂者代表、平澤伸一氏。
hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp 宛にメールでも、注文可。
一冊二千円(送料別)。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

RSSリンクの表示
検索フォーム
カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
アクセスカウンター
プロフィール

syou_en

Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
twitter
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR