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2020-09-11

山崎弁栄聖者遷化後百年記念「遺墨展」等

2020年(令和2年)は、弁栄聖者遷化後百年となります。

コロナ感染状況等により開催が延期されていましたが、
弁栄聖者有縁の地、聖者に関心のある方々により、
「遺墨展」等が以下のとおり開催。
関係者の方々に感謝いたします。

なお、コロナ感染状況等により予定の変更がありえますので、
ご注意ください。

〇山崎弁栄上人没後百年顕彰事業企画展「弁栄展―柏が生んだ聖―」

1  開催期間
令和2年5月27日(水曜日)から令和2年9月30日(水曜日)まで

2  場所と時間
場所 柏市郷土資料展示室(柏市沼南庁舎2階) 柏駅からの行き方(バス)
時間 午前9時30分~午後5時
月曜日休館(祝日・振替休日は開館)

なお、「弁栄展―柏が生んだ聖―」に関しては、
「千葉県柏市教育委員会文化課」(@kashiwa_bunka)がツイッターにより、
魅力的な情報を随時発信されています。


〇博物館開館25周年・山崎弁栄上人没後100周年記念
「無量光寺文書・山崎弁栄遺墨展」


会 期  令和2年9月19日(土)から11月15日(日)まで
展示期間中に資料の入れ替えあり。

前期展示: 9月19日(土)〜10月18日(日)
後期展示:10月20日(火)〜11月15日(日)

会 場  神奈川県相模原市立博物館1階 特別展示室

展示内容
①山崎弁栄上人の遺墨(作品の展示)
②無量光寺に残る指定文化財等の展示
無量光寺文書全14点を本館初公開
※ ポスターPDFはこちら


〇「山崎辨榮記念館(川口市)」
詳細はこちら

埼玉県川口市の個人宅に併設オープン。
予約制。
※個人宅ですので、ご照会の際にはご配慮願います。


〇新潟県柏崎市若葉町「極楽寺」
弁栄聖者の遷化のお寺であり、
聖者とご因縁が深く、
聖者から「いもうと」と呼ばれた咲子夫人は、当寺のご内室。

例年、秋のお彼岸の頃に、虫干しをされている様です。


〇◆山崎弁栄没後100年記念◆
山崎弁栄と内村鑑三
ー彼らは如何にして神秘の探求者となりし乎 ー


「長良川画廊東京ギャラリー」
令和2年12月9日〜12月15日
午前11時~午後6時

「(一財)山崎弁栄記念館」
令和2年12月27日〜令和3年1月3日
午前11時~午後5時

両会場とも期間中無休、入場無料。
※コロナ感染状況により上記期間に延期。
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テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-06-01

『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』(山崎弁栄 述 中井常次郎 記)


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令和2(2020)年3月下旬に、
『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』(山崎弁栄 述 中井常次郎 記)が、求龍堂選書として刊行されました。

弁栄聖者御遷化後百年記念の書として刊行当初は、ただ嬉しく有り難く拝読していました。
ところが、本書に記された聖者の御講話が、今から100年程前になされていることに気付き、昨今の世界的大流行の新型コロナウイルス感染状況禍にあって、その意味、意義を、その歴史的背景等をも考えあわせながら改めて読み進める様になりました。

歴史学者磯田道史氏の師、速水融氏の著書、『日本を襲った スペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』には、
前流行期 大正7(1918)年秋―大正8(1919)年春、
後流行期 大正8(1919)年暮―大正9(1920)年春

と区分され、日本各地の当時の感染状況が歴史的背景等とともに記されています。

参考文献としては他にも、
〇内務省衛生局編著『流行性感冒―「スペイン風邪」大流行の記録』東洋文庫778、
〇東京健安研セ年報56の369‐374.2005「日本におけるスペインかぜの精密分析」などの他、
〇「防災歳時記(15)―スペイン風邪、猛威を振るう― 宮澤清治」には、大阪市天王寺区逢坂「一心寺」の境内にある、大正11年建立の「大正八九年流行感冒病死者の慰霊碑」の写真が掲載。
この「一心寺」とは、弁栄聖者最晩年の直弟子の一人鈴木憲栄上人とご縁の深かったお寺。
大正6年10月に当寺で行われた聖者の講話、上人によるその講話録『弥陀教義』 には、
「三昧中所見の仏は、主観的客体である。」と。
この解釈には留意が必要と思われますが、極めて重要な聖者のご教示が明記されています。
大正8年に、中井師と同席されていた恒村師にご教示された聖者の同じ言葉が、既にこの時点で使用されている事実をも示す貴重な講話録でもあります。

また、
弁栄聖者『御慈悲のたより』と、中井常次郎『乳房のひととせ』( 『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』の底本)には、100年前の大正時代に大流行した「流行性感冒」に関する言及が幾つか記されています。

例えば、
弁栄聖者『御慈悲のたより 中』71(河波昌師による改定版は、昭和54年5月10日発行)には、「此度到処に猖獗(しょうけつ)を極めたる流行感冒に侵さるる処となり、遂に帰らぬ旅路に趣きなされしとの事、アゝいかに酷なる哉。」と認められています。
この便りは、山本空外編『弁栄上人書簡集』504頁以下にも掲載されており、大正7年3月に認められたものと記されています(書簡保有者からの伝聞か)。

100年程前の大正時代に大流行したいわゆる「スペイン風邪」のことが気になり、この度、この便りを詳しく調べてみたところ、興味深い事実が判明しました。
この『御慈悲のたより 中』71には掲載されていないのですが、山本空外編『弁栄上人書簡集』173(507頁)には、「先日御書簡によれば千葉浄光なる者甚だ御迷惑をかけ・・・知恩院三昧道場にて 二日」と記されています。
この便りは、前半と後半の二種類に分かれている様な形式ですが、この二つが同時期に認められたものと仮定しますと、この書簡が大正7年3月であることには、以下の幾つかの点から疑問が生じてきました。

推定根拠は、以下のとおりです。

〇前述の速水氏の書には、
「前流行期 大正7(1918)年秋―大正8(1919)年春
後流行期 大正8(1919)年暮―大正9(1920)年春」と明記。
日本では、大正8(1919)年11月に島村抱月が罹患して死去したこと等にもより世間的に注目。

〇「千葉浄光なるものの迷惑事」に関して。
この迷惑事とは、千葉なるものが布鎌教会堂との縁を利用した事件であり、布鎌教会堂の開堂は、大正8年4月。
また、中井常次郎『乳房のひととせ』には、中井師と当時親交のあった恒村師が、『ミオヤの光』の広告でその迷惑事を知ったと記されている。

〇『ミオヤの光』の創刊は、大正8年11月。

〇山本空外編『弁栄上人書簡集』173(『御慈悲のたより 中』71とほぼ同文)には、「故米子のきみには生年はわずか五々(『中巻』では五五)の盛なりし短きに以(『中巻』では、似)たれども、」、「就て残り玉いし御両親さま并に御妹子等の御かなしみのほどは、」と認められている。
「五々の盛なりし」、「短きに似たれども」と認められていることから、25歳との判読が可能か。
なお、この便りには、娘小式部の内侍に先立たれ悲嘆に暮れていた和泉式部にも言及。小式部の内侍は、20代半ば頃に逝去とも伝えられている。

この書簡の関連記事が、
金田昭教編『弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』259頁に記載。その記載内容によると、芳子氏は、四女で、大正7年3月では3歳前後、大正9年3月では5歳前後と推定。
また、同書258頁には、この便りを受け取られた方の大正8年当時の写真が掲載。30代から40代半ば程の方か。
大正8月8月は、聖者ご指導の第一回唐沢山別時念仏会が開催。
なお、米子のきみに関する聖者の和歌が、同集40頁の⑪に掲載。

〇総本山知恩院勢至堂での別時念仏三昧会は、大正6年以降、3月1日からの開催が毎年恒例となっていた。ただし、大正9年は、3月と10月開催。

以上の点から総合的に判断し、この便りは、大正9年3月2日に認められたものと推定。

また、中井師自身も『乳房のひととせ』に、「あの恐ろしい世界的流感の横行した時、沢山人が死んだ。私共の友人や知人も多く死んだ。・・・どこの火葬場も棺桶の列をなしと云ふことであった。そのうち自分も感染し、頭痛が加わり、熱は上った。」と記されています。

他にも、大正時代の流感性感冒に関すると推定される便り等がありますが、今回は、この程度にとどめたいと思います。

ただし、弁栄聖者の最後の病態、症状に関しては、是非言及しておきたい事があります。
病死因は「尿毒症」とされているようですが、「愚衲発病後の経過は三十八度より九度の間を往復してやまず。じつは近頃覚えなき熱度に候ごとし。」とご遷化の10日程前の大正9月11月23日に認められています(代筆か)。
流行性感冒によるご持病の腎臓疾患悪化等の可能性が気になるところです。
「大正八九年は流行感冒で多くの人が斃れた。」ことが大変気になり急ぎ見舞いに行かれた鈴木憲栄青年は「急性肺炎」による呼吸器障害に似た症状を気にされていますが、聖者の「咳の症状」の記述は、どなたも不思議と記録されていないようです。
また、医学的にはせん妄等の様相とも受け取れる症状があったためか、治療にあたられた医師等の所見では「脳梗塞」との合併症との見方もあったようです。
「病気の苦しみは苦しみとして如来さまの有り難いお慈悲はいかなる場合にも輝いている。」と外見上の苦しい病相とは全く異なる「心中の安楽な有様」が、例えば臨死体験者の報告等でもなされています。
また、釈尊の示寂前の肉体的苦痛を三昧力によって制御されたご様子とも重ね合わせ、自然界における肉体と心霊界における現象との異次元の相違を考えました。


前置きが大変長くなりましたが、本題に入ります。

今回ご紹介します、
『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』(山崎弁栄 述 中井常次郎 記)は、
弁栄聖者御遷化までの最晩年、およそ一年間(ひととせ)にわたる京都帝国大学工学部機械科講師であった中井常次郎師による弁栄聖者御講話等記録。
弁常居士『乳房のひととせ』が底本(弁常とは中井常次郎師の法名)。
なお、中井師は、弁栄聖者と邂逅の後、数年後、30代で京都帝国大学での職を辞し、弁栄聖者の光明主義の為に生涯を尽くされた方。

先ず始めに、些細なことですが念のため。
中井常次郎師(弁常居士)の職歴ですが、「教授」との表記が時々見受けられますが、京都帝国大学工学部機械科の講師。
中井師創設の南葵光明会の後継者である池田常山氏は、本書の「『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』刊行によせて」に、「大正六年、京都帝国大学工学部機械科講師として奉職」と明記されています。
なお、『お慈悲のたより 中』149には、「京都の中井氏の如きは大学の教授を受持ちながら」と認められていますが、この「教授」とは、教え授ける、つまり、講義、授業の意。

弁栄聖者のご遺稿は、主に大正期に記されているため、言葉の表現、内容ともに読み難いと感じる方が多いのではと思われます。
二年前に岩波書店から出版された、山崎弁栄『人生の帰趣』を読まれている方には、本書の講話内容は比較的理解され易いかもしれませんが、
本書は、僧俗信者等を前にした講話等の記録であり、「中井常次郎の聖者随行記」も随所に挿入され、「一貫して宗教者」であられた弁栄聖者の御相が彷彿とされ「生身の聖者」と対面しているかの様な工夫が施されています。

本書に関して是非触れておきたい重要な事柄が幾つもありますが、今回は、何点かに絞ってご紹介させて頂きたいと思います。

本書は、近代自然科学の洗礼を受けた工学専攻者が、「ひじりとは、どんな顔の持ち主かと、それが見たさに」弁栄聖者を訪ねたことに始まります。

ところが、極めて印象的なことは、
「上人のお顔を拝むことができなかったが、お裙のすそのさばきいとしとやかに我等の前にお坐りになったのを見ただけで、はや霊感に打たれた。」と、光明主義の教義を「知解する前」に、既に弁栄聖者への「信が目覚め」かけていたという点です。
もちろん、自然科学者であった中井師は、聖者の幅広く深い知識・知見と、「聖意が体現された」三業四威儀に接しながら聖者への信をより深めていかれます。

また、ある時の御講話に、
〇「仰信は初歩であって終りである。・・・仰信から解信、証信に進むのであるが、証を得るのは一部である。一分の証を得てから初めの仰信に帰るのである。」と聖者は一見何気なくご教示されています。
「仰信→解信→証信」と直線的に信仰が深まっていくものと一般的には考えがちですが、聖者のこの御教示は、深い宗教体験に基く、実体験からのご発言だからでしょうか、まことに合理的で説得力があります。

中井師は、念仏中に一部ながら証を得、「それは、明相というものだ。今後は仰信によって励むように」と聖者から御教示を受けていますが、田中木叉『日本の光(弁栄上人伝)』には、
上人「綱島梁川の光映というのは、あれは明相です。」と聖者は指摘されています。
「明相」とは、「難思光」位の「五根五力」において心霊界への深甚なる証入への一歩手前に蒙る感覚的な啓示の一種と云われています。

〇「念仏三昧を宗とし、往生浄土を体とす」
光明主義の特徴が端的に表現され、解釈上特に留意すべき表現と思われますので、便宜的に二つに分けて考察してみたいと思います。

「念仏三昧を宗とし」について
弁栄聖者は、御講話の中で、
「称名の音声に功徳があるのではない。」、「口に仏名を称えても、心が仏を離れては念仏三昧ではない。念仏中に悪い思いを起こせば、悪人になる。良くないことを考えながら念仏のまねをしてはいけません。」と厳しく戒められています。
念仏を称える際の心構え(「起行の用心」)を誤りなく確りと伝えるための表現であり、決して「(唯信)口称の念仏」を貶める意味ではないと推察されます。
あるところでは、
「称名はこの関門を叩くの声、憶念はこの法蔵を開くの宝鑰なり」とご教示されています。 ※関門とは三昧証入のこと。

田中木叉『日本の光(弁栄上人伝)』には、弁栄聖者の便りの一部を引用され、「三昧発得の稀有人」と三河の貞善尼を評されています。
このもとになった便りには、
「法尼の如く深い三昧の境に入りし者は実に稀有なり」と高く評価されつつも、一方で聖者は「宗教者」としての法尼に、化他への期待をこめられています。

貞善尼は、徳本行者への信が篤く、立礼拝、「唯信口称」念仏をとても熱心にされていたので、その噂を耳にした聖者随行者が聖者にお伝えしたところ、「いくら熱心に念仏していても空念仏ではしかたない」と漏らされ、そのことを随行者が貞善尼に伝えてしまいました。貞善尼は「何と酷いことを云われる」と聖者をお恨みに思い、時に悔し涙を流しつつ一心に念仏精進をされていたところ、ある時、自分は今まで「空念仏をしていた」ことに気付かれ、聖者の真意「憶念口称」念仏の深意を悟られ、後に三昧発得されました。
なお、金田昭教編『弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』274頁には、その三昧発得の貞善尼と因縁の深い武藤弁隆尼への、聖者の厳しい叱咤激励が記されており、尼僧をはじめ直弟子に対して、大変厳しい一面のあった聖者の有様がうかがえます。
「少しでもお叱りを頂けるようになればしめたものである。」と中井師は述べています。
「さようで。それでいいですね。」との慈愛の一面と、「神聖、正義」の厳しい一面も合わせ持っておられたようです。

次に、「往生浄土を体とす」について。
自由自在な無礙の「無余即無住処涅槃」の境界。自然規定である「肉の心」が霊化された、「心霊的自由」を得た無礙自在の境界。光明主義で云う「如来のお世嗣」。

〇「正見」について
一般に仏教では、成仏へと到る道として「八正道」(「正見」はその一つ)が説かれますが、光明主義における「八正道」とは、「お世嗣」となり初めて可能となる(獲得できる)行為と捉えています。

今回の新型コロナ感染症への重要な対策の一つである、「マスク」着用の効果に関して、当初から、専門家の見解に注目してきました。
5月の現時点では、直接・間接的に「マスク着用には、効果あり。」との見解が世界的に有力ですが、
新型コロナウイルス感染が世界的蔓延となる前、今年の2月頃には、「マスク着用には、科学的なエビデンス無し。」との見解が有力でした。ウイルスの粒子とマスクの穴の大きさとの関係、その一面のみの観点からの検証であったためでしょうか。

ここで「マスクの効用」の可否の見解を翻した事実を非難したいのではなく、「正見」を得ることの困難さを痛感しています。
と同時にそれに付随する「正当にこわがること」(「小爆発二件」寺田寅彦)の困難さも。

おそらく、現時点においても、新型コロナウイルスに関する科学的知見、その対処策における因果関係には、まだまだ不明な点が多いと思われます。
現在見聞している新型コロナウイルスに関する情報だけでも、このこのウイルスの実に巧妙な生存戦略は、驚異かつ脅威現代社会に暮らす地球上の人類に、顕在、潜在的に人類が直面していながら避け続けている人類の難題を次々と突き付けてくるように感じています。

そんな中にあって、例えば、ノーベル生理学・医学賞受賞者山中伸弥教授の発言等は、未知のウイルスの解明を模索する科学者の姿勢、その良心と責任、謙虚さを感じ、とても感銘深い行為と思われます。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。」

宗教上の「正見」に、科学的知見をも含めることに違和感を感じる方がいるかもしれませんが、
光明主義における「如来のお世嗣」とは、三身即一の広義報身(自然界と心霊界を統御する大宇宙全一の根本仏)の真理、法則を認識、その知的側面をも悟った境界。数学者として名高い岡潔博士が、弁栄聖者『無辺光』を絶賛し、推奨されていたのは、聖者独自の「四大智慧」論のため。

本書には、弁栄聖者の印象的なエピソードが随所に挿入され、その一つに、パンを巡る聖者の行為が記されています。
その行為を目撃した中井師が感銘を受けたのは、聖者の「慈悲」の行為とその根底にある「智慧」の発露ゆえと推察されます。三身四智の聖者の行為においては、「慈悲と智慧とは、相即不離」。

光明主義文献刊行会編集部では、本書「まえがき」に、
「弁栄上人の教えの根幹にあるのは、宗教の目的は真理追及であって、正しい幸福は真理の本質的属性として真理に伴うものだということである。」と指摘されています。


〇「授戒会」について
田中木叉『日本の光(弁栄上人伝)』には、「いつものごとく道場に幕を張り廻して雲半身の尊像をかけ念仏のあいまにご説法。」この授戒会を評して、通常の別時念仏三昧会の形式であると。

ここも一見何気ない表現ですが、真の道徳は、光明獲得(宗教体験)によって実行可能となり、念仏(「他仏を念じて自仏を作る」)による霊化(霊育)、そのことを前提としなければ、真の道徳は成立しえず、理性的次元、すなわち、大脳前頭葉による意志的抑止に基づく道徳的行為は、実に脆く危ういとの示唆と受け止めます。

「正見」の智力同様、「正見」に基づく「正業」の実践力の前提となる、特に「自他弁別本能」、その無明の働きを抑制する「自由意志力」。

「真の自由」とは、自然規定である「肉の心」を離れて、「心霊的自由」を得ることに依る。 (「妙観察智」弁栄聖者『無辺光』の取意)

「肉の心」とは、聖者直弟子の笹本戒浄上人がよく用いられた表現ですが、本書には「肉の心」と表現が明記され、弁栄聖者ご自身の表現であることが判明。

なお、『如来光明礼拝儀』の「念仏七覚支 (五)定覚支」は、「初歩の仏眼」を得る境界とされ、「尽(すべ)ての障礙(さわり)も除(のぞ)こりぬ」と表されています。
一方で、 弁栄聖者『光明主義注解』11頁には、
「三身四智の仏眼、無生法忍を実現すると、一往浅いながらも大部分の無明滅して明が現前した自受用の境界となり、(無明が完全に滅するということができるのは認識的一切智の境界である)」と。極めて重要かつ貴重な御教示。
三身四智の聖者自内証からの厳密にして深甚微妙な境界が明記され、驚嘆します。

弁栄聖者のこの御教示はとても困難で極めて程度が高いものですが、現在の新型コロナウイルス感染禍での、不自由なストレスフルな持続的な生活状況下において、その方向性の正しさを、以前よりも実感できるようになりました。

上述の他、
〇弁栄聖者における「五戒の新解釈」
〇真宗との比較、中島上人・伝統的浄土宗乗との比較
・「阿弥陀仏」・「西方極楽浄土」・「法蔵菩薩」
・「第十八願」
・「五種正行」
・「安心」と「起行の用心」
〇「念仏三昧三十七道品」
〇「現世から来世への移行の仕方」
〇「人間の身体と大ミオヤの霊体との関係」
〇「『礼拝儀』無対光 「摂化せられし終局(おわり)には」への訂正指示」
〇「妙観察智 「今は、これを述べない。」」
〇聖者言及のポール・ケーラス『仏陀の福音』 。その緒言は、鎌倉円覚寺二百七世釈宗演師で、翻訳者は、鈴木貞太郎、即ち、鈴木大拙氏。
シカゴ万国博覧会開催は、明治26年。
本書の発行は、明治27年12月31日で、当時、弁栄聖者は、仏跡参拝のため印度へ渡航中。

などまだまだ言及したい点があります。
さらにはまた、
聖者の眼鏡姿といった興味深い意外な事実も。
最期に、是非とも触れておきたい点があります。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、今回の世界的な新型コロナウイルス感染症への対処策として、地球的な立場から、他者との連帯、共助、信頼等を挙げ、
「我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は心の内にある悪魔である。」
と鋭く指摘されています。

危機は往々にして、地下水面化にあった諸問題を露呈させます。このたびは、医療・福祉の問題が先ず危機に晒されました。様々な格差、経済、政治、教育制度、社会的インフラ、芸術文化面などの他方面に渡る諸課題、そして、心理的不安による人間性の負の面(利己性、差別、デマ等)の噴出。

何よりも課題の困難さの根底にあると思われるのが、何人も逃れることのできない生理的な自然規定無始の無明である「生きんとする意欲」と、自然界の生物である人間ゆえのその無明に付随する不可避の「自他弁別本能」。
この二点は、何人も逃れることができない自然規定ですので、具体的な方策を模索する際には、この自然規定から決して眼を離してはならない。まことに困難な道ですが、そのように痛感しています。

本書の終わりの方に、 大正3年に一枚刷りで頒布された「【資料】光明会趣意書」が掲載されています。
大正3年は、1914年にあたり、世界分断の象徴的事件である第一次世界大戦勃発の年。
この「光明会趣意書」には、伝統的な個別の聖名である「阿弥陀如来」の表記はなく、
「三身即一、無始無終の超在一神的汎神の根本仏」を、「大御親(ミオヤ)」聖者独自の新造語で表現されています。
「神仏の御名」が宗教対立の根幹にあると仮定すれば、聖者は100年以上前に、既に「人類対立の彼岸」に立たれていたといえましょうか。その慧眼に念いをはせています。

南無焔王光仏
「衆生無始の無明より 惑と業苦の極なきも
大焔王の光りにて 一切の障り徐こりぬ」


南無智慧光仏
「如来智慧の光明に 我等が無明は照(てら)されて
仏の智見を開示して 如来の真理(まこと)悟入(さとら)るれ」


南無無礙光仏
「如来無礙の光明は 神聖正義恩寵の
霊徳不思議の力にて 衆生を解脱し自由とす」

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-03-01

弁栄聖者遷化後100年記念事業、「展示会」及び「出版」予定について


2020年の本年は、
弁栄聖者遷化後100年記念事業
として、
以下の「展示会」及び「出版」が予定されていますので、
お知らせいたします。

〇「展示会」

2020022901.jpg

【開 催】山崎弁栄上人没後百年顕彰事業企画展
「弁栄展―柏が生んだ聖―」


1 開催期間
令和2年5月27日(水曜日)から令和2年9月30日(水曜日)まで
新型コロナウイルス肺炎感染拡大防止の措置として、
開催を延期していた企画。
社会情勢や感染拡大状況によっては、
開催期間内であっても予告なく、
展示室を閉鎖・企画展中止となる場合あり。

2 場所と時間
場所 柏市郷土史料展示室(柏市沼南庁舎2階)
時間 午前9時30分~午後5時
※月曜日休館(祝日・振替休日は開館)

3 入場料
無料

4 主催
柏市教育委員会

なお、来場の際の注意事項については、
HPをご覧ください。

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〇「記念出版物」

現在、amazon等でも予約受付中。
→3月末に発行。

以下、求龍堂のHPより転載。

求龍堂選書シリーズ《 山崎弁栄 》
『山崎弁栄 光明主義講話 大悲のことば』
刊行:2020年3月


暗黒に迷っている人々の心を明るい光明の中に導く、
弁栄上人の生のご法話
現代の釈尊と称された弁栄上人の法話の記録

本書は、浄土宗から出て「光明主義」という一派を起こされた
山崎弁栄上人(1859~1920)が
在家信者に向け平易に説かれた法話の記録を、
現代表記に改めて再編集したものである。
原文の記述者は上人の晩年の直弟子で、
上人滅後、京都大学講師の職を辞し
郷里和歌山において南葵(なんき)光明会を創設した
中井常次郎居士(法名中井弁常)、
原典は中井居士の著書『乳房のひととせ』(昭和18年、無憂園刊)に
記載された上人法話録である。
原著には弁栄上人に随行した思い出などが書かれているので、
その中から印象的な話を10話選び、コラムとして掲載。
弁栄上人が起こした「光明主義」とは何か。
死後に極楽に往生するという、
来世の救いのみを強調するのではなく、
この世から仏さまの光明に照らされ、
霊性(れいせい)が育まれていくこと、
そして仏さまをどこまでも深く畏敬し、
お慕い申す念仏の行、
これこそがお釈迦様・法然上人の遺志に適うこと
と確信し唱導したのが「光明主義」である。
今現在、暗黒に迷っている世の人々の心を明るい光明の中に導き、
この世から、仏さまの光明の中で生活ができるよう
に導くことを目的とした教えである。
「光明主義」を起こした弁栄上人は、
上人を知る人々によって現代の釈尊と仰がれ、
創設した「光明会」の内部では弁栄聖者と尊称されている。
その教えは修行者が相応の時間を有して覚るべきものであるが、
上人は伝道行脚の日々の中で、膨大な量の遺稿を書き残した。
しかし、弁栄上人の生の法話を直接記録したものは決して多くはない。
中井居士が書き留めたこの法話録は、
弁栄上人最後の一年間に記録された
「釈迦の口から直接説かれた教え」であり、
仏教信仰の勘所を伝授される思いがするとともに、
上人の話を直接聞くような臨場感を味わうことができる。
弁栄上人を身近に感じることができることこそ、
本書の最大の特長である。

<目次>
出会い           
【誌上問答】永遠の生命と生死解脱について
山崎弁栄上人法話録
【その一】横浜久保山の光明寺での法話
題「念仏三昧を宗となし、往生浄土を体となす。」
題「ほとけ念いの心について」
 中井常次郎の聖者随行記(1) 
【その二】当麻山無量光寺での授戒会の説教
 中井常次郎の聖者随行記(2) 
【その三】時々承った話を集む
【その四】京都知恩院山内勢至堂別時
 中井常次郎の聖者随行記(3)  
【その五】三月別時の夜のお話
 中井常次郎の聖者随行記(4)  
【その六】京都市中井宅での講話
講演 宗教の意義
 中井常次郎の聖者随行記(5)  
【その七】京都市恒村医院にて
 中井常次郎の聖者随行記(6)  
【その八】黒谷瑞泉院別時中の法話
 中井常次郎の聖者随行記(7)  
【その九】七月別時(瑞泉院・恒村医院でのお話し)
【その十】当麻山無量光寺別時での法話
題 十二光仏講義
○光化の心相(宗教心理論)
○宗教倫理
中井常次郎の聖者随行記(8)  
【その十一】信州唐沢山阿弥陀寺別時における説教
 中井常次郎の聖者随行記(9)  
【その十二】京都知恩院山内勢至堂別時
 中井常次郎の聖者随行記(10)  
【資料】光明会趣意書
如来光明会の趣意
弁栄聖者略伝
○後注
○文献案内
あとがき
『山崎弁栄上人法話録』刊行によせて

述/山崎弁栄
記/中井常次郎
企画・編集/光明主義文献刊行会、南葵光明会

四六判 並製本 272頁(図版8点)

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

2020-01-18

吉水岳彦著『お袖をつかんで』を巡って


2020年(令和2)年1月17日は、
1995年(平成7)年1月17日の阪神淡路大震災発生から、
25年になります。

日本の大都市における未曾有の大災害として、
様々な課題を、現在にまで投げかけ続けています。

災害時の支援に奔走された浄土宗僧侶としては、
明治大正時代に活躍された颯田本真尼が知られています。
今回は深入りしませんが、以下の2冊があります。

〇藤吉慈海著『颯田本真尼の生涯』
〇金田昭教編集『山崎弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』
340頁〈解説 颯田本真尼〉。


2008年10月に、
吉水岳彦氏が、大正大学へ提出した学位請求論文、
「霊芝元照の浄土教思想」

2009年4月に、
ホームレス状態の方へおにぎりを配る、
「ひとさじの会」が、
吉水氏により発足されています。
また同時に、
「為先会」の中心人物の一人でもあります。
この両面の併存、
このことは吉水氏の活動を考える際、
決して忘れてはならないことだと思われます。

その博士論文執筆から7年後、
2015年11月に出版されたのが、
吉水岳彦著『霊芝元照の研究ー宋代律僧の浄土教ー』

元照に関して、
山崎弁栄講述『宗祖の皮髄』には、
元照の「仏種」に対し、
弁栄聖者は、「聖種子」と表記され、

「人の本有の性は無定性にて、
しかも一切の種子を薫習する性能あり。」
と。

聖者は、
従来の「仏性」という表現から、
宗派宗教の枠を突破し、
より開かれた「霊性」という表現をされました。


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今回取り上げます、
吉水岳彦著『お袖をつかんで』は、
『無量寿経』に説く四十八願に準拠し、
東日本大震災の翌年の、
2012年6月から2016年8月の四年間に渡り月一回、
光明会機関誌『ひかり』に掲載された記事の書籍化。
※ 発行所は、「光照寺」内。

先ず始めに、よくご覧になって頂きたいのが、
この本のブックカバーのデザインです。

「月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむる人の 心にぞすむ」


有名な浄土宗歌ですが、

このブックデザインは、
如来様側と衆生との両方の目線から、
具体的に描かれている点に大きな特徴があると思われます。

輝く月の光に照らされる元、
お地蔵さんの様なお坊さん達が一緒に歩まれています。
注意深く見ますと、一人として同じ所作はありません。
輝く月の元、皆と行動を共にしながら、
各人がそれぞれなりの祈り方をしています。
一番後ろの者は、何かに話しかけている様です。
表ではなく裏のブックカバーを見ますと、
一人木陰で、月に念じています。
また、
挿絵にはお地蔵さんのような僧侶の姿が描かれています。
上から人を導くのではなく、
辻道にひっそりと立ち、
ささやかではあるけど、目立たないけれども、
人々の日常の生活こころの拠り所となる、
そんなお地蔵さんの姿。

このデザイン、挿絵は、
山﨑まどか氏によるもので、
支援活動の現場等で吉水氏の活動をご覧になり、
吉水氏の立ち居振る舞い、考え、人柄等をよくご存知の方、
更に言えば、
吉水氏の「理想の信仰の在り方」を描かれたのではないかと推察されました。

ちなみに、
批評家の小林秀雄氏、弁栄聖者ともご縁の深い河波定昌師を、
「月の人」と評されたのは、批評家の若松英輔氏。
太陽の様に自らの力によって輝くのではなく、
太陽の光を受けて、自づと自らも輝き、人をも照らす「月の人」。
「一隅を照らす」
伝教大師最澄の言葉を思い出しました。

また、博士論文の執筆後、論文の書籍化までの数年間、
この記事が書かれていること、
吉水氏の関心が律僧にあること、
この二つを頭の片隅に置いて本書を読まれると、
また違った味わいが感じ取れるかもしれません。

『法然 イエスの面影をしのばせる人』の著者、
井上洋治神父が信奉された「法然上人像」に通底するものを、
吉水氏も感じ取っておられるのかもしれません。

浄土宗僧侶の吉水氏の活動に、早期から注目され続けている一人に、
批評家の若松英輔氏がいます。

若松氏ご自身はカトリックの信者で、
最近、社会問題への発言も積極的になされていますが、
若松氏の師匠が井上洋治神父であることは知られています。

なお、令和2年2月27日に、
若松英輔、吉水岳彦両氏により、
「貧困への無関心を越えて」
というテーマで、
対談が行われます。

上述しました『お袖をつかんで』の本が出来上がる経緯から、
吉水氏は、始めから弁栄聖者、光明主義の信奉者で、
この本も、光明主義の立場から書かれていると思われるかもしれませんが、
「第三十歩 いのちがけ」に率直に記されていますが、
弁栄聖者への「かなり強い偏見」からは解き放たれつつある過程上で、
この本は書かれている様に思われます。

吉水氏のお寺「光照院」は、
漫画「あしたのジョー」の舞台としても知られる、
浅草山谷にあります。

山谷近辺の歴史を調べている過程で、
福田行誡上人、弁栄聖者との関係に関心を深くされ、
『行誡と弁栄展』図録において、
吉水氏は、行誡上人を担当されています。

浄土宗僧侶である吉水岳彦氏の諸活動は、
現在の光明会の在り方に、
ある課題を投げかけている様に思われます。

法然上人における「一枚起請文」ともいうべき、
弁栄聖者の最重要のご教示である、

【弁栄聖者御垂示】

「真理の終局に帰趣すれば仏界に入るなり。
仏界に帰するは真理なる故に自然なり。
法然なり。故に易往といふ。
唯絶対無限光寿即ち
弥陀の聖名を崇め聖意を仰ぎ帰し奉りて、
意に至尊をのみ憶念し、
口に聖名を称え、
身に聖意の実現に行動すべし。
一念弥陀なれば一念の仏。念々弥陀なれば念々の仏。
仏を念ずる外に仏に成る道なし。
三世諸仏は念弥陀三昧によりて正覚を成ずと南無」


において、
「身に聖意の実現に行動すべし。」
と、積極的な行為へのご教示をされています。

『如来光明礼拝儀』の「昏暮の礼拝」、
その「至心に懺悔す」
には、

〇「作す可からざる罪を造り」
〇「作すべき事を怠るの罪に陥いれり」

と、罪に、積極・消極の二面の罪を含めています。

『お袖をつかんで』には、
吉水氏の「友情物語」と、「専修念仏体験」が、
その基底を貫かれている様に思われ、
ご自身の体験から紡ぎ出された生きた言葉、
教学的な学説を消化されたご自身の思索に基づく生きた言葉、
その迷いながらも一歩一歩歩まれている姿が、
感動を呼び起こします。

例えば、
「支援」ではなく「支縁」と表記されています。
そうとはいえ、時に、
「親身になることから時折逃げたくなることもあります。」
と正直にご自身の気持ちを吐露されています。
そんな時、
人気のない温泉に招く吉水氏の親友の思い遣りに、ほっとします。

被災地における、
暖かい食事と暖かい風呂の重要性。
阪神・淡路大震災時に、
中井久夫氏が認識され、実践されていた事。
支援には、深い人間洞察に基づく、智慧と実践力が、
必要であることを教えて頂けます。
※ 参考図書は、文末。

「支援者を支える支援者(エネルギーの供給源)は、
支援活動における必須条件」
とは、
災害支援の実践から得られた極めて重要な智慧の一つかと思われます。

後述します、阪神・淡路大震災時とその後も、
正に身を粉にして献身された精神科医の安克昌氏。
安医師は、震災の6年後の2000年12月2日、肝細胞がんのため、
39歳の生涯を閉じられました。

「自分の体を通して他者の毒を濾過する。
このことは、神ならぬ人がしてはならないことだった。」

とは、安医師の悲痛なる遺言でしょうか。

※ 肝細胞の働きとは、
「たんぱく質の合成と貯蔵」、「解毒作用」、
「胆汁の生成と分泌の促進作用」と言われています。

なお、阪神・淡路大震災、東日本大震災において、
正に献身的な働きをされた方のその後の余命が短い様な気がしています。
いまだに、その意味、意義はわかっていません。
「溺れる者を助けるためには、先ず自分が溺れない事だ」
との教訓と同時に、宮沢賢治の思想も念頭に置きながら。

弁栄聖者の「全分度生の在り方」は、
理性的次元における堅固な道徳的意志力ではありません。
その行為を在らしめている根源は、
三身四智の仏眼による、
大ミオヤとの形式・内容全面での三昧合一

その「内霊応に満ち給う」状態における、
豊かな四大智慧(無辺光)と内発的な霊的意志力(不断光)の発現

と拝察します。

また、本書には、
「霊妙の力」に戸惑う吉水氏の姿が率直に記されています。

ただし、2019年5月刊の『行誡と弁栄展』図録の20頁
若くして愛娘を亡くされ悲嘆のどん底にいる母親に、
弁栄聖者が染筆された観音様の逸話に、
吉水氏は素直に感嘆されています。
(金田昭教編集『山崎弁栄上人百回忌記念 墨跡仏画集』)163頁にも記載。

「如実知見」

常識的には信じ難い事ですが、
「肉眼特殊、五眼一般」の立場は、
三身四智の聖、弁栄聖者には常識であったようです。
※ 「五眼」とは、肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼のこと。

東日本大震災を契機に、
「臨床宗教師」に注目が集まっています。

あくまで私見ですが、
「臨床宗教師」に求められている重要な事は次の3点、

〇「被災者のこころに寄り添うこと」
〇「現存者、亡くなった者の人生の意味」
〇「亡くなった後のこと」

最後の項目以外は、
こころに関心を寄せる専門家を含む全ての人が、
覚悟すべき実存的な問いですが、
最後の項目は、特に宗教者に求められている切実な問い。

「臨床宗教師」は、
原則として、特定の宗教の信条を押し付けない、
ことが大前提だと思われますが、
それゆえに、
特に最後の項目に関して、
「臨床宗教師」の実際的な関わりに関心があります。

奥野修司著『魂でもいいから、そばにいて
3・11後の霊体験を聞く』


なお、著者の講話が、YouTube、
「第18回 現代仏教塾」、
「魂でもいいからそぼにいて」

にアップされています。

この切実な悲痛な魂の叫びに、
宗派宗教の教義、あるいは、個人の信条に基づかずに、
「臨床宗教師」はいかに応え得るか、にです。


さて、吉水岳彦著『お袖をつかんで』には、
内省に向かわせる力があり、
考えさせられた事も多々ありましたが、
「第四十歩 美しさの徳」には、
ご自身の体験から、
「美の働き」に関する極めて重要な洞察が述べられています。

批評家の若松英輔氏が、
柳宗悦氏に見出されたものと同種の、
真、善では為し難い「美の功徳」。
調和と一致・同化の働き、真の平和の源泉。

ただし、吉水氏の場合は、
「人格的な聖容」への憧憬がある様に思われます。


最後になりましたが、
冒頭に関しまして、お知らせしたいことがあります。
阪神淡路大震災時に「心のケア」の第一線で活躍された、
安克昌精神科医師の著書、
『心の傷を癒すということ』原作がドラマ化。

NHK総合、土曜ドラマ全四回、
「心の傷を癒すということ」
の第一回は、
令和2年1月18日(土)21時~21時49分。

安和隆(安克昌医師)役は、柄本佑氏、
永野良夫役は、近藤正臣氏で、
『心の傷を癒すということ』に序を寄せられている、
神戸大学名誉教授中井久夫氏がモデル。

NHKのドラマを知り、あるいは、ドラマを見て、
安克昌氏に興味関心を持たれ方には、
〇「安克昌先生と私」(中井久夫著『「昭和」を送る』)
をお勧めします。

安医師の友人からの貴重な記録としては、
〇「友人・安克昌医師の死 精神科医 名越康文」
(藤井誠二著『「壁」を超えていく力』)


専門的にはなりますが、
〇「二 安克昌の臨床」(杉林 稔著『精神科臨床の星影』)
〇「[特集] 安克昌の臨床世界」(『治療の聲』第9巻第1号 2009年2月)

また、東日本大震災時においても影響があったと思われます、
中井久夫氏の次の本も是非ご紹介したいと思います。

中井久夫著『災害がほんとうに襲った時』

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2019-10-16

『辨榮聖者 光明主義玄談 巻四』笹本戒浄上人述 泉虎一記の発刊!


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『辨榮聖者 光明主義玄談 巻四』笹本戒浄上人述 泉虎一記が、
2019(令和元)年7月下旬に刊行されました。

この巻四の刊行をもって、
『辨榮聖者 光明主義玄談』笹本戒浄上人述 泉虎一記
全四巻
が揃いました。

hirasawa@hanzomon-m-clinic.jp
平澤伸一氏宛にメールでも、注文可。
各巻二千円(送料別)。

笹本戒浄上人による弁栄聖者及び光明主義解説は、
芦屋、聖堂発行の『笹本戒浄上人全集』、
『辨榮聖者 光明主義注解』等
により学ぶことができましたが、
この度の、
『辨榮聖者 光明主義玄談』笹本戒浄上人述 泉虎一記の発行によって、
比較的安価、しかも、携帯としても便利、
かつ、戒浄上人の御教示の真髄が、
戒浄上人の肉声に近い感覚でもって拝読できることは、
まことにありがたいことです。

「光明主義文献発行会」の方々、
また、本書の元となった原稿を準備された、
故小川純氏に感謝申し上げます。

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繰り返しになりますが、
本書を読む際に留意すべき点を、
やはり、強調しておきたいと思います。

先ず第一に挙げるべき点は、

「弁栄聖者の真髄は、
聖者の三身四智の仏眼から帰納的に説かれたもので、
『原始経典』」、『大乗仏教経典』等どこにも記されていない」

と強調されている点。

これでは「盲信」ではないかと、
疑義をいだかれる方がおられるかもしれません。
笹本戒浄上人による「偏依弁栄」の表明ですが、
もちろん、戒浄上人の「盲信」ではなく、明確な根拠があります。
巻四の「【付録三 『笹本戒浄上人偲び草』から】
をご一読下さい。

文献学における「大乗非仏説」
が大前提となっていると思われます。

また、「信」とは何か
という現実的な難題が含まれていますが、
ここでは立ち入りません。

なお、「大乗非仏説」に関しては、
大竹晋著『大乗非仏説をこえて
大乗仏教は何のためにあるのか』

が大変ご参考になると思われます。

大竹氏は、同書において、

「われわれは大乗経が仏説であることを論証することは
不可能であると率直に認めなければならない。」

と明言され、

「大乗経が仏説であることは、
推理によっては決して論証されるべきことではなく、
大乗経にもとづいて修行した者たちの悟りの体験によって
自内証("個人的に確証")されるべきことなのである。
悟りを齎す以上、大乗経はいつわりではない。」

と明言され、
その解決策、「体験的大乗仏説論」を提示されています。

また、大竹氏は、
「"現に修行して悟りを体験できる法なら、
誰が発見されたのでもよい。大乗非仏説でもよい。
わたしも大乗非仏説と思う。"
ー弁栄はそう言い切っている」
と。

この個所は、おそらく、
「又は大乗非仏説を主張する人に、
上人 「現に飲んで効能のある薬なら、
誰が発見してもよい。大乗非仏説でもよい。
私も大乗非仏説とおもふ。」

(田中木叉著『日本の光(弁栄上人伝)』)
によっていると思われます。

第二に特記すべき点は、

「私がこの世に居る間は言ってはいけません。
後日いうべき時が来ますから、
その時には将来の光明主義のために、
はっきり、笹本がこのように言っておったと発表して下さい。」
と、

弁栄聖者→戒浄上人への真髄が、泉虎一氏に口伝されたとされる点。

「笹本戒浄上人と戒浄上人主義とは、分けて考えるべきだ」。
と以前耳にしたことがあり、ずっと気になっていましたが、
今回の一連の書によって腑に落ちました。

戒浄上人の御教示には、
泉虎一氏を除いて、
他の方々が聴いていないものが含まれている

ようであるということがよくわかりました。

笹本戒浄上人の真髄は、
特に教義面においては、泉虎一氏を核として、
特に布教、度生面では、杉田善孝上人を核として、
それぞれ伝承された様に推察します。

今回発行された一連の書は、
「宗教の奥義書」とでもいうべき本ですが、
笹本戒浄上人、泉虎一氏への「信(頼)」が、
読解する上での大前提
となると思われます。

笹本戒浄上人に直伝されたとされる弁栄聖者の御教えは、
幾多の科学的発見が、
従来の「定説」を乗り越えた発見であったことと同様、
前人未到の発見的真理が含まれていることが想定されます。
弁栄教学は、
浄土宗乗、大乗仏教、または、原始仏典に適合するか、
更には、他宗教等との比較研究といった次元に留まらず、
大宇宙の真理に合致するか否かといった、
より高次元の解明
が求められているようさえ思われます。

また、
本書を拝読しながら、
数学者、岡潔博士の戒浄上人観を思い起こしました。

「(光明主義の弁栄聖者の跡を嗣がれた笹本戒浄)上人は又こうも言われた。
弁栄聖者が自ら実施踏査済の事実として切り開いて下さった
終局目的である認識的一切智を実現する過程において、
必ず達成しなければならない二次目的と
三十七道品で示される中心道の修行法の全体を信じて
お念仏する時現在の自分より一歩進んだ所に当座の目標を定め、
当念の念仏によって必ずその目標を達成するように努力せよ
」と。

終り迄聞かす事は初めて入ろうとする人に話す時に必要である。
最後迄どうなるかを知らせて、人に取捨選択さす事と、
心構えをしっかりすること、のため
である。

これも光明主義の達人としての笹本上人の御意向の現われと思う。
私が上人において特に感心するお偉い点は、
お念仏がはっきりできるようになるまでに十一年
ごく初めのところに十分力を入れておられるのと、
弁栄聖者とその光明主義に無私であった点です。」
(「戒浄上人の偉大な点  奈良市 岡 潔」
『笹本戒浄上人(笹本戒浄上人全集 別巻)』)


数学者岡潔博士の慧眼を感じさせる「笹本戒浄上人観」ですが、
ここで、「選択」の意義に触れておられます。

今回の巻四には、
泉虎一居士直筆、「択法覚支」の色紙が掲載されています。

「択法覚支の心を詠みて
絶対の報身の慈悲の相好を
己が真の姿とぞ見る」


「択法覚支」の境界で、
「大ミオヤを真実の自己」と、
「三身四智の仏眼」とは程度の差こそあれ、
認識されている点は、極めて重要であり、
信念の如何に左右されるゆえ、
慎重な吟味が要請される「起行の用心」。

この色紙をよく見ますと、
薄い黒い跡が点在しています。
「泉氏が色紙を押さえながら、一字一字、丁寧に書き記されたため。」

この色紙の内容は、もちろん、

「弥陀の身色紫金にて
円光徹照したまへる 
端正無比の相好を
聖名を通して念ほえよ
総の雑念乱想をば
排きて一向如来に        
神を遷して念ずれば
便はち三昧成ずべし」
 

弁栄聖者の七覚支の第一、初めの「択法覚支」を踏まえたものです。

泉氏が、「択法覚支を最重要視」されたのは、
正に、弁栄聖者→笹本戒浄上人へ伝授された、
「光明主義の真髄」、すなわち、
"宗教の真髄"を意図されたためと推察されます。

『光明主義玄談』(巻一~巻四)には、
心情面を刺激する過激な表現が散見されますが、
この「選択」の意義の"泉氏流の表現"だとも受け取れます。

なお、
この「択法覚支」に関して、
是非触れて置きたいことがあります。

「仏眼が開けると一往正常健全ということができる。」

とは、弁栄聖者の笹本戒浄上人への御教示ですが、
ここで、聖者が「一往」と釘をさされていることに留意したいと思います。

「徳本行者の三昧は深くして深かった。」
と、弁栄聖者は、徳本行者を極めて高く評価されていますが、
徳本行者は、初歩の仏眼で、
大ミオヤの広義の報身の仏身論、
(妙色相好身は、独立自存の絶対的現象態)を直感

善導大師と法然上人は、
最晩年の三身四智の仏眼において初めて認識された
とのこと。
徳本行者は、伝統教学における拘束から比較的免れていたためと拝察されます。

なお、岡潔氏は、
お念仏がはっきりできるようになるまでに十一年
と戒浄上人が仰られたと指摘されています。

弁栄聖者は、「六年」(『日本の光(弁栄上人伝)』)、
田中木叉上人は、「十年」は(『田中木叉上人遺文集』)と、

とそれぞれ仰られたようです。
根拠は不明ですが、その理由を是非知りたいところです。

「択法覚支」に関して、
更に、重要な点は、

『光明主義玄談巻三』に、
「仏身論のコペルニクス的転換」と明記されている点。

「聖者は宇宙全体・一切の現象の本体である《法身》ではなく、
法身の粋・全法界(全宇宙)の中心である所の
《報身》が最高の統摂者であり根本仏である。
これが事実であり真相であるという事を解き明かされたからです。
従来の仏身論ではこれが逆になっていた。
従来の浄土教では法身が根本仏であり、
報身の妙色相好身は法身に規定せらるる
心霊差別の現象であるとされていた
からです。
三身即一本有無作の内的目的論的報身が法身の中心であり
最高の統一者であるという事実を明了に三昧体験する

事が出来なかった為に、
本来の関係を逆にして天動説に相当するものを説いていたのが
従来のいわゆる酬因感果の説であると。
光明主義の拠り所は経典ではなく、
聖者が三身四智の仏眼で三昧直感された内容
です。
これまで釈尊・善導大師・法然上人・徳本行者が
その境涯に到達しておられた
にも関わらず
その事実が明瞭に説かれる事はありませんでした。
これも聖者が三昧直感された事ですが、
ここに光明主義の意義がある
事は言うまでもありません。」

表記に留意しながら、丁寧に読み込みますと、
そこに込められた意図が読み取れるように感じられます。

例えば、
 「応身仏釈尊の仏眼は円満、弁栄聖者の仏眼は豊か」
と表記されています。
「三身四智の仏眼にも、深浅がある」
ことの留意のため。

「観念的一切智の間は、
慈悲の聖容を拝みたいと念じなければ
その御姿を拝む事が出来ません。
しかし認識的一切智を得ると、
慈悲の聖容を見奉りたいと念ずる意思活動を必要としないで、
意識活動をしている時には
常に自由に報身仏の御姿を見奉っている
自在の境涯が実現します。
(しかし)人間は肉体を、持っているので
認識的一切智が実現しても、
文字通り十方三世一切の差別の内容を
ことごとく詳しく具体的に識別出来る訳ではありません。
認識的一切智によって識別出来る
差別の現象の内容と範囲は(状況により)変化する
のであって
識別出来ない差別の現象については
その差別の内容を規定する大ミオヤの法則を
了々と認識する
という訳です。
それで誤解を防ぐ為に認識的一切《知》とするのが良いと思われる
と戒浄上人様はおっしゃっておられます。」
(『光明主義玄談巻三』 )

「観念的一切智と認識的一切智」との相違をある程度理解されている方でも、
この認識的一切智に関する戒浄上人の御教示には、
はっとされた方もおられるのではないでしょうか。

また、
「肉の心」に関する戒浄上人の丁寧なご教示などは、
戒浄上人の御教示なかりせば、
弁栄聖者の真髄が伝わらなかったであろうと、
推察される最重要の弁栄教学の特徴の一つ。

本書の巻四には、本書の編者の一人が、
「帰納法」、「内的目的論的」、「直線道」
に関する重要な解説を記載されています。

「周知の様に真理探究の方法としての「帰納法」は
いくつかの把握された事実から一般的結論を導くもので、
特に自然科学において重要な手段となっていますが、
厳密に言うとそれは常に「不完全帰納」なのであって、
「完全帰納」と言うものはありません。
何故なら実際に把握される事例は必ず有限個であり、
遂行可能な実験は必ず有限回数であるからです。
光明主義において「完全帰納」が成立する理由について
泉先生は
「三身四智の仏眼(光明主義に言う無生法忍)が実現すると、
諸仏中の一仏や根本仏の一面と(だけ)でなく、
絶対中心の『一』と合一する故に、
相対的一即一切が解消されて真の一即一切が成立する。
ここにおいて初めて不完全帰納を脱する事が出来、
有限回数の三昧体験が完全帰納となる」

と説明されました。

もう一つ、
「内的目的論的」については講義中に次の様に説明されました。
「最尊の仏(絶対者)が衆生を自己に帰せしめる目的で
衆生を誘引する場合は内的目的論的活動。
これに対して、
最尊でない諸仏が衆生を最尊の仏(絶対者)に帰せしめる目的で
衆生を誘引する場合、外的目的論的活動となります。」


蛇足ながら、強調しておきたい点があります。

光明主義中心道(直線道)とは、
「修行の途中で何ら報身論の根本と見仏論の核心を
変更する必要のない一番いい見仏の道」。

何故なら、この修道論が、
「三身即一の広義報身の仏身論から、
必然的に導き出された修道論である」
からであり、
「指方立相」を意図したものではない
という点は留意すべきと思われます。
また、
「直線道」とは、
修道論上における謂であり、
衆生済度における「度生論」においてではない。

という点も、留意すべき点と思われます。

弁栄聖者のご行状が、何よりもそのことをお示しくださっています。

最後に、
笹本戒浄上人の遺言ともいうべき金言を引用します。

「見仏が成仏の唯一の直線道で、
実に釈尊の真精神である、というのは
実に弁栄上人様の真精神で光明主義の生命とするところでありますから、
弁栄上人様の光明主義を信奉する私共と致しましては、
弁栄上人の真精神を述べなければならない場合には
何のためらうことなく、
見仏が成仏の唯一の直線道で実に釈尊、弁栄上人の真精神である、
といわなければなりません。」


「しかし、他の信念を持っていらしゃるお方に対して
少しでも不遜な態度をとるようなことがあってはなりません。」

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:syou_en
山崎弁栄(べんねい)聖者(1859~1920)に出遇って初めて、各宗派宗教で説かれている教義、宗教体験が、腑に落ちました。

比較宗教、比較思想に一貫して関心を持ち続けています。

宗教には関心はあるけど、特定の宗派に凝ることには躊躇する。
そういう方も結構いらっしゃるかと思います。

そのような方は是非、弁栄聖者にふれてみてください。


(注)ツイッター(@syou_en)もあります。

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